IFルート・サージェスティン編~君の気持ちと俺の本音~

 ――side サージェスティン。


 響き渡ったのは、俺の頬を打った……、彼女の怒り。


「……」


「サージェスさんなんか……、大嫌っいです!!」


 見事な平手打ちを与えてくれた女の子は、涙混じりに俺を詰って走り去ってしまった。大嫌い……って、言われた……。

 頭の中で、意味不明な音がガーン、ガーンと響き渡る。

 俺、ユキちゃんに『大嫌い』って確かに言われたよね?


「……ユキちゃん」


 ウォルヴァンシアの王宮の回廊で、俺はあまりのショックに頭を抱えて屈み込んでしまった。

 彼女、ユキちゃんとは、ガデルフォーン遊学の時に出会い、興味をもった。

 素直で純真無垢な可愛らしい女の子。大人しいだけじゃなくて、自分の意思もはっきり言える子だ。

 俺的には好みど真ん中だったわけで、ガデルフォーンに彼女が滞在している時も、

 何かとちょっかいをかけては構ってきた。

 帰国後も、転移術を駆使して彼女に会いに行くぐらいには、俺は彼女を気に入っている。

 この感情が何なのかを知らないような年齢でもないしね。

 だけど、ちょぉーっと……やりすぎたかな?


(ユキちゃんの身体……、柔らかかったなぁ)


 はい、本人の了承も得ずにハグしちゃいました……。

 もう衝動的というかなんというか、我慢出来なかったんだよねー。

 案の定、すっごく温かくて抱き締め甲斐のある柔らかさだったんだけど、駄目って抗議されてるのに、調子に乗って抱き締めすぎたのがいけなかったようだ。

 そりゃあそうだよねー……、好きでもない男にあんな真似されたら、怒っちゃうよねー……。好きでもない……。あ、どうしよう。自分で考えてショック受けた……。


 心の痛みなんて、一体どれぐらいぶりだろうか?

 帯剣している得物で他者を傷付けるのも平気な俺が、女の子に、ただ『大嫌い』と言われただけで、どん底にでも沈みそうな気持に追い立てられている。

 視界から消えていった蒼の色が恋しい……。だけど、今追っても……。

 絶対、怒ってるよなー……。ご機嫌をとるのが嫌なわけじゃない。

 ただ……、また怒りを煽って『大嫌い』なんて言われたら……。

 へこむ! 絶対に立ち直れないぐらいにへこむよ!


「おい、道の邪魔だ。どけ」


「うわあっ」


 急に背後から容赦のない蹴りが入って、俺は前のめりに転びそうになってしまった。けど、そこはほら、長年の反射神経があるからね。バランスよく体勢を立て直して酷い人に向き直ったよ。


「何をするのかなー、ルイちゃん」


「通行の邪魔になっている物をどかそうとしただけだが?」


「相変わらずのSな発言、アリガトー」


 ウォルヴァンシアの王宮医師、ルイヴェル・フェリデロード。

 彼とは昔、一緒に仕事をした事があってね。

 それから気が合って、たまに会ったり、出張先で出くわしたりの関係だ。


「俺ねー、落ち込んでるんだよ? わかる?」


「何をしようがされようが、特に意に介さないお前がか? ふっ、天変地異でも起きる前触れか?」


 勿論、友人だからといって、ルイちゃんは俺に優しく慰めの言葉をくれるような男ではない。俺と一緒で、人の傷に塩刷り込むタイプだよ、うん。……それも大量の。


「そうなんだよねー。あまり物事には動じないんだけど、今回ばかりはお手上げ。今すぐにでも許して貰いたくてたまんない」


「誰を怒らせたんだ?」


「ユキちゃん。可愛いお姫様に我慢出来なくてハグしちゃったら、見事に平手打ちされて、嫌われちゃったんだよー」


「ふっ……、一生嫌悪されていろ」


「ちょ!! それ酷っ!!」


 俺の横を通って、、無情にも友人ルイちゃんは奥の通路に入って行こうとした。

 酷いよねー……、もうちょっと、何か励ましの言葉とかー……。

 って、あ。俺も、他人に対して毒吐く気質だったっけ……。じゃあ、しょうがないか。ははっ。

 どうしようかなー、俺としてはユキちゃんに嫌われたままっていうのは、きつすぎるし……。


「多分部屋に戻ってるよねー、開けてくれるかなー……」


 正面から行ったところで、その扉が開く可能性は低いだろう。

 自分に不埒な真似をした男なんて、危険すぎて入れる気さえ起きないだろうし、となると……、そういえば、外窓があったはず。

 こっそり様子を窺うくらいは……、いいよね?

 とりあえず方向性を定めた俺は、ユキちゃんの部屋がある方へと向かうのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ふむ、お前の淹れた茶は美味いな」


 ……って到着、なんでユキちゃんの部屋にちゃっかりウチの陛下がいるのさ!

 政務はどうした! 政務は!!

 自分の事を棚に上げて言うけど、確か結構溜まってたよね? 陛下!!

 なのに、暢気にユキちゃんとティータイムをしているガデルフォーンの女帝陛下……。これじゃあ、中に入るタイミングさえない。

 外窓から見えない位置に腰を下ろし、こっそりと中の会話に聞き耳を立ててみる。


「急にいらっしゃるからびっくりしました。今、ケーキの方もご用意しますので、お待ちくださいね」


「すまぬな。少々仕事に疲れたものでな、気晴らしに来てみたのだ」


「ふふっ、私の部屋で良ければ、いつでもいらしてください」


 メイドからケーキの載った皿を受け取ったユキちゃんが、テーブルの上にそれを置いて、陛下に笑いかけた。

 女の子同士のお茶会ってさ、微笑ましくはあるんだけど……、今だけは陛下に「そこ代われ!」と言いたい気持ちに駆られているよ、うん。

 なんだろねー、同性だったらユキちゃんと周りを気にすることなく仲良くできるし、ハグしたって、きっと怒られないんだろうなー……。

 だけど、俺が女性に生まれていたら、この胸に抱える感情は無用のものになるわけで……。とすると、やっぱり、男に生まれて良かったと思うべきか……究極の悩みどころだね。


「最近はどうだ? 術や剣の鍛錬は怠ってはおらぬか?」


「はい、剣はアレクさんに、術は王宮医師のお二人にご指導頂いています。前よりは、馴染んできましたし、これからも頑張りたいなって思ってます」


「そうか。ならば良い。……ところで」


「はい?」


「我が国の副騎士団長が、長を捜しておってな。こちらに来ているようならば、我が連れ帰ろうと思っているのだが、見かけてはおらぬか?」


「サージェスさん、ですか……? 彼なら……」


「どうした?」


 ユキちゃんが急に表情を翳らせて下を向いてしまった。

 多分、さっきの事を思い出してるんだろね。

 陛下も、様子がおかしい事に気付いたらしくて、俺が何かしたのかと中身につっこんじゃってるし……。

 あー、これはちょっと……マズイねー……。

 ユキちゃんは、ディアーネス女帝陛下のお気に入りだ。

 ウォルヴァンシアの王様に、甘やかすなとか言っていたくせに、あの調子だ。


「よかろう。我が直々にあやつを冥界に屠ってやろう」


 うん、ドストレートに部下を殺害予告するのはやめてほしいなー。

 ユキちゃんの話を聞き終えた陛下が、冗談の一切ない眼差しで淡々とそう言ったから、正直、思わず背筋がぞくりとしちゃったよ。

 陛下はガデルフォーンにおいて、最強ともいえる実力の持ち主だ。

 俺も腕や術に覚えはあるけど、基本的に女性を傷つけるのは信条に反するんだよね~。まぁ、陛下とだったら結構いい勝負ができそうだけど。


「ディアーネさん、怖い事言わないでくださいってば。ただ……、私は……」


 あれ? ユキちゃんがなんだか頬を染めて、少し怒ったように口を開いた。


「サージェスさんが……、あんなこと、誰にでもするのかなって思ったら、なんだか、イライラしてしまって、……嫌だって、思えて……」


「あやつがどのような意図で、お前にその行為を働いたかはわからぬ。しかし、……元から、女には労せぬ奴だからな」


「ですよね……。やっぱり、からかわれたんですよね、私」


 何て事を言ってくれるんだ、ウチの女帝陛下は……!

 確かに時々女性のお相手をする事はあるけど、別に恋愛関係じゃないよ?

 お互いに満足したいからであ……ごほん。

 とにかく、ユキちゃんに出会ってからは清い身体だよー!!

 エリュセード神に誓って、偽りはない。

 だけど、訂正したくても今出て行くのはまずいよね……。

 陛下いるし、出て行った瞬間、あの槍でぶっ刺されるんじゃないかなー。

 嫌だよ、ユキちゃんの誤解を解けないままバッドエンドなんて。


「次からは遠慮せずに、不埒な真似をしたら仕置きをしてやるが良い。騎士団の者達には、サージェスティンは殉職したと言っておこう」


「だから、そんな怖い事はしませんって……」


 ユキちゃんがケーキを一口分フォークに差して、苦笑と共に食んだ。

 少しだけ気落ちしているような、そんな雰囲気で……。

 そういえば、さっき……、俺が抱き着いた事に対して何か言っていたような気が……。

 あれ? それって……、嫌だって思ったって事は……、え?

 どうしようか、猛烈に今すぐ確認したいことが出来ちゃったよ。

 けど、まだ陛下があそこにいるし……。

 焦らされるようにユキちゃんの部屋を覗いていると、ふいに陛下が席を立った。


「すまぬ。連絡が入った。至急ガデルフォーンに戻らねばならない故、今日はここで失礼する」


「お仕事ですか? 頑張ってくださいね」


「あぁ。ユキも怠ることなく励むのだぞ」


「はい」


 ガデルフォーンへの道を空間に開き、陛下はあっという間に部屋から消えてしまった。……一度だけ、外窓の方に意味ありげな視線を向けて。

 ま、バレてるのは知ってたけどねー。連れ帰られなかっただけ、ラッキー、かな?

 一体どんな心境の変化か、隠れている俺に気付いていた陛下は、俺を野放しでガデルフォーンに帰った。まるで、やった事の責任は自身でとれ、と言われたような気がするね。はいはい、ちゃーんとバッチリ責任はとりますよー。

 隠れたまま、ユキちゃんの部屋の外窓をノックする。

 すると、予想通り、ユキちゃんは外窓の鍵を外して、前へと開いた。

 その隙を、勿論俺が見逃すはずもない。

 外窓は縦長で、扉の役目を果たす物でもあったから、すぐにその扉の縁を掴んで、足を滑り込ませた。


「さ、サージェスさん!?」


「やっ、さっきぶりだねー、ユキちゃん」


 誰もいなかったはずの視界に、いきなり俺が現れたんだもんね?

 そりゃあ驚く。だけど、その隙も勿論突かせてもらって、部屋の中にあっさりと侵入させてもらった。


「か、勝手に入らないでください!!」


「そんな冷たい事言わないでよー。ユキちゃんに謝りたくて来たんだよ、俺」


「あやま……りに?」


「うん。君の了承も得ずにハグしちゃってごめんって、ね。それから、聞きたい事もあったしね」


 まだ、俺にハグされた時の怒りがあるのか、ユキちゃんの周りには警戒心が漂っている。


「俺ね、確かに前はユキちゃんの考えているとおり、女性には事欠かないよ?」


「……だ、だから、なんですか……」


 ほら、俺の予想どおり、ユキちゃんは今にも泣きだしそうな顔だ。

 彼女以外の女性の影をちらつかせて、その反応が間違いない事を確認すると、俺はいつもの調子を取り戻し始めた。


「ねぇ、ユキちゃん。俺に好きな人がいたら、どう思う?」


「し、知りませんよ……っ。サージェスさんの恋愛事情なんてっ」


「じゃあ、その涙は何かな? 俺に好きな人がいたら、悲しいの?」


「うっ……、こ、こっち、来ないでくださいっ」


 あー、本当に可愛いね。この子は。

 泣き顔にそそられるって、俺も大概どSだよね……。

 俺という存在で、もっと彼女を困らせてしまいたいと願うなんて……。

 後ろに足を引くユキちゃんを徐々に追い詰めながら、彼女を壁際に寄せると、片手を壁に着いて、その顔を覗き込んだ。

 涙で濡れた、大人と少女の中間にいるかのような愛らしくも艶の宿る表情……。


「教えてよ? 君が泣いてる理由。俺が泣かせちゃったんだよね?」


「ち、ちがっ」


「いーや、絶対に俺のせいだよ。むしろ、それ以外は許さない。言いなよ、なんで泣いたの?」


「貴方のせいじゃないって、言ってるじゃないですかっ。そこどいてください! 私、術の勉強があるんです!!」


 うーん、強情な子だよねー。

 そういう部分も俺を惹きつけてやまないんだけど、今は聞きたい事があるから、どうしても素直になってもらいたい。

 なのに、君は俺の囲いの中から逃げ出そうと身体の隙間を狙って逃げの体勢に入った。……無駄だけどね?


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――side 幸希。


「痛っ!!」


 壁際に追い込まれた私は、今すぐにここから逃げ出したい気持ちで、サージェスさんの脇をすり抜けて脱出を図ろうとした。

 けれど、急に左腕を掴んだ強い力に顔を顰めた。

 見上げれば、愉しそうに私を見下ろす彼の笑みがあった。


「駄目だよ? まだ話が終わってないのに逃げちゃ」


「離してください!」


 顔は笑っているのに、有無を言わさぬ迫力が、そこにはあった。

 ぐいっと引き寄せられたかと思うと、ぽふんとサージェスさんの腕に中に収まってしまった。


「んー、やっぱり、ユキちゃんは良い匂いがして、抱き心地が良いねー」


「いやっ、ですって!!」


「また叩いちゃう? 今度は何されても離す気はないけど」


「――っ」


 顎を右手で持ち上げられ、サージェスティンさんのアイスブルーの瞳に囚われる。

 顔は笑ってるのに、向けられる眼差しは酷く真剣な様子だった。


「ほら、サージェスお兄さんに教えてごらん?」


「絶対っ、言いません!!」


 サージェスさんの言葉に傷ついたとか、好きな人がいるって聞いてショックだとか、そういう人がいるくせに、私にこんな事をする残酷さに涙を抑えられないなんて……、絶対に言わない!! 知られたら、また、からかわれるに決まっているもの!!


「ふぅん、言わないんだ……。じゃあ、その口必要ないね。俺が塞いであげようか?」


「なっ!!」


 サージェスさんの声音が低く冷やかなものに変わったかと思うと、その綺麗な顔が、徐々に私の前へと下りて来て……。

 まさか、……塞ぐって、そういう事なの!?


「す、すとっぷ!! 言います!! 言いますから!!」


 さすがに唇まで奪われてはたまらないと、私は大声で彼に待ったをかけた。

 ピタリと……触れる寸前で、サージェスさんの動きが止まる。

 ゆっくりと顔が離れ、にっこりと悪魔の微笑みが私を見下ろす。


「さ、サージェスさんが……、人を、からかうからです」


「俺が欲しい答えじゃないなー。やっぱり塞いじゃおうかなー」


「うっ、…………から、……です」


「聞こえないよ?」


 なんなのこの人!!

 私が凄く困ってるってわかってるのに、どうして追い詰めてくるの!!

 正直に全部吐くまで、絶対に逃がす気はないらしい……。

 涙ぐんだ声音で、私は悪魔の望み通り洗いざらい口にするしかないと悟った。


「サージェスさんに……好きな人がいるって、……聞いたから、です」


「なんで俺に好きな人がいると、ユキちゃんが泣いちゃうのかな?」


「そ、それは……っ」


「ちゃんと最後まで、詳しく教えてほしいなぁ?」


「さ、サージェスさんっ、意地悪ですよ!! もうこれ以上はっ」


「だーめっ。俺はユキちゃんの気持ちが聞きたくて堪らないんだから」


 コツンと、おでこにサージェスさんの額が軽くあたる。

 距離が……近すぎて、今にも火山噴火のごとく熱が出そうだ。

 だけど、身体は逃げる隙もないほどにしっかりと拘束されているし、サージェスさんの狩人のような視線が望む答えを欲して落ち着かない熱を孕んでいる。


「こ、子供をからかうのはいけないと思うんですっ。大人なら、ここはひとつ、冷静にまた後日という事で」


「却下」


 ぐっ……。

 サージェスさんから見たら私は子供同然だと前に言われた日を思い出して、それを盾に抵抗したのに、あっさりと一刀両断されてしまった。

 逸らす事の出来ない距離にある眼差しが、どんどん私を追い詰めていく。


「もう……っ、ゆ、許してくださいっ」


「ユキちゃんが素直に俺に教えてくれたらね?」


「ううっ……」


 そんな風に促されたって、言えるわけがない……っ。

 いつからか、サージェスさんに会う事を楽しみにしていた自分がいて、抱き締められた時に恥ずかしいのと同時に、嬉しさまで感じていただなんて……。

 だけど、サージェスさんは格好良い人で、騎士団長っていう偉い立場の人でもあるから……。きっと女性関係も華やかなんだろな、とか思ったら、辛くなって仕方なくて。さらには、サージェスさんから好きな人がいると聞かせられたら……もうっ。


「ひっく……ううっ」


 気付いたら、子供のようにボロボロと涙を零して大泣きしてしまっていた。

 止まらない……、目の前が涙の膜で滲んでサージェスさんの顔が朧気になっていく。それを見たサージェスさんが一瞬焦った顔をして、背中をポンポンとあやすように軽く叩き始めた。


「あー、ごめんっ。ちょっとやりすぎた。お兄さんが悪かったよ! よぉーしよしよし」


「サージェスさんの馬鹿っ、もう、嫌いっ、大嫌いですっ」


「うっ、自業自得だけど……、それ、きついよー……。俺が悪かったから、お願いだから許して。お詫びに俺の気持ちを教えてあげるから」


 サージェスさんは、すまなそうにそう言うと、私を横抱きに抱え上げて、寝台の端に腰かけた。そして、その膝の上に私を乗せてしまう。

 私は泣くのに夢中で、サージェスさんが何を言いたいのか、まるでわからなかった。


「君に嫌われちゃったら、ガデルフォーンに帰っても仕事に集中出来ないよ。それどころか、傷心の一人旅に出ちゃう勢い。だから、それだけは勘弁して」


「うぅっ……ひっく」


「涙拭こうねー。こんなに泣いちゃって、目が腫れちゃうよ、ユキちゃん」


「し、知りま、せんっ、ひっく」


 自分が泣かせたくせに、こうやって優しくハンカチで涙を拭ってくれても、嬉しくなんか……ないんだから……。私を落ち着かせる為か、サージェスさんは暫くの間背中を撫でてくれていた。

「良い子良い子~」って慰められているから、やっぱり子供扱いしかされないことに、胸の送りがチクリと痛んだ。

 サージェスさんは私が泣いた理由を知りたいって言っていたけれど、こんな調子じゃ、口にしたところで、彼を困らせる事にしかならないだろう。

 それなら、もうこのまま誤魔化して、有耶無耶にしてしまった方が良い。


「ユキちゃんが可愛くて、いじめたいなー、泣かせたいなーとは思ってたけど、傷付けるのは本意じゃないんだよ。だから、ごめんね?」


「そ、それ、って、……ひっく……、ルイヴェルさんみたいじゃないですかっ」


「あー、そういや君、ルイちゃんにも可愛がられてるんだよねー? 何? 彼にもこうやって泣かされちゃったの?」


「る、ルイヴェルさんはっ、さすがに、ここまで酷い事はっ、ううっ、しませんっ」


 サージェスさんに比べれば、まだあの人のいじりは生易しいものだと思えるもの。

 冗談交じりにからかわれたり、抱っこされる事があっても、私が嫌がれば頃合いを見てすぐに解放してくれる。

 だけど、サージェスさんは絶対引かない態度で答えを欲しがった。


「うーん、多分君、色々ルイちゃんに騙されてるとは思うけど……、ま、いいか。こうやって泣かせるのが俺だけだってわかって一安心だ」


「何が一安心、なん、です、ううっ、かっ」


 泣きすぎたせいで、しゃっくりをしているかのように言葉が断片的にしか出てこない。今度は頭を優しく撫でられて、やっぱり子供扱い同然であやされる。


「まー、要約すると……、君が俺以外に泣かされるのは、……気に喰わないってところかな」


「ひっく……は、はい?」


「この王宮には君の事が大好きな子達がいっぱいだから、俺としては無理してでも様子を見に来なきゃ安心できないわけ。わかる?」


「ど、どうして……」


「俺はただでさえ、遠距離にいるんだよ? 君に会えない日は、どっかの誰かが君に手を出していないかどうか不安だし、ずっと傍にいられない自分に苛々したり、性に合わない焦り方をしているんだよ」


 サージェスさんから苦笑が漏れる。

 それは自嘲めいた口調でもあり、「本当、俺らしくない……」と独り言を小さく呟いて、いつもの彼とは少し違う雰囲気を纏わせていた。


「というか、ここまで言ったら、さすがにわかるよね? 俺の方に先に吐かせたんだから、今度はユキちゃんの番だよ」


「え、えっと……っ、ひっく……んっ、わ、わかりま……せんっ」


 だって、今のサージェスさんの言葉で、私は都合の良い解釈をしてしまったのかもしれないもの。

 それがもし間違っていたら、自分の気持ちを口にしたら……。

 まだ信じきれない気持ちが、心から溢れて来る気持ちに歯止めをかける。

 そんな私を見て、「はぁ……」と重々しい溜息を吐いて落ち込んだサージェスさん。


「ユキちゃんって、もしかして……焦らし好き?」


「え?」


「いや、何でもない。わかっててやってるんじゃないんだよね? ちょっとだけ、俺と一緒の気持ちなのかなーとか調子に乗って浮かれてたんだけど、もしかしたら、勘違いかもなんていう危険性を感じちゃってね」


「か、勘違い……?」


「仮にもガデルフォーンの騎士団長が、好きな子の気持ちも確かめられないんじゃ情けないよね。もう遠回しなやり取りにも飽きたから、単刀直入に言おうかな」


 サージェスさんの両手が頬に添えられて、彼の顔しか視界に入らないように固定されてしまった。

 な、何を言われるんだろう……と心臓の不規則な鼓動と共に目を瞬いていると……。

 彼の声音が、茶化すものではなく、心を鷲掴んで離さないような雰囲気を纏った。


「ユキちゃん、お兄さんと恋愛しない?」


「……はい?」


「勿論遊びじゃないよ? 君が俺と同じ気持ちなら、一生かけて大事にする。遠距離だけど、絶対にユキちゃんの心に別の誰かを入れたりなんかしない」


「あ、あの……っ」


「俺の本気、信じてくれない?」


 不安そうに眉が下がり、小首を傾げられてしまった……。

 というか、今……、私、……サージェスさんに告白された!?

 大きく目を瞠っていると、私の反応がないのを心配したのか、


「ユキちゃん? 聞いてるー? さすがに、これもスルーされたら、俺泣いちゃうよ」


「さ、サージェスさん……、今のって……」


「え? あぁ、うん。俺の人生初の告白だけど、ちゃんと聞いてくれた?」


「い、いえ、あの……聞こえてましたけど……、また……からかってます?」


 サージェスさんの告白? に涙もびっくり引っ込んで、ようやく普通に喋れるようになってきた気がする。

 だけど、上手く状況を把握出来なくて、いつものからかいなんじゃと聞き返してみた。サージェスさんの表情が……、きょとんとした後、「ふぅん……」と口元に意地悪な笑みを宿した。あ……なんかまずい気がする……。


「全力で本気だったんだけど? え、なに? やっぱりスルーする気なんだ? 冗談に受け取って、そのまま誤魔化そうって魂胆かなー?」


「そ、そうじゃなくてっ」


 ピクリと、サージェスさんの眉間に浮かんだ青筋に、頭の中で警鐘が鳴り響いたのと同時、私の身体は膝の上からごろんと寝台の上へと放り出された。

 ギシッ……と寝台が軋んだかと思うと、私の上にはサージェスさんの意地悪な笑みが。顔の両サイドに、彼の両手がシーツに沈み込み、見下ろされる形になっている。

 か、囲われた!! 


「お、落ち着いてください、サージェスさん!! 私、そんなつもりじゃっ」


「人の気持ちは……、大事にしないと駄目だよねー?」


「いや、だからっ……、か、からかってたわけじゃ……ないん、ですか?」


「いい加減怒っちゃうよ? 俺がどれだけ勇気を出したと思ってるの? 戦場で魔獣を千匹相手にしてる方がまだ楽だよ」


「じゃあ……本当に?」


 サージェスさんは、私を好きなの?

 だって、彼は大人で……私は、サージェスさんから見れば子供で……。

 どうしたって信じきれる内容じゃない。


「こ、子供扱いばかりだったじゃないですかっ。急に、恋愛感情があるって言われても……」


「子供扱いっていうか、君が可愛いから苛めたくなるだけだけど? それに、俺も色々我慢してるんだよ? 君はまだ幼いから、手を出したら速攻瞬殺だろうなーとか。ハグでギリギリ理性を保ってるって、ユキちゃんはわかってる?」


「そ、そんな……っ」


「余裕ないんだよね、これでも……。だから、早く俺にご褒美をちょうだい? 君の気持ちの一番深い部分、俺に見せて……」


「んっ……」


 私の首筋にゆっくりと下りてきたサージェスさんの顔が、耳元に唇を寄せて、そっと口を開いた。


「ね、お願い……」


 吐息と共に切なく耳に流れ込んだ低い声音に、ぞくりと頭の中が痺れてしまう。

 この人、本当に……性質(たち)が悪い!!

 甘えるような音さえ含んで、確実に私を囲い込んでくる。

 逃げ道、なし。助け、なし。

 ……絶体絶命だ~……。

 もう、ここまで来たら……観念するしかないのかもしれない。

 サージェスさんの包囲網は完璧に成されている。

 あとは、白状して彼に囚われるだけ……。


「わ、私……も、……好き……です」


 そう口にした瞬間、猛烈な羞恥心に襲われて、私は顔を覆いたくなってしまった。

 だけど、動きはサージェスさんの支配下だ。

 すぐに手の動きを封じられ、真っ赤に染まった顔を真正面、至近距離で観察され始める。


「ふふ、ユキちゃんも勇気を振り絞ってくれたんだねー。恥ずかしそうに潤む瞳も、頬の赤みも……俺の事を想ってこうなっちゃったんだよね?」


「み、見ないでくださいっ」


「え? 『記録』に残しちゃうけど、駄目?」


『記録』というのは、私のいた世界にあったカメラの代わりの役目を果たす術のこと。

 その場で見たものを、瞬時に『記録』し、自身のもつ魔力空間に保存。

 いつでも好きな時に取り出せて見られるというお役立ち魔術だ。

 勿論、動く映像も『記録』可能らしい。

 ……って、そうじゃない!! 今は目の前でとんでもない事を言った人を抑えないと!!


「絶対に『記録』しないでください!! 今のこの顔が残ったら、恥ずかしくて死んじゃいますよっ」


「大丈夫、俺が仕事中に見るだけだから」


 おんぷまーくでも付きそうなぐらいに爽やかに言われた!

 私が絶対に駄目です! と言い続けても聞く耳もたず……。

 何度でも見たい感動の瞬間だからって、譲ってくれない。

 ……あれ、でも、『記録』する為の術は発動していないような……。

 もしかして、からかわれただけ、かな?


「ユキちゃん、何考えてるのか丸わかりだけど、……ごめんね? 俺の『目』、術式を組み込んでるから、詠唱なしで発動できるし、『記録』も撮り放題なんだよねー」


「――え!?」


「撮りたいって思ったら、即起動。この瞬間もバッチリ撮らせてもらってるよ?」


「な、ななななな、何て事するんですかあああああ!!」


 もう今にも恥ずかしさで死んでしまいそうだ!!

 神様っ、何でこの人は、こんなに意地悪なんですか!!


「そうやって慌てる姿も可愛いねー。ねぇ、俺の事好きっていうの、嘘じゃないよね? 俺の勘違いじゃないよね?」


「も、もうっ、し、知りませんっ!!」


「拗ねた顔も可愛いなー。ほっぺもぷにぷにだし、もっとキスしたくなる」


 どんな顔をしても、サーディスさんには見甲斐のある顔になってしまうらしい。

 人差し指で楽しそうに頬を突かれ、また、ちゅっと音を立てて彼の唇が離れていく。もう……、恥ずかし過ぎて……死んじゃいそう……っ。

 誰か私の部屋に訪ねて来てください、そうすれば、サージェスさんも離れてくれるはず。そう懇願の眼差しを扉の方にこっそりと向けてみるけれど、ノックの音はなし。


「誰かっ……、んんっ!?」


「……はぁ、余所見は駄目でしょ? せっかく両想いになったのに、俺以外を見るなんて悪い子だなー」


 私が視線をサージェスさんから離した隙に、そこだけは避けてキスをしていた彼が、意識を急速に引き戻すかのように熱いキスを唇に与えていた。

 呼吸を奪ったその行為は一瞬の事で、私の目の前には拗ねた表情のサージェスティンさんの顔があった。


「やっぱり、俺といるのは嫌? さっきの言葉も、実は本心じゃない?」


「違います! ただ、どうしていいか、わからない、だけで……」


「そっか……、じゃあ、一回離れようか」


 あっさりと、サージェスさんはほっと息を吐きだして、私の上からどいてくれた。

 寝台の端に座り直し、苦笑しながら私を手招きする。

 その横に並んで座り、ちらりとサージェスさんを見上げると、左手をぎゅっと握られた。あったかな……サージェスさんの大きな手。


「ごめんね、少し怖がらせちゃったかな?」


「い、いえ……あの。サージェスさんの事は……好き、なん、ですけど……、ちょっと、恥ずかしいというか」


「恥ずかしいって、キスのこと?」


「うっ……、は、はい。貴方に触れられると、嬉しいんですけど……、苦しくて、その、……自分が変になりそう、というか……」


「……」


「サージェスさん?」


 直接的に言われると、また頬に熱が集まるのを感じ、私は恥ずかしさのあまり今度こそ顔を覆ってしまった。

 サージェスさんは慣れているんだろうけど、私は完全に初心者です……。

 急に黙り込んだサージェスさんを恐る恐る窺うと、なぜか、片手で顔を覆っていた。指の隙間から、私にもわかるぐらいに……、頬が、赤い?


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――side サージェスティン。


 想いを寄せていた女の子から、同じように俺を好きだと言って貰えた。

 それだけでも嬉しいのに……、そんな風に恥ずかしそうに爆弾発言をされたら……。

 陛下に殺されてもいいから、今この場でもう一回押し倒しては駄目だろうかと男の性(さが)が疼きだす。

 抑えろ、サージェスティン! 仮にも騎士団を束ねる長が好きな子に本能全開って情けないだろう!!

 顔を片手で覆ったまま、俺は自身の中の欲と理性の間で必死に闘い続けていた。

 ユキちゃんは純粋すぎるんだよ……、俺がどれだけ汚れているか嫌になるくらいに自覚させられてしまう。

 簡単に触れていい相手じゃないと、そう思えるぐらいに清らかな女の子だ。

 なのに俺ときたら……、はぁ、いつもの余裕がお留守だよ。


「サージェスさん、大丈夫ですか?」


「あ、……あぁ、大丈夫だよ。うん。ユキちゃんが可愛い事言うから、ちょっとね」


「か、可愛いって……、もう、何言ってるんですかっ」


「うん、多分無意識なんだろうけど、そんな風に恥じらう姿も、俺には煽る効果にしかならないから、ごめんね?」


 この子、男を惑わす小悪魔なんじゃないかなーとか、本気で思いかけるほどに、俺の言動に素直に反応を返してくる彼女が愛しくてたまらない。

 もうね、全身から襲ってくださいと言わんばかりの可愛らしさがねー……。

 俺はもう一度彼女を引き寄せ、腕の中に抱き締めた。

 このぐらいなら、まだ大丈夫、のはず。……多分ね?


「さ、サージェスさんっ」


「俺さ、そろそろガデルフォーンに帰らないといけないから、両想いの記念に、もうちょっとだけ抱き締めさせて」


 手にした幸福が夢ではないように、彼女の温もりは俺の傍にちゃんとある。

 ガデルフォーンに戻れば、また何日かは会いに来れないだろうけど、それまで、耐えられるように、ね?

 彼女も最初は恥ずかしさで離れようとしたものの、その腕が俺の背中に回るのに時間はかからなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――side 幸希。


 サージェスさんの抱擁を受け終わると、彼はゆっくりと名残を惜しむように私から離れた。そして、ふっと微笑んで、優しい口付けを私に落とすと、愛情の込もった一言をくれた。


「好きだよ、ユキちゃん。俺の本気を全部あげる」


「サージェスさん……」


「また、会いに来るからね? 浮気は厳禁だよ?」


 さっと寝台から立ち上がり、外窓へと歩いて行くサージェスさん。

 触れられていた時はあんなにも恥ずかしかったのに、サージェスさんがもう帰ってしまうとわかると、途端に寂しく感じてしまう。


「サージェスさん、お気を付けて」


「ありがとう。……あ、そうだ」


「はい?」


 外窓を開いて、庭に出ようとしたサージェスさんが振り返った。

 口元にはいつもの笑み、そして……。


「俺としては、いつか君を攫っていきたいと思ってるから、その時は……、俺のお嫁さんになってね?」


「――!!」


「うんうん。期待通りの反応ありがとう。じゃあ、またね!」


 ウインクを一つ寄越して、サージェスさんは颯爽と空間の歪みに飛び込んで行ってしまった……。今……、お、お嫁にって……。

 最後の最後まで、どうして私を驚かせるような事ばかり言って行くの、あの人は!! 絨毯の上にふにゃんと力をなくして座り込んでしまった私の頬は、

 さっきよりもさらに、その色を深めていた。

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