一章 11:一人で将棋?
『6五角じゃ』
静はニヤリと微笑を浮かべて、盤上のマス目を指差した。
俺は盤面を確認してから目頭を揉む。6五角では
いわば絶望的状況。
金程ではないが飛車を捨てて、飛車角交換に持ち込んでも相手は静だ。飛車なんて与えてしまうものなら、状況は悪化していくだろう。
「待った」
『待ったはなしじゃ。余は飛車落ちじゃぞ?』
あれから俺達は任務が終わる時間になるまで、少女の牢部屋で時間を潰した。その後、夕食や風呂などを経てから、自室で遊戯室から借りた将棋盤と駒を使い将棋に興じていた。
俺の相手はもちろん静。
静は指示をするのみで、俺が先手と後手の両方を動かしていた。
これには静が物体に影響を与えられないことを考慮に入れなくてはならないために、自然とボードゲームでしか遊べなくなってしまうためだった。
一応、花札など手札の枚数と手数が少ない物であれば工夫して遊ぶことは可能だろう。ただ、トランプや麻雀などはやや複雑になるため厳しいものがある。それに遊びには静と俺の二人だけなので、たとえ遊べたとしても、トランプや麻雀は面白みに欠けるだろう。
「……心を読むのはズルだぞ? 静」
『どうとでも言うがよい。余はそんな姑息な手など使わぬ』
勝者の余裕、という奴だろうか? 静が得意げにフフンと鼻をならす。言い返したいところだが、盤面が全てを物語っていて、ぐうの音も出なかった。
次の一手を模索するために盤上を食い入るように見つめていると、コンコンと扉をノックする音が廊下から響き、俺の思考を寸断させた。
『司じゃ』
静は勢いよく立ち上がると、扉の方へ軽やかに駆けてゆく。――が、しばらく走ったところで静は急に立ち止まり、こちらへ振り返った。見たところ、これ以上は俺から離れられないらしい。
『信哉、はようせい』
静に急かされて、俺はやれやれと立ち上がると扉の方へ足を運ぶ。
再び鳴り響くノックの音。「はい」と俺が扉に語りかけると、「オレだよオレ」と返ってきた。こんな適当な返答をする奴の心当たりといえば、俺の中で一人しかいなかった。
扉を開けると目の前には予想通り、司が立っていた。
「よお。今の時間で平気だったか?」
将棋の対局中ではあったが、優勢にあった静が勝敗そっちのけで司の元へ駆けてゆき、なおも尻尾をピコピコ動かして喜んでいるので問題はないだろう。
「大丈夫だ。上がってくれ」
俺は扉を大きく開け、司を中へと招き入れる。そのまま司は部屋の中程まで入ると、ウッと唸りを発して顔を歪ませた。
「相手もなしに将棋をやってるとか……練習か? 相手はいないのか?」
『相手は余じゃ。信哉はへなちょこで相手にもならぬ』
静はそう言うが、もちろんのこと司にこの声は届かない。
司の目には研究中に映ったのだろうが、将棋の研究をするとなると普通は平手であり、盤上と持ち駒を置く駒台以外の場所に駒を除いたりなどはしない。たとえ詰め将棋だったとしても本などを片手にするものだし、盤上が荒れた状態の詰め将棋なんてあまり存在しないだろう。
和国の軍人には将棋好きが少なからずいるのだが、司は当てはまらないようだ。
「あー、まぁ、うん。そんな感じだ」
狐の妖怪と将棋をしていたなんて、突拍子もなさ過ぎて言い出せなかった。
「信哉って寿司が好きだろ? ほら、つまみとかと一緒に買って来た」
司は右手に持っていたビニール袋を、俺の目の前にさっとかざす。寿司、それも和食が好きなのは俺ではなく静だ。
『さすがは司じゃあ! やはり余が睨んだ通りじゃ。はよう酒宴を初めようぞ』
なるほど。司が来てから狂喜乱舞して、なにかと思えば食い物だった。
静の狙いが分かり、俺は呆れてしまう。
「とりあえず、座ったらどうだ?」
「ん……、そうだな」と言って司は部屋を見渡し、「しっかし卓もねーのか。オレの部屋から取ってくるのも良いけど、別に良いか寿司だし」と矢継ぎ早に言った。
「……完全に忘れてた」
司の言う通り、確かに食事をするのであれば机ぐらい用意しておくべきだった。
「いいって。昨日に来たばかりだろ? なくても仕方ないって」
司は床で胡座をかき、袋の中から焼酎とウイスキーのボトルを取り出していく。
「そうか? 司が平気ならいいが……」
多少行儀が悪いとはいえ、この中でそれを咎めるような人間はいない。床で飲もうが机で飲もうが、酒が目減りするわけでもないので、司が平気だというのであれば余計なことを考えても仕方がないだろう。
「よし、じゃあ始めるか」
司は景気よく一番大きい酒瓶の蓋を勢いよく開けた。
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