一章 13:籠の中の鳥
PASSを発症した者――マレビトになった者は特殊な能力を使うことができる。能力は人によってそれぞれで、火を口から吐けたり、水を操れたりとその内容は千差万別だ。中には、触れただけで木を削る能力や、どこに居ても方角を正確に測れる能力など、くだらないものまである。
くだらなくはあるが、マレビトであることを隠し通すことが出来る分、幸せなのかもしれない。特に、ここを見ているとそう思えてしまう。
なにかあったときの対応を求められる俺は、ここに捕まっている奴らの名前、年齢、経歴、能力に至る全ての情報を、セキュリティエリアに置かれているパソコンから閲覧することができた。特に能力の項目については具現化、肉体強化、特異能力に分けてカテゴリー分けされているだけでなく、能力を使う条件まで事細かく記載されている。
だが、俺が一番知りたかった情報――あの少女に関わるデータだけが、どういうわけだか存在していなかった。
情報そのものが欠落しているのか、意図的に消されているのか。
名前ぐらいは知れるかと思えば、まるで存在していないかのように扱われていた。
これは一体どういうことだろうか。あの少女はマレビトが見せた幻か?
俺が鉄の扉をノックすると、「はい」と扉越しにかわいらしい声が聞こえてきた。
幻なんてことはないはずだ。こいつは確かにここに居る。
「待たせたな」
少女と会うのもこれで三度目になるが、今日の少女は部屋の中央で立っていた。
「そ、そんなことはないです。さささ、さっき食事を渡されたばかりで」
しっかりとノックをしたはずだが、なぜか少女は気が動転したように慌てていた。
「そうか、それなら丁度良い。ここで誰かと鉢合わせしても困るしな」
「……どういうことですか?」
「一応、任務だからな。こんな姿を見られては体裁が悪くなる」
腰を落ち着けているところに、食事の配給係に見付かったら面倒だ。
「サボりってわけですね」
少女がくすりと笑う。
「ま、悪く言うとそうなるな」
「なんですか? それ」
少女が俺の右手に提げられたビニール袋を指差した。その隣には今か今かとエサを目の前にした犬のような格好で、静が尻尾を振っている。やけにおとなしいのはそのためだ。
「寿司だ。今食おうと思ってな」
「お寿司って美味しいんですか?」
確かに、こんな所に居れば寿司なんて出るはずもないだろう。
「そうだな……。俺もあまり食べたことはないが、これは美味しかったぞ」
「お前のはなんなんだ?」
「パスタみたいですね」
小さな扉の先に置かれた食器には麺と具が盛られていた。
「いただきます」
少女は丁寧に一礼し、食器とフォークを手に取った。
食器の音が静かな空間に響き渡る。一緒に食べるなどと言ってしまったが、この少女と会話が弾むこともなかった。端から見たらどんな風に映るのだろうか。
大人と子供が、鉄格子を挟んで黙々と食事をしている画は、さぞ奇妙なことだろう。
やがて、少女の食器が空になった。少女の昼食はわずかな量しかなく、俺よりも先に食べ終わってしまった。俺の方は、ゆっくりと食べていたので半分も食べ終えていない。
そして、会話がないことも相まって、俺だけが黙々と食べる形になってしまっていた。
マグロを箸で掴み、口元へ持って行くと――
「あ……」
少女が名残惜しそうに呟く。
右へ揺らせば右へ、左へ揺らせば左へ。箸にあわせて少女の視線がくっついてくる。まるで猫だ。先程からこいつはずっとこんな調子だった。こうしてじっと見つめられると、どうも居心地が悪い。
「昨日、食事中の人間をじろじろ見るなと言ったよな?」
「は、はいっ」
少女はビクッとして視線を逸らしたが、時々心残りがある様にこちらの動きをチラチラと見てくる。俺はため息をついて、隣に座っている静の方へ顔を向けると、
『いやー、寿司はいつ食べてもうまいのう!』
とても幸せそうにしていた。
少女に寿司を渡してしまえば俺はともかく、静から取り上げてしまうことに繋がる。そのことについて俺は些か悩んだが、少女の視線に根負けして渡すことに決めた。
『残りの寿司をあいつにあげて良いか?』
『わっわわわ渡してしまうのか!?』
予想通り、静がこの世の終わりに遭遇したような顔で俺を見た。
ここで少女が食べたそうにしてるからと直截に言えば、反論を喰らうこと請け合いだろう。なので、俺は言い方を変えることにした。
『静……というか、食べるのは俺なんだが、いつでも寿司ぐらい食べられるだろ?』
言い方を変えたつもりだが、今は我慢しろと言っているも同然だったことに気付く。
こんな返答では、静に納得して貰えるわけないだろうと思いきや、
『クリームソーダ』
それは簡潔でいて、ぶっきらぼうな返答だった。
『うん?』
『クリームソーダで手を打とうと言っておるのじゃ。どうせお主のことだから、余が反発したところで何かしら言ってくるのじゃろう? ならば余から交渉するまでじゃ』
静なりの厚意、ということだろう。それに俺は手を合わせることにした。
「そんなに食いたいなら、食うか?」
「えっ!?」
思わぬ言葉だったのか、少女は目を剥いた。
「そんな驚くこともないだろう」
「でも……」
「ほら、食って良いからさ」
俺は配膳用の扉から寿司の入った箱を少女へ差し出した。おずおずと受け取ったそれをしばらく眺めていた少女だったが、食欲に負けたのか堰を切ったように食べ始める。その食べっぷりはもう凄いもので、喉を詰まらせてしまわないか心配になる程だった。
「美味いか?」
そう訊ねると、少女は大きく肯いた。満更でもなさそうな反応だ。喜んでくれてなによりだ……が、隣を見ると静が涙目で少女を見ていた。
「悪い、少しだけ残してくれないか?」
静のため、と俺は胸中で付け足す。
「わふりまひた」
「食ってから話してくれ」
そんな時、たまたま少女の右手に持っている箸へと目が行き、「あ」と思わず俺は声を漏らしてしまった。俺は自分が使っていた箸を、そのまま渡してしまったと今になって気付いたが、少女の方は気付いていないのか、気にしていないのか、あどけない顔で首を傾げた。どちらにせよ全く気にかけていないらしい。
「いや、箸の使い方がわかるんだなってな」
指摘するのも変に思い、素朴な疑問と織り交ぜて上手く取り繕う。どうでも良い質問なのか、と訊かれれば一概にそうとは言えなかった。少女のみてくれから考えて、箸を器用に使っている様が意外に思えたからだ。
「なんだか身についていたみたいです」
箸を使う国は限られてくる。和国も昔から箸を使う国で、箸に使い慣れてるということは和国出身である可能性は高い。だが、それでは少女が歌っていた歌の歌詞が引っかかる。
「外国語は話せるのか?」
「主要なものでしたら、いくつか話せます」
なるほど。年齢は判らないが、見た目から考えるとこの少女は頭が良いのかもしれない。
「これは俺の勘だが、お前が驚いた時、とっさに出てたのもここの言葉だったしな。別の国からこの国に移住してきて、案外長くいたのかもしれないな」
「そうなのかもしれませんね」
自信のある推論だったが、少女は驚きもせず淡々と答えた。
「……興味なさそうだな」
「私の世界はここか窓の外、その二つだけですから」
少女は目を細め、寂しそうに窓を見上げる。――窓の外の世界を。
「あ、鳥さんだ」
少女の視線の先。少女側の窓の縁に小鳥が一羽止まっているのが見えた。
『シジュウカラじゃの。取り立てて珍しい鳥でもない』
山が近いここらでは特段珍しい鳥でもないのだろう。だが、少女は物珍しそうに箸を止めて、じっとその鳥を見つめていた。
「あの鳥はシジュウカラだ」
「シジュウカラって言うんですか。詳しいんですね」
「まあ、あの種は別段変わった鳥でもないしな」
静から聞いたことを、いかにも知っていたように受け売りするのは、どうも抵抗があった。
『別に構わぬ。余の知識はお主の知識じゃ』
後ろめたい気持ちを感じ取ったのか、鳥を見ながら静は言った。
「あっ」
静が言い終えた直後に突然、少女が小さく声を漏らした。窓を見ると、先程まで鳥がいた場所には何もいなくなっていた。どうやら、じっと見つめていた少女の行為も虚しく、鳥は飛び去ってしまったようだ。
「……鳥さんは何処へ行ったのでしょうか」
うわごとのような言葉だったので俺は耳を傾けなかった。しかし、やけに間が空いたため訝しんで少女の方を見ると、彼女は名残惜しそうに窓を見つめ続けていた。
鳥はもういない。虚空だけだ。
「さあな、鳥にも予定ってもんがあるだろう」
言った直後に気付く。少女の言葉の本質に。それに気付いた俺は、なんとも言えない気持ちになった。
「あの鳥さんにも、何か予定ありますよね……」
次第に少女の言葉に嗚咽が混じってゆく。そして少女は俺に訊ねた。
――私も鳥のように、いつかあの空の下で自由に生きることができますか……? と。
「それは――」
鉛のように重い質問だった。俺の脳裏に浮かんだのは、司が言った『何処かへ連れて行かれる』という言葉。しかし、そんな話を安易に切り出せるわけもなく、
「ここに来てから日が浅いしな。悪いが、その質問については答えられない」
とっさの気休めも思い付かなかった。
「そう、ですよね」
少女も何処か薄々と気付いているところがあるのだろう。天へ向いていた少女の視線はゆっくりと地へ落ちた。
「私、あの鳥さんが凄く羨ましいです。大空を飛び回れる、その自由が」
少女があまりにも重苦しいことを言い出すので、俺は言葉に詰まってしまった。
「ごめんなさい、変なこと言いましたね」
「いや、いい。そういう時もあるだろう」
「窓の外を見ていると、時折こうなるんです。胸がきゅっとなって、凄く苦しくて――」
泣かぬようにと必死にぎこちなく笑う少女を見て、俺はいたたまれない気持ちになった。にもかかわらず、少女はゆっくりと言葉を紡いでゆき――
「そんな時、ああ、私はここにしかいられないんだって、唐突に思い知らされるんです」
少女はそう続けて、ふうと大きく息をついた。俺は返す言葉もなく、少女の言葉に耳を傾けることだけしかできなかった。少女が膝を抱え込むと、枷に繋がった鎖の音がかすかに鳴る。しばらくの間、少女は下を向いて自分の足に填まった枷をぼんやりと眺めていた。
少女にとっての明確な
あろうことか、少女の枷と扉の錠を外せる鍵は俺がもっていた。少女が欲する
「私――生きてますか?」
鍵を仕舞った瞬間を見計らったかのように少女から声が掛かり、俺は驚いた。
『そのようなことを言ってはいかぬ。言霊は怖いのじゃ』
静はそう言うが、俺はなんと言って少女へ返せば良いのか皆目見当が付かなかった。少女の顔を伺うと、その双眸には涙が溜まっていた。
「私が私たり得る存在の意味が欲しいんです」
むせび泣きは続く。少女の涙と思いは止めどなく沸き、溢れ、流れてく。
「こんな場所で一人は、いやなんです……」
孤独は人を何処まで虐げれば気が済むのだろうか。こいつはこんなにまで摩り切れてしまっているのに。
こんな閉鎖された空間に身を置き、孤独と苦痛がない交ぜになれば誰でも狂ってしまうだろう。それに耐えきれなくなった人間が、ここには沢山いた。昨日は強がりを見せていたが、この少女も例外ではないのだろう。当然だ。
いや、その当然を俺は完全に感じ取ることができなかった。
この少女が口にするまでは。
「お前が良ければ毎日来てやる。それで少しは気持ちが楽になるんじゃないか?」
「……良いんですか?」
少女が顔を持ち上げると、涙が頬をツツ――と伝ってこぼれ落ちた。
「ああ」
力の籠もった言葉が、牢部屋に残響して霧散する。その言葉に対して少女は、
「信じて、良いんですか?」
と言って、胸元で両手をギュッと結んだ。
「くだらない嘘は――」
「言わない、でしたね」
少女が泣きながら吹き出し、それを切っ掛けに俺達はどちらかともなく笑い合った。
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