星の海で眠る

海野てん

星の海で眠る

 私が宇宙に行こうと決めたのは、恋人と別れたことがきっかけでした。いえ、決して自暴自棄になったとか、失恋の痛みが高じて日本どころか地球からも離れたくなってしまったとか、そういうことではないんです。もとより、彼と別れたのも「お前は俺がいなくても大丈夫な女だから」なんて言われたからなんですよ。ひどい言い草ですよね、今思い出すと。

 ええ、そうなんです。別れたこと事態はお察しの通り、あまり気にならなかったんです。むしろ、彼に言われたことがすとんと胸に落ちて、私は本当に「一人でも大丈夫」と言われるようなタイプの人間だと妙に納得してしまったくらいで。そのことがきかっけですね、私が『孤独』というものを追求してみようと思ったのは。

 強がり?……そういうのは、無かったと思います。私、大学時代にワンダーフォーゲル部に所属していたんですが、あ、知ってますか?山野を歩く……まあ、本格的ではない登山というか、野外活動の一種ですね。彼とは同じ部活で知り合ったんです。だから、別れた後もしょっちゅう顔を合わせることがあったんですよ。

 それで、……分かれてから、数カ月後だったかな?一年は経っていなかったように思います。少し離れたところにある、低い山を踏破しようといって、部員の皆で出かけた日があって。当然、彼も来てたんです。それで、ちょっと二人だけになる機会があったんですけど、彼は「全然寂しくなさそうだね」とか「何か俺に言うことないの」って言ったんです。彼の方が未練があったみたいで、ちょっとおかしくなっちゃいました。

 私は全然、そういうの無くて。「ああ、この人自分で振っておいてこういうこと言い出すんだー」ってかえって幻滅したくらいでしたね。そうです。強がり以前に、別れてすぐにスーッと彼へのこだわりとか、一緒にいたいって言う欲求が消えてしまった感じ、ですかね?後から共通の友人に「ちょっと覚めすぎてないか」と言われて、改めて自分の性格を自覚しました。

 それで、皆がそう言うならば、突き詰めてみようと決めたんです。

 負けず嫌い?そうだったのかもしれないですね、ちょっと、詳しくは思い出せないんですけど、その頃の私には、それがすっごく良いアイディアに思えたんです。今?……そうですね、後悔していないので、自分の選択が間違っていたとは思いません。ああ、他人に勧められるかと言ったら微妙ですけどね。

 宇宙に行く、というのが私が導き出した『孤独』の答えでした。宇宙空間には、人類は住んでませんからね。しかも、一度行ってしまえば、自分の意思で誰かに会いに行くこともできないんですから。

 宇宙へ行くと決心した時、私は既に大学四年生で、就職の内定も貰っていました。いえ、宇宙開発の企業ではないです。三年生のうちに内定を貰っていたので、宇宙のウの字にすら掠らない会社でした。

 内定を蹴ってしまおうと何度も考えました。でも、宇宙に行くあても無いことに思い至って、結局は普通にその会社で働き始めたんです……一年だけ。

 その一年の間に、大学院の社会人枠に滑り込むべく、色々と手を打ちました。私の大学は、色々な科が集まったところだったんですけど、幸いにも卒業した科の教授が理学部の教授の一人と懇意にしていて、色々と調べてくれたんです。学部の頃に専攻していた科と違っても、院の入試に合格すれば入れるんですね、大学院って。先生に教えてもらうまで知りませんでした。

 でも、理学部に入れば、宇宙に行くチャンスがあるかもという考え自体は甘かったみたいで……。日本のJAXAとかアメリカのNASAとか、ああいうところから宇宙飛行士に抜擢される人って、本当に優秀なんですね。自分とは別世界の人たちばかりで、びっくりしました。まあ、これは私の計画性の無さが原因ですけど。

 慣れない実験や論文ばかりの世界に入って、間もなく修士から今後の身の振り方を考える時期が来ました。博士過程を希望するには成績が足りず、就職をするには就活が疎かになっていた状態で、泣くに泣けない状況でした。一番辛かったのは、宇宙に行くと決めたのに、ちっとも目標に近付いていなかったと気付いた時ですね。

 もう私に残ってるのは、教授のコネだけでした。まあ、もともと親しい教授からの口利きがあった私ですから、その後も色々と目をかけていただいてはいたんですけど。その先生が、JAXAに勤めている昔の教え子に話を持って行ってくださって、JAXAの職員の枠を紹介してもらえたんです。勿論、その話に飛びつきました。……いや、本当にそこに入れなければ、どこにも身の置き場がなくなってしまう身だったので、それからは採用試験の準備に心血を注ぎましたよ。何とかJAXAに下っ端研究員として入ってからも、宇宙飛行士の選考には引っかかりませんでした。

 でも、ある日チャンスが来たんです。『大型人工衛星滞在管理者』の募集が出て、私、それに合格したんですよ!あ、『大型人工衛星滞在管理者』なんて聞いても、よく分からないですよね。内輪だけで使っていた呼称ですし。宇宙センターほど大規模ではなく、もっと簡易な観測施設を『大型人工衛星』と呼んでいたんです。

 小規模な分、宇宙センターほど維持費はかけていなかったっぽいですけど、まあ、宇宙に観測施設を打ち上げるなんて、それだけで大金が動いてるわけですよ。しかもその頃は、地球の軌道に打ち上げた人工衛星が使えなくなったらそのまま宇宙ゴミとして放棄されているとか、新しいゴミの社会問題として、槍玉に挙げられていたんですから、大型人工衛星なんて、うっかりすれば大金はたいて作った粗大ゴミになりかねないですよね。

 なので、衛星内に常時待機して、衛星のメンテナンスをする職員の募集が出されたんです。私にとっては幸運でしたが、暮らせるとは言っても、狭い衛星の中、外に出ることもできずにひたすら地球とデータのやり取りをするか、衛星に異常が起こっていないか確認するだけの仕事なんて、普通はやりたがらないと思います。まあ、それが低い倍率の競争にしてくれたんですけどね。

 そういうわけで、私は管理者としての教育と、ストレスの多い環境での訓練などを経て、宇宙に打ち上げられました。最初の予定は三ヶ月だったと思います。それくらいで、人間の精神に無理がくる仕事だと考えられていたんです。

 これが意外と忙しい仕事でした。半月に一回、新しい資材が送られてくるので、衛星の不調部分を手入れしたり……地球のような大気に守られていない衛星は、太陽から出てくる電磁波などですぐに傷んでしまうんです。定期的に太陽系外探査機から届くデータを確認したりとかもありましたしね。三ヶ月が終わって一度日本に戻って来た時には、大型衛星を探査機の射出、帰還の拠点にしようなんて計画も出ていて、ますます忙しくなるのかと目眩がしたくらいです。

 え?ええ、そうです、実際そうなったんですよ。宇宙には来たものの、『孤独』かどうかなんて、考えている時間の方が少なかったですね。はっきり言って。

 

 まあ、忙しさを除いても、やっぱり孤独を感じることはありませんでした。

 暗黒の宇宙の中に光る星を眺め、果ての無い空間に一人いることを思ってもちっとも寂しくないんです。逆に、地球を見て、私がここにいるなんて多くの人は知らないんだよなーと想像しても、全然気になりませんでした。

 衛星の外に孤独がないならばと、医療用の休眠カプセルにこもったこともありましたけれど……あ、カプセルですか?そうですねー、形状は皆さんが想像される、人一人が入っていっぱいになってしまうような物で間違いないです。そのカプセルも、実験的に搭載されたもので、人間が入ると、薬品が噴霧されて強制的に入眠させることができ、しかも眠っている間に身体を仮死状態にして保存、更には自動皮下注射でナノマシンを体の中に入れて体内の不調をチェックするというスグレモノなんですよ!ただ、実用前の段階のものでしたけどね、実動テストとして使ってもらえないか打診が来た時に、すぐにオッケーを出しました。怖い、よりも先に面白そう、という気持ちの方が強くて……。

 実際、かなりの技術が使われたカプセルだったんですよ。ナノマシンも、手術で使う生体組織接着と同じように仕事を終えたら、一部は生体に取り込まれて消滅、取り込まれない分は便に混じって排出されるっていう具合で。あと、ここだけの話なんですけど……どうも、そのナノマシンは健康状態以外にも、美容の面でも効果があったみたいで、カプセルで眠った後、すっごく肌の調子がいいんですよ。多分、しみも減ってたんじゃないですかね。

 あ、すみません。話を戻しますね。最初は、三日ぐらいカプセルの中で眠ってみれば、目覚めた時、自分がいない世界が三日も過ぎてしまったという焦りや不安が生まれると予想していたのですが、自分のことなのに自分に裏切られましたね。それどころか、自分が覚醒の世界に戻って来たという実感すらなかったんです。眠っていた期間を含めた自分の世界というものを、ただただ受け入れていたんだと思います。

 それで?ああ、三ヶ月後ですか?もう察していらっしゃると思いますが、メンタルテストと健診で異常なしの結果が出た私は、また衛星へと飛びました。自分で希望したのもありますが、経験者であることと、やはり志願者が少ないことが理由だったようです。

 三ヶ月が半年、半年が一年になった後、無期限の滞在が決定しました。早い話が、医療用カプセルで身体は問題なし、精神的にも参っていないとくれば、わざわざ費用をかけて地球と衛星の間を行き来させる必要はないというわけです。食料や必要な資材は定期的に送られますし、万が一の場合には緊急連絡の他、異常を知らせる信号が自動的に地上の管理センターに発信されますし、個人的には問題を感じませんでしたね。私も同意しましたし。仕事に慣れた頃、私はカプセルで眠って過ごすことが多くなりました。

 それと言うのも、何回目かの定期資材と一緒に、カプセルのバージョンアップデータが届いたからなんです。今までは、治療や検査が終わったら、勝手に目が覚めるまで待つ方法だったんですが、バージョンアップで目覚まし機能が設定されたんですよ。

 セットした時間に起床するまで、薬を追加投与して眠り続ける時間を長くすることが可能になっただけでも便利だと思ったんですけど、やっぱり重宝したのは、外部アラートの機能ですね。管理センターから連絡が入ったり、定期資材が届いた時に自動的にカプセルの機能が停止して覚醒できるという機能なんですけど、お陰で体調が思わしくない時なんかは、ずっとカプセルの中で休んでられましたし、寝過ごしてしまうということもないんです。

 

 だから、五百年も寝過ごしたと聞かされた時には本当に驚きました。しかも、地球で大規模な戦争が起こり、管理センターどころか人類そのものが滅びていたなんて。外宇宙から地球へ来ていた皆さんに回収していただかなければ、私はずっと眠ったまま宇宙空間を彷徨っていたのでしょうね。ああ、でも、地球から見た宇宙人がいると……しかも、接触したというのに報告できる相手がいないのは本当に悔やまれますね。

 え?今ですか?いいえ、寂しくはありません。孤独?私がですか?あ、なるほど、たった一人生き残った地球人だからということですね。確かに、太陽系の地球で繁栄していた人類は私だけになってしまいましたが、あなた方のように会話し、意思を疎通できる相手がいるんです。しかも、私に興味を示して、こんなに色んな話を聞きたがる人に囲まれているのに、孤独を感じることなんてありませんよ。

 五百余年を振り返って思うに、希望のあるところには孤独はないのかもしれませんね。私は自分の孤独を追いかけることに一生懸命で、逆にそのためにいつも何かを求め、次に次にと希望に溢れていました。はい。だから、皆さんに回収され、再び目覚めたことに、何の不満もありません。え?起こすべきではなかったという意見もあるんですか?そうですね……お気遣いには感謝しますが、起こしてもらえなければ、私はきっとどうして孤独を得られないのか気付くこともできなかったと思います。だから、どうかたった一人になった地球人を可愛そうだと思わないでくださいね。

 

 すみません、久しぶりにこんなに話したせいか、疲れてしまいました。

 ちょっと、眠ります。

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