一章 09:勘違い?
店に入ってみると、店外に比べて客数はそれ程多くなかった。もしくは多くの人は演習場へ向かう為に、既に朝食は済ませてしまったからなのかもしれないが、どちらにせよだ。
俺はそのまま店の奥のカウンター席へ座った。店内は珍しい様相もなく、至って普通の喫茶店なのだが、静は物珍しそうに店の中をじろじろと見回している。
『なんで急にここが良いって言い出したんだ?』
『久々に瓶ラムネを味わいたくての』
喫茶店と駄菓子屋を間違えているのか?
『……ラムネはさすがにないと思うぞ?』
『ないのかっ!? ラムネがだぞ?』
静が目を丸くして驚く。切迫したような静の様子に、俺は気圧されてしまう。
『いや、普通だと思うんだが……』
俺の返答に、静は長いため息をついた。よほどラムネが飲みたかったらしい。
『仕方ないの。じゃあ、代わりに蜜柑水を頼んで欲しい』
『……蜜柑水って何だ?』
『知らぬのかっ!?』
静の声が若干、震えているように聞こえた。
『水を差すようで悪いが、蜜柑水って奴もない』
ハッキリ答えると、静はへこんだ素振りを見せた。
『もしや、ここは女給が奉仕するカフエーか?』
『んん? さすがにメイド喫茶じゃないとおもうが』
どこでそんなマニアックな喫茶店を覚えたのだろう。テレビかなにかだろうか。
『メイド……? よくわからぬが、違うと申すのなら、昆布茶で我慢するとするかの』
『紅茶はあるが、昆布茶なんてないぞ』
相当ショックだったのか、静はテーブルにひっつぶして項垂れた。
『お主、ここは本当にカフエーなのか……?』
『ごくごく普通の喫茶店だが』
ついには言葉を失ってしまったらしい。静はメニューを見て固まっていた。どうも先程から、喫茶店をなにか別の店と履き違えているらしい。とんだ見当外れだ。
『ここはコーヒーか、ソフトドリンクぐらいしか提供してないと思うぞ?』
『ぐぬぬ……。鳶に油揚げを攫われて、追いかけたら沼にはまった気分じゃ』
静が苦悶に満ちた顔で、よくわからないたとえを呟いた。察するところ、目的のものがなかっただけじゃなくて、コーヒーしかないとでも思っているのだろう。
『勘違いしているみたいだが、ソフトドリンクはジュースのことだ』
と、俺が付け加えたその時、
「あれっ、ひょっとして信哉か?」
何処からか聞き覚えのある声。しかも『信哉』と下の名前を呼ばれた。
俺が声の元へ振り返ると、一人の男が立っていた。ぼさぼさ頭で軍服をだらしなく着込んだ姿に、俺の中で思い当たる人物は一人しかいなかった。
「
俺と静の驚きの言葉は、ほぼ同時だった。
俺の眼前に立つこの男。本名は
「おーおー、久しぶりだなぁ信哉。いつからここに来てたんだ?」
「昨日からだ」
俺が答えると、司は神妙な顔になった。
「へぇ、じゃあすぐに会えたのか。しかしなぁ、オレと信哉がこうして会うのも新兵時代以来か」
そう言いながら、司は右隣の席に腰掛けた。軽い口調は相変わらずのようだ。
「偶然だな。今までどうしてたんだ?」
俺が訊ねると、司は破顔した。
「オレはずっとここ勤めさ。それより、信哉の噂は時々耳に挟むぞ。なんでもクルトの一件を解決するのに大きく貢献したとか何とか」
クルト国の内戦がつい先日終結したことは、世界的にも記憶に新しい。クルト国で起こった内戦の原因は、マレビトが集まってできた過激派が国家に背き、市民をも巻き込む反乱を起こしたのが始まりだった。内戦にマレビトが関与しているということでアインが動きだし、俺もまたアインの一員として、戦地であるクルトに赴いていた。
最終的には過激派を全滅させる形で収束したのだが、俺の中では釈然としない気持ちがわだかまっていた。静は、『咎人を気にしても仕方ないじゃろ。人間なんて、掃いて捨てる程おるしな』と言っていたが、さすがにそこまで冷徹にはなれない。
そう考えると、俺はあまり軍人に向いていないんじゃないかとすら思える。
「そのことなら、別にそんな大した活躍じゃない」
『余がいたからの』
静もそうだが、それ以外の協力もあっての一件だった。
「でも、信哉は色々なところへ転戦していって、たたき上げで准尉になったんだろ? 凄いことさ。――っと、いけねぇ」
「……ん?」
首を傾げる俺をよそに、司はビシッと席から立ち、挙手の敬礼をした。
「失礼しましたっ、長谷部准尉。失言の数々、誠に申し訳御座いませんでした」
「司……わざとやってるだろ。今さらそういうのはよしてくれ」
「ハハハ、オレの方は最近になって伍長になってたりする」
司の言う通り、確かに彼の胸元には伍長の階級章が光っていた。
「なら俺と全く変わらないじゃないか」
全くは余計だったが、階級の差を気にする程でもなかったのは確かだ。
「ま、上か下かなんて気にすんなってことだ」
それを下が言うのかというツッコミは、俺たちの間では不要だった。
「これからも宜しくな。猟犬の信哉」
「……その呼び名はやめてくれ」
これが新兵時代、俺に付けられた呼称であり異名だった。誰が最初にそう呼び始めたのかについてはわからないが、猟犬と呼ばれる原因については俺の持っている力に根拠があった。俺の力とは言っても、静を媒体として得られる力ではあるが。
本来なら狐なのだが、当の狐である静はというと、俺が話題にするたび、『偽名じゃと、まじないは効かなくなるし、良かったではないか』と、ケタケタ笑って面白がっていた。
皮肉ながら、本来の意味を知らぬが故の反応だった。
俺はハウンドが何を狩るための存在だったかは伝えていない。これは俺なりの優しさで――というのは嘘であり、ただ単に怒った静は手を付けられないので、黙っているだけだ。
触らぬ神に祟りなし、とは良く言ったものだ。
「そうだ、何か頼まねーと。おっちゃん、アイスコーヒー一つ」
司の注文に喫茶店のマスターが、はいよと返答を返す。
「信哉は何か頼んだのか?」
「ちょっと決めかねててな」
そう言いつつ、司とは反対側を向く。静は先程から親の仇でも見るような眼で、メニューをじっと見続けていた。
『静、どうするんだ?』
『うーん、どうも余の知っているカフエーと違うみたいでの。決まらぬから信哉に任せるのじゃ……』
珍しく悪びれた様子で静が言う。
『甘いのが良いのか?』と俺が訊ねると、静は『寡聞ですまぬ』と呟いた。
「クリームソーダとシフォンケーキを一つずつ」
司の時と同じようにマスターは、はいよとだけ返した。
「……あれ? 信哉って甘い物嫌いじゃなかったか?」
「好きではないな……」
『好きなのは余じゃ』
司には聞こえないというのに、俺の言葉に続けて静が言う。
「やっぱ信哉はおもしれぇなあ。嫌なのに食ってるのか? あれか、修行か何かか」
「……それに近いものはある」
俺は静の方をちらりと見やる。
甘い物は好きではなかったが、静の意見を無下にできないというのが大きかった。静には俺の範囲内でしか自由がないのだ。それを例えれば、他人の遊びを見ている感覚に近いだろう。だから、俺は静の意見をなるべく尊重するようにしているし、こうして静の好きな物を食したりしている。
しかし、喫茶店に居る今の状況は静自身が選んだ道なので、フォローに応じる必要すらないのだが、どうにも甘い俺だ。
「そういえば信哉って昨日来たばかりなんだろ? キップは持ってるのか?」
「キップ? いや、持ってないな」
首を傾げた俺に、司は驚きの顔を見せた。
「そいつはまずいな。ここでは金が使えないんだよ」
一部の駐屯地や基地では、給料と併せてキップと呼ばれる配給札が支給され、そのキップを用いて物を交換する制度がある。これには横領や賄賂、賭け事の防止といった目的があった。
「……すまない、現金で大丈夫かと思っていた」
「あー、じゃあオレのおごりで良いよ」
「良いのか?」
「ここで断ったらどうするんだよ。再会の印さ」
「ありがとう、助かる」
現金は持ち歩いているので、ここで返金しても構わなかったのだが、俺は有り難く司の好意を受けることにした。
少しして、マスターが頼んだ品を持ってきた。
俺は基地内にある喫茶なんて、たかが知れているだろうと侮っていた。
クリームソーダはメロンソーダの上にアイスとさくらんぼが乗っかっているすっきりとした物だった。その一方で、シフォンケーキに至っては中々良くできていて、生地の上にクリームとカラメルソースが丁寧に掛けられている。
見た目を楽しむのもデザートの醍醐味とは良く聞くが、こういった物を指すのだろう。
『な、なんじゃこの飲み物はっ。飲み物の上にアイスクリームが乗っておるのじゃ』
静はきらきらした目で、クリームソーダを矯めつ眇めつ眺めていた。
『これがクリームソーダだ』
『こっ、これは画期的じゃ! 非常にショッキングであるぞ!』
『静が意図的に横文字を使ってることが、ショッキングなんだが』
ショッキングに代わる言葉など、いくらでもあるはずだが。
『普通の食事が出来るのもしばらくぶりじゃのう。あれは何と言ったか……。釜にも入れずに米が出来るあれじゃ。あれは何とも言えぬ味じゃった』
『カンメシのことか』
カンメシとは軍用の
『今、余は猛烈に感動しておる!』
よよよ、とその場に崩れる静。静の反応は大げさに見えるが、カンメシ生活が嫌だったことについては俺も同意見だった。食事で手料理ほどありがたいものはない。
「そうだ」
司は手元のアイスコーヒーにミルクを入れながら、思い出したように叫んだ。
「せっかく再会できたんだし、今夜にでも信哉のとこへ行っても良いか?」
司が右手をつの字にさせてくいっと飲む身振りを見せる。どうやら酒を呑もうってことらしい。返事に悩み、静を一瞥すると『酒ぐらい構わぬ』と返された。
「ああ、良いとも。俺の部屋は
司は何処からかボールペンと手帳を取り出し、書き込み始めた。
「一三〇……っと。よし、わかった」
軽薄そうに見えてこういうマメなところは、昔から変わっていないようだ。
「そういえば、信哉はなんでここへ来たんだ?」
ボールペンをノックして、手帳と共に胸ポケットへ仕舞いながら司は言った。
「それは――」
司に昨日のことを大まかに説明すると、始めは適当な相槌を打っていたものの、終盤になると司の顔はどんどん険しくなっていき、話し終えると同時に大きく嘆息した。
「――信哉」
重い口調に俺はどきりとしてしまう。
「……いや、やっぱりここじゃマズい、今夜にでも話そう」
「あ、ああ……」
こんな感情を見せる司を見たのは、俺にとって初めてのことだった。
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