第102話 遺跡へ 弐

「……なんて空気だ。水の中を歩くのと変わらないじゃないか」


 むせ返るような濃密な森の空気自体がクウヤたちの足を遅くする。

 クウヤたちの一行は襲ってくる魔物を退けながら、魔の森の深部へと進入していた。一行は魔物との戦いとまとわりつく空気に疲労の色を濃くしていた。


「……遺跡はあと少しだ。遅れるな」


 普段、言葉が少ない同行人が隊の全員に聞こえるよう声をかける。魔の森を案内しているときもほとんど話をしなかった彼にしては異例のことである。

 そのことにクウヤは驚きを感じたが、声には出さなかった。いや、このときの彼は声に出すことができなかった。それほど魔の森を踏破することは困難を極めていた。とにかく彼の今の望みは腰を落ち着け、砂漠の砂よりも乾いた喉をゆっくりと時間をかけて潤すことだった。

 一行は重い足を引きずるように歩く。途中、巨大な葉をしげらせつる性の植物が複雑にからみつきほぼ一体となった名前すらわからない異形の巨木の横を抜け、絡まる草むらをかき分け、さらに森の奥を目指す。行く手を阻む植物には、葉や枝の表面に細かく硬い毛が生えたものがあり、ヤスリのようになたものもある。その近くを通るだけで一行の防具を少しずつ削っていく。それだけでなく肌の露出した部分を削り、無数のすり傷を作る。ケガ自体は大したケガではないが、それが繰り返されることで、一行の精神を削る。しかもその傷口に乾くことのない汗がしみ、じわじわと耐え難い苦痛を与える。

 やがて、一行の先頭にいる同行人が声を上げる。


「見えてきたぞ。あそこだ」


 そう指さす先には生える木々はまばらで、空を覆い隠す高い木はなく、幾分開けた空間が広がっていた。その一番奥に石山のようなものがみえた。濃密な空気と灌木に邪魔され、その全容ははっきり見ることはできなかったが、クウヤには見覚えがあった。


「……やっと着いた」


 クウヤは魔の森へ入って初めて、安堵の表情をみせる。一行は目的地に到達した。目的地に到達した安堵感からか隊員たちも表情がゆるむ。しかし隊長だけは厳しい表情のままだった。次にすることがあるからである。


「よし、ここに野営する。全員疲れているだろうがもうひと踏ん張りだ。早いところ野営の準備を終えて、飯にありつこうじゃないか!」


 隊長はそう言って、疲労困憊の一行をはげます。一行もその言葉に奮起し、遺跡近辺の灌木を切り倒し、背の高い草むらを切り開き、野営できる広場を作り出す。その中で気を吐いたのはエヴァンだった。エヴァンは愛用の両手剣を斧や鎌の代わりにして周りの木々や草を刈り取っていった。切り倒した木々や刈り取った草は周囲に積み上げ簡易の防壁にした。クウヤは何か落ちかない様子だった。野営準備もどこかうわの空だった。ことあるごとに、遺跡を見つめている。


「クウヤ、落ち着け。今の状態で遺跡の中に入っても、ろくなことにならん。一旦休め」


 焦りの見えるクウヤを隊長がたしなめる。隊長にそう言われクウヤは気を取り直し、野営の準備に集中することにした。一通りの作業が終了し、一行は一部の警戒要員を除き、各々食事を取ったり身体を休めるため、早めに就寝するものもいた。

 野営している広場の中心には火が焚かれ、即席の村ができあがっていた。


「そのままで聞いてくれ。伝えておくことがある。見張りや寝た連中にはあとで伝えておいてくれ」


 火の前で隊長が話し始めた。少数ではあるが手すきのものが注目している。隊長はあたりを見回し、ひと呼吸おく。


「……ここで滞在し、遺跡周辺の調査を行う。何か問題が起きても、三泊を超えてとどまることはない。各人、このことを常に気にとめておいてくれ。魔物を排除しながらの調査になるため、長居はできない。三泊をすぎれば何があろうと撤収する。以上だ」


 クウヤは隊長の話に緊張の色を濃くする。遺跡内でどれほど時間が必要なのか分からず、期限までに戻れるのか確信が持てなかった。クウヤの表情が曇り、拳を握る。


 話し終わった隊長はクウヤのそばに歩いてくる。

 

「お前は早く飯食って休め、クウヤ。明日朝一で遺跡に入ればよかろう……」


 隊長はクウヤ肩に手を置き、しみじみと語りかける。クウヤは隊長の目をまっすぐ見つめる。


「生きてもどれ、いいな? ここにいる全員がお前を無事連れ戻すためにいるんだ。どんなことがあっても、そのことを忘れるなよ」


 言いたいことを言ったのか、隊員たちに指示しつつクウヤの下を離れ、どこかへ立ち去る。残されたクウヤは広場の火のそばに行き座った。あたりは宵闇が迫り、暗闇が視界を次第に遮えぎり始める。

 クウヤは何をするでもなく、ゆらめく火を見つめている。なぜか火の番をするはずの隊員が居らず、たき火のそばにはクウヤだけだった。

 不意に声をかけられ、振り向く。


「……となりいいですか?」


 そこにはルーがいた。少しためらうようにクウヤのそばへ座る。しばらく二人してゆらめく火を無言で見つめる。すでに夜のとばりは降り、森は暗闇に閉ざされている。野営地以外は闇に沈み、たき火だけが地上の唯一の灯火ともしびである。満天の星が瞬く中、野営地は闇夜にさまよう船である。クウヤとルーはその船の唯一の乗員で操船方法も分からず、ただ漂流しているようだった。


「……すぐ帰って来るよね?」


 ルーは意を決して、クウヤに聞く。クウヤはすぐに答えられなかった。ルーはまっすぐクウヤを見つめ、彼の手を握る。クウヤはどぎまぎし、ルーと目を合わせることができなかった。


「……どんなことがあっても必ず帰ってきて下さい。帰ってこなかったらお仕置きです」


 クウヤは冗談かと思い、ルーを見る。ルーは至って真面目な顔をしている。どうやら本気のようだ。クウヤは『帰ってこない相手にどうお仕置きするのだろう?』と内心思ったがそのことは心のうちに留める。


「お仕置きされちゃ、かなわないなぁ……」


 クウヤは苦笑いしてルーの手を握りかえす。その手は柔らかく暖かい。しかも少し汗ばんでいる。クウヤは何となくルーの気持ちを察したような気がした。


「……必ず戻るよ。どんなことをしてもね。だから待っていて」


 ルーは一瞬視線を外す。その顔は赤みがかっていたが、たき火に照らされただけではなかった。あらためてクウヤを見つめ、イタズラな笑みを浮かべる。

 

「この森にいる間に戻ってきて下さい。でないと、置いて帰えりますよ」


 クウヤはその言葉に苦笑し、少しおどけてみる。


「そりゃ、困ったな。サッサと用事を済まさないといけないな」


 お互い見つめ合うが目を合わせた瞬間、湧き上がる笑いを我慢しきれず、二人して笑いあった。


「……遺跡からいつ出てこれるのかわからないけれど、何があってもルーのもとに必ず戻る。これは約束する」 


 自分に言い聞かせるように、クウヤはもう一度約束の言葉をルーに伝える。ルーもクウヤを見つめ最後までその言葉を聞いていた。彼の言葉が終わると静かに大きくうなずく。


「……うん、待ってます。何があっても……」


 しばらくたき火に照らされ、二人一つの影が水面みなもの波の乗るようにたゆたっていた。


――――✩――――✩――――


「……さてと」


 翌朝早くクウヤは起床し、一人遺跡へ入る準備をする。いつものように武器防具などのがたつきがないか、ヒビやキズがないか確認していく。


「よし……行くか」


 遺跡の入り口となる魔法陣へ向け歩き始めた。クウヤは早速隠された紋章の力で遺跡に入ろうとする。

 そのとき誰かが後ろから腕を引き、引きとめる。


 誰が引き止めるのだろうと思い、ふり返る。後ろにはルーがいた。彼女がクウヤの腕を引き、引きとめていた。彼女はふり向いたクウヤにさらに近づき、クウヤの目をまっすぐ見つめ、手を握りなおす。


「ちゃんと帰ってきてよね?」


 彼女の顔には心配の色がありありとしている。その顔を見てクウヤは『ルーでもこんな顔をするんだな』と思うとおかしくなった。クウヤの反応にルーは恥ずかしさを感じ、少しすねた表情をする。その顔にははっきりと『こんなに心配しているのに……』と書いてある。

 クウヤはルーの態度に苦笑したが、すぐに真顔に戻り約束する。


「昨日も言っただろ? 必ず戻る。信じて」


 クウヤはルーに握られた手で彼女のそっとほほを撫でる。彼女は目を伏せる。

 クウヤは優しく彼女のひたいに口づける。ルーは顔を赤らめ、うるんだ目でクウヤをみる。


「さ、行かなきゃ。少し離れて」


 遺跡の前で手の紋章に魔力を集める。紋章が輝きだし、遺跡の一部が呼応するように光を宿す。クウヤはその光に抱かれ遺跡の中へ消えていった。


「……いっちゃったね」


 遺跡を見つめるルーにヒルデが声をかける。ルーはヒルデのほうを向き微笑む……微笑む努力をしていた。笑みを作ろうとしているが、口角は上がらず、二つの瞳はうるみ、あふれでるものがある。両拳を握りしめ、身体をわずかに震わせている。


「……クウヤくん、すぐ帰ってくるよ。それまでちゃんと待っていないとね」


 ヒルデはそう言うとルーをそっと抱きしめた。ルーはまだ身体を震わせている。うつむき小刻みに震える姿は、生まれて間もない小動物ののようであった。エヴァンは大きくため息をつき、その様子を見ている。


「……アイツが帰ってくるまで、ここを守らないとな。しっかりしろよ、ルー!」


 エヴァンもルーをはげます。ルーは顔を上げるがなぜか胡乱な目でエヴァンを見る。一瞬、エヴァンはたじろぐ。


「……エヴァンなのに生意気ですね。私を誰だと思っているのですか?」


 涙目になりながら、腰に手を当て胸を張るルー。ヒルデとエヴァンはその姿に失笑する。どうみても、虚勢を張っているようにしか見えなかった。とたんにルーの顔に朱がさす。


「ヒルデまで……クウヤがいなくてもなんとかなります。なんとかします! ……何がおかしいのっ!」


 ルーが取りつくろおうと必死になればなるほど、彼女の仲間の笑いを誘うだけだった。


「魔物だ!」


 どこからともなく聞こえた声に、ルーたちに緊張の色が走る。彼女らは互いに顔を見合わせ、言葉なくうなづく。


「クウヤが戻るまでは魔物ごときに負けません!」

「クウヤくんの戻る場所を守ります!」

「クウヤぁっ、とっとと戻ってこいよぉ!」


 魔物の群れが調査隊に向かってくる。砂塵をまき上げ、けたたましい咆哮とともに近づいてくる。

 彼女らは襲ってくる魔物にたちむかっていった。大事な仲間の戻る場所を守るために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る