一章 07:一日目の夜
地上にある寮へと俺は来ていた。
宛がわれた部屋には備え付けのベッドと、その隣にある小さなチェスト、チェストの上にある古い型の電話、最後に部屋の隅にある冷蔵庫ぐらいしか使えそうな物はなかった。
今の俺には服部から手渡されたもの以外何もなく、更には輸送した物もまだ届いていないようなので、当然ながら置く物もない。部屋は時が止まったように物静かだった。
俺は天井の明かりを付けず、部屋へと入るや否や靴を脱ぎ散らかして、ベッドに大の字に倒れこんだ。俺にとってはこのような就寝環境にありつけることは久々だった。半年程前から滞在していたクルトの駐屯地は最悪に等しく、床で寝ることを余儀なくされていたのだ。なので、こんな殺風景な部屋でも、ちょっとした旅館気分だった。
「神の摂理……か」
瞳を閉じると瞼の裏に浮かぶ少女の姿。
初めは何かをした上で、連れてこられたのだろうとは思っていたが、どうも過去に彼女が何かを起こしたとは思えなかった。
確証があったわけではない。
これは、数々のマレビトと相見えてきた俺の勘だった。
『のぅ、信哉。あの小娘を気にするのもよいが、大事なことを忘れておらんか』
真っ暗な部屋の中、静がもの凄く悲哀に満ちた形相で踏み寄ってきた。
はて、なにかあっただろうか。思考を巡らすも答えは出てこない。
「悪い、話が見えない」
ここで俺は静に対して、声に出して言った。
なぜならプライベートな空間であれば、独り言を呟いている姿を見られることはない。人間、本来の用途に使う部位を使わずにいるなど、負担になるというもの。他の人間にはわからないだろうが、心の内で会話をするのは結構疲れる。故に俺は二人きりの時であれば、言葉を口にして意思疎通を行っていた。
『いなり寿司、食べたいのじゃ……』
「あー」
そんな約束あったな……。
『忘れておったのかっ!?』
「何か食べるにせよ、この時間だと今日中は無理だ。明日、約束を果たそう」
この時間だと
PXという言葉は一般の人には馴染みのない言葉であるが、軍人にとっては別だ。PXは軍基地にある雑貨屋のような所で、日用品や煙草などの嗜好品、場所によっては家電まである。そこへ行けば日常的に必要な大抵の物を揃えることができた。
『……仕方ないの、明日まで待ってやろう。待ち遠しいので余はもう寝る』
静は床で胎児のように丸くなってしまう。妖怪だから風邪をひくことはないだろうが、俺は後ろめたい気持ちになった。
「静、そんなところで寝るな。なんか悪いことをしてる気持ちになる」
『別に余は床でも外でも、なんでも構わんぞ。寝床よりいなり寿司をくれ』
「いなり寿司のことは忘れろ。とりあえずこっち来い」
俺は寝床から降りて、床で丸まっている静の体を両手でひょいと持ち上げた。静は霊魂の類いだそうだが、しっかりと重さが両腕に伝わってくる。もっとも、静の体はもとより小さいので重たいとは微塵にも思わなかった。
『ちょっ信哉、やめんか』
静をベッドに寝かせて、そのままベッドに隣接している壁際へと押しやると、俺もまた毛布へと潜った。静の方は毛布をすり抜けて重なってしまっているようだが、まぁいい。
一人用のベッドではあったが、静が小さいので二人でもすっぽりと収まった。
『強情よのう。こんなことをしても、お主の独り善がりじゃぞ?』
それでもベッドは一人用なので、自然と顔が近くなる。静は困ったと言った様子で、眉をたわませていた。
「そう言うなって、一緒に寝よう。な?」
笑いながら言うと、静は顔を紅くして壁の方へ向いてしまった。
『先程もそうだが……つ、艶事と変わらぬことを平然と申すでないぞ』
「……つやごと?」
『もうよいっ。明日は楽しみにしておるからな』
「ああ、お休み」
そうして俺は目を閉じた。
あんな陰鬱な場所を見なければ、寝付きは良かっただろう。
久々の寝具だったが、しばらく経っても眠りに就くことは出来なかった。
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