第5話

 


ケース5『安楽死施設の職員』


 安楽死施設――

 基本的には、俺みたいな医師免許を持っている人間が、死にたいとやって来る人間に対して処置をする。

 睡眠薬で眠らせて、毒を注射して殺すのだ。


 人を助ける仕事を目指したのに……どうしてこんな仕事に就いているのだろう。

 最初は普通の病院に入った。俺は派閥争いに負けて、病院を追い出された。

 最終先を探したけれどなかなか見つからない。この業界は狭くて、俺が来ても追い返せと、話が広まっていた。

 人を殺す仕事に就いた理由は、ここしか再就職する事が出来なかったからだ。


 濁った眼で訪れる人たち。

 中学生ぐらいの子供から、今すぐにでも迎えが来そうな老人。

 背が高い人、背の低い人。男性女性。

 本当に色々な人が訪れ、色々な理由で安楽死を望む。


 一番多いのは、病気を苦での自殺だ。

 体中が痛くて堪らない。医者から、もう何もできることはありません――そう宣告された人達。

 今日、俺の元に通されたのは、高齢の女性だった。


「苦しくて死にたい……」


 そう何度も訴えて来て。

 彼女も医者に匙を投げられた女性だった。

 末期の癌患者。

 余命、三カ月。

 もう治る見込みはないのだそうだ。

 ベッドの上に寝てもらい、睡眠薬を注射して、いざ処置をしようとした瞬間、


「死にたくない。生きたい……生きたい……」


 高齢の女性はうわ言のように、『死にたくない。生きたい』という言葉を繰り返す。

 俺は泣いた。

 ここに来る人たちは、死にたくて来る人たちだ。

 でも、誰もが心の底から死にたい訳じゃない。

 このお婆さんのように、『死にたくないのに……苦しみから解放されたい』その一心でやって来る人が居るのも確かだった。

 生かしてやりたい。殺したくない。

 ここで毒を注射しないのは簡単だけど、目覚めれば、再び痛みに悩ませるであろうお婆さん。

 治療は出来ない。今の俺は、『殺す』医者だ。ここには治す薬も設備もない。 


「助けられなくて、ごめんなさい」

 

 悩んだ末に、俺は注射を打つ事に決めた。



 お婆さんだって、ここに来るまでに散々悩んだと思う。

 もしかすれば、子供達に死んで欲しいと頼まれたかもしれない。

 そういったケースも珍しくない。

 治療すれば、延命すれば、それだけお金が掛かるのだから。

 医療費は馬鹿にならない。医者の俺が言うのだから、間違いない。

 何十万と言う額が、軽々と消えていく。

 子供達だって治る見込みがあるのなら、高額な医療費を出す気になるかもしれない。

 何をやっても死ぬ。本人は苦しんでいる。見ていられないいっそのこと、死んで欲しい。


 ああ、全く。

 見も知らない老婆を殺す。

 ただそれだけの事で、こんなにも悩むのだなんて、俺はこの仕事に向いていないのかもしれない。

 老婆は眠っていた。

 眠ったまま、眠るように命を終えた。


「……年間、ご苦労様でした」


 人を殺した後は気が滅入る。この仕事、自殺者や精神的にやられてしまう者が、後を絶たない。

 同僚で一人、安楽死を選んだ男を知っている。精神病院に入った知人も居る。


 連絡して、遺体を安置所に持っていく職員を呼ぶ。

 大柄な職員がやって来て、ベッドごと運んでいった。

 男と入れ替わりに、何も載っていないベッドを運んでくる少女。

 俺は彼女に言葉を投げかける。


「俺にはこの仕事、向いてないんじゃないかな」


 身体はぐったりとしていて、椅子に深く腰を掛ける。

 

「そんな事はないと思いますよ」 


 ナースのコスプレをしている彼女は、俺達医者のカウンセリングだった。

 二十代の彼女は、笑うとえくぼが出来る人可愛い人だ。


「センセイは、それで良いんです。人を殺す事に慣れてしまった時、センセイは人ではなくなっちゃいますよ」


 ああ、そうか。俺はこのままで良いのか。

 明日も明後日も、俺は悩みながら、人を殺し続けるだろう。

 心の凍った機械にはならない。虚ろな目で殺し続けるような、一部の職員のようにはならない。

 それが何であろうと死を望む人への、俺なりの流儀なのだから――


「全く。嫌になる」


 せめて、愚痴ぐらい言わせてもらっても、罰は当たるまい。

 俺の言葉に彼女も大きく頷いて、


「明日は、明後日も、ずっと誰も来ないと良いですね」


 それだと職を無くしてしまう可能性はあるが、それで職がなくなるのなら、俺は大手を振って就職活動に励めるだろう。


「ああ、そうだな」


 俺は彼女の言葉に、笑って同意するのだった。

 


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