二章 05:Idea
『その任務――長谷部信哉が引き受けたのじゃ!』
おちゃらけた口調が牢部屋に響く。
それは俺にしか聞こえないものではあるが、言葉が言葉。こそばゆい思いをしたのは言うまでもない。
『やめろ、言うな。掘り返すな』
俺はその場で、のたうち回りたい気分になった。
『余をのけ者にした罰じゃ。まさか、あれほどの言葉を口にしておいて、よもや申したことを忘れたというわけではなかろう?』
静の言葉に対して、俺はなにも答えられなくなってしまう。
『ここ数週間はこれで遊べそうじゃな』
とどめと言わんばかりのからかうような言葉に、俺はますます身の置き場をなくしていった。そんな俺の表情を見て、静は涙を浮かべるぐらいゲラゲラ笑い出した。
『ひでぇな』
『まぁ、悪気に満ちていたわけじゃないのは余が良く知っておる。お主の顔を見たら、さすがに可哀想になってきたから、おちょくるのはこれぐらいにしておこうかの』
そう言いつつも、静は口の端を上に曲げていた。
『……話が変わるが、お主。今後については考えておるのか?』
『今後というと、こいつをどうやって逃がすかって話か?』
『違う、そんなことは余が居れば何とかなるじゃろう。その後の話じゃ』
確かに静の力を使おうと、生活が楽になるわけではない。
アインでの生活は戦いばかりで静に頼りきりだったが、今後の生活は俺が切り拓かねばならない。静が心配しているのはそこだろう。
『今後のことは、おいおい考える』
『本当にお主は昔から行き当たりばったりじゃな』
ため息が二つ三つは出てきそうな呆れ顔で、静は呟いた。
『まともな生き方をしてこなかったからな』
『難儀よのう。じゃが……』
『うん?』
『人のことは言えぬ。それは余も同じじゃ』
何か思い当たる節があるようで、静は破顔した。が――
『しかし、お主よ』
すぐに厳粛な顔つきになった。
『お主はこれで本当によいのじゃな?』
心を見透かされるような視線。もしかしたら言葉にするより先に、本当に心を読まれていたかもしれない。それでも俺はゆっくりと答えた。
『ああ、もちろんだ』
『ならば余も全力でお主の力添えをしよう』
ここまで心強い言葉は他にはなかった。今まで静の力を借りたことは何度もある。しかし、面と向かって協力すると言ってくれたのは指折りで数えるぐらいしかなかった。
『助かる』
『なぁに、それが余の務めじゃ』
「ほら、信哉さん。見て下さい」
静と話している最中、少女から声がかかる。
見れば、少女は素足でベッドに乗っかって窓を眺めていた。もっとも、それでも少女の背丈は俺より少し高くなったという程度で、窓枠の高さにはまだまだ届いていなかった。
「何をだ?」
「星ですよ、星。とっても綺麗です」
少女に促されて立ち上がった俺は、自分側の窓から見える夜空を見た。
赤青黄色。いろとりどりの星々。
美しく輝く星々の光に圧倒され、俺は感嘆の声を漏らしかけた。
胸が詰まるような出来事の後に、そんな美しい夜空を見ていれば――
「……なぁ、一緒に同じ窓で星を見ないか?」
こんなことも言いたくなる。
「同じ窓?」
俺は胸ポケットから鍵を取り出すと、少女へ見せびらかすようにそれをチャリチャリと鳴らす。
「それは……」
すぐに答えにたどり着いたようで、少女は俺の右手に提げた鍵を丸くした目で見ていた。
「えっと、大丈夫なんですか?」
少女が当惑するのも無理はない。
今まで慎重すぎるぐらい時間などを気にしていた俺が、少女の領域に入ろうというのだ。牢の中で少女と楽しげに会話をしていた事が公になってしまえば、大変なのは確か。
しかし、俺には見つかったときの罰の一つや二つ、今となっては気にすることもなくなっていた。とはいえ、保険を掛けないのかというと、そうでもない。
「心配するな。今は見張りもついてるからな」
『それは余のことかっ』
さすがは静。自分のことに関しては
『今日だけ頼む』
『貸しじゃからな。覚えておくんじゃぞ』
「見張り、ですか?」
少女のその一言で、俺は無思慮な発言であったことに気付く。それは単に静のことを仄めかしたとか、そういったことではない。少女にとっては俺以外の誰か――それも少女の知らない人物に、先程の会話を聞かれた可能性がある上、見張りまでしているときた。不審を通り越して不安に思わないはずがない。
「信頼の置ける奴だから、お前は気にするな」
俺は手に持った鍵を扉の鍵穴へと差し込んだ。鍵穴は鍵を難なく受け入れ、カチャリと小気味の良い音を残して解錠できた。
俺が中へと入ると、少女はベッドから降りて床へ腰を下ろす。それを見た俺は肩を並べるようにして少女の隣に腰を下ろした。
「なんだか緊張しますね」
「そうか? いつも通りで良いだろ」
俺がそう言うも、少女は落ち着けないのか体をもじもじさせていた。
「あと、その……見張りさんは扉の外にいるんですか?」
やはり、見張りの事が気になっているのだろう。俺は軽率だったと重ねて反省した。
「いや、ここにいる」
俺の言葉に、少女は小首をかしげて不思議そうな顔をした。
「さっきも言ったが、気にするな」
少女は納得がいかない様子だったが、しばらくすると再び星を眺め始めた。
「私、今日みたいな星空が大好きです」
「綺麗だからか?」
「いえ、綺麗なものを見て感動できるからです」
「なにが違うんだ?」
俺は思わず首を捻る。単純に綺麗だからという理由ではなく、綺麗なものを見て感動できるからとは。この少女らしいと言えばこの少女らしいか。
「そうですね。信哉さんはイデアって知ってますか?」
「イデア? 知らんな」
「私たちは天界の世界に住んでいて、イデアと共にいました。ですがある日、私たちは穢れた存在として肉体という牢獄に押し込められてしまいました。それから、私たちはレテと呼ばれている忘却の川を渡らされるんです。その川の水を飲むと全ての記憶を失ってしまうのですが、私たちは溺れながら渡ったためにレテの水を飲んでしまい、全ての記憶を失ってしまうんです」
まるで本を読み聞かせるように語る少女に、俺は口を噤んでじっと耳を傾けていた。
「真実であったイデアと違って、虚で出来たこの世界に着いた私たちは、イデアのことを思い出せなくなってしまいます。けれど、私たちは美しいものを視て感動したときだけ、イデアのことを思い出せるんです」
「真実だとか、虚だとか捻りがないな」
俺の言葉に少女はクスリと笑う。
「昔のお話ですしね」
「だが、その昔話がどうかしたのか?」
遠回しな話のせいで、結局のところ俺には少女の本意がよくわからないでいた。
「私達が、誰かから教えられたわけでもなく、この夜空を美しいと思えるように。何かを感じ、すばらしいと思えることは、この世の全ての人に対して平等に許されたものだと思うんです。信哉さんもそうは思いませんか?」
静以外の者から紆余曲折でいて、ここまでもっともらしい理由を聞くとは思わなかった。俺はすんなりと、そういうことかと納得してしまう。
つまり、少女が享受できる数少ない平等。そういうことなのだろう。そう考えると、少女の歌好きはここから来ているのかもしれない。
「なるほどな。……だけど、さっきの話。あれはお前の話に聞こえた」
言葉の意味がわからなかったらしく、少女は少し考えてから「ああ」と肯いた。
「その考えはなかったです」
「喋っていて、そうとは思わなかったのか?」
マレビトという穢れを負い、記憶を失って牢獄にいる。誰でも少女の身の上を知った上でこの話を聞けば、こいつのことを連想するだろう。
「言われるまで気付きませんでした」
あっさりとした返事に加えて、少女はクスッと笑い声を漏らす。暗に不幸者だと言われているのにもかかわらず、少女は笑って納得しているところが俺には不思議だった。
「あっ、流れ星」
『何処じゃ? 何処にあった』
視界の隅で退屈そうに座っていた静が、少女の言葉を聞きつけて、勢いよく立ち上がるとこちらへやってきた。
『もう、なくなってるだろうよ』
『……残念じゃ』
静は言葉だけでなく本当に残念そうに、しっかりしない足取りで引き返していった。
「何か願い事はしたか?」
「……今からでも間に合いますかね?」
「星に訊いてくれ」
「たしかにそうですね」
少女はひとしきり笑った後、神妙な顔になり、
「間に合うんだったら私、外を歩いてみたいって願ったと思います」
「外、か」
ふと、大地を元気に駆け回る少女の姿が、目に浮かんだような気がした。
「それなら明日、叶えてやる」
再び空を見上げようとしていた少女の顔が、ぱっとこちらを向く。
「絶対だ」
そう言った直後、少女の目尻が光ったように見えた。が、薄暗かった為によく見えず、気づいたときには幸せそうな笑顔に戻っていた。
「はいっ」
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