二章 04:約束Ⅲ
「残り三日、か」
静かな呟きが薄暗い廊下に霧散する。
何とかしようとは思っているものの、どうして良いかわからずに、宙ぶらりんな状態だった。このままでは、服部の言いつけ通りに少女を牢から連れ出して――この先は考えたくもなかった。
それはあまりにも、おぞましい結末だろう。そんな自分があっていいものかと、自己嫌悪の念が背中にのし掛かり、足取りまでもが一歩一歩、重くなってゆく。
『信哉、そんな悲しい顔をするな。もうすこし落ち着いてから考えよう』
何が正しい? 何が間違っている?
俺はこれから何をすることが正しいのか?
わからなかった。
『信哉っ、聞いておるのか?』
突然の大声に俺は驚き、ハッと正気づく。足を止めて後ろを振り向くと、困り果てた顔をした静が真後ろに立っていた。
『すまない。聞いていなかった』
『思い詰めるのもよいが、ほどほどにな。お主の気持ちはよくわかるが、よい案はそんな焦っても出ぬものじゃぞ?』
静の言葉はもっともだったが、今考えねばいつ考えればよいのかわからないほど切迫していたのもまた事実だった。それが余計に苦悩させ、消沈させてゆく。
『……悪い、こればかりは考えさせてくれ』
ここまで言い切ってしまうと、静も返す言葉がないらしく、『わかった』とだけ言ってこれ以上はなにも言わなかった。
悪い返答だったとは思う。だが、こればかりは仕方がない。
そして、自然な流れで少女のいる場所へ足を運んでいることに気づき、俺は踵を返した。
『あやつの元へは行かなくてよいのか?』
何も言わずに反対側へ引き返したからか静が言う。
『ん、ああ』
あの様な事を聞かされたあとだったので、どうも気が進まなかった。
『約束したじゃろう、夜に会いに行くと』
『そう、だな』
兎と競争をした亀でさえもいずれは山の麓に辿り着いてしまうもので、悩み、歩き、また悩み――と、そうこうしている内に、とうとう俺は少女の牢部屋の近くまでやってきてしまった。
一人ごちて考えをまとめていたが、結局答えは見つけ出せずにいた。
扉の前に立って深呼吸。俺は扉へ手を差しのばして、寸前で思いとどまった。一体どんな顔をして会えばいいのかわからなかったのだ。それどころか、いつもどんな会話から入り込んでいたかなども、わからなくなってしまっていた。
果たして、このまま入るべきなのか。
あれこれ考えたが、このまま自室へ戻るのも億劫になり俺は扉を開けた。
「何か、あったんですか?」
牢へ入るなり、俺に気づいて顔を上げた少女はそう言った。
「……っ」
俺は虚をつかれて、言葉に詰まってしまう。血相を変えてなどいない。普段の自分を装っていたはず――なのに、この少女に
「お力になれるかわかりませんが、なにか悩み事があったら言ってください」
「別に何もない。仮にあったとしても、お前には言わない」
白々しいったらありゃしない……とは思うが、どうしようもなかった。
「……嘘、ですよね」
「嘘じゃない!」
思わず口調が荒くなってしまった。
隣で静がため息をついたのを見て、俺が嘘をついていることを自ら晒してしまっていることに気付く。普段の俺だったら、こんな反応はしなかっただろう。
「難しいことなんですか?」
やはり先程の反応は少女の疑念を強めただけだった。
「どうだって良いだろ」
「ご、ごめんなさい」
腰を下ろすと、どうにもならない気持ちがどんどん増してきてしまう。気持ちの行き場もなく、やるせない気持ちのまま俺は壁に寄りかかった。
「でも私、信哉さんのことが……」
何か思うところがあるのか、少女は途中で口籠もってしまった。
ここ最近にはなかったその重苦しい空気に、俺は耐えきれなくなり、
「すまん、心配してくれたんだよな」
そう言うと、少女は伏せた目をすっと上げた。
「謝らないでください。私が心配だったのは、自分のことだったのかもしれません」
「なっ……」
少女の言葉に俺はドキリとする。まさかここまで勘が鋭いとは思わなかった。
もしかして、自分の身が危ないことに気付いているのか?
「あの、」
初めて出会った頃のように、少女は一呼吸置いてからおずおずと口を開いた。
「私ともう会えないとか、そういうことなんですか?」
その表情は何処か寂しげでもあり、恥ずかしそうでもあった。それを見た俺は、張り詰めていた気持ちが幾分か和らいだ気がした。
「馬鹿だな、お前は。そんなわけないだろう」
少女は良かったと呟いて、安堵した素振りを見せる。が、それは一瞬のことで、緩んだ表情は暗い表情に変わっていた。
「でも、信哉さんが嘘をつかなければいけない状況にあるということですよね? それは、多分――私に関係すること、なんですよね。違いますか?」
俺と少女の間に沈黙が落ちる。
沈黙は肯定であるとはよく言ったものだが、こういうときのことを指すのだろう。今の沈黙はそうだと捉えられても仕方がなかった。
「別に何を聞いても大丈夫です。教えてください」
「駄目だ」
「お願いします」
いつになく真剣な眼差しが、俺に向けられていた。ここまで強く引き下がらないことが今まであっただろうか。俺は額に手を宛がって大きく息をついた。
言うべきか。はたは、言わぬべきか。そう悩みはしたものの、口は勝手に動いていた。
少女の瞳がこちらをじっと見ている。
黙殺するのはとうに限界だった。
「……今日から三日後に、お前が手術を受けることになった」
「手術ですか?」
少女は目を丸くして、自分の身体をちらりと見た。少女の反応は、俺が服部から言い聞かされたときのそれとほとんど同じだった。マレビトであれど、少女はどう見ても健康体だ。手術なんて行う理由は何処にもない。
「内容なんだが、その、爆弾を埋め込むそうだ」
「ば、爆弾? かっ……身体に、ですか?」
「ああ」
「……っ」
とうとう少女は息を詰まらせたように何も言わなくなった。
ただ、少女が俺と違っていた点は、手術の内容を聞き終えた後、喚くこともせずにじっと宙を見つめて考え込んでいたところだった。
「それに俺は荷担しなければならない」
自分にとって――否、少女にとっては俺以上に重要なことを、戦慄かせた唇から吐いてしまう。追い打ちをかけるその言葉に、少女からの返答はない。
その間が――その静寂が、俺にはとても恐ろしいものに感じられた。薄闇の中に居る少女の顔を伺うと、涙を蓄えた瞳が薄明かりを反射してぼんやり光っていた。
このままどんどん消沈してゆく少女の姿を見ているのが辛くなり、なにか言葉を掛けようと色々考えるも、どうしても喉から言葉が出てこない。このまま互いに何も話さないまま、当日を迎えてしまうのではないかなんて思えるぐらい、長く、静寂が続いていた。
だが、いつまでもこの状態ということはあり得ない。
「それでしたら、大丈夫です」
しばらく言葉を失っていた少女だったが、急に顔を俺へ向けてそう言った。
「大丈夫です」
確固たる信念を持ち合わせているかのように、少女は繰り返した。
「お前っ……何を言って……」
「耐えられます」
「爆弾だぞ!? 普通じゃないことぐらいわかるだろ」
少女のずれた考えが気掛かりであったことは、今に始まったことじゃない。それは決して悪いことではなく、少女の持ち味と言っても良かった。けれども、このときばかりはそのずれの範疇を大きく逸脱していた。
「……信哉さんは、それで私が嫌いになったりしますか?」
挙げ句には、こんなことを言い出しはじめた。もう訳がわからなかった。
「そんなわけないだろ!」
「なら――大丈夫です」
俺は少女の返事に何かを期待していた。
だが、その何かまでは自分にもわからなかった。もしかしたら、罵り言葉の一つや二つ言って欲しかったのかもしれない。それでも実際は罵り言葉どころか、一緒に居て欲しいと少女は願ったのだ。
心が揺さぶられないはずがなかった。
「コトの重大さがわかって言ってるのか!?」
今後起こるであろう事態はもとより、声を荒立ててまくし立てる俺も少女は落ち着いた様子で受け止めていた。
「でも信哉さんも含めて、私はそうしなければいけないんですよね?」
「ふざけるな! そこにお前の意思は何処にある」
『信哉。こやつに言ったところで、どうにもならんじゃろ。少しは冷静になれ』
静が咎めるも、俺は火がついたように白熱していて、すでに引き際を失っていた。
『静は黙っててくれ』
『だっ、黙れとは何じゃ!?』
静が喫驚の声をあげて、すっくと立ち上る。
『これは俺とこいつ、二人だけの問題だ。静は口出ししないでくれ』
冷たく放った俺の言葉に、静はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、もごもごと口を動かしただけで、何も言わなかった。
「でも……私はいつだって、そうして生きてきましたから」
「どうしてそう簡単に諦める? 自分の気持ちに嘘をつくんじゃない。お前は自由に生きたいんじゃなかったのか!?」
「私は弱いですから、諦める以前に道がありません。前に信哉さんも言ってましたよね。救いの神はここには居ないって……その通りだと思います」
少女からそう言われて、この胸のつっかえが何なのかを理解する。俺は少女から、『助けて欲しい』とただ一言。ただ一言、その言葉で自分を後押しして欲しかったのだ。この腹立たしい気持ちの原因は、少女から助けを求める言葉とは正反対である諦めの言葉を言われたからだった。
そのことに気付いた俺は、自分が酷く惨めに思えた。考えてみれば、自分の言動はかなり身勝手だった。こんな問答をせずに、黙って助ければ良いだけなのに。
自分の気持ちに嘘をついていたのは、少女だけでなく自分もだったのだ。
だがそれも、もうやめだ。
「なら俺に助けを求めろ。俺が、お前を……救ってやる」
「……でも、信哉さんはここでの仕事が」
「こんなところ今日付で辞めてやる」
今までアインの任務に当たることが、俺にとっての生きる目的だった。世のため、人のため。そして、マレビト嫌いであった自分のためであったと思っていた。
そもそも武力で人間とマレビトの仲介をしようということ自体、おかしな話だったのだ。しかも、その矛先のほとんどがマレビトへと向けられていた。俺はそのことに目を背けて、考えていなかった。このような裏側も存在するであろうと。
「だから頼れ」
「…………」
しばらく少女は俯いて、何かを考えているようだった。
当然だ。助けるとは即ち、この基地からの脱出だった。
敵地のど真ん中から脱出を試みるなど、無謀なことは明らか――けれど。
「……助けてください」
少女は俯きながら、震える声で呟いた。
「お願いします」
――けれど。
「その任務、長谷部信哉が引き受けた」
少女の願いをしかと聞き届けた今。
今の俺を止められる者は、
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