第2話わいせつ円盤の山

わいせつ円盤の山

 ぼくは四方を山に囲まれた小さな村に生まれた。地図に記された名前とは違うのだろうけれど、地元の人たちはみな「東の山」、「南の山」、「西の山」、「北の山」と呼んでいた。いい加減なものだった。山といってもどれも険しい山じゃなかったから、小さい頃から山菜採りにでかけたり、野鳥採りのかすみ網をしかけたり、かっこうの遊び場だった。

 けれど、大人たちから厳しく立ち入りを禁止されていた山がひとつだけあった。それは「西の山」だった。小さい子には「鬼が出る」、「神かくしにあう」なんて言っては、決して近寄らせようとはしなかった。

 それがわいせつ円盤の山だと知るのは、もう少し成長してからのことだった。ぼくらの村の子供は、あの山のことを知ることで、子供でなくなる境を一歩またぐのだった。


わいせつ円盤の山の歴史

 わいせつ円盤の山のことは、ある日、年長の若い衆の、ちょっとませたのから聞かされた。だいたいそんなふうにして、村の子供は一歩階段をのぼるのだ。

 なんでも、あの山には小屋があり、ある一族が住んでいるという。その一族は、もともとわいせつ石膏職人の流れをくむもので、村から放逐されたか、自ら流浪の旅に出たかして、あの山に流れ着いたという。幾人かの流れの者が住み着き、そして、わいせつ円盤なるものを作って生業としているというのだ。彼らはめったに山から人が降りることはなく、年に一度か二度、一族の長がたくさんのわいせつ円盤を背負って山を降り、人目を避けながら町に売りに行くという。

 そのときのぼくには、わいせつ石膏も、わいせつ円盤もなんのことかはわからなかった。けれど、なにか両親や兄弟たちに、決して口にしてはいけないことを知ってしまったような気になった。そして、西の山に日が沈むのを見るたび、赤く染まった空の色と山影に、ほのかな興奮をおぼえるようになったのだった。


わいせつ円盤の隆盛

 それはぼくがわいせつ石膏やわいせつ円盤について、実物を見たりするようになったころのことだった。わいせつ円盤の山が、にわかに活気づきはじめたのだった。わいせつ円盤の質が向上したことで、遠くの町々からたくさんの注文が舞い込むようになってきたのだ。

 もちろん、人や物の流れはぼくたちの村を通る。かつては一族の長が背中に担いで売りさばきに出ていたものが、逆に荷馬車でとりに来るようにすらなっていた。商人たちが村に宿をとることもあったし、貧しい村にとっては悪い話ではなかった。だんだんと、西の山が禁忌だなんていう話は昔話のようになっていった。中には、わいせつ円盤の店を構えるものすらいた。

 そんななか、商人の手伝いということで、ぼくも生まれて初めて西の山に入ることになった。そのときの感情を正しく言葉にするのはむずかしい。決まり事を破るような後ろめたさもあったし、いろいろの妄想で頭のなかがいっぱいになったりもした。ともかく、ぼくはドギマギしながら商人がひく荷馬車のあとをついていった。道中に見た景色も、その季節すらも覚えていない。

 そして、いよいよわいせつ円盤の山にたどり着いた。そこは、なんてことはない、ぼくらの村にある家と変わらぬような小屋が何軒かあるだけだった。ただ、仕事場と寝起きする小屋にわかれているのはなんとなくわかった。そして、仕事場と思しき小屋をそっと覗いてみると、中では兄と妹らしい二人の子供が熱心に円盤を磨いていた。薄暗い小屋からたまに反射する虹色の光に、ぼくはなにか妙な心持ちになった。猛るような思いとは程遠い、どこか物悲しい気持ちになった。ぼくがあのわいせつ円盤の山に足を踏み入れたのは、これが最初で最後だった。帰り道のことも、やっぱり覚えていないのだ。


わいせつ円盤の山と女たち

 わいせつ円盤の山を訪れるのは、商人たちばかりではなかった。「おまん」と呼ばれる女たちが、海のある南の山を越えてやってくるのだった。彼女たちはわいせつ円盤づくりに欠かせないというわけではなかったけれど、山の主がその道を追求するために呼び寄せるという話だった。山の主には成型や磨きにはおさまらない、芸術家肌のこだわりがあったようだった。

 「おまん」たちは、町の女に比べたらあかぬけないには違いないのだけれど、生々しい艶やかさがあって、ひなびた村に一時の彩りをくわえてくれるようだった。村に逗留する「おまん」たちが子どもたちと遊んだり、故郷の特産品だという小豆を村人にふるまうのも、いつしか見慣れた光景になっていった。

 恥ずかしい話だが、ぼくはそんな「おまん」に一目惚れしたこともある。ぼくが勇気を振り絞り思いの丈をつたえると、「そんなこと言ってはいがみねいってことでがんしょ。あちきにはスクの旦那さおりますけ」と言われてしまった。彼女にはスク水漁師の亭主がいたのだ。そんなことも珍しくないと知ったのは、しばらくしてからのことだった。そのころにはもう、わいせつ円盤の山の活気も失われ、村を訪れるものも少なくなっていたのだけれど。


わいせつ円盤の今、未来

 そうだ、もうぼくも村を出てしばらく経つ。風のうわさでは、わいせつ円盤の小屋に巡査たちがおしかけ、大捕り物になったとかいう。山の主は大量の円盤もろともに自爆死したとか、不幸な兄妹は手を取り合って逃げ落ちたとか、いろいろな話もあるようだ。信用できたものではないけれども。そして、それ以来、あの小屋に住むものも、山に立ち入るものもいなくなったという。もっとも、山に入って遊ぶような子供は村にほとんどいない。

 いずれにせよ、捕り物以前にわいせつ円盤じたいも下火になっていた。今ではわいせつに石膏も円盤もいらなくなってしまった。みな、わいせつは電信で事足りる時代が来てしまったのだ。職人が工夫し、手がけたものは価値を失い、電気の信号が人の手を借りずに際限なく増えていく。それなのに、ぼくを含めた人々は都会を目指し、ぼくの生まれた村のような小さな村々はやがて姿を消していく。

 正直なところ、ぼくにはなにが起きているのか、時代の流れがなんなのか、そんなむつかしいことはわからない。ただ、ときおり、わいせつ円盤の山に沈む夕日や、「おまん」たちのこと、手に手をとって逃げのびる、あの日見た円盤磨きの兄妹のことを思わずにはいられないのだ。

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