IFルート・カイン編~幸せな日常と誓い合う未来~

 ※イリューヴェル皇国第三皇子カイン×幸希のIF(恋愛)ルートなお話です。

  両想い後設定です。



 ――side カイン。



 不遇の子供時代、自分は幸せになどなれないのだと、ずっと思い続けていた。

 守ってくれる存在もなく、己の力だけで生き抜かなくてはならなかったあの王宮時代……。

 誰からも必要とされず、存在するだけでも疎まれていた……光の差さない第三皇子として在った頃……。

『幸福』などとは無縁だと思っていた俺は……、この国で唯一つの希望と巡り合った。


「……んっ」


 寝台の中で身動ぎする存在に気づき目を覚ました俺は、その腰を掴んで自分の方に引き寄せ、強く抱き締めた。

 何度抱き締めても足りないと感じてしまうぐらいに心地よい温もり。


「……カイン、……さん?」


 俺が強く抱き締めすぎたのか、ユキが腕の中で目を覚ました。

 寝惚けた眼差しで、小首を傾げ俺を見上げてくる。


「まだ寝てていいぞ? つか、もうちょっと寝ててくれ」


「でも……もう朝ですよ?」


「起きたら離れなきゃなんねぇだろ? 俺はもうちょっとこうしてたいから、大人しく寝てろ」


 ユキを部屋に戻すまでにはまだ時間がある。

 一緒に過ごす事はあっても、こうやって一緒の寝台で抱き合って眠るのは滅多にない事だ。

 その貴重な時間を、俺はまだ味わっていたい……。

 まぁ……、今こうしている事がバレたら、容赦なく制裁を喰らうんだろうけどな。

 レイフィードのおっさんも、ユキの父親も、結婚するまでは手を出すなと毎度口うるさく言ってきやがるし。

 俺自身も、ユキの純粋そうな瞳を見ていると、迂闊に手を出したら天罰喰らうんじゃないかと思っていたりする。

 そんなわけで、昨夜は一緒の寝台で眠りはしたものの、……実質的には手を出していない。


(キスまでの寸止めだもんなぁ……はぁ)


 いくら両想いになっている事を王宮中の奴らが知っているとはいえ、キス以上に進んだ場合……、俺の命は間違いなく矢面に立たされるだろう。


(いっそ二人だけで旅にでも出るか? 遠くまで逃げりゃ、さすがに追ってこ……)


 あぁ、無理だわ。転移術を駆使するどこぞの眼鏡王宮医師がいやがった。

 絶対ユキと俺の気配と魔力反応を追って、すぐに捕獲しにくる可能性が大だ。


(結婚も考えちゃいるが……、もう少し恋人同士の時間ってやつをなぁ)


 恋人時代だからこそ味わえる恋の甘さもある。

 苦労して振り向かせた唯一人の存在……。

 俺はまだ、ユキと両想いになった幸せを噛みしめながら日々を過ごしたいんだ。

 また穏やかな寝息を立て始めたユキを抱き締めながら、俺はその頭を優しく撫でてやる。

 こいつが俺の腕の中で安心して眠ってるなんて……、本当、奇跡だよなぁ。

 最初の出会いは最低最悪だったっつーのに、最後の最後で俺を選んでくれるなんて……。


(番犬野郎に出遅れてた分、色々負けてるって思ってたんだが……)


 ユキは、アイツではなく、……俺を選んでくれた。

 存在自体を疎まれた、いらない第三皇子の俺を……、唯一人の男として見てくれた。

 俺が必要なのだと、一緒にいたいと……、泣きながら言ってくれた女。

 無縁だと感じていた幸せが、俺の許に舞い降りて、優しく包んでくれた……。

 ありえないはずの未来が……、今ここに在る。


(すげー無防備な寝顔……、安心しきった顔で寝ちまって……)


 それはそれで、結構男として微妙な気持ちにはなるが、ユキが俺の腕の中を安息の場所と思ってくれているなら、それもやっぱり幸せのひとつだ。

 擦り寄ってくる体温が心地よい。聞こえてくる寝息に笑みがこぼれる。


「こうやって……、ずっと俺の傍にいろよ? ……ユキ」


 眠るユキの額に口付けると、俺も再び眠りの中へとおちていった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side 幸希 数日後……



「カインさん、ちょっとお願いがあるんですが……」


「ん? そんな改まってどうしたんだよ」


 今日はカインさんの部屋でゆっくりとお話をしながら過ごす事になった午後の事。私は前からずっと前からお願いしたかった事を勇気を出して頼んでみる事にした。

 カインさんはイリューヴェル皇国という竜の種族である皆さんが暮らす国の人だから、勿論竜の姿になる事が出来る。

 その姿を以前にも目にした事はあったけれど、実はまだ、じっくりと見たり触ったりさせて貰った事はない。

 竜という存在なのだから、多分……硬い予感はするけれど、一度で良いからその感触を触ってみたい。


「ミニサイズの竜型にって……なれますか?」


「まぁ、なれるといえば、なれるな。けど、俺の竜型に何の用があるんだよ」


「呆れないで聞いてくださいよ?」


「いや、内容次第で存分に呆れてやるよ」


「……」


 絶対にろくでもない事を私が考えているとばかりに、カインさんがテーブルに片腕を乗せ怪訝そうに私を睨んでくる。

 やっぱり今のはなかった事にした方が良いかなぁ……。

 でも、竜という存在なんて、地球では絶対にお目にかかれないし、恋人であるカインさん相手になら、多少は頼みやすく……は、なかったのだけど。


「えっと……、カインさんやガデルフォーンの方々の竜型は見た事ありますけど、じっくりと落ち着いて触らせて貰った事ってないんですよ」


「おう……、で?」


「だ、だから……、カインさんに竜型になって頂いて、 その~……、さ、触らせてほしいなって」


「……」


 うわ~、カインさんの表情が、「こいつ、何言ってやがんだ」っていう冷めたものになっていくのが良くわかる。

 はい、十分にわかってますよ? 子供っぽいお願いをしてしまった事は!!

 だけど、触りたいものは触りたいわけでして、出来れば撫で撫でしながら観察もしたい。

 

(う~ん、でも、カインさんは嫌そうだし……)


『ユキちゃん、竜に触りたいのかなー?』


「え?」


「あ?」


 もじもじとしながら再度カインさんにお願いしようとしたその時、室内に聞き覚えのある人の声が楽しそうな気配と共に響き渡った。

 椅子に座っている私達の目の前で、天井の表面に青銀色に輝く円形の陣が現れ、その中から人の姿が躍り出て来た。

 ストン……と、絨毯に軽やかに着地した、騎士服を纏う青色の髪をした男性。

 私達へと向けた顔には、前と変わらずニコニコと愛想の良い笑みを浮かんでおり、「遊びに来たよー」と、手をひらひらと振って来た。

 

「さ、サージェス、さんっ」


「おい、人に断りもなく不法侵入よろしく転移してくるとは良い度胸だな?」


「別に不審者じゃないんだし、気にしない気にしない」


「俺が気にするっつーんだよ!! ってか、騎士団の仕事はどうした!!」


 カインさんが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がりグワッと叫んでも、ガデルフォーン皇国の騎士団長さんであるサージェスさんは全然怯む様子もなく朗らかに笑い続ける。


「あはは、いやー、今日はさ、珍しく仕事が早く終わったから、何て言うの? そうそう、暇だから遊びに来ちゃった」


 背景にカラフルで可愛いお花でも咲かせるかのような笑顔でそう言ったサージェスさんの言葉は、カインさんの怒りを煽るには十分なもの。

 ドシドシとサージェスさんへと歩み寄り、その胸倉を掴んで「とっとと帰りやがれ!!」と怒鳴るけど、結果はやっぱり同じ。


「いやぁ、今俺の存在は絶対にこの場に必要だよー? 主にユキちゃんの為というか、ねぇ?」


「は、はい?」


「竜、触りたいんでしょう?」


「えっと……まぁ、はい」


 素直に私が肯定すると、サージェスさんはポン! という軽快な音と共に姿を消した。

 ……正確には、『姿を変えた』と言うべきかもしれない。

 サージェスさんの胸倉を掴んでいたカインさんの前にはもう誰もおらず、その代わりに……。


「ご希望通り、ミニサイズの竜型になってみたんだけど、どうかなー」


「か、……」


「ん?」


「可愛いです!!」


 私の方へとちょこちょこと小さな身体を動かして歩いて来る、青を纏った綺麗なミニ竜ちゃん。

 元がサージェスさんだとわかっていても、そのつぶらなお目々や動作の愛らしさに、私は居ても立っても居られず、席を立ち抱き上げに行った。


「私のいた世界でのお伽噺に出てくる竜とは少し違うんですね……。ほどよく体毛もあるし、予想通り硬いと言えば硬いですけど、しっとりとした手触りのところもあって、……あぁ、クセになりそうっ」


「ゆ、ユキ……」


「アレクさん達のもふもふの感触も良いですけど、竜の感触もまた違った気持ち良さがあって良いですね~!!」


 むぎゅっと思わずミニサイズのサージェス竜さんを私が胸に抱き締めた瞬間、


「どわあああああああああ!! な、何やってんだ!! お前は!!」


「え? あああっ、ミニ竜ちゃんがっ!!」


 何故か再び突然怒り出したカインさんが凄い速さで私からサージェス竜さんを奪い取り、寝台の方に放り投げてしまった。

 あぁ……初めての竜の感触が……!!

 私はすぐさま寝台の方へと走ろうとしたのだけど、カインさんに腕を掴まれて全然前に進めない!

 

「離してください!! もう少し触りたいんです~!!」


「アホか!! お前は!! アレはサージェスの野郎だぞ!!」


「でも、今はミニサイズの竜型です!!」


「どっちでもおんなじだってんだよ!!」


 自分は竜型を見せてくれないくせに、カインさんはサージェス竜さんに触る事を絶対に駄目だと言い張って寝台の方へ行かせてくれない。

 竜を触れる貴重な機会なのに!! カインさんの頑固者!!


「だぁー!! もうわかった!! そんなに竜を触りたきゃ、俺が竜型になってやるよ!!」


「え?」


 さっきまで気乗りしていなかったカインさんが、急に私の腕を離し、先ほどのサージェスさんと同じように、ポン! と軽快な音を立てて……。


「……黒い、竜」


 今度は私の足下に、ミニサイズの漆黒竜がちょこんと座り込んでいた。

 何だか見るからに不機嫌なオーラが漂っているのだけど……これって。


「カインさんですか?」


「他に誰がいるんだよ」


「……」


 恐る恐るミニサイズのカイン竜さんを抱き上げてみる。

 暴れるかな~とちょっとだけ警戒したけれど、カイン竜さんは抵抗も文句も言わずに私の腕の中に収まり、ふぅと鼻から息を吐き出した。

 全体的に……、黒。サージェス竜さんのように青い色合いではなく、本当に全員真っ黒。

 夜闇に紛れ込まれてしまったら、きっと誰も気づけない。

 

「カインさんには体毛はないんですねぇ……」


「魔竜と俺のとこは違うんだよ。ってか、くすぐってぇ」


「あぁ、すみません。でも、触り心地はやっぱり硬いんですね。……あ、この辺が結構すべすべしてる」


「……」


 椅子へと座り、カインさんを胸に抱き抱えて頭をよしよしと撫でていると、寝台から復活してきたサージェス竜さんが、ひょいっとテーブルの上に乗って、私達の様子を眺めはじめた。


「良かったねー、皇子君。そんなオイシイポジションに居座れて」


「うるせぇ……。んっ、……ユキ、お前、ちょっと撫ですぎだ。ってこら!! 何で顎を、うぐっ、俺は猫じゃねぇぞ!!」


「とか言いながら、ユキちゃんに触って貰えて幸せそうだけど?」


「う~ん、お腹の触り心地は……っと」


「はっ!? うわあああっ」


 今度はカイン竜さんを仰向けに膝へと固定し、私はお腹の柔らかい部分を撫でてみた。

 この辺はあんまり硬くないんだなぁ……。あ、ぷにぷにしてる。新発見。

 けれど、そこまでやって、はっと気づいた……。

 されるあがままになっていたカイン竜さんが、その真紅の瞳に怒りを滾らせて、涙目になって私を見上げている!!


「えっと、もしかして、どこか痛い触り方しましたか?」


「な、何でもねぇよ……」


 カイン竜さん……、なんか、頬が熟れた林檎みたいに真っ赤になってるんですが……。

 くいっと顔を横にそらし、好きにしろよと身を投げ出すカイン竜さん……。

 

(何だろう……、この罪悪感っ)


 一旦お腹を撫でるのを止め、私はカイン竜さんを腕に抱き抱えた。

 

「どうですか? この態勢なら楽でしょうか?」


「……あぁ」


 良かった。少しだけ表情が楽になっているみたい。

 私はカイン竜さんの頭を撫でながら、今度は静かにその感触を楽しみ始めた。

 気持ち良さそうにカイン竜さんが目を細め、今にも眠りそうな心地になっている様子が見てとれた。

 

「皇子君てば、何だかんだ渋ってたわりに、メロメロだねー」


 カインさんの様子を眺めていると、サージェス竜さんがお皿に盛ってある丸形のクッキーを両手で掴み、サクサクと咀嚼し始める。


「これ美味しいねー」


「チルフェートとクレフシュの実を混ぜて作ったんです。お口にあったようで何よりです」


 カインさんと午後の約束をした朝、私は厨房の一角を借りてお茶の時間に二人で食べるお菓子類を作ってあったのだ。

 料理長さんが作ってくれるお菓子も勿論美味しいけれど、……やっぱり、好きな人には自分が作った物を食べて貰いたいという乙女心もある。

 凄く絶賛してくれるわけでないけれど、カインさんは嬉しそうに表情を和ませて「美味い」って言ってくれていたから、私としてはとても嬉しい。


「カインさん、クッキー食べますか?」


「……ん」


 ひとつ指で抓んだ私は、寝そうになっているカイン竜さんの口許にそれを運び、どうぞと差し出した。

 鋭い牙がある口がパカッと開き、赤くて長い舌が前へと出されたので、その上にクッキーを添えると、あっという間に口の中に戻り、サクサクと小気味良い音がきこえはじめる。


「……美味い」


「ふふ、有難うございます。――ん?」

 

 クッキーを食べてご満悦のカイン竜さんが私の腕の中で寝息を立て始めた頃、ふと、彼の部屋から外のテラスへと続く場所から、物音が聞こえた。

 テラス窓の開いた部分から身を滑り込ませ、ピョンピョンとやって来たのは……。


「ニュイ~、ニュイ~……、ニュィイイイイ!?」


 私の足下で立ち止まった薄桃色の動物こと、私のお友達であるファニルちゃんが、何故かこちらを見上げながら大きな丸いお目々をパチパチとさせた後に、大きな鳴き声を上げた。


「ど、どうしたの? ファニルちゃん」


「ニュイ!! ニュイニュイ!!」


 ファニルちゃんは小さなお手々で、私の胸元で眠るカイン竜さんを指し示すと、ダンダン!! とその場で飛び跳ねる。

 これは……、多分怒っているのだと思うのだけど。何故?

 餌はちゃんとあげているし、外にもお散歩に行かせた。

 でも、ファニルちゃんは……、カイン竜さんを見て何かを怒っている。


「落ち付きなよ、ファニル。嫉妬は見苦しいよー」


 バサッと翼を広げ、怒っているファニルちゃんのふさふさの頭の上に乗ったサージェス竜さんが、宥めるように声をかけてくれた。


「匂いでわからないのかい? あれは皇子君だよ」


「ニュイっ?」


「カインさんは竜の種族出身だから、こうやって竜の姿になれるんだよ。ほら、アレクさんも狼の姿に変身するでしょ?」


「ニュイ~、ニュイ!!」


 どうやら事情を呑み込んでくれたらしい。

 ファニルちゃんは怒る事をやめ、眠るカイン竜さんの様子をピョンピョンと跳ねて近くで見たいと言っているかのようだ。

 その度に、頭の上にいるサージェス竜さんが「揺れるねー」と暢気に呟きながら笑っている。


「と、そうだ。ちょっと気になったんだけど、ユキちゃん質問いいかな?」


「はい、私に答えられる範囲でなら」


「ユキちゃんてさー、皇子君と恋人同士なんだよね?」


「はい。一応……」


 迷いに迷って、色んな問題を経験してきたけれど、私が最後に一緒にいたいと強く想ったのは、カインさんだった。

 最初の出会いこそ最悪で、二度と顔も見たくないと思った人と、気が付けば……こんなにも近くに在りたいと願う存在になっていたのだから……。

 私は眠るカインさんの背中を撫でながら、本当に幸せだな……と心からそう思える。


「まさか皇子君とユキちゃんがくっつくなんてねぇ……。俺としては、アレク君の方かなと思ったんだけど、その子と一緒にいる道を選んで後悔はない?」


「後悔、ですか……」


 カインさんへの想いを自覚し、ずっと一緒にいたいという想いを伝えた事に関しては、後悔は微塵もない。

 でも……、私が選んだ答えは、同時にアレクさんの想いを拒絶し、お断りをするという結果を招き、そして……。


(あの時のアレクさんは、私の為に笑顔でいてくれたけど……)


 きっと心の中は、酷く傷ついていたに違いない。

 この異世界エリュセードに帰還し、常に傍にいてくれた……私にとって大切な人。後悔があるとすれば、きっと……、あの心優しい人を私自身が傷付けてしまった事だろう。


「ありますよ……。だけど、それをずっと引き摺ってしまうという事は、カインさんにも……、アレクさんにも失礼な事ですから」


 だから私は、アレクさんが願ってくれたように、カインさんと一緒に幸せになる為の努力をしていく。

 私自身が掴んだ道を、これからずっと……。


「おやおや、皇子君もアレク君も、幸せ者だねー。で? その愛する皇子君とは、最近どうなのかな?」


「どう、と言いますと?」


「あれー、ユキちゃん。それ、天然? まぁ、そうなんだろうけど。俺が聞きたいのは、ユキちゃんと皇子君がキス以上はいってるのかなーと、ね?」


「え……」


「君達、付き合い始めて結構経つよね?」


 可愛らしく小首を傾げて聞かれましても!!

 き、キス以上って……、それは、いつかはあるかもしれないけれど……、基本的にレイフィード叔父さんとお父さんから、結婚するまで一線を越えるべからず! って、釘を刺されているんだもの。

 その事をサージェス竜さんに話して聞かせると、「えー」と、何故か不服そうな声が返ってきてしまった。


「好きな子と一緒にいて、キスまでって……、皇子君結婚する頃には干からびちゃうんじゃない? っていうか、何で早く結婚しないの?」


「そ、それは、まだ、恋人同士になってから結構経ったといっても、いざ結婚となると……、カインさんの事情もありますし」


「ふむ、つまり……。皇子君とユキちゃんとしては、まだラブラブな恋人生活を送っていたいわけだ」


「言い方はなんかあれですけど、まぁ……、そういう感じでしょうか。お互いにまだ手探りの恋人同士の仲というか、急に結婚ていうのは考えられなくて」


 私もカインさんも、ある意味お互い恋愛初心者のようなもので、一緒にいられるだけで幸せ。

 だから、こうやって穏やかな時間を過ごせる瞬間も、毎日顔を見て挨拶して笑い合える事も、全部新鮮で……、心の中がほんのりと温かくなれる。

 結婚すれば、また違うドキドキや私の知らない世界があるのだろうけれど、それはやっぱりまだ……先、かな。


「うん、二人が幸せなら俺は祝福するよ。だけど……はは、果たしてこの思春期真っ只中みたいな皇子君がいつまでもつ事やら、ってね」


「はい?」


「いーや、何でもないよ。さて、皇子君、なんか気持ち良さそうに眠っちゃってるし、寝台で寝かせてあげたら?」


「あぁ、そうですね」


「で、寝かせ終わったら、一緒に城下町にでも遊びに行こう」


「駄目ですよ。カインさんが目を覚ました時に誰もいなかったら、きっとすごぉ~く怒り心頭で追いかけて来ますから」


 カイン竜さんを寝台の運び、毛布をかけて寝かせてあげた私は、彼の傍にいる事を告げた。

 今日の午後はカインさんと二人で過ごすと約束をしていたし、もし私が同じ立場で目が覚めた時に誰もいなかったら、少しだけ寂しいから。


「それは残念だね。じゃあ、ファニル、俺達はウォルヴァンシアの騎士団の皆と遊びに行こうか」


「ニュイっ」


 ポン! と、瞬時に人の姿へと戻ったサージェスさんが、ファニルちゃんを抱き上げて扉に向かう。

 けれど、出ようとした時、ふと、足を止めて私達の方を振り返って来た。


「でもまぁ、実際のところ、皇子君が干からびそうになっちゃったら、多少の暴走は許してあげた方が幸せになれるかもね」


「さ、サージェスさんてばっ」


「はは、じゃあねー」


 閉じた扉の向こうから、まだサージェスさんの笑い声が聞こえてくる。

 もう、心配しなくても、私とカインさんはちゃんと仲良く出来ているのだから、そんな不必要な心配なんてする必要ないのに……。

 ぽっと熱をもった頬を両手で包みながら、もう一度私は寝台へと視線を向けた。

 竜型になっているカイン竜さんが、スヤスヤと何か良い夢でも見ているかのように穏やかな表情をしている。


「カインさん、起きたらまた、私とお話をしてくださいね」


 眠るカイン竜さんの鼻の頭のあたりに口づけた私は、寝台に頬杖を着いて彼の穏やかな眠りを見守る事にしたのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side カイン


「ふあぁぁぁ……」


 なんか、すげぇ良い夢を見た気がする……。

 起き抜けの自分の瞼を擦ろうとした俺は、まだ竜型のままだった事に気付き、即座に元の姿へと戻った。

 竜から人へ、重さの変わった俺の身体のせいで、寝台がぎしりと軋んだ。

 いつのまに寝台まで……。


「ってか、ユキは!? サージェスの野郎もいねぇ!!」


 まさか、寝こけた俺を放置して、どっかに遊びにでも行ったんじゃねぇだろうなぁっ。

 あのニコニコ野郎の事だ。俺が寝てるのを良い事に、ユキを連れ出して行ったに違いない。

 慌てて後を追うべく寝台に右手を着いて飛び出そうとしたが、その時、俺のすぐ傍から誰かの寝息が聞こえてきた。

 ……。


「何でユキがそこで寝てるんだ?」


 寝台に両手乗せて、今にも横へと倒れそうな危うい状態でユキは眠っている。

 おいおい、そこで寝てると風邪引いちまうだろうがっ。

 

「ユキ!! 起きろ!!」


「ん……、カイン……、さん」


 むにゃむにゃと、何でかわかんねぇが、俺の名を嬉しそうに呼びながら微笑んだユキの寝顔に、じっと視線を注ぐ。

 無防備にしやがって……、この天然凶悪小悪魔め。

 抗い難い誘惑をどうにか耐え、俺はユキを寝台の中に引き入れた。

 多分……、竜型になってた時に、ユキの腕の中で眠くなりかけてたからなぁ。

 途中で俺が眠っちまって、そんでこいつが運んでくれたって事だろう。


「それに、俺の事を呼んだって事は、……つまり」


 今ユキの夢の中には、俺が傍にいるって事で……。

 あぁ、ヤバイ。顔が自然ににやけるっ。


「しかし、どうすっかなぁ……。そろそろ夕暮れが近いな……。ユキとの貴重な時間が惰眠で終わっちまいそうだ」


 まぁ、会おうと思えばいつでも会えるんだが、何だか勿体ない気がする。

 せっかくユキと二人きりなんだぞ? ここはひとつ……。

 ユキの顔に自分の顔を近づけ、誰も見ていない事を確認し、穏やかなその寝顔に口付けてみた。

 柔らかな感触が俺のと重なり、ユキの吐息に擽られる。

 

「……くそ、何でこんなに可愛いんだよ。こいつは」


 出来る事なら抱き締めてこのまま一緒に眠りたい。

 だがしかし、つい最近やったから、今日は別の事をするべきだ。

 残りの僅かな時間、俺とユキが過ごした記念になりそうな何か……。


「お……、そういや」


 ある事を思い出した俺は、寝台からマッハで本棚へと走り薄い冊子をひとつ取り出した。

 ペラペラペラペラ……、あった!!

 ここなら、竜型になればすぐに行けるし、就寝時間までには何とか帰って……。


(夕食どう誤魔化すんだよ、俺!!)


 あの親族溺愛モードを憚らないレイフィードのおっさんの事だ。

 ユキが夕食の席にいなかったら、絶対に探しに出る!! ユキの父親も同じくだ!!

 どうすっかなぁ……。俺としては、……はっ!!

 俺は希望のように輝ける名案を思い付き、ユキが目覚めないうちにある場所へと走った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side 幸希


「おい、起きろ。ユーキー」


「ん……、ふぁ」


 身体を誰かの手が揺さぶっている事に気付き、ゆっくりと目を覚ました私は間近に迫っているカインさんのアップを見たせいで、瞬時に覚醒した。


「か、カインさんっ!?」


「よし、起きたな。ほら、行くぞ」


「え?」


「早く行かねぇと就寝時間までに戻って来れねぇからな」


 戻る? 就寝時間? 私を抱き起したカインさんが、何故か大きなバスケットを押し付けてくる。

 何だろう、とっても美味しそうな匂いがするのだけど。

 その事について尋ねる前に、カインさんが何かを放り投げてきた。


「きゃっ」


「それ、ちゃんと羽織っとけよ。すげぇ風切るからな」


 またまた不思議なやりとりが!!

 カインさんは、私へと分厚いマントのような物を寄越して、それをしっかり羽織るようにと言い含めてくる。

 黒い……、外套(マント)。あれ? そういえば、カインさんも同じ物を着ている。まさに、これからどこかに行きますので、旅支度をお願いします、みたいな恰好。

 そして、私の腕の中にはバスケットがひとつ……。


「お出掛け……するんですか?」


「あぁ。良い所に連れてってやるよ」


 マントを着込み、用意が出来た私に頷くと、カインさんはテラスへと続く窓を開けた。

 そろそろ陽も暮れかけている時間帯になっていたらしく、夜の世界はもうすぐそこまで迫っている。

 テラスの白い階段の辺りに立ち、カインさんが空に向かって右手を翳し、小さく詠唱を唱えた。

 すると、夕陽の色で染め上げられた上空に、銀色の陣が描き出され、それをさらに縁取るように漆黒の光が走っていく。

 

「カインさん、あれは……」


「遠出するには足が必要だしな。馬じゃちょっと時間がかかりすぎるし……。『アイツ』を呼んだんだよ」


「アイツ?」


 疑問と共に空を見上げていると、陣が一度強い閃光を放った直後、瞼を開けた私が視界に映したものは……、漆黒の大きな……、竜。

 淀みなく美しい宝玉のような青を抱く双眸のその竜は、カインさんと契約を交わしている竜で、『ディジェス』さんというお名前だ。

 普段は遠く離れた地で穏やかに暮らしているディジェスさんは、カインさんが呼べばどこからでも駆け付けてくれる忠義心溢れる良い竜の方でもある。


「よし、ユキ。ちゃんと掴まってろよ」


「え、きゃあっ」


 バスケットを持った私を一瞬でその腕に抱え上げ、カインさんが地を蹴りディジェスさんの許へと飛んでいく。

 小さな玩具のようにテラスが遠く視界に映り込む。

 ディジェスさんの硬く逞しい躰の中央に降り立つと、背中の一部が光り、二人で座る事が出来る鞍が出現した。

 促されるまま後ろの席に腰を下ろすと、カインさんも前の席へと座り手綱を掴む。


「よぉ、ディジェス。久しぶりだな」


『主は気まぐれだからな……。忘れた頃に我を呼ぶのには、もう慣れた』


 ぐるりと大きな竜の頭部をこちらへと向けた黒竜ディジェスさんが、どことなく不機嫌な様子でカインさんを見ている。

 契約によって成り立つ主従の関係。でもこの二人の場合、気楽な友人関係というイメージがあるのだけど、ディジェスさん……、最近呼んで貰えなかったのを寂しく思っていたんですね。

 

「わ、悪かったって!! 俺も色々忙しかったんだよ。でも、お前だって、家族と一緒に居る時間も大事だろうし、頻繁に呼ぶのもなぁ」


『むしろ……、嫁が頻繁に主の許に召喚されているのでな。最近はむしろ暇だ。だからいつでも呼んでくれて構わない……』


「「……」」


 何だろう。ディジェスさんのこの哀愁の深さは……!!

 私もカインさんも、二人揃って聞いてはいけない切ないディジェスさん家のご家庭事情を聞いてしまった気がする。

 

「ディ、ディジェスさん、元気……、出してください。これからどこに行くのかわかりませんけど、三人で一緒に仲良く行きましょう、ね?」


『嫁御殿……、貴方は相変わらず優しい方だな。人型であれば、今すぐに抱き締めて感謝の抱擁を捧げたいところだが』


「やったら問答無用でぶっ飛ばすからな……」


『ふっ、冗談だ。主の方も、相変わらず嫁御殿に御執心のようで何よりだ。私としては、早く二人の子供の顔が見たいのだがな?』


 喉奥で楽しそうに笑ったディジェスさんに、私とカインさんの頬がぽっと赤くなる。こ、子供って……、そんな気の早いっ。

 私とカインさんは、恋人同士になってそれなりの時間を重ねてはいるけれど、まだキス以上の事はした事がない。

 たまにカインさんが暴走しかけて大変な目に遭いそうになる事もあるけれど、基本的には私が怖がるような事はせずに、穏やかな関係を与えてくれている。

 私にとっては、カインさんと一緒に居られるだけで、とても幸せに思えるのだけど……。

 やっぱり、男の人であるカインさんには、無理を強いているのだろうかと思う時がある。


「あのなぁ、俺はこの国のツートップから、結婚までは手出し厳禁って言われてんだよ。……こっちを煽るような事、平気で言うなよな」


 ボソッと小声で呟いたカインさんの言葉が、……聞こえてしまった。

 カインさんの耳の裏が……、物凄く真っ赤。一度私を振り向いて移動についての注意をしてきた時の真紅の眼差しも、どこか……熱っぽくて。

 だけど、私はそれに気付かないふりをして、移動を開始し始めたディジェスさんの上で、カインさんのお腹に手を回してしがみついた。

 バスケットは私の膝の上にあるけれど、落ちないようにカインさんが細工をしてくれている。


「ふぅ……、少し時間がかかるが、その分良い物が見れるからな。ユキ、楽しみにしとけよ」


「は、はいっ」


 風を感じながら空を飛翔し駆けていく竜の背に座っているというのは、怖い部分もあれど、やっぱり疾走感があって気持ちが良い。

 カインさんも口許に笑みを浮かべ、嬉しそうに手綱を握って私に話しかけているし。


「ディジェス、もっとスピード上げてもいいぞ!! 目的地まで思う存分ぶっち切れ!!」


「……え」


『承知』


 瞬間、急加速したディジェスさんの竜体が、予想外の体勢をとった。

 ぐるりと横に一回転したかと思うと、そのままグーン!! と、物凄い勢いで空を突き進んでいく!!

 ちょ、ちょっと待って!! ま、回るなんて聞いてないし、あ、またぐるんぐるんって大回転し始めた~!!

 

「はははははっ!! 久しぶりのせいか、マジで面白ぇな!!」


「ちょっ、か、カインさっ、うっ」


 どんな体勢になろうが、カインさんは面白い面白いと口にして、もっとやれ~とディジェスさんを煽っている。

 それとは正反対に、回転するなんて聞いていなかった私は、目がぐるぐると回っていく。

 まるで、あの時と一緒だ。

 黒馬に私を乗せて、片手で手綱を操りながら爆走した時に、何度言っても穏やかに走ってくれなかった、あの二人きりでのお出掛けの時と同じ!!

 しかも今度は、グレードアップされた仕様での、……うぅっ、い、意識が……!!


「カインさんっ、す、スピード!! じゃなくて、いや、それもなんですけど、か、回転は……も、もうっ」


「お? お前も楽しいか!? ディジェス、ユキが気に入ったみたいだぞ!! 遠慮なくお前の回転技を見せてやれよ!!」


『承知』


 承知……じゃない!!

 私は完璧にディジェスさんの大回転とスピードで酔っているというのに、カインさんは全然それに気付かず、二人で勝手に盛り上がってさらなる荒業を重ねようとする。人の話を……き、聞いて……うぅっ。


 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side 幸希


『主よ……、嫁御殿はまだ目覚めぬようだが……』


「ちっとやりすぎたか……。慣れるとすげぇ面白いんだが……おい、ユキ!! ユーキィ!!」


 何だろう……、頬をぺちぺちと軽く叩かれる感触と、カインさんの声がする……。

 無と闇だけに支配されていた意識が、一気に引き戻されていく。

 瞼を開き、ブレる焦点を定めようと眉を顰めた私は、頬に添えられた温かい感触に手を添える。


「カイン……さん?」


「悪かったな……。調子に乗って飛ばし過ぎた」


「……ここは」


 視線の先には、ほっとしたように表情を和ませているカインさんの顔がある……。

 そして、頭の裏には少しだけ硬い感触……、これは、膝?

 自分がカインさんに膝枕をされているのだという事に気付いた瞬間、慌てて飛び起きようとして……、ふらりと目眩に襲われ、元の状態に収まってしまう。


「まだ無理すんな……」


「すみません……。……あの、カインさん、ここは?」


「ゼクレシアウォードの観光地のひとつだな。精霊星の丘って言って、……お、来た来た」


 カインさんが一度私から視線を外し、その右手を前に差出すと……。


「……ほた……る?」


 ポゥ……と、淡く丸い光がカインさんの指先に舞い降りる様を目にした私は、それが蛍とは違う事を徐々に理解し始めた。

 カインさんの指先で休んでいるそれは、小さいけれど、とても綺麗な星屑を纏うかのような羽根を背から生やしている……妖精のような存在に見える。

 ふわりと浮きあがり、今度は私の方へと……。


『コンバンハ、オジョウサン……』


「こ、こんばんは……。あの、貴方は?」


 私の目の前で止まった妖精さんは、とても小さな姿をしていたけれど、金の髪をクルクルと縦に巻いたお嬢様風の可愛らしい顔で、私にニッコリと微笑んでいる。

 

「そいつは、この精霊星の丘に集まってくる精霊達の一人だな。周り、もっといっぱい飛び回ってるぜ」


「え……」


 ゆっくりと、カインさんが指さした方を見てみると、淡く発光しながら闇に包まれた世界を彩るように飛び回る沢山の精霊達の姿があった。

 一色だけじゃない、目に優しい仄かな色合いは水色や桃色、黄色……。

 本当に、様々な色の光が優しく溶け合うように幻想的な景色を映し出している。


「前に本で読んだんだよ。ゼクレシアウォードの精霊星の丘は、……夜のデートには最適だって、な。それを丁度思い出して、お前を連れて来たってわけだ。あ、レイフィードのおっさんと、お前の親父さんの事は心配すんなよ。夕食はこっちのバスケットに入ってるし、就寝時間までには戻るって約束したからな」


 ゆっくりと身を起こし、大きな木の下で座り直した私は、カインさんから来るときに持って来たバスケットを手渡される。

 

「……レイフィード叔父さんとお父さんが、よく許してくれましたね」


 二人とも、私の夜の外出については結構厳しい所があるから、そう簡単には頷かないと思っていたのだけど……。

 立ち上がり、目の前にレジャーシートを敷き始めたカインさんを眺めていた私は、手元のバスケットの中身にハッとし、なるほど……と、納得した。

 多分、私が眠っている間に、お母さんに味方になってくれるように頼んでくれたんだ。

 お父さんはお母さんに弱いし、レイフィード叔父さんもお父さんが許可すれば同意しないわけにはいかない。

 私をここに連れて来る為に……、頑張ってくれたんだ、カインさん。

 心地よい風に揺れる花々の丘……、精霊達の光が踊る幻想の世界……。


「ユキ、用意出来たぞ~。こっちに座れ」


「あ、はいっ」


 その場を立ち上がろうとすると、ふと、後ろから視線を感じ、そちらを振り返った。

 大樹の背後に、大きな身体を丸め、静かに私とカインさんを見つめながら瞳を和ませていたのは、黒竜のディジェスさんだ。

 

「ディジェスさん、そちらにいらしたんですね」


『……うむ。嫁御殿が無事目覚められて良かった。すまない。主にのせられ、少々やりすぎてしまったのだが……、気分の方は大事ないか?』


「はい。お蔭様でもう大丈夫です。あ、でも、次からは……」


『わかっている……。主に何を言われようと、次からは嫁御殿の命を優先しよう』


「ふふ、……ありがとうございます」


 上空での全速飛行と大回転は確かに怖かったし目も回ったけれど、申し訳なさそうに謝ってくれるディジェスさんの気遣いに笑顔を返し、私は今度こそカインさんの待つ場所へと足を運んだ。

 バスケットの中身を取り出し、一緒に入っていた紙皿の上に豊富な具沢山のサンドウィッチを並べていく。

 お母さんてば……、さすがだなぁ。男の子はいっぱい食べるってわかっていたからか、お肉が入ったサンドウィッチを沢山用意してある。

 

「ついでに、ほらよ。水筒にスープも用意してくれたぜ」


「あ、本当ですね。……あったかい」


 私がレジャーシートの上で、受け取ったスープ入りの水筒を抱き締めていると、カインさんがぴったりと私の隣に寄り添うように腰を下ろし、サンドウィッチを口の中で咀嚼する。

 

「お母さんには感謝ですね。ん……美味しい」


「そうだな。……ってか、やっぱバレてたか」


「ふふ、勿論です。それに……中にお母さんからのメモが入ってましたし」


「何て書いてあったんだ?」


「『カイン君と仲良く遊んで来なさい』だそうです。あ、底の方にまだもう一枚……、カインさんにって書いてあります」


 食後のデザートだけが残ったバスケットの中をもう一度覗いてみると、もう一枚、カインさん宛のメモが見つかった。

 四角く折りたたんであるそれをカインさんに渡すと、それを開いた彼の表情が一瞬ぴきりと固まった。

 ……どうしたんだろう? 頬が徐々に赤く染まり、私の方を意味ありげに見てきたと思ったら、またメモに視線を落とす。


「お前の母親って……、父親と違って結構すげぇよな」


「はい?」


「いや、何でもねぇ……。まぁ、今日はお言葉に甘えさせて貰うとするか……。ユキ、ちょっと口開けろ」


「え?」


 ジャムとクリームを挟んだサンドウィッチを手に取ったカインさんが、それを一口サイズに千切って、私の唇にちょんと触れさせ、口を開けるように要求してくる。

 えっと……、と、こ、これは……まさか。


「カインさん、自分で食べられます……、よ?」


「いいから。あ・け・ろ」


「うぅっ……は、はい」


 差し出されたサンドウィッチをどうされるのか予感し、それはちょっと恥ずかしいからというニュアンスを込めて一度は断ったものの、結局私の口はカインさんの要求に従う事になってしまう。

 小さく口を開けると、サンドウィッチの欠片が放り込まれ、私はそれをもぐもぐと気恥ずかしい表情をしながら咀嚼する。

 美味しいけど……、された事が恥ずかしくて……素直に味わえない。

 カインさんの方は満足そうに微笑むと、またそれを一口サイズに千切って次の待機に入っている。

 

「か、カインさん、も、もういいですからっ。自分で食べられ、んぐっ」


「全部食べ終わったら、次は俺の番な」


「ふぁ、ふぁい!?」


 甘酸っぱいジャムの味とクリームを口内でまた味わう羽目になった私を、カインさんは追撃の爆弾を落とすかのように、物凄く爽やかな笑顔で言葉を口にした。

 次はって……、後ろを振り向き、ディジェスさんに助けを求めるように口をパクパクとさせると、大きな漆黒の竜さんは、目をついっと別方向に逸らしてしまう。

 あれは、諦めろと暗に告げているのだろうか。うぅ……。


「せっかく誰の邪魔も入らない場所で二人っきりなんだからな。ほら、ユキ。次は俺に食べさせてくれよ。な?」


 口の端に付いていたクリームを、カインさんの親指の腹で拭われ、誘うような色香を醸し出されながらお願いされた私は、どきりと鼓動を震わせた。

 どうしてそこで、熱を込めた眼差しで要求してくるのだか……。

 大好きな人からのお願いは……、退けるには甘すぎて……。


「カインさんの甘えん坊さん……」


「俺が甘えられるのは、お前だけだからな……。だけど、お前の愛情や優しさは、いつも惜しみなく沢山の奴らに注がれてるし、こうやって二人きりにでもならなきゃ、俺が独占できねぇだろ?」


「でも……、一番特別なのは……貴方、なんですよ?」


「本当か?」


「何でそこで疑うんですか……」


「……夢だと、思いそうになるからだろうな。お前が今、俺の傍にいる事……、今を、未来を一緒に歩いてくれる幸せを、目が覚めれば、全てなかった事になっちまうような不安が、いつもここに在る」


 カインさんは自分の心臓の辺りを、親指の先で小突くと苦笑を漏らす。

 その真紅の瞳が、微かに切なく……、寂しそうな気配を揺らめかせた。


「カインさん……」


「何度も……確認したくなる時があるんだよ。お前が俺の事を好きだって、……そう言わせたくて、不安の塊になる」


「不安に思う事なんて、何もないのに……」


「お前も知ってるだろ? 俺がどういう人生を過ごして来たか……。馬鹿みたいな事ばっかやって、お前に出会うまで、夢を見る事さえしなかった。誰にも愛されない……、必要とされない……、存在を……認められない……。そんな俺が……、お前みたいな希望の光と出会えたんだ……。それだけでも幸運だってのに、……お前は俺の想いを受け止めてくれただろう?」


 カインさんが、私の長く柔らかな蒼い髪を指先に絡め、それに口付けを落とす。

 その仕草と、見つめてくる真紅の瞳が……私の心ごと抱き締めるように熱を強めていく……。


「あの時は、夢か何かの間違いじゃないかって……本気で不安になった。だけど、お前は俺だけを見つめて……、好きだって伝えてくれただろ?しつこいくらいに、同じ言葉を求めた俺に……、呆れずに何度も。お前は俺にとっての唯ひとつの光であり、……二度と手離せない大切な奴なんだ」


 それは私にとっても同じ……。

 出会った瞬間は、最低最悪の関係性を刻んだけれど、私はこの人と重ねた時の中で、初めての恋を手に入れた。

 物言いや性格に乱暴な面もある人だけど、その中に垣間見える不器用な優しさに触れながら、私はこの人を好きになっていった……。

 嘘じゃない。心変わりもありはしない……。私が今好きだと、愛していると自信を持って言えるのは……。


「けどな、俺は今までの人生がどうしようもなさ過ぎたし、いつかお前に愛想を尽かされて、他の奴に奪われちまうんじゃないかって不安になる時があるんだ。そのせいで、今みたいにお前の気持ちを確認するような事も言っちまうし、夢じゃないんだって、確かめたくもなる……。面倒な男だよな、俺は……って、ユキ?」


 気が付くと、私はカインさんの頬を両手のひらで包み、ぺちりと軽く叩いた。

 不思議そうに、真紅の瞳が私に意味を求めてくる。


「何度でも聞いてください……。その度に、……貴方の心に届くように、この想いを伝えますから」


「ユキ……」


「私がカインさんの事を想う時間は、貴方が私の事を想い続けてくれた時間には及ばないけれど、沢山待たせてしまった分、いっぱい……、伝えたいんです。貴方の事を好きだって、私の傍から……、離れないでほしい、って」


 カインさんは、その魔性ともいえるほどの美貌の為か、沢山の人の目を惹きやすい。

 特に女の子達……。彼と歩いていると、必ずその視線を意識せずにはいられないし、私だって、色々と不安に思う事はあるから。

 だけど、大丈夫……。私達の心はどんなに不安を抱えていても、こうやって……見つめ合えば、互いの存在がその心に在る事を実感できる。


「大好きです……。カインさん」


 にっこりと微笑めば、返って来たのは、少し泣きそうだけど、嬉しそうな優しい表情。

 

「伝わってくる……。お前の……、俺に対する確かな想いが。はぁ……、俺、本当幸せすぎるな……。これ、夢とか言われたら、絶対へこむぞ」


「ほっぺた、抓りましょうか?」


「いや……、抓るよりも、……」


 ふっと小さな笑いを零したカインさんが、私の肩に両手を添えて近付いてくる……。

 お互いの温もりが、一度軽く触れたかと思うと、その心の中に在る私への愛情を伝えようとするかのように、唇同士が深く重なり合う。


「……こうやって、触れ合えるから、夢じゃないって実感できる」


「か、カインさん……、あの、ディジェスさんや精霊さん達が見て、……んっ」


 背後の大樹の根元には、黒竜のディジェスさんがいる。

 それに、周りには精霊さん達も飛び回っているわけで……。

 

「夢じゃないって、確かめさせてくれるんだろ?」


「で、でも……み、皆が……」


「気にすんな……。それに、今夜はお前の母親からある程度までは許可が出てるし、王宮に帰ったら、次はいつこうやって触れ合えるかわかんねぇし……補充が必要だろ?」


「お、お母さんがっ!?」


 一度唇を離すと、カインさんがメモを掴み、私の視界に映す。

 ……『少しくらいは、暴走しちゃっていいのよ? BYユキママより』。


(お母さぁあああああああん!?)


 暴走って何!! 一人娘を生贄に差し出すかのような後押しにしか見えないのだけど!!

 しかも、笑顔の顔文字つきだった!! 


「くくっ……、そんな怯えた子猫みたいな顔すんなよ。何も取って食うわけじゃねぇんだぞ? ……まだ、な」


「ま、まだ……って」


「そりゃ、晴れて結婚出来れば、初夜を楽しみにするのは当たり前だろ?」


「しょ、しょ、しょしょ……初夜!?」


 企み顔でニヤッと笑ったカインさんのせいで、ボン!! と、顔を赤く燃え上がらせた私は、じりりと……後ろに下がろうとした。

 けれど、腕をガシッと掴まれ引き戻される。


「お前は俺のモンだって、全員の前で見せつけて……。その次は、……勿論、俺の想いをお前に受け止めて貰わないとな?」


 ぽふんとカインさんの腕の中に収まってしまうと、笑っているのにどこか不穏な笑みが私を見下ろしてくる。

 それにビクリと肩を震わせた私は、曖昧な笑みを返し、腕の中から逃げようと試みる。

 

「別に今日ってわけじゃねぇんだから、逃げなくてもいいだろ? ……ってか、初夜に逃げようとしたら、絶対許さねぇけどな」


「こ、怖がらせるような事を言うカインさんが悪いと思いますっ」


 私がどこにも逃げないように、カインさんの腕が力強く私を抱き締め退路を完全に絶ってしまう。

 額をコツンと当てられ、その熱を擦り付けられる。


「お前に男の事情を理解しろって言っても無駄なのはわかってるが、楽しみにしたっていいだろ? ついでに、その先も考えてるぞ? お前と結婚したら、最低三人は子供を生んでほしいし、お前似の可愛い娘がいい」


「き、気が早すぎますっ」


「想像したくなるんだよ。……大切なお前と、温もりのある家庭を囲める未来をさ。俺とお前、二人で……生まれて来る子供を大切に育ててく……。そんな……夢のような……未来を」


「カインさん……」


 子供時代、彼を囲む環境は、決して良いと言えるものではなく、母と子、二人で身を寄せ合い周囲の悪意に晒されながら育ったカインさんの子供時代……。

 歪んだ道を歩み続けて来た彼にとって、普通の家族でさえ、遠い存在だったのかもしれない。

 そんな彼が、自分の子供には、幸せな未来を歩ませたいと願いながら、私との家族を欲してくれている。

 

「じゃあ……、私……頑張らないといけませんね」


 幸せを胸に感じながら、私は小さな笑いを零し、カインさんの背中へと両腕をまわした。

 私達二人の……、想い合う心から生まれて来る小さな命。

 まだまだ先の話だけれど、同じように想像をしてみると、とても優しい気持ちになれた。


「私……、最初は、カインさんに良く似た男の子が良いです」


「俺に似た子供なんて、最初の子育てにはきっと向かねぇぞ?」


「やりがいがあって良いじゃないですか。カインさんだって、手伝ってくれるんでしょう?」


「上手く出来るかはわかんねぇけど、……俺達の子供なら、どんと来い、だな」


 いつか訪れる二人の未来、触れ合っているこの温もりが、……やがて命をこの世に送り出すその日を想像し合いながら、私達は笑い合う。


「さて、未来の計画を立てたところで、残りの時間を有意義に使う為にも、ユキ、今度はお前が俺に食わせてくれないとな?」


「まだ覚えてたんですか……。仕方ないですね。甘えん坊のカインさんには、優しくしないと寂しがらせてしまうみたいですし?」


「そうそう。お前の愛情を貰わないと、飢え死にしちまうんだよ。責任重大って奴だな? 帰り着くまで……、たっぷりと甘やかしてくれよ?」


 甘えん坊なんて言葉、男性からすれば嫌がりそうなものなのに、今のカインさんは私の愛情を感じられるなら、何でも構わないとばかりにそれを受け入れてしまっている。

 もう……本当に、仕方のない人だなぁ。何だか可愛く思えてきた。

 私は新しいサンドウィッチを手に取り、カインさんの口許へと運ぶ。


「ん……、お前の母親の味は、……良く似てるな」


「何とですか?」


「お前の作る料理の味と、だよ。ただ美味いだけじゃなくて、食べた奴の心に優しく沁み込むような……」


「そんな……」


 確かに私のお母さんの料理は、食べると幸せになれるような温かい味だけど、私の作る物はまだそんな……。

 だけどカインさんは、否定しようとする私の言葉を遮って、言葉を続ける。


「本人にはわからねぇかもしれないけど……、俺にはそう思えるんだよ。お前が焼いてくれるクッキーやケーキも、淹れてくれる茶も……。誰かの事を考えながらやってるだろ?」


「それは……、まぁ、美味しく思って貰えたら良いなとは、思いながら……」


「料理の腕もだが、その想いも大事な材料のひとつだろ? だから、俺はお前自身も、お前の作るモンも……すげぇ好きだ」


 まさかそんな事を言われるなんて……。

 また頬に熱が生じ始めるのを感じた私は、水筒のスープを注ごうとしていた手を危うく狂わせそうになってしまう。

 私の作った料理で、大切な人が喜んで幸せを感じてくれる……。

 カインさんは、私に出会って幸福になれたというけれど、それは私も同じ……。

 貴方が私と一緒にいてくれる事が、私の作った物を美味しいと言って食べてくれる事が……かけがえのない幸せ。


「じゃあ……、今度お出掛けする時は、カインさんの好きな物、いっぱい作りますね」


「それは楽しみな予告だな。帰ったら観光名所の本を漁って、お前が喜びそうな場所を探しとくか」


「私、一緒に選びたいです。二人でどこに行くか一緒に決めるのも、……幸せですから」


「だな。……ふぅ、にしても、今日は良く晴れてるなぁ」


 私の手の甲に自分のぬくもりを重ねたカインさんが、そっと上を見上げる。

 精霊達が踊るこの丘を見守るように、三つの月が地上を優しく照らし、どこまでも広がる闇の中に、美しい星の宝石達が散りばめられている夜空……。

 現実と幻想が入り混じる……異世界の空。

 元の世界から、こちらの世界に移住してきた時は、本当に……自分の中の寂しさをどう扱っていいのかわからずに、悪夢を見る事もあった。

 けれどその度に、私の周りには優しいぬくもりが傍にあって……、愛する人にも出会う事が出来た。

 あのまま地球にいたら、きっと巡り合う事も出来なかったこの想い。

 

「カインさん……、ありがとうございます」


「ん? 何がだ」


「貴方と出会えて……、とても幸せなんです、私」


「……お前な、煽るような事言うのはやめろっての。でもまぁ……俺も同じ気持ちだな。あの瞬間、図書館で目が覚めて一番にお前を見た時から、色々な面倒な目にも遭ったが、最後にはこうやって……お前に愛される事が出来た。その上、これからもお前が一緒にいてくれるんだ。幸せ過ぎて……後が怖くなる時もある」


「大丈夫ですよ。二人なら……、何があっても、乗り越えられますよ」


 自然と絡められた指先を見下ろしながら、私はカインさんにそう告げる。

 これから先、まだまだ長い道のりを私達は寄り添い合って生きていく……。

 幸せだけじゃない。時には頭を悩ませるような事や、傷付け合う事もあるだろう。

 だけど、お互いのぬくもりだけは……絶対に離さない。


「そうだな。ずっと……一緒だもんな」


「はい……って、きゃあっ」


 安心の表情を浮かべたカインさんが、背後から抱き締める格好で私を前に座らせると、黒いマントの中に私を包み込み、小さく吐息を零す。


「少し……、寒くなってきたからな。二人でくっついていた方が、あったかいだろ?」


「は、はい……。あ、でも、まだ食事の途中なんですけどっ」


「この状態で頼む……。就寝時間まで、残り少ないからな……。明日からまた、番犬野郎やルイヴェルに邪魔される事を考えたら、俺としては、飯よりもお前との触れ合いの方が大事なわけだ」


 マントの中で私の手を握り、首筋に顔を埋めてくるカインさんの熱に少しだけ身を捩った私は、くすぐったいけれど、幸せなぬくもりに抗う事は出来ず、大人しくその腕の中で頷く。


「本当に……、甘えん坊さんですね」


「俺に惚れられた副産物だ。諦めろ」


「ふふ、……はい。好きなだけ甘えてください。私だけの……、愛しい甘えん坊さん」


 二人で精霊達の光を眺めながら、ただ静かにぬくもりを重ね合う。

 愛する人と過ごす想い出が、またひとつ……私の心に刻まれていくこの瞬間。

 幻想的な世界に包まれながら……もう一度、私達は唇を触れ合せ、微笑み合うのだった。

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