一章 03:軍事拠点
着陸の振動で、俺は目覚めた。
単調な景色を眺めていたからか、眠ってしまったらしい。寝ぼけ眼で右手を見れば、窓から単調なコンクリートの滑走路と演習場と思わしき広場が見えた。
どうやら、どこかの駐屯地に着陸したようだ。エアバスについた小さな窓では、風景を一目できずに判然としなかったが、何となくここの基地が広いように思えた。
「着いたのか」
背伸びを一つ。凝り固まった身体を伸ばしながら、俺は座席から立ち上がった。
さて……荷物は静のみか、と冗談を考えていると、静から冷たい視線が飛んできた。
『まったく、余を放って眠りこけるとは何ごとじゃ』
考えを読まれたのかと思ったが、寝ていたことについて静は怒っているようだった。寝たことについて言い訳をすれば、昨日は徹夜で今日の支度をさせられたのだ。ふとした緩みで寝てしまうのも致し方ない。ただ、俺が寝ていたことで、静は余計に暇を持て余していたことだろう。そう思うと、静のことが不憫に思えた。
『悪かったから。ほら、行くぞ』
俺はふて腐れている静の手を取って、搭乗口の方へと足を運ぶ。静はむうと唸ってから、大人しく俺の後ろをついてきた。
俺たちは輸送機から降りて、機体の出入り口付近で待機することにしたものの、しばらく経っても案内人すら現れない。昨夜に突然の異動を告げられ、翌朝には予定も知らないまま輸送機に乗せられたので、この後はどうすれば良いのか、途方に暮れてしまう。
輸送機の傍らで周囲を見回していると、いかにも高級そうな黒い車がすっ飛ばして走っているのが見えた。滑走路を派手に爆走する高級車というのは中々の見応えだ。
まさかあれが迎えじゃないよな……なんて考えてしまったからか、車は不幸にも俺たちの目の前で停まった。それもドリフトをしながら。
車をあまり知らない静でさえも、この時ばかりはさすがに驚いていた。一体どんな奴が運転しているんだと、少しばかり構えてしまう。
しかし、意外にも車の運転席からは初老の男が現れた。運転手は白髪ではあったものの、俺と同じ黒い瞳は東洋に住む人間の特徴と言っても良いだろう。
「こちらにお乗りください」
運転手は品の良い礼とともに後部座席を開き、俺を誘う。
「すぐに着くのか?」
あのような走行を日暮れまでとかだったら、さすがに参ってしまう。
「長旅でお疲れかと存じますが、二十分程掛かります」
『二十分とか、だいじょう――いや、何でもないのじゃ』
運転手のその言葉に、静が尻込みした。
静の言いたいことはわかった。……が、乗車を拒否できる状況でもなさそうだ。
俺と静は互いに顔を見合わせ、仕方ないので車に乗り込むことにした。
いざ発進してみると、拍子抜けするほど安全運転だった。ハンドルを握ると人が変わり、先程のような運転を――とかもなく、取り越し苦労だったようだ。
車内にはクラシックが流れていて、俺はゆったりとした旋律に身を置く。流れていたのはサティのジムノペディ。高級感のある車内にぴったりな曲だったが、車窓から見える軍基地の景色に対してはあまりにもミスマッチだった。
『いやぁ、なんというか趣があって凄いの』
感嘆を漏らす静。それは俺も同じように感じていた。
見るからに高級感が溢れている車内。運転手は紳士服に身を包み下手な軍人よりもビシッとしている。こういった運転手付きの高級車を、ショーファードリブンと呼ぶんだったか。
昨今の世界情勢を鑑みれば、こんな高級車に毎日乗れるのはどこかの財閥か、上層階級の人間だけだろう。俺はそんなことをあれこれ考えながら、懐から煙草を取り出して咥えたところで、運転手に「あの」と話しかけられた。
「何だ?」
煙草を咥えながら、ポケットを叩いてライターを探す。
「申し訳ないのですが、当車は禁煙でございまして」
「禁煙だぁ!?」
俺はポケットから取り出しかけていたライターを、危うく薄暗い車内に落としそうになった。
「さっきの輸送機もそうだが、禁煙禁煙ってなんなんだ一体。一本ぐらい吸わせろ」
「その、禁煙車ということで、灰皿は備え付けていませんので……」
「手を灰皿にしろというのか」
「いえ、決してその様なつもりで申したわけでは……」
『落ち着けい
禁煙の単語で発狂してしまった俺だったが、静に一喝されて冷静さを取り戻す。
「……すまない、取り乱した」
「いえいえ、大丈夫ですよ。途中、休憩を挟みましょう」
運転手は先程のやり取りを全く気にしていない様子で、さっぱりと答えた。
『ま、すぱすぱ吸われては困るし、余にとっては好都合であるがな』
煙草嫌いの静はどこか嬉しそうだった。
『ちくしょう、喫煙者にとって生きずらい世界になってきた』
そして、車は爽快なエンジン音を鳴り響かせながら走り続け、しばらくすると検問所のような場所に到着した。すぐ目につくのは、左右見渡す限りの大きな壁と大きな門。それはさながら、旧独逸を二分割した大きな壁のようだ。しかも、そこには武器を持った衛兵が五人も立っていて、とても厳重であることが伺える。このような場所は、国境の検問所ですら中々ないだろう。
「長谷部様、少々お待ちください」
運転手がそう言った直後、車のスピードは段々と落ちてゆき、門の手前で停止した。運転手は車から降りると、そのまま門のほうへと歩いてゆき、門の横に立っていた衛兵の男と話し始めた。
『少し掛かりそうだの』
静が外にいる運転手を見て、退屈そうに呟く。
『外の空気でも吸うか?』
静の返答を待たずに車のドアに手をかけると、なぜか運転手が引き返してきた。
「お待たせ致しました。では、行きましょう」
運転手は車のエンジンを再びかけて、ハンドルを握った。
がらがらと大きな音を立てながら開いた門の間を、車はゆっくりと通過していく。
「何を話してたんだ?」
「ここを通るには検問が必要なのですよ」
果たして、先程の流れを検問と呼べるのだろうか。少々お待ちくださいと運転手は言ったが、本当に少々だった。車の中を全くといっていいほど調べられなかったし、俺に至っては身分すら明かしていない。窓越しだったので運転手と衛兵の会話を聞けていないが、あの早さからすれば二つか三つ、言葉を交わしただけではないだろうか。
「それにしては早いんじゃないか?」
俺の言葉に運転手は察したようで「ああ」と頷いた。
「以前から長谷部様の話は通っていましたから」
それに、大体の事情は織り込み済みなのだと運転手は説明した。曰く、こういったことは度々あるらしい。
運転手の説明が終わった頃、窓に映る景色はがらりと変わり、車はナトリウム灯が点々と灯っているトンネルを移動していた。車が前進する毎に、オレンジ色の光が車内へチラチラと入り込む。
俺は通過するナトリウム灯を目で追いつつ、車の窓に肘を引っ掛けて頬杖をついていた。
「……全部予定通りってことか」
だったら、もう少し前から異動の話をしてくれれば良いものを。
「他に何か気になることはございますか?」
運転手の問いに『どこへ向かっているのじゃ?』と静が訊くので「この車はどこへ向かっているんだ?」と俺が代弁する。
「ご存じないのですか?」
運転手から返ってきたのは驚きの声。どうやら知っていると思われていたらしい。
「ああ、和国へ行けとだけ言われて、翌日には何も説明なしに輸送機にぶち込まれた」
今までも何度か異動したことがあったが、少なくとも一週間前には事前連絡があった。
「左様でございましたか。当車は現在、地下に向かっております」
「地下?」
疑問を口にしたところで、ふと気付く。耳に気圧の変化が原因と思わしき違和感があるが、これは地下に向かっているからなのだろう。輸送機に乗っていた後だったため、俺はそのことを深く考えていなかった。
「ええ、ここアイン直属第二十六番基地は地上にもいくつか建造物などがございますが、実験施設などの拠点は地下にございます」
「なんでまた地下になんか」
「これは聞いた話なのですが、昔ここら一帯は鉱山だったそうなんです。ですけれど、先の大戦で酷使したために枯れてしまったようでして。廃坑になる寸前のところをアインが買い取ったらしいんですよ。色々な場所に廃坑の名残が残っていましてね。ここのトンネルにもいくつか非常用出口として再利用している所もあるんですよ」
運転手は長い説明を淀みなくつらつらと述べて、バックミラー越しにふわりと笑った。
「しかし、また軍事拠点か……」
この車に乗る前からわかりきっていたことではあるが、そう思いつつも少しは別の何かを期待してしまっていたのだ。
これでは元いた戦地と変わらないだろう。
そのことが残念に思えてならなかった。
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