IFルート・ルイヴェル編~現実逃避もほどほどに~
――Side ルイヴェル
「……今日で二週間、か」
ウォルヴァンシア王宮内の中庭、その奥にある休憩所の中でソファーに腰かけ、魔術書に目を通していた俺は、ある娘の事を考えていた。
蒼く柔らかな長い髪、お人好しだと一目でわかるブラウンの瞳。
からかってやれば素直な反応を返し、くるくると変わる表情は、見ていてとても面白い。このウォルヴァンシア王国の国王陛下の王兄、ユーディス・ウォルヴァンシア様の娘……。
「ユキ……」
幼い頃に遊んでやった記憶と、帰還してからのアイツとの時間……。
大人になったユキは、昔と変わらず素直な可愛い奴に育っていた。
最初は、まるで保護者か兄のように見守っていたんだが……。
気が付けば、アレクとカインに譲ってやる余裕もなくなるくらいに……本気で欲しい存在に変化していた。
間の抜けた顔も、頬を膨らませて怒った顔も、無邪気に笑う愛らしいあの顔も……。
(思えば、幼い頃に出会った時から、ユキは俺を退屈させない奴だったな)
カインにでも聞かれれば、「そんな小せぇ頃からかよ!! このロリコン腹黒眼鏡が!!」と、非常に理不尽極まりない罵詈雑言を浴びせられそうだ。
言っておくが、俺に幼女趣味の気はない。
小さかった頃のユキは、本当に遊び甲斐があって可愛がっていただけだ。
「しかし……、想いを伝えた途端、『こうなる』とはな」
テーブルの上に魔術書を放り、俺はソファーへと仰向けに倒れ込んだ。
東屋の天井は透明仕様になっているから、こうしていると晴れ渡った青空が視界を埋め尽くす。
「わかりやすすぎる……と言えば、そうなんだがな」
バレスの町から帰還後、ユキはあからさまに俺を避けるようになった。
王宮医務室に顔を出す事もなければ、俺と偶然王宮内で出会ったとしても、……すぐに理由を付けて駆け去ってしまう。
アレクとカインにあれだけ熱い想いを向けられた日々を過ごしておきながらも、あの二人とは普通に話している。
一体どういう理不尽な差別だ? 幼い頃にどれだけ俺が可愛がってやったと思っているんだ?
昔は、俺がどんなにからかって遊んでやっても、また自分から近寄って来ていただろう?
それなのに……、もう二週間もわかりやすい避けられ方をしている。
「はぁ……」
さて、いつになれば臆病で恥ずかしがり屋のお姫様は、俺と向き合うんだろうな……。眠気を誘う暖かな日差しに身を委ね、俺は静かに瞼を閉じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side 幸希。
今日でもう三週間……。
ルイヴェルさんには申し訳ないと思いつつも、私はどうしていいかわからなくて逃げ通しの毎日を送っていた。
ちょっとでも顔を見たら、もうアウト。適当な言い訳を口にしてマッハで駆け足全力逃亡。
勿論、王宮医務室にも足を運ぶのはNGだ。
多分、いや、確実にルイヴェルさん自身も気付いているだろう。自分が避けられている事に……。
「はぁ……」
でも、迂闊に話をして、あの日の出来事を持ち出されても困る。
私にとってルイヴェルさんという存在は、ウォルヴァンシアに来てからお世話になっている王宮医師さんであり、相談や助言をしてくれる保護者のような存在なんだもの。それと、幼い頃に遊んでくれた意地悪で優しいお兄さんとしての存在。
どちらにしても、恋愛対象というのは無理がありすぎる気がする。
きっとルイヴェルさんも、熱と傷のせいで頭の中がおかしくなってただけ。きっとそう……。
そうでなければ、大人の男性であるルイヴェルさんが、私に恋愛感情など持つわけがない。自分を納得させるように考えを纏めた私は、王宮図書館に向かう道を歩き始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ユキ姫様、……今、少しよろしいでしょうか?」
「セレスフィーナさん、どうしたんですか? なんだか……お顔が疲れているようですけど」
王宮図書館の一角で、ウォルヴァンシアのお伽噺の載っている本を見ていると、何だか悩み顔で近付いてきた王宮医師のセレスフィーナさんが、遠慮がちに声をかけてきた。いつもは優しい微笑みと女神のような美しさを纏っている彼女だけれど、一体どうしたんだろ。
横の席を勧め本を閉じた私に、セレスフィーナさんは言い難そうに口を開く。
「実は……、最近、ルイヴェルの様子がおかしいんです」
「はい?」
「最近どうにも苛々しているというか、ピリピリしているのです」
「そ、そうなんですか……」
「治療を求めて訪ねて来る者達も怯えておりますし、仕事の方にも少々影響が」
セレスフィーナさんの柔らかな手が、膝の上で揃えていた私の両手の上に重なる。
少し潤んだ深緑の双眸が、懇願するように……何故か顔の前、至近距離に近付いた。
「ユキ姫様……、私や王宮の者達の為にも……、お願い出来ませんか?」
「な、何をでしょうか……っ」
「最近、ルイヴェルを避けておられますよね? 仕方がないと言えばそうなのですが……」
バレてる!! セレスフィーナさんに思いっきりバレている!!
彼女にこんな悲しそうな顔をさせている事自体物凄く罪に感じるのに、その悩みの元凶が私だなんて……。
やっぱり……、私が避け始めた事で、ルイヴェルさんに何らかの悪影響を及ぼしてしまったらしい。
「治療に訪れる者達も戸惑っているのです。仕事自体はきちんとこなすのですが、何と申しますか……手荒い、というか。溜息を吐く回数も日毎に増えておりますし」
「そ、そんなに……ですか?」
「はい。あの子はあまり動じない性格ではありますが、今回はちょっと……、放っておくには色々と……。出来れば、ユキ姫様にあの子と会って頂いて、お時間を頂ければと」
「それは……」
皆が困っているのなら、私が出て行ってどうかなる件であれば動かないわけにはいかない。けれど……、うーん、ルイヴェルさんの機嫌が悪いとわかっていて近付くというのも……。
正直、どんな報復をされるのか予想できなくて不安で仕方ない。
「お願いしますっ、今のあの子を元に戻せるのは、ユキ姫様しかいないのです!!」
ガタン! と席を立ち上がり、ここが王宮図書館内である事も忘れて鬼気迫る勢いで懇願してくるセレスフィーナさん。
これは、余程切羽詰まっているというか、彼女の中では早く解決したい重要事項なのだろう。
今すぐじゃなくてもいいからと、一応私に考える時間を与える言葉を告げ、最後にもう一度「どうか、よろしくお願いします!」と深く頭を下げて出て行ってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
セレスフィーナさんに頼まれたものの、さて……本当にどうしたものか。
皆さんの為に自分の身をルイヴェルさんの前に晒す勇気は……まだ、ない。
報復も怖いし、会いに行ったからといって、何を話せばいいのやら……。
よろよろと壁伝いに歩いていると、いつの間にかウォルヴァンシア騎士団に来ていた。おかしいな。今日は稽古場に誰もいない……。
いつもは気合の入った掛け声が幾つも聞こえてくるのに……。
「ユキ、どうしたんだ?」
「あ、アレクさん」
誰の姿も見えなかった稽古場の奥から、騎士服に身を包んだアレクさんが現れた。
蒼の眼差しが、私の顔を見た途端、心配げなものに変わっていく。
足早に私の許まで歩み寄り、頬に触れる大きな手のひらの感触。
「具合でも悪いのか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……。あ、えっと、今日は、団員の皆さんはお稽古はないんですか?」
「ルディーが城外の山まで訓練に連れて行っている。俺は書類仕事があるから、留守番だ」
「そうだったんですか。お仕事、本当にお疲れ様です」
「ユキ……、やはりどこか具合が悪いんじゃないのか? 声に力がないし、疲れているような雰囲気だが」
異世界に来てから付き合いの長いアレクさんには、一目でわかってしまったらしい。詳しい事情はわからなくても、私が元気のない時や悩んでいる時は、必ず気付いてくれる。
「アレクさん、心配してくれてありがとうございます」
この相談内容ばかりは、アレクさんにも話すわけにはいかない。
勿論、カインさんにも……。私の事を想ってくれているお二人には、絶対に。
気鬱だった表情を笑みの形に変えて、私はアレクさんにお礼を言ってその場を離れる事にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side ルイヴェル。(同日)
ユキに避けられ続けて二週間、それからまた日が経ち、三週間目を過ぎた。
気持ちの整理や落ち着く時間は十分に与えてやったはずだというのに、一向に避けるのを止める気配がない。
お前は逃亡速度の記録更新でもやっているのか、と言いたいぐらいには、日々逃げるスピードが上がっている。
いい加減時間は与えてやったはずだ……。それなのに、大した仕打ちをしてくれるものだ。惚れた女に逃げられる男の気持ちなど、おそらくあのお姫様にはわかっていないのだろう。自分の事で精一杯、他人の事を考える余裕が頭にない。
お子様なのだから仕方ないのかもしれないが、俺にだって我慢の限界はある。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いらっしゃいませ」
馴染みの道具屋に足を運ぶと、店主の穏やかな声音が俺を出迎えた。
首元で茶色の髪を一つに束ねた若い男で、俺とも顔馴染みだ。
「このリストにある物をひと揃え頼む」
「かしこまりました。すぐにご用意いたしますので少々お待ちを」
店主はカウンターの横を通って、保管室に入っていく。
さて、全部揃うのに少々時間がかかるだろうな。
店の中を見ながら待つとするか……。
「ほぉ……、先月はなかった類の薬草が入荷しているな。こっちは、ラスヴェリート産の……」
今月は店主の頑張りが功を奏したのか、棚には幾つもの新商品が顔を並べて陳列されていた。
紫の葉をしたこれは希少種の薬草だな。下の段にあるのは遠方の国とその近場の国にしか出回っていない薬だ。
それから……、ん? これは……『一日性別逆転の秘薬』、『獣耳が生える錠剤』、『捻くれ者更正薬』……か。
あきらかにネタというか、面白効果のある薬じゃないか。……十中八九、店主の趣味だな。
「……ん?」
ふと、外に面している窓側に設えれた硝子の丸テーブルに視線が止まった。
あの一角だけ……、目を背けたくなるようなピンク一色の空間がある。
近付いてみると、ハート形のポップがでかでかと客寄せ効果を発していた。
「……『貴方の恋心、必ず叶えます』、『究極の禁断惚れ薬』」
……女子が喜びそうな煽り文句だな。
最近これに似た物を、某副団長補佐官の実家の店内で見た気がするが。
毒々しい液体が入った小瓶を手に取り、控えめに振ってみる。
「宣伝文句と真逆にあるような色だな……」
「ルイヴェル様、ご興味がおありで?」
「お前か、……いや、物珍しかっただけだ。買う予定はない」
リストの品を揃えて戻って来た店主が、俺とピンク一色のコーナーを見比べる。
「そうですね。ルイヴェル様の場合は、黙っていても意中の方が寄って来てくれそうですよね」
「……それが、中々そうもいかなくてな」
「え?」
「いや、何でもない」
恋愛関連のコーナーに小瓶を戻した俺は、隅の方に水色の透明仕様の小瓶を見つけた。これだけ色が違うな……。中に入っている液体は透明のようだが、星屑ような砂が混ざっている。
「あぁ、それは、男性用なんですよ」
「男性用?」
「どうしても素直になってくれない彼女の本音を聞きたい男性が使う、まぁ、所謂……自白剤ですね。あまり手に入らない代物ですよ」
「後で相手の怒りを買う薬でしかないが、売れているのか?」
「全部で五つほど仕入れたのですが、意外に需要があるようで、ルイヴェル様が手にしている小瓶が、最後のひとつですよ」
「効くのは、女限定か?」
「いえ、一応、性別関係なく効きますよ。男性客の興味を引く為にポップと一緒に置いているだけですからね」
あまり必要はないとは思うが……、瓶の形がなかなか良いな。
中に入っている星屑のような砂も、飾っておく分には目を楽しませてくれるだろう。それに、いつか役に立つ時が来るかもしれないからな。
俺は店主に小瓶を渡し、会計を合わせて行うように伝えた。
――カララン……。
品の入った紙袋を腕に抱え、水色の小瓶だけ白衣のポケットにしまう。
「大広場にでも行くか」
丁度喉が渇いて、小腹が空いたところだ。
大広場に行けば、屋外用の飲食売りが店を出しているだろう。
特にこの後は予定もないしな。休んだら行商人達の出店でも見てまわるか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
後味の引かない冷たい飲み物と、とろりとしたソースの絡んだ肉詰めのサンドウィッチを購入し、大広場の隅にあるベンチに向かう。
この辺なら人混みからは離れているからな、ゆっくりと休める。
(王宮に戻ったら……、一度ユキを捕まえるか)
いつまでも好きにさせてやる気はない。
今度アイツが、俺の顔を見て逃げたら……。
(容赦なく捕獲してやる)
俺を今まで放置してくれた礼だ。
ユキが怖がろうが怯えようが、絶対にその手を掴んで逃がさない。
俺が納得するまで、ユキと話をさせて貰う事にしよう。
自分の口許に、アイツの言う『意地悪な笑み』を浮かべた俺は、最後の一口を喉の奥に嚥下した。
「さて、行くか……」
紙袋を抱えてベンチを立つと、賑やかな人混みの中から見知った色が飛び出してきた。蒼く柔らかな長い髪、困惑を宿すブラウンの瞳……。
その視線が、ゆっくりと俺を捉える。
「……あ」
手には城下で買ったらしき、小さな紙袋を握っている。
やや乱れた蒼い髪と、本人の疲労具合から見て……、人気の列にでも並んでいたな。俺を視界に映した事で、すぐにその足が人の少ない通りへと向かい始める。
……また逃げる気か?
ユキが地を蹴って身を翻した瞬間、俺も後を追って白衣を翻す。
しかし……。
「きゃあ!! あっちに人気店の出張販売が来てるらしいわよ!!」
「早く行かなきゃ!! 売り切れになっちゃうわ!!」
俺とユキを隔てるように、町娘の集団が目の前に立ち塞がった。
黄色い歓声を上げながら道を陣取る町娘達に、この三週間堪えていた苛立ちが疼き始める。
「すまないが、通して貰うぞ」
少々強引だが、町娘達の集団を掻き分け、途中面倒な声をかけられながらも前へと進む。人混みを抜け、辺りを見回すが……ユキの姿はどこにもない。
どこかに隠れている可能性も考えられるが……、アイツの魔力の気配を追った方が早いな。邪魔は入ったが、今回ばかりは逃がす気は毛頭ない。
気配を追って走って行くと、大広場から職人達の住む区域に向かう為の道へと辿り着いた。
(あそこか)
階段へと走るユキの姿を見つけた。
一度振り返ったブラウンの瞳が、俺の姿を捉える。
その瞬間、一歩踏み出した足がよろけた。
――ダッ!!!!!!!!!
「きゃあああっ!!」
落ちる寸前の所で、俺の腕がユキの手首を掴み、こちら側へと引き戻す事に成功した。俺の持っていた紙袋は……、無残にも地面に中身をぶちまけてしまっている。
だが、そんな物よりも、ユキが階段から落ちずに済んだ事に大きな安堵を覚える。
「お前は……何をやってるんだ」
「ご……ご……ごめんなさいっ」
「俺が助けなかったら、……今頃、お前は大怪我をしていたんだぞ?」
「る、ルイヴェルさ……んっ」
もうどこにも逃げられないように、俺はユキを腕の中に抱き締める。
もし、今ここに俺がいなかったら……、助けてくれる奴がいなかったら……。
怪我を負い、血だらけのユキを王宮で迎える事になったかもしれない。
そう考えると、背筋がゾッと恐怖に支配される。
「お前には、仕置きが必要だな」
「えっ」
吃驚したように声を上げたユキを、横抱きに抱え上げる。
近くにいた住人達が、俺が放り出した荷物を親切にも拾集めてくれていたらしく、それに礼を言って、紙袋を受け取りユキの上に乗せた。
歩いて王宮に帰るよりも、転移術で飛んだ方が早いか。
「王宮に戻ったら、説教と治療だ」
「そ、そんなっ」
詠唱を口にし始め、俺達を囲むように現れた銀の光を放つ陣。
行き先は、王宮内の医務室。到着場所を術に組み込んだ俺は、ユキと共に光に呑まれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
―― side 幸希
気分転換に城下町に出たのがいけなかったのかもしれない……。
ルイヴェルさんとどう向き合うべきか悩んでいた私は、ウォルヴァンシアの城下町に買い物に行き、可愛い髪飾りを購入してご機嫌状態だった。
小さな紙袋を手に取り、大広場の人の群れから抜け出した瞬間……。
大きくて重たそうな紙袋を手に立ち上がったルイヴェルさんと、バッタリ大遭遇。
その時の私の心境を表すならば、――大型の獣に遭遇した小動物。
まさかの、その例えがぴったりくる状況だった。
勿論、その瞬間に逃げましたっ。ダッシュで全速力で逃げましたっ。
だけどまさか……、階段から落ちそうになったところを、ルイヴェルさんに助けられるなんて……。
「痛っ……」
「足を捻っているな。治癒術ですぐに治してやってもいいが……。今回は反省含めて、暫くこの痛みと付き合っていろ」
「る、ルイヴェルさんっ。お医者様なのに、そんなっ」
「湿布と包帯での処置はしてやる」
私を診察用のベッドの上に座らせたルイヴェルさんは、お医者様の顔で、私の足元に膝を着き、捻った足の処置をしてくれている。
どこに痛みが走るのか、足首を持って私に確認してくるんだけど……。
「痛いですっ、ちょっ、そんな風に動かしたらっ」
「自業自得だと思うが? 散々俺から逃げまくって……、挙句の果てがこれだ」
それを言われてしまうと……、何も言い返せない。
いつもの落ち着いた静かな声音の中に、苛立ちと呆れが混同されているルイヴェルさん。内心では、ものすご~く怒ってるのかな、これ……。
最近機嫌が悪いって、セレスフィーナさんも言っていたし……。
「る、ルイヴェルさん……、ご、ごめんなさい」
「それは何に対しての謝罪だ?」
「えっと……、ご迷惑をおかけした事、と……。ルイヴェルさんから……逃げてた……事、です」
「……三週間だ」
「え?」
下を向いているルイヴェルさんが、ボソっと小さく呟いた。
私の足首に包帯を巻きながら紡がれるその声は、どこか寂しそうに聞こえる。
「お前が俺の気持ちを知って、……三週間だと言っている。その間……、俺がどんな気持ちでいたか……、お前は知っているか?」
「そ、それは……」
「少し姿が見えただけでも逃げられる。近くで会っても、理由を付けては逃げられる。アレクとカインには、そんな事はしなかっただろう?」
「えっと……、な、何故か……、ルイヴェルさんとお話するのが……」
怖かった……とは、さすがに言えない。
バレスの町で、ルイヴェルさんに言われた言葉。
胸に抱かれて過ごした、心臓に悪すぎた一夜……。
今思い出しても、恥ずかし過ぎて顔からドカン! と火山噴火を起こしてしまいそうだ。
王宮に戻ってからも、何度あの日の事を夢に見た事だろうか。
私にとって、ルイヴェルさんは保護者のような存在で、昔お世話になった意地悪だけど優しいお兄さん。
それだけのはずなのに……、何故だか向き合うのが……怖くて。
――ドンッ!!
急に立ち上がったルイヴェルさんが、私の背後にある壁に手を着き、冷たい眼差しで私を見下ろしてくる。
「俺と話をするのが……、なんだ?」
「あ、あの……」
「アレクとカイン、あの二人と俺の違いはなんだ? 逃げるほどに……、俺の想いは嫌悪されるべきものだったのか?」
「違います!! ……というか、あの……本気、なんです……か?」
ルイヴェルさんが私に対して恋愛感情を持っているなんて、やっぱり何度考えてみても、本当の事だとは思えなかったから……。
だけど、今のルイヴェルさんの静かな苛立ちの滲んだ声音を聞いていると、
もう自分を誤魔化すのは無理、……そう思えた。
「お前……、あれだけわかりやすく言ったのに、冗談だと受け取っていたのか? いや、違うな。そうであれば逃げる必要はない。……俺の気持ちを認めたくなかったわけか」
「あ……あのっ」
声を荒げる事はないけれど、私を正面から覗き込むように近づけられたルイヴェルさんの顔。
いつもと同じ冷静さを纏った表情だけど、その声音と……、静かな森の奥深くを思わせる深緑の双眸が……、今は責めるように私を見つめている。
当然なのかもしれない。ルイヴェルさんは本気の想いを私に向けたつもりだったのに……。その気持ちを受け止めきれなかった私は、冗談なのだと、自分自身を誤魔化し続けていたのだから。
背中に……、ツー……と嫌な汗が伝い落ちる気がする。
診察用のベッドの背後は壁、前にはルイヴェルさんの完璧な包囲網……。
に、逃げられない……?
「そういえば、アレクの時も……、お前はハッキリ言われないと、その想いを自覚しなかったな?」
「る、ルイヴェルさんっ、か、顔が近いっ、近いですって!!」
触れそうなギリギリの位置で止まっているルイヴェルさんの顔が、ふいに離れた。
すると、そのまま鮮やかに別の行動に入り始め、地面がどんどん遠くなり、あっという間に、お姫様抱っこ仕様モードに早変わり!!
何だろう……、私を見下ろしてくるルイヴェルさんの視線が……、危険極まりない不穏さを秘めている気がする!! に、逃げっ、逃げないと!!
「ルイヴェルさんっ、あ、あのっ、ちょっと落ち着きましょう!! あ、そうだ。私、ちょっと用事があるので、早く行かないとっ」
「全部キャンセルで問題ない。今は俺を優先すべきだからな。三週間分のツケを、俺への仕打ちを……、たっぷりと償わせてやる」
私を見下ろす表情が、艶やかな色香と、ドSさ全開の笑みを纏い始める。
これは……本気でまずい!!
私が避け続けた三週間が、今、とてつもない威力となってこの身に返ってくる予感がする!!
ソファーへと腰を下ろしたルイヴェルさんは、そのまま膝の上に私を抱えて頬を片手で包み込んだ。――お、お仕置き、す、スタート!?
「ちょっ、本当に落ち着いてください!! 私なんか、ルイヴェルさんから見たら子供同然でしょう!! 大人の男性のお相手なんて、む、無理ですか、……んんっ!!」
大ピンチの予感に必死の抗いを見せた私の声を、柔らかな唇の感触が呑み込んだ。
お互いに目を開けたまま、心も視線も逃げ場を封じるように深緑の双眸で抱き締めてくる。
後頭部を支えている大きな手のひらが、頭をしっかりと固定しているから、本当に動けない。わ、私の……ファーストキスがっ、こんなに突然に奪われてしまうなんて……っ。
最後に濡れた舌先で唇の表面を軽くなぞられた後、勝ち誇ったように耳元で囁かれた。
「今はまだ、な?」
「る、ルイヴェルさんの馬鹿~~!! わ、私……、は、初めてだったのに!!」
「だろうな。お前に男の経験がない事ぐらい、丸わかりだ。それに、今ので少しは……、俺の本気がわかっただろう?」
「だからって……、ひ、酷過ぎますよ!! こ、こんな仕打ち……っ」
初めてのキスは、大好きな人とだって思っていたのに……。
触れ合った唇の感触と、口内に甘い痺れをもたらした濡れた熱の抱擁。
ルイヴェルさんに恋愛感情なんて抱いていないはずなのに……、今の行為に対する恥ずかしさや憤りとは別に、嫌悪感を抱かなかった自分への疑問。
感情が表に零れだすかのように、大粒の涙が頬を伝っていく。
「バレスの町でも言っただろう? アレクとカインに宣戦布告すると……。俺は自分の気持ちを自覚した以上、一切遠慮してやる気はない」
「な、何で……、私なんですかっ。ルイヴェルさんなら、もっと綺麗な大人の女性がいるじゃないですかっ。セレスフィーナさんみたいに素敵な人を、お相手にした方がっ」
ルイヴェルさんは、双子のお姉さんであるセレスフィーナさんの事が大好きだ。
普段はクールに振る舞ってはいるけれど、お姉さんの事を褒める時のルイヴェルさんは静かに輝いている。
セレスフィーナさんほど美しく理想的な女性は滅多にいないと、そう評するかのように……。
対して私は、平平凡凡。ルイヴェルさんに比べれば遥かに年下だし、セレスフィーナさんに敵う点など一箇所もない。
だから、ルイヴェルさんの好みに当てはまる可能性などゼロ! のはず。
「確かにセレス姉さんは、俺にとって自慢の姉だ。知識も教養もあり、類稀な魔術と医術の才、そして、天上の神々に愛されているかのような美貌。全てにおいて完璧と言えるだろうな」
「じゃ、じゃあ、セレスフィーナさんのような女性を探しましょうよっ。私なんて平凡一直線ですよ!! ルイヴェルさんが気に入るようなところなんて!!」
「言っておくが……、自分の事をそんな風に思っているのはお前だけだぞ。アレクやカインの他にも、お前の事を想っている存在は多い。それに……、姉への評価と、恋人にしたい女のタイプは違うしな」
「だ、だとしても、私がその相手なんてありえませんよ!! 私にとってルイヴェルさんは、お世話になっている王宮医師さんで、昔遊んでくれたお兄さんで……、ルイヴェルさんだってそうだったでしょう?」
遠い昔に面倒を見た妹のような存在。
保護者的な立場で私の事を見守っていてくれたはずだ。
だから、それ以上の感情なんて……。
ルイヴェルさんは小さく息を吐き出すと、また私の顔を覗き込むように近づけ、頬を深く包み込み、真剣な眼差しをもって瞳を射抜いてきた。
「まだ、俺の想いから逃げる気か? 本当に手のかかるお姫様だな、お前は……」
「る、ルイヴェルさんっ、は、離れてくださいっ。顔が近すぎてっ……」
「お前の中にある、保護者的な俺の立場を粉々に壊してやろうと思ってな? 俺という存在を、アレクやカインと同じように男として意識出来るように……」
今度は軽く唇を触れ合わせ、頬を伝う涙を拭いながら、額へとキスを落とすルイヴェルさん。
「ん……、ルイヴェルさん、お願いですから、もう許してくださいっ」
「三週間、俺がどんな想いでいたか……。焦らし続けたお姫様には、それ相応の罰が必要だろう?」
「そ、それは、本当に申し訳ないと思いますけどっ。けど、やっぱり私の事を好きなんて、気のせいじゃないんですかっ」
「意地でも俺の想いを否定する気か、お前は?」
眉を顰め、唇を顔から離したルイヴェルさんが、「往生際が悪い」と呟いて、お仕置きとばかりに耳朶に噛み痕を付けた。
ピリッと小さな痛みが駆け抜け、ルイヴェルさんが観念しろとばかりに『想い』を耳元に囁きかける。
「ユキ……、俺はお前が……『欲しい』」
「――っ!!!!!!」
トドメとばかりに、これ以上ないほどの艶と恋情を声音に滲ませたルイヴェルさんの告白。鼓膜が、大人の男性の色香を宿した音に耐えきれず、その甘い痺れを全身に走らせていく。子供同然の私相手に、何を求めてそんな発言をしているんですか!!
「あ、あの……あのっ」
「これでも俺を意識出来ないか? なら、もう一歩先に進ませてもらうが……」
「ルイヴェルさんの意地悪~!! も、もう……、わ、わかりましたからっ、……うぅっ」
「くくっ……、顔が真っ赤だな。純情なお姫様には刺激が強すぎるとは思ったが、こうでもしないと、お前は俺の想いを認めないからな」
「だ、だからって……、心臓に悪すぎますよっ。私をどうしたいんですかっ、意地悪ばっかりっ」
「そうやって困る姿も、俺の好みど真ん中だな。これからじっくり落としにかかってやるから、心臓をしっかりと鍛えておくんだな?」
喉の奥で笑いを漏らすルイヴェルさんを恨みがましく見上げると、また額にキスを落とされて、愉しそうに微笑まれてしまう。
というか、本気だという事を認めはしたけれど……、まだ好きになったとは言っていない。それなのに、ルイヴェルさんは私を解放する気配が一切感じられないのだけど……。不必要にドキドキと高鳴る心臓を宥めながら、膝の上から下りようと動いた瞬間。
――ドサッ……。
あ、あれ……。なんでソファーに倒れてるの……。
る、ルイヴェルさ~ん……、じっくり落とすとか言ってませんでしたっけ?
なのに、なんで……、一緒のソファーに寝そべる感じになっているんでしょうか……!!
「あの~……、ルイヴェル、さん?」
「俺を放置した期間の仕置きが済んでいないからな。このまま昼寝に付き合って貰うぞ」
「な、何でそうなるんですか~!!」
私は抱き枕ですか!! というか、バレスの町でもこんな展開だったような!!
がっしりと抱き締められてしまった私は、逃げる事も叶わず、ルイヴェルさんの綺麗な銀髪に首筋を擽られながら、お昼寝用の抱き枕ルートに直行するのでした。とほほ……。
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