幼少時代の想い出~アレク&ルイヴェル編~

「ルイ……、ルイ?」


 子供には少々開けづらい大きな扉の重みを感じながら室内に入った俺は、薄暗いその部屋の中に視線を巡らせた。

 頼まれた探し人の姿がここになければ、探索の足を外に向けなくてはならなくなるのだが……。

 魔術関係の専門書が数多く並んだ本棚の間を歩きながら、俺は静かに奥へと向かう。

 双子の姉を心配させている『魔術馬鹿』の事だから、また知識収集に夢中になって時刻を忘れているのだろう。

 案の定、本棚の奥へと辿り着いた俺は、絨毯に大量の書物を積んで、その傍に座り込む幼馴染の姿を発見した。


「ルイ……」


「……」


 俺が傍に来ている事も、かけた声にも気づかない銀髪の少年の名は、ルイヴェル。

 俺の幼馴染の片割れであり、医術と魔術の名門、フェリデロード家の跡継ぎでもある。

 その生まれに相応しく、魔術や医術に対する関心はとても高い……、の、だが。


「ルイ、セレスが呼んでる……」


「……」


 見ての通り、一度集中し始めると周囲の音や気配さえ自分の意識から遮断してしまうのが困りものだ。

 昼食の時間になっても戻ってこないルイの探索を、ルイの双子の姉であるセレスフィーナから頼まれたのだが、……読んでいる本を奪い取らない限りは、何を言っても無駄だろう。


「ルイ」


 俺はルイの手から魔術書を奪うべく手を伸ばした。しかし……。


「……ルイ」


 流石は自他ともに認める魔術馬鹿だ。

 掴んだ魔術書を奪われないように、ルイの手にあきらかな力が加わっている。

 ちなみに、まだ魔術書に意識を集中している為、俺の事は意識の外に弾き飛ばされているのは間違いない。


「ルイ、……セレスに悪い虫が」


「何だと? どこだ? すぐに排除に向かう」


 ただし、例外として、自分の双子の姉に危機が迫っていると本能的に察知する為、それ関連の話題も有効だ。

 ルイは魔術書から視線を上げ、やっと俺の方を見た。

 深緑の瞳が辺りを見回し、……やがて、不機嫌そうに細められる。


「……騙したな?」


「はぁ……。気付かないルイが悪い」


「キリの良いところまで読みたかったんだ。……で、何の用だ?」


 人に手間をかけさせておいて、それでもルイは調子を崩さずに飄々としている。

 魔術書を閉じ、ゆっくりと起き上がると、自分の腹に手を当てた。

 空腹を知らせる残念な音がぐぅぅ……と、漏れ聞こえる。


「セレスが昼食を食べずに待っている。すぐに戻れ」


「もうそんな時間か……。まだ読みたい本があるんだが……、後回しになりそうだな」


「早く戻らないと、セレスが怒り狂って探しに来るぞ……」


「セレス姉さんはどんな状態でも愛らしいから大丈夫だ」


「何が大丈夫なのか、全く意味がわからないんだが……。はぁ、ルイ……、少しはレゼノス様の言う事を聞いて子供らしくしたらどうだ?」


 レゼノス様、それは、双子の父親であり、ウォルヴァンシア王宮の王宮医師兼魔術師団長、さらに言えば、フェリデロード家の当主たる人の事だ。

 セレスとは違い、魔術に対する興味が強すぎるルイの事を懸念し、いつも注意を繰り返しているのだが、レゼノス様の言う事を全く聞こうとはしないルイは、子供にはまだ早い魔術書にも目を通してしまっている問題児だ。

 学びたいものを学んで何が悪い? というのがルイの主張だが……、レゼノス様は首を振るばかり。

 俺もウォルヴァンシア騎士団に勤める父親に習って剣の稽古を続けているが、基礎や型を学ぶ事の方が多く、実戦はまだまだ先だといわれている。

 けれど、ルイは違う。子供にはまだ早いと注意された魔術所をこっそり読んでは、覚えた事をすぐに試そうとするのだ。

 生まれ持った魔力も、その才にも目を瞠るものがある、と、大人達は言っているが、分不相応すぎる力を行使する事もあり、その度に大なり小なり騒動を起こしている為、色々と面倒事も多い。


「なぁ、アレク。お前も昼食を食べていけよ。それが終わったら、一緒に近くの山に実験に行こう」


「……今度はどんな問題を起こす気なんだ?」


「実験に失敗はつきものだろう? だが、今度は違う。昼の世界に一部分だけ夜の世界を作る魔術の方法を見つけたんだ。面白そうだろ? セレス姉さんと三人で行こう。きっと良い物が見れる」


 誰か、この魔術馬鹿を止めてくれ。

 こんな事を言いながら、毎回思ってもみないような恐ろしい問題ばかりを引き起こす事の方が多いんだ、こいつは。

 父親であるレゼノス様から何度絶海の孤島で荒波に打ち付けられるような説教を落とされても、全然懲りない。

 好奇心の塊のようなルイは、俺とセレスで言い含めても効果がないし、何だかんだ言って、結局最後には付き合わされる。


「ルイ、どうしてそんなに、……早く大人になりたがるような事ばかりに手を出すんだ?」


 知識を深め、興味のある事は隅から隅まで調べ尽くす幼馴染は、ウォルヴァンシア以外の国にも興味を向けている。

 まだ俺達は、人間で言えば七歳程の外見をしているし、大人達から見れば、まだまだ子供なのだ。

 それなのに、魔術という世界に魅せられたが為に、ルイは早く大人になりたいと、よく口にしている。

 大人になる時は、いつか必ずくる。むしろ、子供時代の方があっという間なのに……。

 一人だけ別の世界を見ているかのようなルイを前にしていると、俺の心はほんの少しだけ、寂しくなる。


「大人になれば、外に出ていけるだろう?」


「ルイは、大人になったらウォルヴァンシアからいなくなるのか?」


「あぁ、そのつもりだ。俺は、多くの魔術や知識を覚え、いつか父さんを……、いいや、歴代に存在した魔術師の誰よりも凄い存在になってみせる」


「……何の、為に?」


 魔術や知識は、あくまで何かを成し得る為の手段に過ぎない。

 それを手に入れて、ルイは何がしたいんだろうか……。

 そう尋ねた俺に、ルイは一瞬だけ不思議そうな顔をして、書物に視線を落とした。

 まさか……、ただ魔術や知識を得るのが好きなだけで、目的がないとか言わないだろうな?

 俺がじろりと探る視線を向けると、ルイは書物を一冊だけ手に取った。


「アレク……」


「うん?」


「何故、人は息をすると思う?」


「生きる為だろう?」


「そうだ。それがなくてはどの種族も生きてはいけない。そして、俺にとっては、魔術やそれに関わる知識がそれなんだ」


「……ルイ?」


「人が食事や睡眠を求めるように、俺もまた、魔術を求め続ける。これがなくては生きていけない。必要不可欠な栄養素、それが、魔術だ」


 魔術馬鹿どころか、もう魔術と結婚しろ、このド阿呆。

 ……口には出さずに、俺は内心でルイに対する罵倒の言葉を放った。

 俺とセレス、そしてレゼノス様がどんなに心配しているのか、まったくわかっていない。

 何かを成す為というよりも、自分に必要だから極めるが答えなのか、こいつは。

 思わず手に取った本の角でルイの頭を叩くと、どさりとルイの手から本が落ちた。


「魔術が好きなのは構わない。だが……、少しは周りの気持ちも考えろ」


「俺は、俺のしたい事をする。それに、魔術に対する関心の高さは血筋のせいだ。文句があるなら、俺の先祖に言え」


「先祖のせいにするな。レゼノス様はきちんとされているだろう。お前のお祖父様だってそうだ。周りの事を考えて魔術を扱っている」


「俺だって周りの事を考えて魔術を使っているぞ? 時々、予想外のハプニングが起きる事もあるが」


「時々……?」


 魔術の理論や知識をどれだけ蓄えても、ルイはまだ子供なのだ。

 それを正しく扱う事も、自分の魔力を制御しきれているとも言い難い。

 だからこそ、レゼノス様は心から息子であるルイの事を案じ……、親子バトルを頻繁に繰り返しているのだ。

 過ぎたる知識と好奇心は身を滅ぼす。何度もそう言い含めているレゼノス様が、陰でこっそり胃薬を飲んでいるのを俺は見た事がある。

 娘であるセレスの方は聞き分けもよく、魔術や普通の勉強とも問題なく向き合っているのに……。


「他の勉強もしたらどうだ?」


「そっちも問題なくこなしているから心配するな。魔術理論に比べれば、他愛のないものばかりだからな」


「なら、一か月でいいから、魔術関連から離れろ」


「アレク……、さっき言った言葉を忘れたのか? 俺の人生=魔術だぞ。それを取り上げられたら……、俺は廃人になる」


「今でも十分、魔術廃人一歩手前だ。……とにかく、今日はもう魔術と向き合うな。昼食が終わったら、三人で城下に行こう。普通の子供らしい遊びをするんだ」


 ルイの手を掴み、俺は強引に出口へと向かって歩き出す。

 これ以上ここにいさせてはいけない。早く、陽の光が当たる回廊へと出るんだ。

 そして、昼食を終えたら一刻も早く城下へ……。

 魔術からルイを引き離し、もっと他に興味を抱くべき何かを見つけさせるのだ。

 そうすればルイも、年相応の子供らしさを思い出してくれるはずだ。


「アレク、何故……、自分の好きなものを求めてはいけないんだ?」


「早すぎるからだ」


「何故、子供だから駄目だと決めつけるんだ?」


「駄目だとは言ってない。年齢と見合った魔術とだけ向き合えと、そう、レゼノス様も言っていただろう」


「それはもう飽きた。全部勉強した。覚えた。俺は次を知りたい」


 魔術書を収めた部屋を出た俺は、ルイの手を掴んだまま早足に回廊までやってきた。

 けれど、その途中でルイが強く抗いの意思を見せ、歩みが止まった。

 振り返ると、ルイが俯いて悲しそうにしている姿があって、俺は少しだけ戸惑ってしまう。

 こんなにも辛そうなルイの顔は、滅多に見る事はない。


「俺は、魔術が好きだ……。本を捲るたびに、胸が高鳴る。もっと知りたい、もっと学んで、自分の力にしたい……。そう、思ってるだけだ」


「ルイ……」


「なのに、父さんは使い飽きた子供騙しの魔術で満足しろと言うんだ……。自分は色んな魔術に囲まれているくせに、俺がそれを求めようとすると、すぐに怒るんだ」


「子供には危険だから、だろう?」


「危険なものを使うわけじゃない。俺にだってそのくらいの分別はある。ただ、知りたいんだ。いつかそれを使う日が来るまで、俺の心に眠らせておく。だから」


「眠らせる……、だけで満足しないから、レゼノス様からいつも怒られているんだろう」


「父さんは、俺に対して元々口うるさいんだ。セレス姉さんには甘いのに、俺には説教ばかりでうんざりしている」


 それは自分に説教をされる原因があるからだろう。

 子供らしく、父親の言う事を守り普通に過ごしていれば、レゼノス様だって怒りはしないはずだ。

 ルイが危険な道に行かないように、魔術という強大な存在に、呑みこまれてしまわないように……。

 だというのに、この幼馴染に、反省の色は微塵もないようだ。

 わかってはいた事だが……、そろそろ本気で周りへの迷惑も考えてほしい。

 俺は溜息と共にルイを睨むと、最終奥義をぶつける事にした。


「セレスからの伝言だ。今日一日だけでも魔術の事を忘れないと……」


「……」


「二度と一緒には寝ないそうだ」


「なん……、だと?」


 追加しておこう。ルイは魔術馬鹿の他に、姉馬鹿の称号も得ている。

 同じ時に生まれた片割れを心から大切に想っており、セレスから嫌われる事があったら瞬時に灰と化すだろう。

 ルイはショックを受けた顔で俺の手を握りなおすと、今度は自分が先陣を切って王宮医務室へと走り始めた。

 流石は姉馬鹿だ。あまりの速さで、背後にいる俺がズサササッと引き摺られている事にも気づかずに猛ダッシュ状態だ。



 ――そして、王宮医務室に戻ったルイは、一応はセレスに謝罪し、今日一日だけは魔術を諦めると口にしたものの……。

 翌日からはまた元通りに、魔術馬鹿生活に戻ってしまった。

 姉の力で一時的にやめさせる事は出来ても、なかなか更生の道は難しいようだ……。

 それからもルイは、大人になるまで数々の騒動を巻き起こし、レゼノス様の胃を痛める事になるのだが……。

 さらに恐ろしい事態を招く事を、この時のルイも、俺達も、まだ……、知らずにいたのだった。

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