第19話 ジョー・バイデンはすばらしいアメリカン・ポルノ・ショップの夢を見るか?

「隣はポルノ・ショップだが、この場所で合っているのだろうか?」



おれは園芸センターの駐車場でつぶやいた。




おれはアメリカン・ドリームの行きつくところがここにあると知らされやってきた。




「隣はポルノ・ショップで、向かいは葬儀屋だ。間違いないのか?」




おれは初めてのアメリカにいて、だれかに向かってそうつぶやいた。




以前のおれ。25年前のおれには日本という国から一歩外に出るチャンスがあった。それは、通っていた中高一貫私学男子校で、参加希望者のみの夏休みアメリカ修学旅行という企画だった。参加者を募る。応募すれば行ける。




おれはそれに参加しないことにした。おれはもとより外に出るのが怖かった。そしてなぜか、銃というものがとても怖かった。おれにはアメリカは無理だな、と思った。おれはアメリカに行かなかった。それ以降、おれが海外に出るチャンスはなかった。




アメリカ行きを決めた連中は意気揚々だった。アメリカでポルノを買うというのだ。アメリカで、ポルノを。それは、カート・ヴォネガット風に言えばむきだしビーバーということになる。




このあたり、時代の説明が必要だろう。そのころはまだ、企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなる程情報化されていない時代、というには程遠かった。まだ、おれたちの手にネットはなかった。




そして、ポルノも駆け巡ってこなかった。




アメリカン・ポルノ。むきだしビーバー。アメリカ行きを決めた連中は、それしか考えていなかった。「空港で修学旅行の学生の荷物をいちいちチェックすることなんてないぞ!」。なんて単純な言葉を叫んでいた。あいつらは、むきだしビーバーを求めた。なによりも純粋に求めた。




夏休みになった。おれは部屋の中でゲームをしていたように思う。




夏休みが終わった。彼らはむきだしビーバーを日本国に持ち込んだ。




なんの罪にあたるのかわからない。わからないが、もう時効だろう。あいつらはやってのけた。すばらしいアメリカの、すばらしいポルノショップで、いくつもの関門を乗り越えて、むきだしビーバーなアメリカン・ポルノをこの国に持ち込んだ。あらためて言うが、25年以上前の話だ。




しかし、それにしても、と思う。多くが初めての異国であるアメリカで、自由時間というものが与えられたのか。その自由時間で中学生がポルノ・ショップを見つけられたのか。そこに入って、身分証明もなしに、ポルノを買えたのか。今思えば、疑問は残る。




しかし、そんな疑問は実物の前でなにも効力は持たなかった。なにせ、あいつらは、実物のアメリカン・ポルノを持ってきたからだ。それには、なんのモザイクもぼかしもなかった。むきだしだった。おれは、大人の女性のそういったそれをそのように見たの初めてだった。おれは、「こういうものなのか」と思った。なんだか、妙なものを見てしまったような気になった。貝のようだとも思った。




おれ以上にショックを受けた人間もいた。アメリカン・ポルノを求めて海を渡ったやつの一人だった。デブで、エロいことが大好きなやつだった。そいつがアメリカ行きに意気込んでいたのを覚えている。




が、そいつはアメリカン・ポルノのむきだしビーバーを見て、たいへんなショックを受けた。どのくらいショックだったかというと、すべての女性を気持ち悪く思うほどのショックだった。「おれはもう女はダメだ」というようなことを言った。




そうしてどうなったか。「好きに男も女もない!」と言い出した。言い出して、ちょっとかわいい同級生にボディ・タッチをしたりするようになった(むろん、男子校なので男である)。ついには、「好きだー」といって抱きしめられたやつもいる。抱きしめられたのは誰だ? おれだ。




おれは、あんなに女性に対してスケベだったこいつが、おれに欲情するほどむきだしビーバーは強烈だったのか、と思った。思って、「ふざけるな」と言って突き放した。おれにはおれの好みの同級生がいるのだ。




それにしても、まあ、ポルノというものよ。おれはたぶん人より興味が強い人間だったと思う。小さいころから女の子の裸を想像していたといっていい。男子校に入れば、男子すらそういう意味で好きになった。




そんなおれがアメリカン・ポルノのむきだしビーバーを見て思ったのは、やはり「なんか貝みたいだな」という乾いた感想だった。「ひょっとしたら、ジャパニーズ・ポルノの隠蔽は、よいものではないのか」とすら思った。




ポルノ、ポルノ、ポルノ……。




中高一貫校で、あまり女子とは関係を持たないタイプの男子校にとって、ポルノの影響は大きかった。みんなポルノで頭がいっぱいだった。ポルノ以外もポルノにした。




そうだ、その環境では革命的な発明者というものも生み出した。そいつが手に持ったのは赤のボールペン。今週のジャンプ、あるいはマガジン、サンデー。漫画のなかの美少女キャラの頬に、赤線を何本かひいた。そして言ったのである。




「これでエロい顔になった」。




おれはその発想に心底感動した。そして、自分はとんでもなくしょうもない世界にいるのではないかとも思った。




おれはポルノ・ショップの隣の駐車場にいた。ポルノ・ショップの店名は「ファンタジー・アイランド」だった。「ファンタジー・アイランド」の店長が出てきて言った。




「いったい、これはなんの騒ぎだ?」




おれは答えた。




「ちょっと待っていてください。あの扉から、ルドルフ・ウィリアム・ルイス・ジュリアーニ3世が出てくるんですよ」




「誰だ、そいつは?」




連中のアメリカン・ポルノ行脚から数年経った。企業のネットが星を駆け巡り始めたころだった。ネット的に先進的なやつが、危険をおかしてほんとうにやばいポルノ・ヴィデオを手に入れた。ほんとうにやばいポルノ・ヴィデオはほんとうにやばいので詳細にふれることはできないが、ほんとうにやばいものだった。おれのもとにもそれが回ってきた。




ぜったいに親がいないタイミングで、おれはそれをヴィデオ・デッキに入れた。おれ個人の部屋にはテレビもヴィデオ・デッキもなかったのだ。そしておれはほんとうにやばいポルノ・ヴィデオを見た。これはやばいと思った。




なにも語るまい。




ポルノはどうあるべきか。おれにはよくわからない。25年経って、いまだによくわからない。正しい性教育というものが少年少女をやばいポルノに接する前に施しておくのがいいのか。それぞれに、適当に、それぞれのタイミングで、ポルノに接するのがいいのか。あらゆる性に関する情報を遮断しておくべきなのか。




性とポルノをごっちゃにしてはいけないのかもしれない。あるいは、一貫したものとして教育する必要があるのかもしれない。




正しい性教育というものはあるだろう。絶対的に、ではなく、相対的に、だ。「適当にポルノに接するのがいい」というのは、うまくいけばいいのかもしれないが、あまりにも偶然に左右されて無責任だ。かといって、完全な禁欲というのはなにやら問題も多そうだ。個人的に禁欲は嫌だな。




とまれ、おれのむきだしビーバーとの出会いは以上のようなものだった。おれは変質者になったのか。よくわからない。おれは自分をスケベな人間だとは思う。スケベニンゲン。とはいえ、犯罪までしなくてはならないほどの異常性を持っているわけでもない。ソレホドスケベニンゲンデハナイ。いまのところ。




フォーシーズンズ・トータル・ランドスケーピングの扉が開いた。先頭にバドガールたちが出てきて、彼女たちの故郷の特産品である豆をまいた。そして、ルディが出てきた。おれはそれを見た。たしかにルディだった。ルドルフ・ジュリアーニだった。この世において、ルドルフと名のついたものは常に皇帝的だ。たとえば、シンボリルドルフ。あるいは、シンボリルドルフ。




「ちょっと、店を覗いてもいいかい?」とおれ。




「もちろん、かまわんよ」とファンタジー・アイランドの主人。




おれにとって、アメリカの実在するポルノはすでに錆びついたものだった。おれたちは、あるいは、かなりの年少者を含んだおれたちは、PCやタブレットをちょっと操作すればむきだしビーバーを見ることができる。企業のネットが星を覆った結果がこれだった。おれたちがタンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビームを見るよりはるかに簡単だ。




そんな世界で、おれは、わざわざアメリカまで飛行機で飛んでいって、すばらしいアメリカン・ポルノを求めたあいつらのことを、どう思ったらいいのだろうか。おれにはなにもわからなくなった。




おれはすぐさま店を出た。そして叫んだ。




「ジュリアーニ法律顧問、質問がある! あんたはファンタジー・アイランドでなにを買いたい?」




ルドルフ・ウィリアム・ルイス・ジュリアーニ3世は言った。




「それは法廷が決めることだ」




後に、それは「フォーシンズンズの奇跡」と呼ばれた。ドナルド・トランプは終身大統領となって米国を栄光に導いた。フォーシンズンズ造園は青天の霹靂ともいえる知名度をいかして、支店を世界に228店舗を出すほど栄えた。




そして、おれはそのままファンタジー・アイランドの店員となって、あと25年の人生を過ごした。




ある日、ファンタジー・アイランドをアジアの少年たちの集団が訪れた。べつにこんなことなんでもないよ、という表情を必死に浮かべながら、すばらしいアメリカのポルノを物色した。自分は当然のことながらこれを買うよ、という顔で、レジにポルノを持ってきた。おれは、なんでもないことのように、それらを売った。あいつらは足早に去って行った。おれは個人的な趣味であるわいせつ石膏を作るひまつぶしに戻った。




あいつらのなかには、むきだしビーバーに度肝を抜かれて、ひどいショックを受けるやつもいるだろう。なんとも思わないやつもいるだろう。それにしたって、もう、企業のネットが星を覆っているのに、君らのポケットには高性能な携帯端末があるのに、紙に印刷されたものに、それだけの価値があるのか?




まあいい、おまえらは、おまえらの性というものに直面し、それぞれに挫折し、克服していくがいい。そこまでポルノ・ショップの店員であるおれが考える必要もないだろう。おれは石膏をこね、背伸びしたガキにポルノを売るだけだ。




そういえば、なんというタイトルの映画だったろうか。ポルノショップの店員が、トルーマン・カポーティの『冷血』を読んでいたっけ。カポーティの『冷血』はいい小説だ。いや、ノンフィクション・ノベルというのだっけな。




そうだ、それがいい、おれもポルノ・ショップのカウンターでカポーティを読もう。客は少ない。夜は暮れる。ああ、ところで、フィリップ・シーモア・ホフマンって、なんで死んだのだっけ?


「―もし何でも出来るなら私は、私たちの惑星、地球の中心に出かけていって、ウラニウムやルビーや金を探したいです。まだ汚れていない怪獣を探したいです。それから、田舎に引越したいです。フロリー・ロトンド。八歳。

 可愛いフロリー。きみが何をいいたいかよくわかる。たとえきみ自身はわからなくても。まだ八歳のきみにどうしてわかるだろう?」

『叶えられた祈り』トルーマン・カポーティ



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