05.狭間

「お前、一体何者やねん」


投げやりにドアを開けて中に入れば、そこにはもう見飽きた白と光る眼鏡。いくらなんでもタイミングが良過ぎるやろ。


「さっき言った通り、君を捉えたモノだよ」


オトコが振り返ることは、ない。机に向かい、何か切ったり貼ったりしとる。いつの間にやら俺はその細かな作業を、食い入るように見つめとった。

得体の知れん、その作業を。


「……何、しとるん?」

「んー?送っているんだ」


渇ききった喉でなんとか絞り出した声は掠れとって、オトコに届いたか微妙やったけど。一応聞こえたらしいオトコからの返答は、動詞しかなくて。


「何、を?」

「……」


おずおずと聞き返してみたけどどうやら会話する気もないらしいからそそくさと諦めて、取り敢えず戻る手立てを考えることにした。オトコは言うた。現実なんか夢なんかは、俺の捉え方次第やと。

ならば、此処を夢の中にして、眠りから覚めればイイわけや。

(やけど、)

俺は確かに、否定した。傷つける奴も、傷つく俺もいなくなればえぇ、と。

つまり、目ぇ覚ませたところでやっぱり俺はソコに居らへん存在なんかもしれへん。

そんなら認めて楽になってまいたい。ズルいとは思うけど。必要とされへんなら俺なんか要らへん。そうやって思うのに、ソノコトを認めてまうんは怖い。


やっぱりズルいけど。


俺を知ってる人が居らんくなって辛いって、淋しいって今んなって気付いてしもたから。

(いつだってそうや、)

直面した後にしか気付かれへん。気付いた時には取り返しがつかへん。

そして後悔ばっかりしとる。


「どれだけ考えても、君は君でしかいられないことに変わりないでしょ?」


出口のない迷宮をぐるぐると迷ってたところに、いきなりプツリとハサミを入れられた。まとまってへん思考が無理に浮上して、何言われたんか今一分からんかった。


「世界は君に優しくない。でも、優しい人がいることも君は知っているでしょ?」

「求めるモノ……」


せやけど、何やら甘美な響き。ゆるゆると溶けていくような。

そうや。限りないもんを追いかけても、追いつけるはずもなく疲れるだけ。

ならば、やっぱり今ココにいる俺が現実でえぇんかも。俺は死を選んだわけやないから。


「んーそれは違うかな。」

「何で」

「君は死を選んだも同然でしょ?自己ってのは他者がいないと生まれないからね。記憶喪失の君に自己は勿論、他者も存在しない。それで生きてるって言える?」

「……」


でも、しかけた納得は、瞬殺されてしもた。せや、俺は今、俺の存在を確立出来へん。

全てに目を逸らしてきたから、全てから目を逸らされてしもた。

オトコの言う通り、俺には夢とか現実とかいうもんすらないんかもしれん。


「なら、君は僕に何者って聞いたけど、君の方こそ何者になるんだろうねぇ?」


言葉を発する歪な口元は、相変わらず笑っとるようにも泣いとるようにも見える。

それが何故か自分と向き合ってるように思えて、めっちゃ悲しくて辛かった。


「なんで、こないなことになってしもたんや」


ただ、優しい世界が欲しかっただけのはずやったのに。


「欠け落ちたからだよ、過去も未来も。けれど、それも君が望んだことだろう?人の優しさには、自分がツライ時に一番触れることが出来るのに」


それも、そうや。辛くない時に優しくされても、それが優しいと思えるかと言えば微妙。

勿論、優しいと思うこともあるやろう。ただ心が弱ってる時の方が、その思いは強い。

(分かってた筈やのに。どこで、)

どこで、はき違えたんやろう。

誰か一人でも近くに存在が在れば。それだけで幸せやって、知ってた筈やのに。

そして俺にはそんな人達が、確かにおった。それも一人やない。


「おやおや、辿り着いちゃったようだね」

「まぁ、取り敢えず俺にお前は必要無くなったわ」


やって辛いとか悲しいとか思たって、楽しいとか嬉しいとか思う瞬間も必ずある。

人は過去と未来を創っていくもんから。そして、そこに悩みや迷いは付きもんや。


「酷い物言いだ。だけどまぁ、眠ったままでいる選択は君にはまだ早い。 」


急速に視界がブレて、オトコの姿が消え去っていった。

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