IFルート・ルイヴェル編~惑う熱の行方2~

「ルイヴェルさん、買い出しって何を買いに行くんですか?」


「買い出しはついでだ。注文してあった薬草や書物の受け取りをしに行く。あとは、適当に町の散策だな」


 着替えを済ませた白衣姿のルイヴェルさんに連れられて、美しい黒馬の上で風を感じながらの道程。バレスの町までは一時間ほど……。舗装されている道を真っすぐに駆けてゆく。

 右手で手綱を巧みに操り、左手で前にいる私をしっかりと支えてくれている温もりを感じながら、私はこっそりと前を見据えているルイヴェルさんの顔を窺う。

 あたたかな日差しを受けて煌めく銀髪は風に靡き、眼鏡越しの深緑はただ前だけを向いて静かに佇んでいる。

 生まれながらに美しいこの顔立ちに、幼い頃は恐れ知らずにもその頬を引っ張ったり、両手で挟んで叩いたり……、この人とは、色々あったなぁ、と、思い出を振り返ってしまう。

 ルイおにいちゃん、ルイおにいちゃん、と、自分から懐いて追いかけた日々。

 休みの日になる度、ウォルヴァンシア王宮に帰還すると、まっすぐに王宮医務室へと向かっていた自分。そこに飛び込めば、仕事をしていたルイヴェルさんが幼い私に振り返り、両手を広げて出迎えてくれていた。

 成長した今とは違って、何の迷いもなく、ただ喜びと期待に溢れた気持ちで、その腕の中に飛び込んでいたように思う。


「何だ?」


「い、いえ……、えっと、わ、私が幼い頃にも、よくこうやって、馬に乗って……、出かけました、よね?」


 あの頃と違う点といえば、成長した自分の身体と、この人に対して敬語を使っているところ、それから……、一緒にいると、昔とは違って、時折落ち着かなくなるところ、ぐらいだろうか。

 じっと見ながら昔の事を思い出していた私は、へらっとした笑いでそう答えると、また前を向いた。


「お前はいつも……、俺と同じ馬にばかり乗りたがっていたな」


「そ、そう、です、ね……」


 セレスフィーナさんや他の人の馬に乗る事だってあった。

 けれど、ダントツで多かったのは……、ルイヴェルさんとの同乗。

 別の馬に乗せて貰えと、意地悪を言われる事だってあった。

 それなのに、幼い頃の私は我儘を言ってルイヴェルさんと同じ馬に乗りたがり……。

 あぁ、そういえば、結局乗せてくれなくて、取り残された場所で大泣きして困らせた事もあったような気が、あぁぁぁぁぁ……、恥ずかしいっ。

 間違いなく、幼い頃の私はルイヴェルさんの事が大好きだったのだ。

 

(じゃあ……、今は?)


 成長した今の私は、再会した頃こそ当時の記憶を封じられていたけれど、ルイヴェルさんと過ごした日々の思い出をちゃんと取り戻す事が出来た。

 まぁ、昔のように、ルイおにいちゃん、と呼ぶのは恥ずかしくて時折しかそう口に出来ないけれど、信頼の出来る、年上のお兄さんという位置にいる人。


(でも、昔みたいに、大好き!! って感情があるのかと聞かれれば……、う~ん)


 アレクさんやカインさんと同じように、大切な人。

 それは間違いない、のだけど……。まぁ、子供時代と今を同じにして考えるのはやめておこう。

 何だか抜け出せない迷路にはまり込んでしまいそうだし。

 考える事を放棄した私は、そのままルイヴェルさんと他愛のない昔話をしつつ、やがて、小さな森へと入った。

 馬を走らせる速度が落ち、ゆっくりとした足並みに移る。

 木々の枝に舞い降りてきた小鳥達が可愛らしい囀りを響かせ、茂みの中からはこちらを窺うように、もふもふの小動物達が顔を出す。


「幼い頃のお前は、この森に入ると必ず、馬を止めろと言って駄々を捏ねていたな」


「うっ……」


 ニヤリ、と、ようやく本調子の意地悪さを帯びた余裕のある笑みで私を見下ろしたルイヴェルさんが、黒馬を止めた。

 馬上できゃっきゃっとはしゃぎ、可愛らしい森の住人達と触れ合いたがった幼い頃の私。

 森に居座ったら最後、最低一時間は駆け回っていた気がする。

 その再現をしていじってこようとしているのだろうけれど、私はもう子供じゃない。

 駄々を捏ねてルイヴェルさんを困らせる年齢は当の昔に終わったのだ。


「だ、大丈夫です。先を急ぎましょうっ」


「本当に、いいのか?」


「はい!!」


「だが、森の動物達はお前に興味があるようだがな? いいのか? お前の大好きな、もふもふの者が大勢いるぞ?」


 森の中を通りがかった私達を歓迎しているかのように、人懐っこい小動物達が黒馬の足下に集まってきた。か、可愛い……っ、白い、もふもふの、ウサギさんっ。

 昔から変わる事のない、もふもふ動物への愛情。

 けれど、今自分の本能に従って行動するわけにはいかないっ。


「ま、また今度……っ、今度は、一人で来ますっ」


「ほぉ……。俺が許可を出してやっているというのに、この機会を逃すのか? 昔のお前なら、大喜びで馬から飛び降りようとしたものだがな?」


「うぐぐ……っ。だ、だからっ、それは遥か昔の事じゃないですか!!」


 もうっ、いつもいつも子供扱いして!!

 再会してからもそうだったけど、最近は特にその言動が強い気がして仕方がない。

 この人の中では、いつまでも私は、あの頃の小さな子供のまま……。

 まるで……、互いの中で感じている時の流れが違うかのように、ルイヴェルさんは私の頭の上に手を置いて、寂しそうに微笑む。


「俺にとっては……、お子様時代と何ら変わりのないお前なんだがな?」


「……あの頃とは、色々、違うじゃないですか。……もう私は、身体も、心も、成長して……、我儘だって、言わないようにしてる、つもりです」


 森の住人達と別れを告げ、ゆっくりと歩き出した黒馬。

 本当はあの子達と一緒に遊びたかったけれど、ルイヴェルさんの前でそれをやったら、また子供扱いの度合いが強まるような気がして……。

 私は前に向き直り、道を進む黒馬の首を撫でながら黙り込んだ。

 ルイヴェルさんも、追加の何かを言ってくるでもなく、馬を歩ませ続ける。

 密着している背後からどんよりと漂ってくる重たい気配……。じっと注がれてくる視線。

 あの頃とは違う今……。昔の私は、馬上ではしゃいだり喋り続ける事はあっても、こんな風に黙り込む事は滅多になかった。

 

(私だけが……、変わった、って事、なのかな)


 もしかして……、私が昔とは違うと怒る度に、ルイヴェルさんは寂しさを感じているのかもしれない。私と再会した時も、記憶を取り戻すまではかなりの我慢をしていたと、セレスフィーナさんから聞いているし。も、もう少し……、私が妥協してあげた方がいい、のかなぁ。

 

「え、え~と……、か、帰りに、また、この森で止まって貰ってもいいですか? る、ルイ……、お兄、ちゃん」


 悶々と悩むのをやめ、もうからかわれてもいいやと諦めの体(てい)に入った私が振り向いてそうお願いをすると、……あれ?

 昔の呼び方をすれば、てっきり喜ぶかと思っていたのに……。


「わかった……。お前がそうしたいなら、町で動物用の餌でも買っていくとするか」


「お、お願い、します……」


 くる~り……。もう一度前を向く。

 

(ぜ、全然……、何考えてるか読めなかった!!)


 喜ぶどころか、物凄く複雑そうな顔をされてしまった気もするし、振り向いた瞬間、すぐに目を逸らされてしまった。

 途切れた会話。漂う気まずい沈黙……。結局、それから何十分も会話なしで進んだ道のりは、過ぎ去ってゆく景色を楽しむ余裕もなく、少々困ったものになったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「わぁ~……、綺麗ですねぇ、これ」


「星の光を集め、魔力によって石へと変えたものだな」


 バレスの町に着き、魔術師さん達御用達の道具店へと入った私達。

 ようやくあの気まずい時間から解放されて、町に着いてからのルイヴェルさんも、この通り。

 私がお店の窓側に陳列されてある綺麗な石がどっさりと入った編みカゴを見つめていると、斜め後ろで解説を初めてくれた。


「守り石としての効果もあるが、女子供は観賞用としての意味合いで買う事の方が多いだろう」


「キラキラとして、石の中に星空が閉じ込められているように見えますもんね。とっても綺麗で……、ふふ、それに可愛い」


「これを職人に渡せば、加工して装飾品の類にも出来るぞ」


「本当ですか!! じゃあ、幾つか買っていこうかなぁ」


 魔術に関わる道具店にも色々雰囲気の違いがあって、このお店は外からの光を一切取り入れていない。その代わり、店内には魔術による淡い光が蛍のように漂っていて、幻想的な空間を演出している。前にも何度か来た事があるけれど、訪れる度に新しい商品が入っていて、飽きる事のないお店だ。

 闇の中で淡く輝く星の石を指先で摘まんで眺めていると、ルイヴェルさんが何も言わずに移動し始めた事に気づく。

 私から少し離れた場所に立ち、棚に陳列されてある手のひらに収まる大きさの水晶玉を手に取ったルイヴェルさん。


「……こほっ、こほっ」


 小さく咳を零したルイヴェルさんだけど……、本当に王宮を出て良かったのかな。

 ここ最近、暫く徹夜が続いていた上に、お仕事の方も忙しかったと聞いている。

 柔らかな光に照らされているその綺麗な顔には、寝不足を示す目元の黒いクマ。

 お日様の下で見た時も、少し顔色が悪いように感じていたし……、馬上で時折零していた咳がまた。


「ルイヴェルさん、だいじょ」


「ルイヴェル・フェリデロード様~、ご注文の品の確認をお願いいたします~」


 体調がどんどん悪くなっているような気がしてならない。

 だから、用事を済ませ次第王宮への帰宅を提案しようと思ったのだけど……、ルイヴェルさんは店の人に呼ばれてカウンターの方に行ってしまった。

 カウンター奥の扉へと消えて行ったルイヴェルさんを何も言えずに見送り、しゅん、と、肩を落とす。タイミングが悪かったのもあるけれど、まぁ、……きっと、私が何を言っても、体調が悪いのを認めたり、すぐに帰る事を受け入れるような人じゃない、か。

 

「はぁ……」


 編みカゴの中で煌めいている星の石へと向き直り、ぼんやりと色合いの違う石達を手に取り始める。形も違うから、どれを選ぶかも楽しみのひとつになりそうだ。

 深い蒼色をしているのは、アレクさん。紅いのは、カインさん。ひとつひとつを眺めながら、知っている人達のイメージに当てはめていく。

 

(あ……、この石)


 双子として生まれた王宮医師のお二人。互いに髪の色も顔だちも違うものの、瞳の色は同じ深緑。

 けれど、私が今手のひらに乗せている深緑の石から感じられる印象は、どちらかといえば、ルイヴェルさんのイメージに近いかもしれない。

 派手な色ではないけれど、静かに佇むその深緑の石を見ていると……、まるで、ルイヴェルさんに見つめられている時のように、その存在に捉えられているような錯覚を覚えてしまう。

 お姉さんであるセレスフィーナさんに見つめられている時は、心からの安堵と温かさを感じるのに、あの人の抱く深緑は……、危うい何かをその瞳の奥に揺らめかせているかのようで、時々どうしようもなく落ち着かなる時がある。

 幼い頃には感じた事のなかった、年上のお兄さんに対する緊張感に似た、何か……。

 

「ふぅ……」


 深緑の石を手の中に握り締め、もう一度、手を開く。

 手の中のそれをじっと見つめ、そして、他にも幾つか手に取ると、私はそれを持ってカウンターへと向かった。


「お買い上げですか?」


「はい。お願いします」


「有難うございます。おや、『星恋石(せいれんせき)』ですか。ふふ、女の子らしいお買い物ですね」


「え?」


 ルイヴェルさんと扉の奥に消えた男性の店員さんとは違う、女性の店員さんが意味深に微笑むその表情と言葉に、私は首を傾げた。

 星恋石……。そういえば、石の商品名までは見ていなかった気がする。

 

「恋の成就、頑張ってくださいね。応援しておりますよ」


「へ?」


 今……、何て言われた、のかな? 恋の成就?

 わざわざ可愛らしいピンクの袋に石を入れてラッピングしてくれた店員さんに、私は目を丸くして、また首を傾げてしまう。


「おや、ふふ……、そのご様子ですと、この商品の意味や効果、知らずにお買い上げでしたか?」


「は、はい……。すみません、綺麗で可愛いなぁと思って、それで」


 商品の事をわかりもせずに購入するのは失礼だっただろうか、もじもじとしながら小さく頭を下げると、店員さんが「いえいえ」と優しく微笑んでくれた。


「意味や効果がわからずとも大丈夫ですよ。お客様が買って下さったこの子達は皆、この瞬間を待っていたのですから」


「待っていた、ですか?」


「ええ。自分達と縁のある、その力を必要としてくれる方との出会いを……。ですから、この子達はきっと、お客様のお役に立つはずです」


 ラッピングされた袋と一緒に、店員さんが手渡してくれた、二つに折られた紙。

 それを開いてみると、星恋石の意味や効果、それを使ってのおまじないの仕方などが、可愛らしい絵と一緒に綴られていた。

 

「ちなみに、意中の方と同じ瞳の色をした石をおまじないに使ったり、持ち歩いたりしていると、効果がさらに強まるんですよ」


「えっ!? い、意中の人と、同じ、瞳の色……、ですか?」


「はい。保証付きです」


 ニッコリと笑ってくれた店員さんの目の前で、みるみる真っ赤になっていく私の顔。

 意中の人と同じ瞳の……、いやいやっ、違う、違うから!!

 何色かの石を幾つか買ったのに、頭の中にポンッと、某王宮医師様の顔が浮かんでしまい、私は大慌てで頭を左右に振った。

 た、たまたま、あの石を手にとって、あの人の事をイメージしてしまっただけで……、ふ、深い意味なんてないから!!


「世話になったな。また寄らせて貰う」


「有難うございました~。配達分の方は、今日中に王宮へ転送しておきますので、ご安心をっ」


「あぁ。……ん? ユキ、どうした? 何を真っ赤になって百面相をしている?」


「あ、あの、……え、えっと」


 その手に大きな茶色い買い物袋を抱えたルイヴェルさんが、カウンターの奥から出てくる。

 魔術の光が店内を漂っているとはいえ、見られた……、思いっきり真っ赤になっているこの顔を、見られた!! 

意識する必要なんかないのに、あきらかに挙動不審になってしまった私を、女性の店員さんがクスクスと笑いながら「なるほど」と、よくわからない納得の小さな声を零してカウンターの下にしゃがみ込んだ。

 あぁ……、絶対今、何か変な誤解を受けたような気がする!!


「いつもご贔屓に有難うございます、ルイヴェル様。よろしければこれをどうぞ」


「飴か?」


「はい。普通の飴ですから、そちらのお嬢さんとお二人でどうぞ」


 おまけです、と、女性の店員さんがピンク色の袋に包まれた小さなキャンディーを二つ、ルイヴェルさんに手渡している。

 そして、店を出る際に私が振り返ると、彼女は片目を瞑ってウインクを寄越してきた。

 間違いない……。私がルイヴェルさんの事が好きだと、多大なる誤解が彼女の中で起こっている!! けれど、その誤解を解く暇はなく、私とルイヴェルさんは町の散策へと向かう事になってしまった。うぅ……、違うのに、違うのに!!



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side ルイヴェル


「ユキ、さっきの店で何を買ったんだ?」


「へっ!? え、えっと、……せ、星恋石を、少々」


「あぁ、最初に見ていたあの石か。恋のまじないにも使えるという話だが、使うのか?」


「つ、つか、使うわけ、な、ななな、ないじゃないですか!! ま、まだ、その、……好きな人は、いません、しっ」


 バレスの町を適当に歩いている最中の、何気ない問いかけ。

 店を出る時からずっと、その顔に熱を残したまま挙動不審になっていたユキだが、どうやら星恋石の意味と効果を知ったらしい。わかりやすいほどに動揺し、治まりかけていた頬の熱が何倍にもなって舞い戻ってきたかのように、傍目には非常に面白い事になっている。俺以外の目には……、だが。

 騎士団のアレク、イリューヴェル皇国のカイン。二人の男から想いを向けられているユキは、いまだそのどちらを選ぶ事もなく、悩める日々を送っている。

 少女期の娘に、恋愛などまだ早い……。アレクとカインがユキに対して想いを向けたあの頃からずっと、俺の考えはそのままだ。

 だというのに……、あの二人だけでなく、国内外を問わずウォルヴァンシアへと届く、縁談の類。

 陛下に娘がいない為か、王兄殿下であるユーディス様の愛娘との婚姻を成して縁を持とうとする輩は多い。それ以外でも、王兄姫として他国の夜会や行事に参加した場において興味を抱かれる事も多く、陛下やユーディス様にとっては、悩みの種となっていると言ってもいいだろう。

 

(いつか……、これにも愛する男とやらが出来るのはわかっているが)


 女というよりも、まだまだ幼い子供にしか見えなかった『はず』の娘……。

 成長し、その身体も大きくなり、成熟期へと向かって歩み続けている。

 いつか、必ず訪れる事になる……、開花の時。

 俺に懐いていた幼子は女へと変わり、俺以外の誰かを一心に見つめ、愛する時がくる。

 ……そんな時など、永遠に来なければいい。そう思うようになったのは、いつからだろうか。

 再会してからの日々は目まぐるしく過ぎ行き、ようやく落ち着けるようになったかと思えば……、ユキと過ごす時間が長くなればなるほどに――。


「ルイヴェルさん? あの……、大丈夫ですか?」


 立ち止まり、物思いに沈んでいた俺を見上げながら眉根を寄せて案じている少女期の娘。

 成熟期の女達とは比べるべくもない、……ただの、子供だ。

 白衣の一部をその手に掴んでいるユキの頭に左手を乗せ、くしゃりとそれを撫ぜる。

 これが幼い頃は、もっと頭は低い位置にあったように思う。

 俺が腰を屈めるか、地に膝を着くか、この腕に抱き上げて撫でてやるかの方法しかなかった頃。

 それが、今ではこんなにも……、距離が近い。

 困惑に揺らめくブラウンの瞳を見つめながら、無意識に顔を近付けてゆく。


「……ユ」


「ユキ、来ていたのか?」


 聞き知ったその声に俺の動きが止まり、ユキが喜びを宿す表情でそちらを振り返り、近付いてくる男の名を呼んだ。


「アレクさん!!」


 騎士団の者達と共に寄って来たのは、ユキに想いを寄せている男の一人である、アレク。

 どうやら仕事でこの町に立ち寄っていたらしく、思わぬ所で会えた想い人を前に、心が弾んでいようだ。俺の存在など気付いていないとでも言いたげに、ユキと話している。

 このエリュセードにユキが戻ってきた最初の頃、距離をとっていた俺とは違い、アレクはユキを癒し、守る存在として傍に在り続けた。

 その過程で、ユキを一人の女として愛し、……いつか、自身が愛される日を夢見て、想い続けているアレク。

 ユキの方も、完全にアレクの事を信頼している為か、俺と接する時よりも笑顔が多く、全身で懐いている事が丸わかりだ。

 二人の楽しげな姿など、今までに何度も目にしている……。

 だというのに、最近の俺は……、やはり、おかしい。

 胸の奥で……、奇妙な感覚が、日増しに強くなり……、時に、それが不快な痛みを伴う。

 アレクと話しているユキの視線を、その意識を、今すぐに……。

 だが、俺が動くよりも先に、アレクがこちらへと向いた。


「ルイ、俺は仕事でこのまま王宮へと戻るが、ユキの事をくれぐれも頼む」


「あぁ……」


 何故、お前に頼まれる必要がある? 言われずとも、俺は自分の意思でユキを守る。

 アレクに悪意や他意はない。そうわかっているというのに……、何故、これほどまでに、苛立たしい思いに駆られるのか。

 先に戻ると言って去って行くアレクの姿を、寂しげに手を振って見送っているユキにも……。

 まるで、俺ではなく、アレクの後を追って行きたかったかのような顔だな。

 エリュセードに帰還する度、何よりも真っ先に俺の許へと駆けて来た幼い頃のお前は……、もう、いないという事か。


「アレクさん達……、行ってしまいましたね」


「……まるで、置き去りにされた子犬のようだな。お前は」


「こ、子犬って……、誰も寂しがってなんていません!!」


「なら、いいんだがな……」


 成長してから再会したユキが懐いたのは、俺ではなく……、アレク。

 俺が待ち望み、取り戻すはずだった全てを奪った友。

 それでも、……あの頃はまだ、己を律し、宥める事が出来ていた。

 どんな関係性であれ、俺がユキを守る立場にある事に変わりはない。

 そう、己を納得させる事が、……可能だった。


「拗ねるな。――ほら、さっき店で貰ったキャンディーをやろう。機嫌を直せ」


「だからっ、そういう子供扱いをいい加減にっ、……一応、貰っておきますけど」


 白衣のポケットから取り出したキャンディーを、ユキは何だかんだと不満そうに言いながら受け取る。その少し拗ねた表情を愛らしいと思いながら、同時に、安堵している自分に気付く。

 そうだ。アレクではなく、俺の方に意識を向けていろ。他の何にも、その心を囚われるな……。

 一種の支配欲にも似た醜い何かが、俺の中で加速するように浸食を深めてゆく。

 抗わねばならない……、認めてはならない、自覚しては……、ならない。


「ん……、甘くて美味しいですね、これ」


「機嫌が直ったのなら、他の店をまわるぞ」


 キャンディーひとつで笑顔になるところが、やはりまだまだお子様の証拠だな。

だが、それでいい。今も、これからも……、お前は、恋など知らぬ子供のまま、――俺の傍にいればいい。


「……んぐっ、……どうかしましたか? ルイヴェルさん」


 俺の少し前を歩き出していたユキが不思議そうに振り返ってくる。

 それに適当な言葉で応え、荷物を手に距離を縮めてゆく。

 自分の隣を歩く保護者(俺)の心の内など知らず、店の類を指差しては笑う娘。

 ユキ……、お前の無防備さは、その素直で無垢な在り方は、俺にとっては何よりも危ういものだ。

 今はまだ、誰の色にも染まっていないその純白の心を、いつか必ず……。


(まるで……、『昔』の自分に戻っていくかのような気分だな)


 かつて、幼子であったユキと過ごしていた頃よりも、何十年も前の……。

 あまり知られたくはないかつての俺が、囁いてくる。

 

『ルイヴェル・フェリデロード……、お前が本当に欲しい存在(もの)は、何だ?』


 己を律する事もせず、思いのままに生きていたあの頃の、自分。

 目を覚ますなと、お前は必要ない、と、繰り返し心の奥底へとそれを押し返す。

 必要のない感情、抱いてはならない誤った感情、見て見ぬふりをしてやればいい。

 雑貨屋に入って行くユキの後を追いながら、ふと、俺が見上げた頭上には……、


「雨が……、降りそうだな」


 人の心に余計な影を差してくるかのような曇り空が、俺を嘲笑うかのように集まり始めていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 ――Side 幸希


「ふふ、沢山お土産買えちゃった」


 町の中にある広場でベンチに腰を下ろした私は、雑貨屋さんで買ったお土産の袋の中を覗き込みながら満足の笑みを浮かべていた。

 ちょっと買いすぎたような気もするけれど、新商品として入荷されていた品物も含めて、素敵な品物がいっぱいあったから、ついつい、こんなにもどっさりと。

 人へのお土産もあるけれど、自分の物として買った文房具や可愛い小物を使う瞬間を思うと、心が弾んで楽しくなってしまう。

 ちなみに、ルイヴェルさんは少し用事が出来たと言って、広場の近くにある本屋さんに寄っているので、私はここでお留守番。

 邪魔になるだろうと思って、ルイヴェルさんの分の荷物も預かっているけれど、そういえば、あの道具店で何を注文していたのだろう。

 こっそりと袋を開けて中を覗いてみると、薬草の類が少しと、それから……、う~ん、後は全部包み紙の中で何が入っているのかわからない。


(でも、ルイヴェルさんって凄いなぁ……。医術と魔術、その両方を使いこなせるんだから)


 幼い頃からの教育の賜物とはいえ、やっぱりその二つを好きでなければ、極められないと思う。

 私だったら、……どちらかひとつでも、百年以上かかりそうな気がする。

 ルイヴェルさんだけでなく、私の周りの人達は皆凄い人ばかり。

 自分だけ平凡一直線な事を少し恥ずかしく思いつつも、自分は自分。

 ゆっくりとマイペースにやっていこうと思い直した私は、二つの袋を膝の上に抱えて空を見上げた。


「曇ってきてる……。雨、降るのかなぁ」


「こ~んにちは!! 可愛らしいお嬢ちゃん」


「え?」


 雨を予感させる曇り空を眺めていると、私の目の前に一人の男性が現れた。

 成熟期を迎えている大人の男性のようで、その手には美味しそうなソフトクリームを持っている。

 ニコニコとした口元の笑みが印象的で、ガデルフォーン皇国の騎士団長、サージェスティンさんと似たような雰囲気の人に思えた。


「よかったら~、これ食べない?」


「え、あの……」


「あぁ、大丈夫大丈夫~!! ナンパとか、そういうのじゃないから~!!」


 私にだって一応の警戒心というものはある。

 丁重にお断りをして、一旦ベンチから離れようとしたものの、悪意や下心を感じさせない笑顔の男性はすぐ近くに開いている出店を指差した。丁度私の座っているベンチの右側。


「おいら、そこでソフトクリームを売ってるんだよ~。だけど、今日はあんまりお客さんが来なくてさ~。丁度暇してたところに、君がこのベンチに来たってわけ~。だから、少し話し相手になってくれないかな~と思って、どう?」


「は、話し相手、ですか……?」


「うん。あ、別に変な事をしたりとか、お茶に誘っちゃおうとか思ってないから安心してね~。流石に少女期の子相手にアホな事したりしないから」


 それはそれで、何だか、ちょっと……、女性としての何かが傷付くというか。

 とりあえず、ナンパ目的で近寄ってくる人特有の気配を感じなかったせいか、私は男性が自分の隣に座るのを許してしまった。

 差し出されたソフトクリームも、突き返すわけにはいかなくなり、仕方なく受け取ってそれを一口舐める。あ、結構美味しい……。これは、ストロベリー系の味だ。


「本当はさ~、一ヶ月前に王都の方にある店で働き始めたんだけど、ここ一週間は町まで出張させられててね~。ほら、町と王都じゃ人の数も違うし、一人じゃちょっと寂しくてさ~」


「そ、そうなんですか。大変なんですね」


「いやいや、仕事は楽しいんだよ~。だけど、あまりにもお客さんが少なすぎて~……、ちょっとやる気がね~。あ、ごめんね、愚痴利かせちゃって!! ソフトクリーム、遠慮せずに食べて食べて!!」


 何というか……、本当にナンパ目的じゃなくて、暇潰しがしたかっただけなんだなぁ、この人。

 チョコレート色を纏う髪の男性は私にソフトクリームを食べるように促すと、今度は私の事について尋ね始めた。


「で? お嬢ちゃんはどこから来たの~? 見たところ、狼王族だよね~? この町に住んでるのかな~? お連れさんはいるの~? あ、もしかして彼氏とか? いいなぁ~、お兄さん、全然彼女出来ないんだよ~、寂しいよね~」


 連撃で飛んでくる質問や自虐の矢に、私はソフトクリームをゆっくりと食べる暇さえない。

 悪い人じゃなさそうだけど……、落ち着きがないというか、相手をするのが疲れそうというか。

 サージェスさん、ごめんなさいっ。一瞬でも似てるとか思って、本当に、ごめんなさいっ。


「えっと、……うぉ、ウォルヴァンシアの王都から来たんです。連れの、その、お買い物のついでに」


「へぇ~、お連れさんいるんだ~? やっぱり彼氏~? お嬢ちゃん可愛いから、予約したい奴がいっぱいいそうだよね~」


「違います!! 違います!! いつもお世話になってるお兄さんみたいな人で、全然っ、まったく、欠片も、そういう対象じゃありませんから!!」


 悪意がない事はわかるけど、よりによって、ルイヴェルさんが、か、か、彼氏なんて!!

 あり得ない、あり得ない、千回生まれ変わってもあり得ない!!

 それならまだ、アレクさんやカインの方が……、と、ムキになって全力否定すると、ぼとりと残念な音が。


「あぁああっ!! ソフトクリームがっ!!」


「あぁ~、いいよ、いいよ~。おいらが何か悪い事言っちゃったみたいだし。新しいの持って来てあげるよ~」


「いいです!! いいです!! せっかく貰った物を無駄にした挙句、そんなお気遣いなんて!!」


 ぐちゃりと地面を汚したソフトクリームを器用にササッと片付けてしまった男性が、「本当にいいの~?」と、少し残念そうな顔をする。

 多分、口では言わないけれど、自分と話をしてくれるお礼のつもりなのだろう。

 喋りまくる代わりに、お礼を用意するところがまた、この人の律儀さを表しているのかもしれない。


「ん~、謙虚な子だなぁ~。それに、反応がすっごく面白い。お嬢ちゃん、素質あるね~」


「は?」


 そ、素質って、何の……?

 長い前髪で隠れているせいか、その目は見えないけれど、さっきよりも楽しそうな気配が増しているような気が……。

 ソフトクリーム売りの男性は鼻をクンッ、と、何かを嗅ぐように少しだけひくつかせると、何の前触れも予告もなく、私の両手をがしっと掴んできた。――な、何!?


「知れば知るほど……、ハマり込みそうな匂いがするよ。お嬢ちゃんは」


「へっ」


 その瞬間、広場に強い風が気まぐれのように通り過ぎ、……前髪の中に隠れたそれが、一瞬だけ垣間見えた。楽しげな音とは正反対の、獲物を射抜く鷹のような気配(瞳)。

 そういえば……、この人と喋っている間、全然視線の類を感じなかった気がする。

 こんなにも近くにいるのに、それを初めて感じたのは、今、この時だけ。


「あ、貴方は……、――っ!?」


 誰ですか? 無意識に尋ねかけた自分の声が、途中で途切れた。

 軋むような音が耳に届き、落雷でも受けたかのように真っ二つに割れたベンチ。

 わ、私とソフトクリーム売りさんの、丁度その間。

 私よりも先に手を離したソフトクリーム売りさんがその場から飛び退き、軽やかな身のこなしでベンチから距離を取った。


「いやぁ~、怖い怖い。お嬢ちゃん、頼もしい護衛がついてるんだなぁ~」


「無駄口を閉じろ……。己に課された責務を忘れ、少女期の娘を口説いていたなどと、『上』に報告されたいか?」


「あぁ~、嫌だなぁ~、マジな顔しちゃって~。――凄い顔してますよ? フェリデロード家次期当主様?」


 状況を把握する事も出来ず、乱暴な力で引き上げられた私が顔を押し付けられてしまったのは、恐ろしく冷たい気配に包まれている、ルイヴェルさんの胸元だった。

 普段よりもさらに低められた声音には、明確な苛立ちの気配が滲んでいて……、私の身体を抱くその腕には、痛みを感じさせるほどの力が籠められている。


「る、ルイヴェルさん……、痛っ」


「黙っていろ」


「で、でもっ、いきなりどうしたんですかっ。別にあの人は、私に何も」


「黙っていろと言っている」


「――っ」


 こ、怖い……!! ソフトクリーム屋さんを敵と定めているのか、今のルイヴェルさんは私に意地悪をしたりお仕置きをする時の何倍も、――大魔王様度が跳ね上がっている!!

 ルイヴェルさんの醸し出している気配のせいで、空気がピリピリどころか、ビリビリビリビリ!! と、怯えている感じがするし、広場にいた町の人達も、一目散に逃げだして行く!!

 

(待ってくださぁあああああい!! 私も全力で逃げ出したいんですけどぉおおおおお!!)


 しかし、私を一緒に連れて逃げてくれるような人もいなければ、ルイヴェルさんの拘束から逃れる手段もなし、と。

 ソフトクリーム屋さんに怒っているのはわかるのだけど、私、何もされてないって言ってるのに!! どうして聞く耳を持ってくれないの!?

 それに、こんなにも恐ろしい大魔王様と化しているルイヴェルさんを前にしても、ソフトクリーム屋さんは悲鳴を上げたり、逃げる事もしていない。普通だったら竦み上がりそうなものなのに。


「仕事のついでにお嬢ちゃんと話してただけなんですけどね~? 別に何もしてませんし? そんな本気で怒る事ないでしょ~? あ、それともぉ~、俺とお嬢ちゃんがイチャついてると思って、ヤキモチ、――げぇええっ!!」


 凄い……。この状態のルイヴェルさん相手に軽口どころか、からかうような言動までっ。

 宥めるどころか、さらに激怒状態へと悪化した大魔王様が、まさかの詠唱なしでの雷撃を容赦なくソフトクリーム屋さんへと撃ち続け、一方的な光景の中に、ポツポツと雨が降り始めた。

 それは徐々に、ではなく、一気に強い雨足となり、私達の身体を打ち付けてくる。

 何てタイミングの悪い雨。ずぶ濡れ状態になっても攻撃を止めないルイヴェルさんに、先に降参の白旗を上げたのは、ソフトクリーム屋さんだった。

 

「おおっと!! フェリデロード家のぼっちゃん、今日はこの辺で勘弁しといてくださいな~!! 邪魔者は気ぃ利かせて退散しますから、後は可愛いお嬢ちゃんとお好きにイチャイチャどうぞ~」


 雨が降り出し、自分のお店が被害を受け始めたのが逃げ出すきっかけとなったのだろう。

 ソフトクリーム屋さんはどうやら魔術師でもあったらしく、ポイポイと転移の陣に出店や道具を投げ入れ、最後に自分がその中へと飛び込んで行った。

 ルイヴェルさんも後を追う気はなかったらしく、ようやく攻撃の手を下ろし……。


「はぁ、……はぁ、くっ」


「だ、大丈夫ですか? ルイヴェルさんっ」


 詠唱を行わずに発動した魔術は、凄まじい威力を発揮するものの、制御が難しくなり、術者にも負担がいく。徹夜続きの、体調の悪いこの状態であんな真似……、自殺行為としかいえない。

 息を乱してよろめきかけたルイヴェルさんを急いで支え、どこか雨宿りが出来る場所を探して歩き始める。


「もう……、何であんな真似をしたんですかっ。あのソフトクリーム屋さんとは、ただお話をしていただけなんですよっ。それなのに、突然術を放つなんて……」


「……警戒心のない、お前が、悪い」


「あ、悪意や下心は感じませんでした!! だから、普通にお話をしてたわけで……」


 広場を出て、人通りのなくなった道をゆっくりと進みながら、少し大きな声で言い返す。

 けれど、ルイヴェルさんは全然納得してくれていないようで、苛立ちを籠めた深緑の瞳で私を睨んでくる。


「アレの、どこが無害だ……。やはりお前は、……まだまだ、ガキだな」


「が、ガキ……」

 

 普段とは違う、どこか荒っぽい響きを含んでいるその声音に、吃驚としながら大きく目を見開く。

 人の事をお子様だの、子供だの言う事はあっても、ガキ、と言ってきた事は一度もない。

 それに、叩き付けてくるかのような雨に濡れたその銀の前髪から覗いている深緑も、何だか普通に怒っている時とは全然違うというか……。

 どう例えていいのかわからないけれど、まるで……、や、やさぐれている、う、裏家業の人、みたいな感じが!!


「いつまで経っても……、ガキのままで……、俺の手を焼かせて……、本当に、……お前は、俺を振り回して、ばかり、だ……」


「ご迷惑をかけている自覚はありますけど、……もうっ、とにかく、今は黙っててくださいっ。え~と、確か、宿屋は、あっち、だったかな」


 とりあえず、ルイヴェルさんのお小言は後にして貰う事にして、早くこの人を宿屋で休ませないと……。重病にならない内に、一刻も早く。

 身体に痛みさえ感じそうなほどの豪雨になってしまった町の中を、成人男性の重みを必死に支えながら進み続けていた私は、ふと、ある事に気付いてしまった。


「る、ルイヴェルさんっ、私達馬鹿です!! 結界で雨を防げば良かったの、――にっ!?」


 どうしてこんな初歩的な事を忘れていたのか。

 すぐに結界を張りましょうとその顔を見上げた私だったけれど、返事の代わりにルイヴェルさんが起こした行動は、――今まで以上に意味不明過ぎる、『抱擁』だった。

 体調が悪化している事を知らせるように、乱れた息が荒く吐き出され、私の名を呼ぶ。


「ユキ……っ」


「ちょ、る、ルイヴェルさんっ!! どうしたんですかっ!! 痛っ、あのっ、……は、離して、くだ、さいっ」


「……なの、に、……は、どう、……し、……、俺、はっ」


 支えるどころか、体調不良でおかしくなったとしか思えないルイヴェルさんの腕に掻き抱かれたかと思ったら、熱を宿した吐息に首筋を擽られて……。

咎められているような、切ない響きに、酷く戸惑わされる。

 逃れようと足掻いても、そうすればするほどに、逆らう事を許さないと言いたげな力が増してゆく。


「ルイヴェ、ル……、さ、んっ、お、落ち着い、て、くださいっ」


「何故……、なん、だ……、何故、……ん、な、……ら、ない、こんな、……こんな――っ」


 胸の奥で凝り固まった辛い何かを吐き出すかのように、ルイヴェルさんが低く呻いた。

 それと同時に、ふっ、と……、限界が来てしまったのか、私を縛める拘束の力が緩んだ。

 私の身体に縋りながら崩れ落ちていくルイヴェルさんの身体。

 い、一体何が起きたのか、全然わからない……、けど!!


「しっかりしてください!! ルイヴェルさん!! ルイヴェルさん!!」


 悲痛に満ちた私の叫び声が、……降りしきる豪雨の中で掻き消されていった。

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