二章 06:白龍

 少女をここから逃がす約束をした翌日、もとい計画の当日。

 任務時間中に堂々と自室へと戻り、荷物の整頓と支度を終わらせた俺は、ベッドに座って窓から見える外の景色をぼんやりと眺めながら、煙草をくゆらせていた。

 するべきことから解放されてみれば、外を眺める自分がそこにいて、人間、やることがないと外の景色を眺め続けるように出来ているのかと、少女のことを思い返して苦笑する。


『なにをヘラヘラ笑っておるんじゃ。準備できたのか?』


 後ろからの声に外を向いていた視線を移してみれば、ベッドの上で俯せになった静が、退屈そうに両足と尻尾をぱたぱた上下させていた。


「そんなに大切なものはないからな。だいたいは処分だろう」


 俺にとって重要な荷物といえば金と煙草ぐらいのもので、準備に要した時間の大半は、不審に思われない程度の金を口座から引き出したことだった。

 しかし、本当に忘れ事はなく大丈夫なのかと締まらぬ思いになった俺は、何かなかったかとじっくり思い返してみれば、夕べにした静との会話を思い出した。


「そういえば、夕べ何かを言おうとしていなかったか? 重大発表とか何とか」

『おお、忘れておった』


 静はごろんと起き上がって、思い出したように両手をパンと打ち鳴らした。

 忘れるなんて本当に重大だったのだろうか。


『……今、忘れる位なら重大ではないだろうと思ったじゃろ』

「さて、どうだかな」


 俺がとぼけて、間が一つ。静はふむと唸ってから、申し訳なさそうな顔をして、


『じゃが、言い訳をさせて貰うと、お主が悩んでいたお陰で、余もかなり気持ちが塞いでおったからの。言い出す時機を完全に失っておった』


 至極もっともすぎて、俺の追求を封殺するには十分すぎるぐらいの言い訳だった。


『それで、じゃ。話に入ると、あの小娘の先祖がわかった』


 静の言葉に合わせたかのように、窓からびゅうと風が差し込み、近くの木々が大きくざわついた。


『あやつの祖は白龍はくりゅうじゃ』

「はくりゅう?」


『白い龍と書いて白龍と読む。龍は霊獣と呼ばれる神に属しておってな。さらにその龍の中で、白い鱗を持った最高位の龍が白龍じゃ。白龍伝説の類は和国以外の国々にも及んでいるそうじゃが、和国では闇淤加美神くらおかみのかみの話が有名かの。しかし、白龍は闇淤加美神だけでなく、色々な国で様々な伝説としてあまねく知れ渡っているように、白龍だけでも多種多様でのう。例えば、滝や川を司る者もおれば、空を支配する者、他の神に仕える者だっておる。故にあやつがどの白龍に属しているのか、までは正直わからぬ。……それと少し話が逸れるのじゃが、実を言うと余は白龍に会うたことがあっての。まぁ先も言ったが、あの小娘の祖に当たるかどうかはわからぬがな。奴とは――』

「ちょっと、ちょっと待ってくれ。一つ質問があるんだが」


 これから静の昔話が延々と語られそうになったので、慌てて俺は止めに入る。


『なんじゃ? これからというときに』

「初めてあいつと会ったときは、なんで白龍だとわからなかったんだ?」


 俺の言葉に、得意げになっていた静の調子がぴたりと止む。話に水を差して申し訳ない気持ちだったが、一番の疑問はそれだった。


『昨日の昼にはっきりと見えての。これまで薄々とそうでないかとは考えておったが、昨日で完全に確信した。それと、わからなかった理由か。余より上の神であるだけでなく、あやつの力が何かに抑制されておる。それで、どうもよく見えぬのじゃ』

「抑制? どういうことだ?」

『子細まではわからぬ。今わかることは、あやつの祖先が白龍で間違いない、ということまでじゃ』


 本当に悩ましい問題のようで、静が気むずかしい顔を崩すことはなかった。


『で、どこまで話したんじゃったか』

「白龍に会ったことがあるって辺りだな」

『おお、そうじゃった。その話なんじゃが――』


 静はぽつぽつと、白龍に会ったときのことを話し始めた。

 遠い昔の話。

 静によれば、その白龍と会ったのは五百年前ぐらいとかなり大雑把な勘定だったが、話の内容から察するに江戸時代の初期だと推察できた。その頃の静はまだ自分の体を持っていたようで、いろいろな場所を行脚あんぎゃしては遊び暮らしていたようだ。


 そして、話の本題。白龍と出会った頃の和国は干ばつに襲われていて、作物が育たず飢饉が起こっていた。また、飢饉に加えて痘瘡もがさという流行病も蔓延し、人が次々と死んでいく状態だったという。

 ここで登場するのが遊び人だった静。

 これでは悠々自適に遊べなくなってまずいと、当時の陸奥国、会津藩の大名、保科正之ほしなまさゆきの元へ現れ、静は大規模な雨乞いの儀を執り行いたいと申し出た。


大黒星天縫だいこくせいてんほうの巫女と名乗り、ちょいと先のことを占ったらすぐ協力してくれての』

「なんだ、その大黒星何とかって……。有名な神社とか神様の名前だったりするのか?」

『いや、そのときに思い付いた』

「うさん臭すぎるだろ……」


 常識的に考えれば、相手にすらされなさそうだが、藁にもすがる思いだったのだろう。


『じゃが、雨乞いをしたいと申し出たのは、余だけではなかった。……そう。そこで出てくるのが白龍じゃ。奴は陰陽師おんみょうじを名乗って現れたが、余には一目で白龍だと分かった』

「色々いるって言ってたが、そいつの名前は?」

『忘れた。どうせ仮名じゃろう』


 大黒星どうたらまで覚えておきながら、白龍の名前を忘れるのか。

 閑話休題。

 再び静は滔々とうとうと語り続ける。


 白龍とは同業者として口論になるも、両者が別々に執り行うということで話は決着したらしい。両者の儀式は一日交替で執り行われ、雨が降り始めたのは最後に行った静の儀から一週間足らずのことだった。が、白龍を含め、静達は誤算していたことに気付く。


 二週間経っても雨が止まない。――両者の力が強すぎたのだ。

 もちろん、今度は雨の降り過ぎによる水害が問題になったのは言うまでもない。そしてここで、もう一度。今度は雨を止ませる日照り乞いの儀を行うことになった。


『じゃが、奴は雨乞いは出来ても、止雨しうまでは出来ぬかったようでの。余が仕方なく、仕方なーく行ったという話じゃ』


 静は日照ひでり天気雨てんきあめという、二つで一つの神器を持っている。雨乞いには天気雨を、日照り乞いには日照とそれぞれ分けて使ったのだろう。


『でのー。奴の悔しそうな顔! 面白かったから紙に念写して、いろいろなところに張って回ったものじゃ。ありゃあ、楽しかったのじゃ』


 昔の静は相当の屑だったらしい。俺は思わず顔をしかめてしまう。


『なんじゃその顔は、仕方ないじゃろ。何かあれば昔の余に申せ』

「で、その白龍と静はそれからどうなったんだ?」

『それっきりじゃ』

「え、終わり?」

『う、うん』


 俺が間髪入れずにツッコんだために、静は怯んでしまった様子。


「他になにかないのか? その後の話じゃなくても、話したこととか。なんでも良い」


 静は楽しんでくれたと思ったようだが、俺の方は然にあらず。あれだけ大見得を切ったのにもかかわらず、少女に関する話はほんの少しだけで、大半が静の自慢話だった。

 どうやら、静は俺の真面目な返答で互いの温度差を感じ、きまりが悪くなってしまったようで、空咳をひとつ漏らすと表情を引き締めた。


『奴とは言うほど話しておらぬからのう。……あ、そうじゃ。そういえば、去り際に北へ帰ると言っていた気がするの』

「北か……」


 幾星霜とも呼べる年月が過ぎているので、いまだ北にいるかどうかはわからないが、その白龍に会えば少女に関しての情報を得られるかもしれない。これで当面の目標が一つできたといえる。


『さて、と。どうも締まりが悪いようじゃから、詫びにちょいと一仕事するかの』


 静は自分の髪を何本か掴み、そのまま千切るように引き抜いた。


「何をするんだ?」

『なぁに、小細工を弄するだけじゃ。さっきの話にも出たが余の力で雨を降らせる』

「出来るのか?」


 話では大がかりな儀式をしたようだが、今の状態ではまともな準備すらできないだろう。しかし、静はそれなりに自信があるようで、鼻にかけたようにフフンと鼻を鳴らした。


『こんなものは酒宴の座興じゃ。局地的なものであったら、今の余にも出来る』


 酒の席で、そう何度も雨を降らせられてもかなわないんだが、それはさておき。

 静は抜いた髪をふっと宙へと放り、パチンと音を立てて両手を合わせた。すると、なにもなかった空間にぽつぽつと白い光の球が浮かび上がってゆく。そんな幻想的な光景に俺は言葉を失いかけたが、その光の球の数々は蛍のように明かりを舞わせた後、すぐに明るさを失い消えてしまった。


『これで――よし』


 静は満足げに肯いて、合わせていた手をゆっくりと解いた。


「もう終わったのか?」

『うぬ。しばらくすれば降って来るじゃろう』

「しかし、なんでまた雨なんか」

『お主は何年、軍人を務めておったのじゃ。逃亡に雨天を選ぶのは常套手段じゃろうに』

「あぁ、なるほど」


 雨になれば、いざ捜索の手が回った際に有利になるのはこちらだ。更に雨の度合いにもよるが、通信機器を使用するに当たって不具合が起こる可能性もあり、軍用ヘリコプターを飛ばす際には捜索範囲に大きく制限を受けるだろう。とはいえ、そこまで静が計算に入れていることはないだろうが。


「ありがとうな、静」

『べ、別に感謝されるほどでもない』


 静は真顔で平然を装っているようだが、後ろで尻尾がふさふさと揺らめいていたので、照れ隠しをしていることがすぐにわかった。俺はその事に触れないようにしたものの、静の反応があまりにも微笑ましかったので、ついつい口端を緩ませながら静へ暖かい視線を送ってしまう。そんな視線を送ろうものなら静から――


『なんじゃ、ニタニタしおって……気持ち悪いぞ』


 こう言われてしまうのも無理はない。

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