生姜焼き弁当
夕飯までには間に合うように帰ってくるのよ、なんてお母さんに言われていた頃が懐かしい。
私は今や、三十路にそろそろ手が届こうとしている。小さな会社の社員をしていて、私の夕飯はそこの24時間やっている弁当屋で会社帰りに買ってきた生姜焼き弁当だ。
一人暮らしだから、気楽なものだ。
寂しいか寂しくないでいったら、それはまあ寂しい時もあるのだけど、私は元気でやっているつもりだ。
私には密かな、小さな楽しみがある。それが飼っているネコと遊ぶことだったりする。
小さなアパート暮らしだから、当然大家さんには内緒で飼っている。
白い白い小さな子猫。
ネコの名前は、付けなかった。
名前をつけたら、このネコのネコらしさを、人間らしさで縛ってしまうような気がした。
ネコは今日も可愛い。
私が差し出した指をちょいちょいと触ってじっと見つめる。かと思うとふいと何処かへ出かけて行って、戻ってきたと思ったら私のノートパソコンの上に小さな図体をさらけ出して、パソコンの熱で気持ちよさそうにしていたりするのだ。
ネコは今日も可愛い。
ふと、私もネコになりたいなんてことを思う。
ネコになったら、私も差し出された指とか、ノートパソコンの熱とか、人間にしてみたら取るに足らないようなことひとつひとつが、一生懸命な出来事になるのだ。
ネコはネコだからこその小さな幸せみたいなものがある。
ネコサイズでの小さな幸せなんてものは世の中にたくさん転がっているように見えた。
私の膝で今は丸くなっている、やたらに毛を撒き散らすこの存在にとっては、毎日が驚きの連続なのかもしれない。私は同じものを見てもそれが当たり前になっている。
私はネコの幸せフィルターでものごとを見てみたいのだ。
それはとても素敵なことで、ネコになりたいなんていうのは人間の空想でしかないけれど、ネコにとってはそれは現実のことなのだ。
そんなことを考えていると、ネコのお腹が心なしかくう、と鳴って、ネコはまたいつものように自分のポジションでご飯を食べようとしている。
「やば、夕飯」
私の生姜焼き弁当はもう、冷めきってしまっていた。
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