秘宝短編集

鈴埜

竜の秘宝

 ツルバラがガゼボに絡みつき、赤く小さな花を咲かせている。庭のあちこちに設けられたランタンに、火は入っていない。星降る夜には無粋でしょうと、この庭の主の言葉が聞こえてくるようだ。絶壁に作られた庭園は薄ぼんやりと闇の中に輪郭の曖昧な濃淡を作り上げていた。

 あたりはしんとし、城下の喧噪はここまで上がっては来ない。下界の音も、色も、匂いも、憎悪も、悲哀も、享楽も、すべてこの岩山に阻まれる。切り立った崖の、ほんの、猫の額ほどの庭園。外から遮断され、囲われ、閉じ込められた空間に、その人はいた。

 キングサリの花が、光のように輝き、舞う。

 艶やかな亜麻色の緩く波立った髪は、微かな星明かりさえも反射し、その姿を闇に浮かび上がらせる。こぼれ落ちそうなほどに潤んだ、春の空の色をした瞳が、真っ直ぐ闇へと向けられていた。その中から何か、彼女にとって大切なものが現れるのを心待ちにしているかのように、唇に微笑みがのっている。

 新雪のような白い肌は、日の光を浴びたことがあるのか疑問に思えてしまえるほど透き通っていた。夜着は薄く、時折撫でつける風に揺れる。

 私は、ベニウツギの手前で止まると、その隙間から彼女の姿を飽きるまで眺めていた。

 太陽はつい先ほど姿を消したばかりだ。夜は長い。長く、そして何度でも訪れる。毎夜毎夜、こうやってそっとその姿形を見つめている。それだけで満足だった。

「いつまでそこにそうしているの?」

 風に乗って聞こえた彼女の言葉は、耳に心地よくあまりに自然でしばらく気がつかなかった。だが、呼ばれたとわかれば、こうやって留まる必要はない。同じように足音をさせずに彼女曰く、まるで雪解け水が滑り落ちるようにその傍らへ腰を下ろした。

「あなたの姿が消えてしまわないか、それが不安なんです」

 不安と、どこか期待を孕んだ私の声色に、彼女は不思議そうに首を傾げ、真っ直ぐこちらを見た。青い双眸が私の姿を射止める。そうすると、ここにあるのだと、どこか曖昧だった自分をはっきりと認識できるようになる。観測者である彼女の存在が、私をこの世に留めるのだ。

「それはあなたでしょう? あなたこそ、いつの間にかやってきて、いつの間にか消えてしまう」

 すっと寄せられた彼女の指先は氷水に浸していたかのように冷たく、耐えきれず私はその手を握った。桜色をした指先が、私の無骨な手の内にすっかり収まってしまう。

「触れていなければ、またいつの間にか消えてしまう」

 薄い色のくちびるを少しだけ引いて笑う姿に、同じように表情を緩める。

「ねえ、また同じ質問をしていいかしら」

「また同じ返事しかできませんが」

「それでも、永遠はないもの。いつか、答えが変わるかもしれない」

 少女のその言葉に、苦笑する。同じ言葉を同じように何度も何度も繰り返す。彼女は、彼女たちは、何度も問いかけるのだ。

「ずっと、私のそばにいて」

「それはできません」

 少しだけ間をあけて、それでも答えは変わらない。

 もう落胆の色もない。初めの、一番最初の告白は、ありったけの勇気を詰め込み、恥じらいを捨ててのもので、立ち直るのにかなりの時間を要していたが、今はもう慣れたもの。一瞬表情をこわばらせ、肩を落とす。

「それなら、なぜ来るの?」

 当然の質問が続く。

 それにも、同じように言葉を続けるだけだ。

「私はただ、返して欲しいだけです」


 長い間、人族と竜族は戦を続けて来た。

 人は竜の永遠にも近い命のからくりを知りたいと望み、その秘密を竜族へ求めた。

 竜族は、人が盗んだ竜の秘宝を取り戻そうと人族へ要求する。

 だが、人は、その秘宝がなんであるかわからなかった。

 竜は、人にそれが何かをあかそうとはしなかった。

 人は、それこそが永遠の命の秘密だと考えた。その秘宝を奪おうと考える。

 互いに求め、どこまでも平行線をたどるのだ。


 朝の光が、すぐ傍まで迫ってきている。それが肌で感じられた。私のその変化に寄り添う彼女もまた、気がついた。まぶたの内で青色の瞳が揺らめき、金色の睫毛が細かに震えた。

「私に何ができるのかしら」

「あなたには何もできませんよ」

 私の問題だから。あなたには何の罪科つみとがなく、すべてはこの私の魂の危うさにある。弱さにある。それはすべてのはじまりからずっと、知っている。

「お父さまがね、婿を取ると言うのよ」

「それはおめでとうございます」

 さすがにむっと押し黙り、項垂れる彼女に、私は何度も味わったむなしさと同時に今度こそという希望の光をその先に見た。

 少女が、女性になり、淑女となって、そしてまた少女が現れる。それを何度も何度も繰り返す。

 そして、彼女は、彼女たちは私に同じ言葉を囁くのだ。


 風が吹く。

 普段は運ばれることのない戦火の煙が流れ込んでくる。

 それほどに強い風だった。

 彼女は、その先にあるものに、声を張り上げる。

「何度だって、私は同じ問いを重ねる!」

『何度でも、私は断りの言葉をのべましょう』

 声は空気を震わせた。この閉ざされた夜の庭を、静かに醒めた調子に押し隠された感情のままに奮い起こす。彼女の薄い夜着が今にも引きちぎれそうなほどにはためく。一歩、二歩と後ずさり、よろめく彼女に差し出す腕は、もうない。腕は前足となり、背には皮膚を貫き現れた二枚の翼。この硬い鱗は彼女を傷つけるだろう。

 朝が、近い。

「いい加減諦めればいいのに! 諦めてしまえばいいのに!」

『諦めることで成し得るのなら、とうに諦めています』

 諦められることならば、このように毎夜訪れることはない。

 それでも、次の彼女ならば、その次の彼女ならばと。弱いから。自らそうすることができずに相手にそれを求める。狡い、酷いと罵られようとも、私からやめることはできない。

 あなたには何もできない。

 だが、次のあなたになら――――。

 竜族の命は永遠にも近い長さがある。

 だからこそ、儚く短い人族の、燃えたぎるような情熱に、こちらの魂まで焦がされ惹きつけられる。ごうごうと音を立てて押し寄せる感情の濁流に流され、飲み込まれ、自分を見失う。

「私は絶対に負けないわ」

 その強いまなざしの奥にある炎に、うっとりと魅入ってしまう。

 ――私は、囚われている。

 それがどれだけ愚かなことで、私と彼女だけでなく世界をも巻き込んでいるか、重々承知しながらも、それでもなお、甘美なる檻から逃れることはできないのだ。

 人は数で竜の強大な力を圧し、滅びることなくわらわらとわいて出る。竜は一頭、また一頭とその波に飲み込まれていく。

 また、竜は長くときを過ごした中での知恵を使い、数の暴挙をかわし、すり抜け、自滅へと誘い込む。力と知恵とは危ういところで拮抗を保ち、一方へ傾きかければもう一方が盛り返した。しかし、近年その揺れ幅は次第に大きくなってきている。

 ほろびは、足音を忍ばせ、だが確実にやってきている。

 翼を一度扇ぐと、彼女を取り巻いていたキングサリが、宙に舞った。

 最初の一筋が地上に現れるとき、私の姿は朝霞に溶ける。私を包む形はおぼろげとなり、滲むように光の中へと消えていく。光の、彼女の瞳の中へするりと入り込んでいく。

「いい加減諦めてよ」

 彼女の頬に伝う雫は、朝日の中で霧散した。

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