第72話 苦悩 参

リクドーの侍女ソティスからの手紙を手に取り、開封するクウヤ。久しぶりの故郷からの便りに綴られた懐かしい文字に目を細める。


『クウヤ様、いかがお過ごしでしょうか? ――』


 そんな在り来たりな言葉から始まった手紙には、クウヤの故郷の近況などが事務報告のように綴られていた。

 いつもながら、領内を忙しく飛び回る父ドウゲン、母カトレヤの様子など、魔の森の一件があって頭の隅に追いやっていた記憶が手紙を読み進めるごとに蘇る。


「相変わらず素っ気ないなぁ、ソティスの手紙は。みんな変わりないかなぁ……」


 クウヤは暗い部屋の中で手紙を片手に故郷を一人懐かしむ。しかし次の一文で、彼の表情が一変する。


「……へ? いきなり言われてもなぁ……『お兄様になられました』って、なんだかなぁ……これって、何かの死亡フラグ?」


 手紙には、カトレアが双子の弟と妹を産んだことをが書かれており、クウヤはそのことに若干の戸惑いを感じる。

 ――養父母に血の繋がった本物の“子供”が生まれた。このことは血のつながりのない”子供”である彼から見れば、自分の立場を危うくさせかねない事態が発生したことになる。廃嫡程度ですめばまだましだが、実子の家督相続の邪魔となれば抹殺され、闇から闇へ葬られることもありうる。クロシマ家には現在そのような『お家騒動』は発生してなかったが、実子が生まれたことにより、そのような血で血を洗うような凄惨な事態が起きかねない。また、公爵などの介入によりそのような事態を起こされる可能性もある――とクウヤの意識下にある“何か”から啓示を受ける。


(だいたい、貴族とかやんごとない血筋ってそういうことが多いし。特にあの公爵タヌキ親父がちょっかいだしそうだしなあ……。厄介なことになったな。これは先に手を打った方がいいかな……って、なんでこんなことを考えているんだ?)


 クウヤにはクロシマ家次期当主の立場に何のこだわりはない。ただ、お家騒動に巻き込まれ、今の立場を失うことは自分に課せられたシガラミを更にややしいものになるのは明らかだった。そうなれば彼の存在意義を揺るがしかねない。彼は強大な力を司るよう作られ、その力で戦う存在である。それ以外の要素はない異形の存在である。その異形の存在が戦うという存在意義を揺るがされればどうなるのか? ……彼は想像することをやめた。


 簡単に解決できない問題を前に、途方も無い泥沼に足を突っ込むような感じしかしなかった。


 本来なら、新しい家族の誕生に晴々しい気持ちを抱くところである。しかしそうさせないモノが自分の意識の中にしっかりと根付いていることに、クウヤは心かき乱される。


 懐かしさと同時に重い現実を突きつけられたクウヤは窓辺へ移動する。窓の外の景色を見ながらため息をつく。窓の外は夜の帳が沈むまいと抵抗する夕日を押さえつけ、宵闇に覆われた風景がただ広がるだけだった。


――――☆――――☆――――


「クウヤ、元気にしていますか?」

「……ん? 誰……?」


 微睡まどろみの中、不意にかけられた声に驚き、声の主を探す。


 クウヤの寝ぼけまなこにベッドりに何故かルーが立っている光景が映る。


「何で……ここにいるの、ルー?」

「何でって、どういうことでしょう、クウヤ? わざわざ様子を見にきてあげたというのに、あんまりな言いぐさですね」


 クウヤは多少寝ぼけている頭を、なんとか回転させ、状況把握に努める。ルーは小首を傾げ、微笑みを絶やさない。


「ルー、ここはどこだ?」

「どこって……決まっているでしょう、クウヤ。貴方の部屋じゃないですか。それが何か?」

「……そうだな。ここは男子寮の一室である俺の部屋だな。何で男子寮にすんなり入れたんだ? 管理人に止められるだろう、普通」

「簡単な話です。いつもお世話になっているお礼として、管理人に金貨を二、三枚渡したら、何の問題もなく」


 クウヤは頭を抱える。年端もいかない少女が、さも当然そうに管理人へ袖の下を渡していたからだ。


「……なぁ、それって世間では『賄賂』とか言わないか?」

「あら? 私は単に『心づけ』と言うと思ってましたが。それがなにか?」


 クウヤとルーの認識の差は異次元である。クウヤは眩暈を感じずにいられない。


「君の国ではそれが普通なのかい?」

「カウティカでは、このぐらいの『心づけ』ができなければ、まともに生活できませんよ。商人の連合国、常に周囲への『配慮』は当然のことです。クウヤのお里では、違うのですか?」


 クウヤはルーの話に国情の違いというものを感じる。リクドーを含む帝国の領域では、ルーのやっていることは基本的に賄賂と見なされる。しかし彼女の国では当然の配慮のようである。

 国が異なれば、こうも認識が違うものかと改めてクウヤは驚く。


「俺の国では、そういう行為は避けるべき卑怯な行為として思われてるな」

「そうなんですか。変わってますね。私の国では、何らかの実利を『分配』することでお互いの軋轢を避けるべき……と教えられてます。なのであの『心づけ』は私の国では奨励されこそすれ、非難されることはまずないです」


 話を聞けば聞くほど、お互いの認識が歩み寄ることはなさそうにクウヤは思う。


「……ま、いいや。ところで、何か用事?」


 どこまで行っても、認識の違いが埋まりそうになかったので、クウヤは話題を変える。


「用事って、単にクウヤをカンゴしにきただけですが。何か問題でも?」


「……そ、そうなの? それはありがとう。でも特に悪いところはないんだけど」

「問題ありません。そういうことでクウヤ、寝ていてください。私がカンゴします」

「いやいや。なんともないって……」

「ご託は結構。早く寝てください。てか、動くな!」


 ルーは言うが早いか、クウヤを押し倒し、ベッドへ固定する。


「え? ルーさん何を仰って……あれ? おい、なにするんだっ! ちょっ、まっ……!」


 哀れクウヤは自分のベッドで囚われの身と成り果てる。ルーは何とも言えない微妙な笑みを浮かべ、クウヤを見下ろす。


「私がカンゴすれば、たちどころに元気になります。任せてください」

「そういうセリフは無理矢理ベッドに固定する人間が言うべきものでは……」

「うるさいっ! カンゴされる人間があれこれ言わない!」


 ルーの豹変にクウヤは二の句が継げない。かくして、クウヤはまな板上の魚ならぬ、ベッド上の患者となる。


「……うるせーなぁー! こんな時間から何騒いでいるんだい? こっちはゆっくり寝ていたってのによー」


 クウヤとルーの『戯れ』に眠りを妨げられたエヴァンが抗議の声を上げる。その次の瞬間、クウヤとルーのベッドでの『戯れ』を目撃する。


「……何やってんだ、お前ら。こんな時間にそんなことするか普通……。そういうことは二人だけでしてくれよ」


 エヴァンの苦情に対し、即座にクウヤが弁解する。


「エヴァン、誤解だ。俺はやましいことはしていない」

「そうです、エヴァン。私はただクウヤをカンゴしているだけです。自分の妄想を当てはめないで下さい」

「……もーそーって。はぁ……。んなわけ無いでしょ! ベッドにくくりつけて、看護なんて言われてもなぁ」

「それはクウヤが悪いのであって、私の責任ではありませんし、特に変態じみた行為の一貫ということでもありません。そういう発想をすること自体、そのたぐいの妄想をしているという証左でしょう、エヴァン。何か間違いはありますか?」

「だから、俺はそんな妄想はしてないって!」


 ルーの発言にげんなりするエヴァン。何故かルーの口撃がエヴァンに向いたところで彼にとって救いの女神が登場する。


「るーちゃんいるぅ? あっいたいた……って、何やっているの!」


 ベッドに固定されたクウヤの惨状を目の当たりにして、普段温厚なヒルデが激昂する。


「何をって見ての通り、クウヤのカンゴよ。何か間違いがある?」


 ヒルデは思わず、顔を右手で覆い、天を仰ぐ。根本的なことに間違いを感じ、ルーにどう言うべきか考えこんでいる。


「あのね、るーちゃん。”看護”ってベッドに固定することじゃないよ……」

「固定したのはクウヤが動くから。特に間違ったことはしてない。カンゴすれば早く元気になるって言うから……」


 ほほを人差し指で掻きながら、ヒルデはルーに何を言うべきかさらに考えている。


「いや、クウヤが本当に何か病気でベッドに臥せっているなら、看護すれば元気になるだろうけど、今のクウヤくんには必要ないと思うよ」

「でも、クウヤは魔の森へ行ってから何かおかしいし、私が元気にしないと……」


 そういうとルーは俯いて、微かに震える。懐からハンカチを取りだし、目を拭う仕草をする。ヒルデはそんなルーの肩をそっと抱きしめる。そして、ルーのハンカチを握った手を握りしめる。


「……まぁ、気持ちはありがたく受けとるから、解放してくれない?」


 クウヤがその場の空気を読みながらも、自由にしてほしいとルーに頼む。


「……ごめんなさい。わかったわ。いらないことしてごめんなさい」


 ルーは多少うわずった声で、クウヤに謝る。何故か、被害者であるはずのクウヤがいたたまれない気分に追い込まれていく。


「……クウヤ。人の好意は素直に受け取らないとなぁ」


 エヴァンが調子に乗って、クウヤに追い討ちをかける。


「……いいのよ、エヴァン。私が悪かったの。私がいらないことをしなければ良かったのよ……」

「クウヤぁ……」

「ちょっとまて。俺は何もしていないぞ」


 何がなんだかわからないまま、エヴァンとルーに悪者にされていくクウヤ。

 ヒルデは三人の様子を見て、軽く息を吐く。


「るーちゃん、気はすんだ? ……茶番はもういいでしょ。いい加減クウヤくんを許してあげなさい」


 そう言うと、ヒルデはルーのハンカチを持っている手をさらに握り、顔から引き離す。


「泣き真似するなら、もう少し巧くね。いつも言っているでしょう?」


「……何でばらしてしまうの? もう少し、追い込めたのに」

「追い込めたって……。ルーさん、貴女は一体何がしたいのですか……」

「もちろん、“カンゴ”です」


 クウヤはかなり控えめにルーへ抗議するが、ルーはあっさり抗議を受け流す。


「帰ろかな、リクドーへ……」


 ガックリ肩を落としたクウヤはぼやく。


「お里へ帰るんですか。なら、私も行きます。クウヤの両親にご挨拶しなければ」


 そのボヤキを聞いたルーは間髪入れずのってきた。


「なんだ里帰りするんなら、俺も帰るぞ」

「クウヤくんのお里って、どんなところなんでしょう? 私も行ってもいいのかな?」

「ちょっと待て。なんでそうなる」


 クウヤ自身の意志はさておかれ、周りが勝手にどんどん話を進めだし、困惑する。


「まぁ、いいじゃねぇか。善は急げって言うしな。早速準備しようぜ」

「おいコラ、お前ら人を無視して勝手に話を進めるなよ」

「そういうことなら、クウヤ何を寝ているのですか。早いところ準備しなさい」

「いやまだ、行くとは……」

「うるさい。つべこべ言わずに準備しろ」

「……はい」


 ルーに恫喝され、クウヤはただ従うより他になった。

 完全にクウヤの意志は捨て置かれてしまい、ただただ周りに従うばかりのクウヤだった。


 何故かクウヤのボヤキをきっかけにリクドーへの里帰りが決まるだけでなく、四人揃っての里帰りとなってしまった。


 どうなろうと、クウヤの苦悩は解決できそうもなかった。

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