第20話わいせつえんとつの町

「ではみなさんは、そういうふうに川だといわれたり、乳の流れたあとだといわれたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」


先生はそういった。そう問うた先生も、その白いものがなにかわからない。ぼくらの町はつねに謎の白い煙に包まれている。


その煙を出しているのは、数百本もあるえんとつだ。えんとつはどれもわいせつな形をしていて、大きなものは先端が見えないくらい長かったし、小ぶりながらもどうどうと反り返って、もくもくと煙を出しているものもある。


えんとつをようする工場では、ぼくたちの一族がわいせつ石膏を作るための、たいせつな材料を作っている。この町はそのために作られたのだ。一族のために、一般人の政治の世界で権力をにぎったものがいて、町に危険な発電所を建てたりして、海に面した山あいのこの町を、世間から隠してしまった。そして、町の内外の行き来をたいへんむずかしくしてしまった。


とはいえ、わいせつ技術者のだれもが、なぜえんとつから謎の白い煙が出て、この町の空を覆ってしまうのか、だれも知らなかった。彼らは一族につたわる秘術と、現代工学を組み合わせた、たいへんに優秀な者たちだったが、それでもわからないのだ。




そんな町でぼくらは生まれた。ぼくらは生まれてから青い空をみたこともないし、照りつける太陽も、青く光るという月も知らない。空を覆うという星々というものも知らない。


はたして、そんなものはもとより無いのだと考える者も少なくなかった。この世界というものの空は、すべて謎の白い煙に包まれているのだというのだ。


そんな考えをもつのは、子供に多かった。なぜって、生まれてこの方、ぼんやりとした白い煙に包まれて生きてきたのだから。


けれど、ぼくは違った。ぼくは白い煙のむこうに、青い空や、照りつける太陽、青い月、空を覆う星空があると信じていた。


しばしば、ぼくは彼らと対立したし、数に圧倒されてばかにされ、いじめられもした。それでもぼくは星空を信じた。


それは、ぼくの父、ぼくの亡くなった父の影響だった。ぼくの父はこの町の生まれではなかった。町のそとの、ずっと遠くの一族の村から移り住んできた人だった。父はわいせつ天文学者で、星を見て生きてきた人だった。星が覆われて見えないこの町に興味を持ち、移り住んできた。一族でも少しは知られた存在なので、この町に入ることが許されたのだ。


そして母と出会い、ぼくが生まれた。ぼくが生まれるとすぐに、肺を悪くして死んでしまった。謎の白い煙の影響だという人もいたし、まったく関係ないという人もいた。




その日も、ぼくは星空を信じない連中にいじめられて家に帰った。小さな畑のケールやアスパラガスもにじんで見えた。そして母にこう言った。


「かあさん、ぼくはあの危険な発電所を水蒸気爆発させて、この白い煙を吹き飛ばそうと思う。そうしたら空が、夜空が見えるんだ。だから、爆弾を作るために、おこづかいを前借りさせてくれないでしょうか」


母はぽろぽろと涙を流した。そして、こう言った。


「ああ、あなたには苦労をさせまいと思っていたけれど、そんなに苦しんでいたのね。でも、うちにはそんなお金はないの。それに、危険な発電所を爆発させてはいけない。みんなが迷惑するから。それに、みんなに真実を見せる必要なんてないのよ。あなた一人が、この町を出て、父さんが見た星空を見てちょうだい」


そして、押し入れの奥から重そうなダンボールの箱を持ち出した。


「本当は、今すぐにでも、あなたに旅をさせたい。でも、そんなお金もないの。だから、父さんが残したこの本を売って、旅費にしなさい。大丈夫、きっとあなたの思いが強ければ、あなたは星空を見ることができる」


ダンボールの中にぎっちり詰まっていたのは、『わいせつ星座四十八図』という、父さんが書いた本だった。ぼくが見たことのない夜空に輝く星。その星々を線でつないで、わいせつな図形を描いていた。


「ちょうど80冊あるの。これをすべて売れば、あなたはこの町を出ることができる」


母さんはそう言った。




それから、ぼくの本を売る日々がはじまった。同世代の子供たちは、本に見向きもしなかった。ただ、ぼくの父さんと母さんのことを知る大人たちは、同情をしてくれたのか、手にとっては買ってくれた。


けれど、話はそんなに単純ではなかった。町から出られない大人は、この町の存在を否定する危険な本だと言い立てた。逆に、自分たちの町の外を知ることができる大切な本だという人もいた。そんななかでも、わいせつえんとつは謎の白い煙を音もなく出しつづけていた。もくもく、もくもく。


やがて、ぼくの80冊の本はだんだんと減っていった。ぼくの必死の努力に、みなのなかのなにかが変わっていくのを感じた。興行で町を訪れたおまんという女性たちも、本を買ってくれた。おまけに故郷の特産品であるという小豆までプレゼントしてくれた。




そして、ついにぼくは80冊の『わいせつ星座四十八図』を売り切った。母は涙を流して喜んだ。


「ごめんね、本当に80冊も売るなんて、思ってもいなかった。あなたには外に出る資格があるわ」


そして、ぼくが渡したお金で、一年に一度だけ訪れる汽車のきっぷを買ってくれた。


「いい? これは片道切符。あなたはこれから、一人の大人として町の外に出なくてはいけないの。でもね、きっとあなたを応援してくれる人もいる。この国に散らばる一族は、みな家族と思いなさい。夜空に、父さんが描いたわいせつ星座を見るのよ」




……そしてぼくは今、汽車に揺られている。窓の外には暗い海が見える。そして、空には満天の星。あの星とあの星、それにあの赤い星。つないでみればわいせつな図形が浮かんでくる。次の停車場、その次の停車場。ぼくの行く先には広く、大きなわいせつ宇宙がひろがっている。

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