ACT.32.5 更科伊吹(イヴリーテ)の回想録
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更科伊吹、彼女はそれなりに裕福な家庭に育った。しかし両親が過保護であったために、彼女にとって危険と判断出来るものは、事前に排除していた。モンスターペアレンツと呼ばれる。そのため伊吹はとても純粋に育っていく。外敵など知らずに……。
だから、あの日も眩しい笑顔で運転手と共に高校に向かった。
……事件が起きたのは、その日の夕刻。彼女は生徒会に属し、たまたま会議が押してしまった。そのため、校内をショートカットして、運転手の待つ校門に走っていた。
「……?!ふぐっ!」
後ろから誰かが抱きつき、ハンカチで口を塞がれる。薬が染み込んだハンカチ。走り、呼吸が乱れていた彼女は、思いきりそれを吸い込んでしまった。
誰もが見落とす落とし穴。私立の名門だからと、100%不審者が侵入しないとは限らない。しかも女子高ともなれば、片方の性別だけの偏見も出てきてしまう。
……そう、伊吹は誘拐された。誰よりも純粋無垢で、家族や周りからも蝶よ華よと讃えられ、無意識にそれに応えようと微笑んでいた少女。……聖女のような慈愛と博愛に満ちた微笑みで。誰も知らない。彼女が苦しんでいたことを。聖女たらんと毅然に振る舞うことに疲れはてていたなんて、わかるわけがなかった。彼女は優しすぎたのだから。
伊吹の両親は狂ったように取り乱し、運転手を痛めつけた。彼に非はない。待っていただけなのだから。下駄箱入り口まで出向こうとしたのを制したのは伊吹の方だった。
干渉してこない相手であっても、彼女は少しでも一人の時間が欲しかったからだ。校内では、両親が選別した学友が常に付き添う。帰宅すれば、就寝まで両親が離れない。会話の少ない運転手が一番、彼女には安らぎであっただろう。それでも校門までの道程は、彼女にとっての
……それを侵された。
セキュリティが万全なほど、侵入者のレベルも高くなる。絶対に安全なんてないのだ。意識の高い日本だからと、頼りきってはならない。すべては日々進化しているのだから。
学校、警察、探偵、その他。あらゆる機関に手を回し、彼女の行方を逐わせた。
……その甲斐虚しく、まったく収穫を獲られなかった。犯人が何の要求もしてこない状況では、打つ手はなかった。
伊吹が発見されたのは、誘拐から2年後。
ある空き家に一人、取り残されていた。ぼろぼろな制服だけを纏い、辛うじて生きていた。
姿だけで悟る。彼女はすべてを侵され、冒され、犯された……。
犯人の痕跡はない。精密検査をしても、体液すら検出されなかった。
伊吹は意識が戻らず、紺紺と眠り続けた。……それと同時に知らされる。ストレス性の腫瘍があると。
心的に目覚める保証はなく、腫瘍が陽性であるために、今の技術では治せない。もって数年。
一人娘の絶望的な常態に、両親は泣き崩れた。何故ストレスが溜まったのかなど、考えもせずに。
2ヶ月もしないうちに、両親は伊吹への面会をしなくなった。このまま死んでしまうのだと思ったら、側にいるのが辛くなったからだ。最後の一時まで側にいたい、そんな殊勝なことを考えもしなかった。
二人は伊吹を見限った。第二児か、里子か。そんな選択肢に変わってしまった。伊吹への執拗な愛情は、一方的に切られてしまったのだ。延命治療のみで。
人は一頻り堪能すれば飽きてしまう。欲しかったものを苦労して手にいれても、その過程に満足して見向きもしなくなる。自分の見たいものだけみる。自分にメリットのあるものだけを得ようとする。見たくないもの、デメリットになるものは、無意識に排除してしまうのだ。
一辺倒にしか考えられない人間というものは。
《若年末期及び若年帰宅困難患者連続失踪事件》。
それが始まってから、丁度10年目。
彼女もまた、忽然と病院から姿を消した。何の前触れもなく。
身も心もぼろぼろになったこの少女こそが、聖女イヴリーテ。
彼女を蝕んでいるはずの聖女。しかし、それしかなかったのだ。彼女たらんとする証しなど。
美貌の聖女は無意識に奪った対象と同じ男性を貶め、無垢な者を求め続ける。無くしたものは二度と還らないけれど。
わかってはいても、止めることは出来ない。
だが、生き生きとした彼女がそこにはいた。
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