第73話 クウヤの帰還 壱

「何でこうなった……」


 マグナラクシア行きの船の上で、クウヤは水平線を見つめつつ、ため息をつく。彼の視界にはう恨めしいばかりに青く澄み切った空と、深く吸い込まれそうなほどにあおい海原が広がるばかりである。青い空には数群の雲と数羽の海鳥が漂っている。クウヤの後ろではルー、ヒルデ、エヴァンの小悪魔三人衆が和気藹々わきあいあいと船旅を楽しんでいる。彼は雲や海鳥に軽い嫉妬を覚えずにはいられなかった。


 話をクウヤが憂鬱ゆううつに浸る前に戻す――


 クウヤがリクドーからの手紙を読んでいる時に一緒にいた小悪魔三人衆の悪乗りにより、リクドーへ強制帰省させられることになった。クウヤ自身はそれほど帰ろうと考えていたわけではなかったが、三人衆の悪乗りには勝てなかった。特にルーの無言の圧力には抗し難く、大した抵抗もできずあっけなく陥落した。しかたなく学園に届けを出し、帰省することとなった。無論、彼の届けを含め、残り三人分の外泊許可等の申請も彼が一身に背負うことになったのだが……。


 学園では、始業式、入学式に合わせ一年が始まり、卒業式や終業式で一年が終わる。その中間で特にはっきりとした季節的な長期休暇のようなものはない。これは世界各国から学生が集まる学園では各々の国全ての習慣に合わせ、年間スケジュールを決めると年間スケジュールが組めないからである。個々の習慣に合わせ、自分の年間スケジュールを決め、それに合わせて長期の休暇を取ったり、履修計画を建てることになる。そして帰省などで長期に学園を離れる際は各自届けを出し許可証を受け取る決まりになっていた。


 クウヤはその許可証を受け取るために中央棟にある事務局を訪れた。


「あの、前出した届けは受理されましたか? 許可証を取りに来たのですが」


 クウヤは受付係に尋ねた。受付係は名前を尋ね、許可証ととあるメモを彼に渡した。


「何ですか、このメモは?」


 受付係は学園長からの言付けとだけ告げ、内容についてはメモを確認するようにと言った。クウヤがメモを確認すると『学園長室まで来るように』とだけ書いてあった。


(学園長が……? 何か厄介事を押し付けられなけりゃいいけど。あのタヌキじじいのことだからなぁ……。ま、行くしかないか)


 仕方なくクウヤはその足で学園長室まで向かった。


「失礼します」


 クウヤは学園長室のノックし、中へ入った。学園長は自分の執務机で書類を処理していた。


「おう、よう来たの。こっちへ来なさい」


 学園長に促され、彼の前まで進んだクウヤ。多少疑念のこもった目で見ながら何用で呼び出したのか尋ねた。


「わざわざ呼び立てて済まなかったのぉ。帰省すると聞いてな、ちょっと頼まれてほしいことがあるんじゃ」


 そう言うと机から書状を取り出した。書状はマグナラクシアの国章の入った封印がされており、少なくとも私的な手紙でないことは明らかだった。嫌な予感が当たったことに軽く狼狽するクウヤ。


「何ですか、この書状は? ……もしかして」

「さすが察しがいいの。これをおまえさんの父上に渡して欲しいんじゃ」


 どこか、いたずら小僧のような薄ら笑いを浮かべ、学園長はクウヤに答えた。クウヤは「またかよ……」と言わんばかりに顔をしかめた。クウヤは事あるごとに厄介事を押し付けられる自分の境遇を呪わずにはいられなかった。なんとか、回避できないものかと些細な抵抗を試みた。


「しかし、この封印を見ると国書のように見えますが、そんなものを一地方司政官に過ぎない父に渡しても良いものなんですか? それに魔の森の時とは違って、全くの私人が外交文書を一地方司政官に運ぶことになりますが……?」


 クウヤは学園長の表情を見ながら、慎重に切り出した。


「構わんよ。この書状は一応国書だが、この国からの密書でもある。密書である以上当然、この書状は公式には存在しない書状、“存在しない国書”ということじゃな。“存在しない国書”なら誰が運ぼうが、誰に渡そうが問題になるまい? そういうことじゃ」


 クウヤのささやかな抵抗はあっさり受け流された。しかも、その書状は外交的にはかなり怪しい書状であると宣言される。クウヤは外堀を埋められた上、針のむしろの上に座らさせられてような気分になった。


「となると、当然内容については……」

「ま、聞かぬほうがええじゃろうな。もっとも、聞かれても教えるわけにはいかんがな。『学園長から保護者へ送った手紙』ということにしておけ。そのほうが角が立たんでええじゃろ、の?」


 見ようによっては小バカにしているように見える薄ら笑いを浮かべたまま、学園長はあっさり言ってのけた。どう言い繕っても出所の怪しい内密の外交文書を“学園長からの手紙”などと簡単に扱えるはずもなかった。かなり無茶な要求にクウヤは当惑するばかりだった。


「ただそうなると、何かうるさい連中が付きまとったりはしませんか?」

「さぁ、それはわからんな。ただ、そういう輩が付きまとうことを前提にこの書状を運んでもらうか。内々に援助はするし、配下の者に付きまとうハエの掃除はさせる。そういうことで一つたのむわ……」


 ついに学園長に押し切られ、書状を運ばざるを得なくなった。


「あ、あとハウスフォーファー君によろしく言っておいてくれ」


 クウヤは力無く頷き、学園長室を出ていった。見送った学園長の顔にはすまなさそうなためらいの色がわずかに浮かんでいた。


 そして話は現在に戻る――


 蒼空の下、船はひた走る。その船のデッキには少年少女が仲睦まじく海を見ながら話をしている――ように見える。


「もうすぐ、港ですね。リクドーってどんなところなんですか、クウヤ?」

「ん? ま、そんなに大きな街じゃないんだけど島国の帝国蓬莱と大陸とをつなぐ出先っていえば間違いないかな。帝国本土と大陸間の物資の取り引きで結構賑やかなんだ」

「……それはカウティカとどう違うのですか? ざっと聞く限り、商人連合であるカウティカと大差無いように聞こえるのですが?」

「難しいな。明らかに違うのは、カウティカは商人の協議機関である評議会で合議して統治を行うのに対し、リクドーでは帝国の名の下に司政官が一人責任を負って統治を行うというところが違うかな」

「そうなんですか。とすれば――」


 話している内容はとても年端の行かない少年少女のする会話ではない。もう少し年齢にふさわしい話題もあろうものだが、クウヤとルーの組み合わせだと何故かこうなる。クウヤは転生者で中身はすでに少年と言えないが、驚くべきはルーである。なにげにクウヤの外見年齢に似つかわしくない話題にも話を合わせている。その辺りは、さすがカウティカの王女さまの面目躍如というところである。ただの高飛車少女ではない。

 クウヤはそのことに気づかず、話に夢中である。彼女は多少クウヤの様子に不満気ではあるが、珍しく話に夢中になる彼を見て、内心「仕方ないな……この人はこういう人だから……」と割り切ることにした。

 ヒルデは彼らを物陰で見守りながら、親友が、多少規格外ではあるが、人並みの人間関係を作ることができるようになったことに喜ぶ。ルーに向けられた目線は姉か母親のようである。その横で人間関係の機微に全く頓着とんちゃくしないバカ一匹がいて、そのバカが余計なことをしないように監視することも、彼女にとっては喜びの一つになっている。

 バカ一匹は……。全く状況を理解せず、クウヤとルーを冷やかそうとしてヒルデにたしなめられる。それでも彼は今ひとつ状況を飲み込めず、彼の頭の上には疑問符が飛び交っていた。


 四者四様の思いを載せ、船は波を切り進む。


 リクドーへ一路。


――――☆――――☆――――


 リクドーの港は相変わらず、船から荷物を積み降ろしする荷役や船員たちで賑わっている。また、船を見送る人々も交じり、その光景は餌にたかるアリのようにみえる。着岸する様子を船のデッキから眺めていたクウヤたちは感慨も一入ひとしおである。


「相変わらずだな、この港。全然変わってない」

「ああ、そうだな」


 エヴァンはそう感嘆する。クウヤも同様に感じている。ここリクドーを離れて半年以上経っていたが、賑わいに変わりはなかった。


「クウヤの言う通り、結構賑わっているんですね。こんな辺境の地にあるのに」

「ちょっと、るーちゃん! そんな言い方はないでしょう……。ごめんねぇ、クウヤくん」


 ルーの言いたい放題に、慌ててヒルデがフォローする。クウヤは苦笑いして、軽く手を挙げる。


「いや、構わないよ。辺境なのは間違いないしね」

「ま、そうだな。辺境なのは間違いないな」


 エヴァンも苦笑いしながら追従する。


 実際、リクドーの位置は大陸の中心地となっているカウティカやリゾソレニアからは遠くはなれている。大陸の主要国家の反発を避けるため、大陸の中心を外れた場所に帝国は橋頭堡となるリクドーを確保したのである。とは言うものの、大陸国にしてみれば内心面白くないのは明らかだった。そのことが帝国と大陸国家との火種になっている。その火種は今のところはほんの小さい種火程度だが、燃料となりそうなトラブルは山ほどあった。

 いつ足元に日がついてもおかしくない状況にありながら、リクドー及びその司政官であるドウゲンは危うい橋を毎日わたっていた。


「お迎えはなしか。ま、いっか。クウヤ、歩いて行こうぜ」

「おう。久しぶりに屋敷まで歩くか!」


 港には屋敷からの迎えはいないようだった。クウヤたちは一般の乗船客と同じように上陸し、屋敷へ向かう。心なしかクウヤとエヴァンの足取りは浮足立ち、知らず知らずのうちに歩みを早めてしまう。


「あ、待ってよ! 屋敷までってどのぐらいかかるのよ? ちょっとエヴァン、クウヤくん、待ってぇ!」

「歩いてね……。元気ねぇ……男の子って」


 ヒルデは慌てててクウヤたち二人を追いかける。ルーは故郷に到着し、知らず知らずのうちに浮かれるクウヤたちに若干呆れながら、二人を追いかける。


「ここ、ここ。一時期、ソティスに目一杯絞られたもんなぁ……。なぁ、エヴァン」

「だよなぁ……。あの時だよな、世の中に“鬼”っているんだって思ったのは……」

「ソティスって、誰のことでしょう? そんなにひどいしごきだったのですか?」

「ああ、ルーにはまだ話したことなかったな。ソティスはうちの侍女なんだが、学園を受験する前にかなりしごかれてなぁ……」

「そりゃ、もう。下手すりゃ、大魔皇帝じゃねぇかって思うほどに……。んでも、あれってクウヤの巻き添え何じゃなかったっけ、俺?」

「巻き添えはないだろう……。ソティスにしれたら、またしごかれるぞ」

「勘弁してくれぇ」


 港から屋敷へ向かう道を歩く四人。クウヤとエヴァンが道すがら、昔話に花が咲く。エヴァンはともかく、普段それほど口数の多くないクウヤが饒舌なことに、ヒルデとルーは驚きを禁じ得ない。その一方、クウヤはルーがいつもなら皮肉の一つも出るはずなのに、素直に話を聞いていることに驚きを感じる。


 その時である。


「危ない!」


 ヒルデが急に危険を告げる。他の三人はその声に反応し身構え、臨戦態勢をとる。それと同時に物陰から、火球が飛び出した。


「くっ! こんなところで! みんな屋敷へ走るぞ! こっちだ」


 クウヤは他の三人に声をかけ、屋敷に向かう道を走りだす。


(何者なんだ! こんなところで襲撃をかけるなんて。学園長は手配するって言っていたのに!)


 クウヤたちは謎の存在から襲撃され、防戦しつつクロシマ家屋敷へ走っていった。

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