第71話 苦悩 弐

「……当面は表立った動きをせず、各国の動きを監視する。それでよいな?」


 学園長はクウヤに問うた。クウヤは軽くため息をつきながらも首肯する。

 現状では彼に学園長へ依頼するほかに、現段階では選択肢はなかった。


「一応、大魔皇帝に対する方針はこれで決まった。しかし、クウヤよ。軽はずみな行動はとるなよ。お前は世界の希望となる存在。たとえわしが各国を取りまとめ、大魔皇帝に対抗できたとしても最後はお主の力を借りねばならんだろう。そのこと、努々忘れんようにな」


 学園長はクウヤを見つめて、暗にクウヤが自暴自棄になって無思慮な行動をとらないように釘を指す。

 しかし、クウヤの表情はすぐれなかった。


「後のことは、任せておけ。今日のところは寮に戻って、休むがいい」


 学園長に促され、クウヤは退室していった。

 残された学園長と隊長は静かにクウヤを見送る。

 隊長は大きくため息をつく。


「学園長、ずいぶんと厄介なことに巻き込まれましたね。おかしな連中が蠢いているとは噂で聞いていましたが……かなり、根は深そうですね」

「……ま、そういうことだ。世界を襲う災厄の情報が事前に入手できたことは朗報と考えねばな。これからいろいろ忙しくなる。よろしく頼むぞ」

「わかりました。微力ながら、全力を尽くします」


 隊長は学園長に一礼し、退出していった。


「さて……厄介なことを解決していかないとな」


 学園長は人を呼んだ。


――――☆――――☆――――


 学園長との会談でも、未来に明確な希望を見いだせなかったクウヤは、中央棟の出口で空を見上げた。大きなため息とともにがっくりと肩を落とす。


(大した収穫なし……か。世界のすべてを巻き込むようなことが、すぐに解決するわけはないか……)


 クウヤは中央棟から、寮に向かって一人歩きだした。中央棟の影から誰かが出てきてきた。ルーだった。彼女は妙ににこやかにクウヤのところへ近寄ってきた。


「クウヤ、お疲れ様。寮までついて行ってあげるから、ありがたく思いなさい」


 その一言に思いっきり頭を抱えるクウヤだった。彼女にかまう気持ちの余裕はないのだが、無碍にするわけにもいかなかった。

 無碍にすれば……筆舌に尽くしがたい『何か』が待っていそうで、そっちのほうが恐ろしかった。事実、彼女はにこやかな表情をしていたが、どす黒い『何か』をまとっていた。言葉はないがその『何か』が脅していた。少なくと、クウヤの目にはそう写っていた。たとえ他の人には、にこやかな美少女がお出迎えしているような垂涎の光景に見えたとしても……である。


(こういうのを『リア充』って言うんだろうか……? 確かにルーは外見的にはかわいい方なんだが……何か間違っているような気が……何故にあんなどす黒いオーラをまとって……?)


 本能的に身の危険を感じさせる『何か』を目の当たりにして、その結論に至らざるを得ないクウヤであった。


「何してるの、クウヤ? 早く行きましょう」


ルーはそう言って、微笑んだ。黒いオーラをまとって……。

 逃げ道がないと悟った彼はやむを得ず、彼女に付き合うことにした。


「……仕方ない。それじゃ、行きますか。お嬢さん」

「……お嬢様とお呼びなさい」

「……はいはい」

「『はい』は一回でいいです」


 がっくりと肩を落としたクウヤと、なぜか妙に胸を張って、彼の横を歩くルーの姿がそこにあった。


 ルーはクウヤと一緒に歩きながら、何事かしきりに話しかけていた。しかし、クウヤは上の空で、ほとんど彼女の話を聞き流していて、ほぼ一方通行の会話だった。


「クウヤ、人の話をちゃんと聞いてますか? さっきから、何か聞き流されているような気がするのですが」

「ん? きっ……聞いているよ、うん、聞いてる、聞いてるよ……」


 その言葉に疑いの目を向けるルーに対し、クウヤは蛇に睨まれたカエルであった。彼の背筋に嫌な汗が染み出す。


 ルーはクウヤにそう言われも疑いの目を向けたままだった。しかし大きくため息をついて、両手を腰にあて小首を傾げ、苦笑いする。


「ま、クウヤがそう言うなら信じましょう、今日のところは。いろんなことがあって疲れているんだし……ね? その代わり、今からはちゃんと話を聞きなさいよ、いいですか?」


 クウヤはただ、ただ頷くだけだった。

 それからしばらくは、クウヤにとってひたすら忍従の時であった。下手に話を聞き逃そうものならどうなるか、クウヤは背筋が寒くなる思いだった。最もクウヤにしてみれば、何故そこまで気を使わなければならないのか良くわからなかった。


 唯一救いなのは、そうしていればルーは機嫌良く、話し続けることだった。その姿は実に微笑ましく、とてもどす黒いオーラをまとっていた少女とは思えなかった。


そんなやりとりをしているうちに、寮の前までついてしまった。クウヤはそのまま、部屋に帰ろうとしたが、ルーが立ち止まり、じっとこっちを見つめていることに気づいた。


「クウヤ、貴方には私がいるから……独り抱え込まないでくださいね……私は貴方の味方……だから……」


 ルーは珍しくはにかみながら、つぶやき、そっと両手でクウヤの手を握った。


 一方、クウヤは珍しい彼女の振る舞いに感心しつつも、何か裏があるのではと訝しんで彼女を観察していた。が、向かい合いルーの目を見たとん、そんなことはどうでもよくなった。潤んだ黒い瞳に吸い込まれるような感覚になり、他のものが目に入らなくなっていった。


(……どうでもいいや……いろんなことが)


 クウヤはルーに釘付けとなった。悩んでいたことが、どうでもいいことに思えた。彼はずっとルーの目を見つめていたいと思っていた。


「わかったよ。何かあれば……ね」


 二人は余計なことは何も言わず、しばらく向き合い手を握りあっていた。


「クウヤくん、お疲れ様……あ!」

「おう、クウヤお疲れ……お!」


 タイミングよく、寮のほうからヒルデとエヴァンがクウヤたちのほうへ歩いてきた。

 ヒルデとエヴァンはクウヤとルーの二人の様子を見て、卑下た笑みを浮かべ近よった。


 クウヤとルーは野次馬根性丸出しの二人に気付き、慌てふためいた。


「いや、あの……その……やっ、やましい気持ちなんてないよ、ないよ……ない、ない、うん」

「べっ別に、変なことは……しっ、してないんだから! してないんだからねっ!」


 クウヤとルーの二人は思わず、握りあっていた手を振り払い、ヒルデとエヴァンに必死に言い訳した。


「本当にぃ~? でも、手を握りあって見つめあうなんて、ねぇ?」

「そうそう。ねぇ! ニヒヒ……」


 ヒルデとエヴァンはそのとき、子どもの姿をしたおばさんとおっさんだった。子どもには似つかわしくない卑下た笑いがその事をしめしていた。


「ま、乳繰り合っているところすまんけど、とりあえずメシ行こうぜー!」

「そうそう、じっくりそのときに話はきくから。ね……!」


相変わらず、エヴァンとヒルデは卑下た笑いのまま、クウヤたちをからかった。


「もぅ……ヒルデったら! ただ単にはげましていただけなんだから。それだけなんだからねっ……! 本当だよっ! クウヤも何か言ってよ、もぅ!」


 ルーはいつもの高飛車キャラが完全に崩壊していた。彼女は必死に取り繕うがそうすればするほど、泥沼に自らはまっていった。

 一方、クウヤは苦笑いしながらも、今の状況に、前世から含めても感じたことのない、若干の心地よさを感じていた。

 そのことに気がついたクウヤは、少しずつ気が重くなった。大魔皇帝復活となれば、今のこの状況など吹けば飛ぶような塵芥ちりあくたに過ぎないからだ。そして彼は強く、こんな時間を失いたくないと思うようになった。

 だから、彼は次第に不安になった。それと同時に、何としても失いたくはないという気持ちが強くなっていく。


 そんなクウヤの気持ちを知ってか知らずか、他の三人はまだじゃれあっていた。


――――☆――――☆――――


「それじゃ、また明日な」


 食事を終え、四人は寮に戻った。ヒルデは散々クウヤとルーをイジリ倒し、妙な満足感を感じて、意気揚々で帰っていった。その後ろを精根尽き果てたように見えるルーがついていく。

 いつもとは逆の光景にクウヤとエヴァンは違和感を感じた。


 ルーたちと別れたクウヤたち自室へ向かった。ヒルデのご乱交に若干引き気味のエヴァンと、イジリ倒された被害者のクウヤは足取り重く、寮の階段を上っていった。


「さて、俺はもう寝るわ、おやすみ。また明日な、クウヤ」


 エヴァンは部屋に入るや否や、自分のベッドへ滑り込み、そのまま寝てしまった。


「……ふぅ」


 クウヤは気疲れはしたが、なかなか寝付けなかった。大魔皇帝復活のことが頭から離れない彼は、大きくため息をついた。窓の外をみると、空には満天の星、地上にはマグナラクシアの市街地の明かりと研究棟の明かりが対をなしていた。彼はその間の漆黒の闇を見つめた。その闇は限りなく暗く、見透すことができなかった。


(静かだ……大魔皇帝復活なんて、嘘みたいだ。この静けさがずっと続いてくれればなぁ……)


 クウヤの両肩にはこの世界の命運が重くのしかかっていた。彼一人で背負いきれないことは明らかだったが、彼以外に背負うものがいないという事実が、彼をさらに煩悶させる。


(考えても、仕方ない……か。とりあえず、今は寝るか)


 考えることを放棄したクウヤは自分の寝床へ向かうことにした。ふと自分の机を見ると何か置いてあった。彼はそれを手に取り、まじまじとながめた。


「ん? あれ、何だこれ? 手紙? ソティスから? 何だろう?」


 封を開け、手紙を読んだ。

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