Fルート・ルイヴェル編~惑う熱の行方3~

「では、一週間分の薬を出しておきますので、くれぐれも、お大事に」


「ありがとうございました」


 バレスの町でお医者様をやっている男性から薬の袋を受け取った私は、宿屋の一室から出て行くその人を見送ってから、ようやくひと息吐く事が出来た。

 寝台には、魔術の力によって服や身体を乾かされて不快さを拭われたルイヴェルさんの姿がある。

 宿屋の大将さんに手伝って貰ったお陰で助かったけれど、……本当に、疲れた。

 

「ルイヴェルさんてば……、仮にもお医者様が睡眠不足と重度の疲労を指摘されてどうするんですか……、まったく」


 こんな事が、ルイヴェルさんのお父さんであり、フェリデロード家の当主であるレゼノスおじ様に知られてしまったら……、あぁ、物凄く怖い毒の嵐を息子さんにぶつけるんだろうなぁ。

 体調管理を怠った上に、自分から豪雨を受けてのずぶ濡れ状態、からの悪化。

 双子のお姉さんであるセレスフィーナさんも呆れるだろうし、本人的にも……。


「とりあえず、後でいっぱいお説教を貰うでしょうけど、自業自得ですよ、ルイヴェルさん?」


「はぁ、……ぐっ、……はあ、は、ぁ」


 毛布の中に隠れているその左手を両手に包み込み、少しだけ力を籠める。

 この町のお医者様が診察をして薬を飲ませてくれたから、暫くすれば呼吸も楽になるだろう。

 赤みを帯びている王宮医師様の素顔。苦しそうに荒い呼吸を繰り返しているその姿は見ている私自身も耐え難いものだ。

 滅多に弱い部分を見せたりしない人だから……、きっと今の自分の状態にも、悔しさを感じているに違いない。

 だけど……、あの時、雨の中で突然私を抱き締めたのは、どうしてなの?

 ただお話をしていただけの、ソフトクリーム屋さんに術を放って攻撃したり、普段なら絶対に言わないような、『ガキ』という言葉を使ったり……。

 抱き締められている最中、聞き取る事の出来なかった言葉に関しても、戸惑う部分が多すぎる。

 

(でも、……今は、少しでも早く、ルイヴェルさんの具合が良くなる事を祈ろう。こんなにも辛そうな姿、この人には似合わないもの)


 そういえば、私が幼い頃にも……、こんな風に、ルイヴェルさんが倒れて寝台の人になった事があったような……。

 高熱で苦しんでいるルイヴェルさんの傍から、怒られても絶対に離れなかった、当時の私。

 何度も『出て行け』と、この人から怖い目で睨まれても、首を振って……。


『いやあっ!! ユキは、ルイおにいちゃんの看病をするのぉっ!! げ、元気に、ひっく……、うぅ、元気になるまで、一緒にいるもん!!』


 駄々を捏ねた私は……、案の定、ルイヴェルさんの回復と入れ替わるように寝込む羽目になった。

 呆れた目で看病をしてくれたのは、元気になったルイヴェルさんで……、いっぱいお説教をされたけど……、それでも、すごく。


「移った風邪が長引いたせいで、幼稚園も何日か休む事になってしまったけれど……、あの頃の私は、熱があるのに物凄くはしゃいで……、喜んでましたよね? ルイヴェルさん」


 思い出話をしながら笑いかけていると、魘されているルイヴェルさんの左手が、しっかりと強く、私の手を握り締めてきた。

 

「ユ、……キ」


 もう、夢の中でまで私の名前を呼ばなくてもいいのに。

 本当に……、何度も思ってきた事だけど、この人の中では……、いつまでも、私は幼いユキのままなんだなぁ。

 ルイヴェルさんの頬をそっと撫でた私は、クスリと笑みを零して看病をし続けた。

 この人の苦しみが、早く、全て取り除かれますように、と、そう心から祈りながら……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――はい。そうなんです……、はい、ですから、今日は宿屋に泊まりますので」


 あれから数時間後。看病をしているつもりが、途中からついうっかりと居眠りをしてしまっていた。真っ暗になった宿屋の外の様子に驚いて、それからすぐに通信用の腕輪を使ってセレスフィーナさんに連絡したのだけど……。


『本当に申し訳ありませんっ、ユキ姫様……!! そんな遠くの町にまで連れて行かれた挙句に、ルイヴェルの世話まで……っ、本当に、本当にっ、申し訳ありませんっ』


「せ、セレスフィーナさんっ、そんな大げさですよ!! 誰にだってこういう時はありますし、私の方はこの通り元気元気ですから!!」


 そう……、私もあの豪雨を受けたというのに、風邪ひとつ引く気配のない図太さなのだ。

 ルイヴェルさんの場合は、元から体調が悪かったところにあの豪雨だったから悪化してしまったわけで、私には何の被害も起きていない。

 まぁ……、うん、広場で置き去りになっている荷物の類は、全滅してしまっただろうけれど。


『ユキ姫様、やはり、私がそちらに参りましょう。弟の不始末は姉の責任、看病とお説教はこの私が』


「ふふ、大丈夫ですよ。たまには王宮以外に泊まってみるのも楽しいものですし、レイフィード叔父さん達にも心配ないって伝えてください」


『ですが、……一応、ウチの弟も男性の部類に入りますし、二人きりで宿泊というのは』


 宿屋の二階奥にあるこの一室には、ベッドが二つ。

 確かにルイヴェルさんは一応? 男性だけど、私にとってはお兄さんのようなもの。

 普段の状態だったら意地悪をされる予感しかしなくて、同じ部屋なんてとても無理!!

 ……と、思えたかもしれない。でも、今は重病人状態で寝込んでいるし、朝まではまともに動く事も出来ないと思うから、うん、大丈夫。

 

『まぁ……、確かに、ルイヴェルがユキ姫様に仕掛けるとすれば、悪趣味な意地悪ばかりだとは思いますが……、寝込んでいるなら大丈夫、ですね、多分。ユキ姫様、弟の事、くれぐれもよろしくお願いいたします。何かあれば、このセレスフィーナ、すぐにでも駆け付けますのでっ』


「あはは……。その時は是非よろしくお願いしますっ。あ、それと、レゼノスのおじ様には、くれぐれも、今回の事は秘密にっ」


『そうですね。お父様がこの件を知れば……』


 音声だけの通信モードにしてあるけれど、黙り込んだセレスフィーナさんが何を想像してしまったのかはよぉーくわかっているつもりだ。

 二人同時に、重たい溜息を吐く。


『それでは、レイフィード陛下とユーディス様には上手くお伝えしておきますので』


「はい、よろしくお願いします」


『ですが、可能性が皆無だとしても、どうか、異性と二人きりである事をくれぐれもお忘れなく。いくらルイヴェルが対象外だとしても、万が一、という事も……』


 セレスフィーナさん、仮にも自分の弟さんにそんなあり得ない心配をしなくても……。

 ルイヴェルさんからすれば、私は子供同然。その上、兄と妹のような関係なのだ。

 だから、何も起こらない。この関係は変わらない。

 心配性な女神様との通信を終えた後、私は小さく笑みを零しながら独り言を呟いた。


「ないない。ルイヴェルさんと私の間に間違いが起こる事なんて、全然想像出来ない。ふふ……」


 けれど、笑った後に思い出してしまったのは……、外で雨に打たれながら、あの人に抱き締められてしまった時の光景。

 

(なんで……、急に、あんな事を)


 ようやく落ち着いて冷静に考えられる時間がやってきたせいか、この身体に蘇る……、あの時の、熱。雨に打たれてお互いの身体は冷たくなっていたはずなのに、ルイヴェルさんに抱き締められた時の私は、確かに……、戸惑いと恥ずかしさを心に抱くような熱を感じていた。

 首筋にかかった、ルイヴェルさんの吐息。切なく、狂おしい響きで呼ばれた、自分の名前。

 一瞬、アレクさんやカインさん達に抱き締められた時と同じように、一人の女性として、求められている気がして……、どうしようもなく、胸の奥が苦しくなった。

 でも、……あり得ない。そう、あり得ない。

 ルイヴェルさんが私に対してそういう感情を抱く事なんて……。


「う~ん……、駄目、全然想像出来ない。ルイヴェルさんだったら、絶対、そういう相手は、大人の女性で、頭が良くて、自分と同じ魔術師とか、あ、そうそう、ナイスバディとか、自分に釣り合うような相手を選ぶだろうし」


 ウォルヴァンシアの王兄姫という立場ではあるものの、それ以外はただの少女期の小娘でしかない私に対して、恋愛的などうこうなんて……。


「ふふ、ないない。ルイヴェルさんが私に気を出すなんて、万が一そうだったら、はは……、お子様趣味って事になりますよ~、な~んて」


「――なら、責任を取って貰おうか?」


「ひっぃっ!!」


 部屋の隅っこで壁に向かいながら一人で笑っていると、突然、何の気配もなく、耳元で……、声がした。


「る、ルイヴェル……、さんっ!? な、なんで、あ、あのっ」


 熱のせいか、低く掠れたその音にはぞくりと全身を撫でるような艶が滲んでいて、心臓に悪い事この上ない響きだった。

 壁に右手を着き、その背を屈めて顔を近づけて私を見つめてくるルイヴェルさん。

 し、寝台でぐっすりと眠っていたはずなのに、何故!?

 近づいて来ていた事にさえ気づかなかった……!!

 大体、まだ熱が下がっていなくて身体が辛いはずなのに、どうして寝台を抜け出しているの!!

 赤みを帯びている顔と、首筋から伝う汗の滴……。

 動くのも辛いはずなのに、どうしてこんな無茶をしているの、この人は!!

 それに……、どうして、……どうして、『そんな目』で私を見るの?


「……俺とは」


「え?」


「俺とは……、何も、起きない、起きるわけが、ない……、と、そう言ったな?」


 通信か、それとも、私の独り言を聞かれていたのか……。

 だとしても、こんな風に……、その深緑の瞳の奥に怒りの気配を滲ませる必要なんて、何も。

 意地悪をしてくる時とも違う、例えるなら……、あの雨の中での時と同じ気配。

 様子のおかしなルイヴェルさんに引き攣った笑みを向けながら、私はその身体を押し返す。


「も、もうっ、何言ってるんですかっ。あ、当たり前じゃないですか、ルイヴェルさんは私に意地悪をしても、お、襲ったり、傷つけたり、とか、絶対にしないでしょう? 信頼してるんですよっ」


「保護者として、絶対的な信頼を抱いている、と、そう言いたいわけか?」


「も、勿論です!!」


「そうか……」


 私が力いっぱいにそう言うと、ルイヴェルさんが自嘲を含むような笑みを漏らした。

 そして、大人しく寝台に戻る事を決めてくれたのか、くるりとその背を私に向ける。

 良かった……。やっぱり、新手の意地悪の仕様だったらしい。


(ふぅ、まったく……、意地悪のレベルを上げるにしても、少し考えてくれないかなぁ)


 ――と、ほっと一安心した事が、間違いだった。


「捨てろ」


 やけにすぐ近くで聞こえた、と、そう思った時はすでに遅く、乱暴に叩き付けられるような音が、背後に響いていた。考えていた事が全部吹き飛んでしまう程の衝撃が全身に駆け巡る。

 何が起こったのか、確認さえも出来ずに硬い指先によって持ち上げられた私の顔。


「ル、ルイヴェル……、さんっ?」

 さっきよりも怒りの気配が濃い、深緑の瞳の中に見えた……、葛藤と切なさを抱く揺らめき。

 私が逃げられないように壁へと押さえつけたルイヴェルさんが、皮肉げに微笑む。


「有り得ない、か……。それは、俺の台詞だったんだがな……」


「痛っ、痛い、です……っ、ルイヴェルさんっ」


「少女期の娘など、俺にとっては論外だ……。たとえそれが、気に入りの子供だとしても……、俺が、一人の女に心を奪われる日が来る、そんな現実は、有り得ない……」


 ルイヴェルさんは……、何を言ってるの?

 自分自身を自嘲しているかのように語り、微かにその声を震わせている……。

 こんなルイヴェルさんは……、今までに一度も、見た事がない。


「有り得ない、そう、否定を繰り返し続けてきた……」


 酷く辛そうなその表情から目を離す事が、出来ない……。

 何か、聞いてはいけない言葉を紡がれそうで、向けられてはいけない想いを、突き付けられそうな予感がして……。


「それを、無駄に終わらせたのは……、お前だ、ユキ」


 迷いと葛藤の気配が消え去り、私を見つめている深緑の瞳が、確かな熱情の気配を抱いた。

 有り得ない、有り得ない、その安心感が……、ルイヴェルさんと私の関係が、壊れていく音がする。

 拘束が解かれ、ルイヴェルさんの両腕が……、私を僅かに持ち上げるような動作で、そっと抱き締めた。早足で急ぐお互いの鼓動が、言葉よりも明確に、この現実を感じているかのよう……。

 駄目、駄目……、逃げないと、今すぐに、どこかへ――!!

 けれど、徐々に強まる腕の力が、温もりから通して伝わってくる想いが、私を逃がしてくれない。


「アレクにも、カインにも……、他の、誰にも……、お前をやる気が、なくなった」


 あり得ない……、あり得ない、心の中で、何度も繰り返す。

 私の知っている人の中で、この人だけは……、その可能性が皆無だと、そう思っていたのに。

 もしかして私は、夢でも見ているの? 本当は、まだルイヴェルさんの眠っている寝台の傍で居眠りをしているとか。むしろ、一緒にこのバレスの町へ来た事自体、夢、とか……。

 そうであってほしい。そうでないと……、私は。

 ルイヴェルさんの右手が、私の頬を包み込むようにしながら顔を上げさせ、強い恋情の気配を滲ませたその深緑の瞳に捉えた。


「もう……、兄と妹のような関係は、終わりだ」


「ルイヴェル、さん……、終わり、って」


「俺が、ルイヴェル・フェリデロードが……、お前を、ユキ・ウォルヴァンシアを、唯一人の相手として定めるという事だ」


「――っ!!」


 騙して反応を愉しもうとしている様子でもなく、ルイヴェルさんは私にその愛を告白した。

 額へと、そっと優しいキスが贈られ……、私の瞳に、ルイヴェルさんの蕩けるように優しい笑みが映り込む。

 幼い時に向けられていた笑顔とも、成長して再会してからのそれとも違う、きっと……、この人にとって、最愛の特別な人にしか贈られない、貴重な笑顔。

 その表情に見惚れてしまった私は、うるさい程に高鳴る胸の鼓動と共に、顔を真っ赤に染めた。

 

「あ、あの……っ、えっと」


 考えた事もなかった、自分にとってお兄さんのような人からの告白。

 そんな予測不可能な現実を前にして、私が平常心でいられるわけもなく……。

 内側から爆発するかのような熱の広がりと共にしどろもどろになりながら、ガクガクと情けなく足が増え始める。

 アレクさんとカインさんの二人から告白された時と同じように、限界の時が近い。

 それなのに、ルイヴェルさんは私の目元や頬、鼻筋、と、優しいキスを、愛情を籠めながら降らせてくる。


(い、意地悪をしてくる時よりも性質(たち)が悪い!! うぅっ、ど、ドキドキし過ぎて……、なんだか、目の前がぽやぁ~っと)


 案の定、私は試練過ぎるそのアプローチを前に、――徐々に意識を遠のかせていったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side ルイヴェル


「やはり、こうなったか……」


 俺の腕の中で崩れ落ちていったユキを支え直すと、限界を迎えたその真っ赤な熱を宿す顔に笑みが零れた。

 アレクとカインの時で経験済みとはいえ、やはり、少女期の娘には刺激が強すぎたか……。

 否定し続け、抑え込んできた、厄介な想い……。

 ユキからすれば、予想もし得なかった展開だった事だろう。

 自身の幼い頃を知り、兄のような立場でしかなかった男に愛を乞われる事など……。

 俺自身がこの想いを長い事持て余していたのだから、ユキにしてみれば尚更だ。

 少女期の娘に無理をさせるな、距離を取って気長に構えろ、そう言っていた俺自身を裏切る事になったとはな。

 だが、後悔はない。己を偽り、かけがえのない宝を失う未来を歩まずに済んだ。


「ユキ……」


 気絶をしているユキを腕に抱き上げ、寝台へと向かう。

 時折、目まいを覚えるかのようなふらつきを感じるが、明日には楽になれるだろう。

 連日の徹夜続きによって蓄積された、疲労と睡眠不足。

 そこに、あの突然の雨だ。いくら狼王族とはいえど、多少のガタはくる。

 だが、俺の身体が急激に弱った原因は……、恐らく。


「本当にお前は、俺を振り回してくれる存在だな? ユキ」


 寝台へとユキの身体を横たえ、その傍に寄り添い頬杖を着く。

 森の中で俺を『ルイお兄ちゃん』と、そう呼んだユキに抱いた複雑な思い。 

 これが幼い頃にはよくそう呼ばれていたというのに、そう呼ばれる事を、再会してからも望んでいたというのに……。

 兄として見られる事を、望まない自分がいた。

 同時に、自分の目に映るユキの姿が……、存在が、妹のようには思えないと。

 どんな美しい女に色目を使われようと、揺らぐ事のなかった心が……、少女期の娘一人に。

 だが、名前を付けられないその想いを認めるわけにはいかず、いつもと同じように、抑え込もうとした。……だというのに。


「この俺が……、ルイヴェル・フェリデロードともあろう者が、嫉妬の情に狂うとはな」


 理性で抑え込む事など、初めから無理な話だった。

 往生際悪く足掻いたところで、心というものは自身で思うよりも正直な反応を示すのだから……。

 この町でアレクに出くわした事、広場でユキが思わぬ相手と出会っていた事……。

 その全てが、必然であるかのように、俺の心を焼け付くような醜い嫉妬の情で掻き回した。

 このままでは、傍観者のままでいては……、いつか、愛する者を奪われてしまう。

 その時を望まぬ己の心と、ユキの傍に寄り添うのは俺一人でいいと、傲慢にも似た思いが溢れ出した。

 まるで、魔術に対してのみ熱意を注ぎ、己の本能に忠実だった、あの頃のように……。

 

(いや、違うな……。魔術とは比べるべくもない……)


 甘く、狂おしく……、胸の奥を掻き回されているかのようだった感覚が、口にした事で、ユキに想いを届けたあの瞬間に、ひとつの形に昇華された。

 唯一人を愛し、その唯一人から愛されたいと望む心……。

 それは、蕩ける程に甘ったるい砂糖菓子のような感情でもあり、幸せな温もりをもたらしてくれるものだった。 

 

「お前だけだな……。俺をこんな気分にさせるのは」


「ん……」


 蒼い前髪を指先で弄んでやりながら微笑むと、ユキの顔に気の抜けるような笑みが浮かんだ。

 大人の女とは程遠い少女期の娘……。かつての、気に入りの幼子。

 お子様趣味なわけじゃない。恋情を抱いた相手が、まだ淡い蕾のままでいるだけだ。

 願わくば、この愛らしい蕾を色づかせ、美しい花を咲かせる、唯一人の男となれるよう……。


「……んっ、むにゃぁ」


「今は、これだけで我慢しておいてやる」


 無防備なその首筋に唇を這わせ、想いを刻んだ証として、薄桃色の小さな花を咲かせる。

 今はこれでいい。ユキは俺の想いを知った。保護者でも、兄のようでもない、一人の男として向き合い始めた、ルイヴェル・フェリデロードの心の内を。


「覚悟しておけ……。俺は、誰にもお前を渡す気はない」


 最後に、この淡い蕾を己の色で染め上げるのは、――俺だ。

 満足げに微笑んだ俺は、傍にある幼い温もりを抱き、眠りへと就いた。

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