第3話

ケース3『いじめ』



 僕は人よりも、劣っていた。

 自分では一生懸命やっているつもりでも、テストで良い成績が取れない。

 何時間も勉強しても、頭に入って来ない。


「努力が足らないからだ」


 先生に言われた。

 勉強だけではない。運動能力も低かった。

 家の周りを毎日二キロは走っているのに、足も速くならない。

 クラスでも遅い方を争う。


「努力が足らないからだ」


 親に言われた。

 寝る間も惜しんで、勉強している事を友達に打ち明ける。

 それでも成績が上がらないと。


「お前、馬鹿だから仕方ねえじゃん」


 言われて気づくのだから、重症だろう。

 そう――俺は馬鹿だったのだ。



 

 中学に入って、何事も鈍くさい僕は、クラスの不良に目を付けられた。

 何もしていないのに殴られ、ぱしりにされて、おこずかいを取られた。

 学校内で、ズボンとパンツを脱がされた事もあった。 


「センコーにチクってみろ。ぶっ殺すからな」


 毎日が地獄だった。

 このままでは駄目だ。仕返しを、してやるんだっ!

 僕は強くなろうと思った。学校から帰って、腕立てと腹筋ばかりする。

 とにかく、身体を鍛える。

 今まで勉強に費やしていた時間も使った。

 駄目だった。どんなに頑張っても、僕は強くなれなかった。


 勉強の才能がない。

 運動の才能もない。

 戦う才能だってない。

 絶望した。



 僕は人生を諦めた。どうせ生きていても良い事がないし、これからも良い事があるとは思えない。

 死にたいと思った。でも、痛いのは嫌だった。

 だから、安楽死させてくれる施設に行くことにした。




 電車で二駅のところに、それはあった。

 白くて綺麗で、大きな建物だった。

 まるで病院みたいである。

 ただ、病院と違って入って行こうとする者はいない。

 僕以外には、誰も近づこうとしない。道行く人たちは、安楽死施設の入り口を避けるように歩いている。

 僕は気合を入れて、安楽死施設に足を踏み入れた。



 受付を済ませると、誰も居ない待合室に通される。

 病院もこれぐらい、人が居なければいいのになぁ……と思っていると、十分ぐらいで女の子がやって来た。

 僕より、一つか二つぐらい下の女の子。長い黒髪の、美少女である。

 可愛い子だった事。他に誰も居なくて、呼び出しもまだだった事。暇だった事。最後ぐらい、良いかなと思った事。

 僕は自己紹介してから、死にたい理由を少女に告げる。


「僕は学校でイジメられていて、死のうと思ったんだ」


 そう自己紹介するけど、少女は表情を変えなかった。

 無表情のまま、返事だけはしてくれる。


「私はお父さんにイジメられてるの。何もしていないのに殴られて。最近ではおっぱいを触って来て……ついにはセックスさせろって」


 彼女の心は死んでいた。

 瞳には誰も映していない。現実なんか、見ていない。 


「お母さんは、何も言わないの?」

「お母さんは、私が小さい頃に死んじゃったから。私の事、誰も助けてくれる人はいないの」


 僕が助けてあげると言えたら、どんなに格好良いだろうか。

 僕は助けられない。彼女も助からない。

 いいや、違うな。

 これから、助かるんだ。

 死ぬことによって、辛い現実から逃れられるのだから。

 

「死ぬのは、怖くないの? 僕は怖いけど、生きてるのは嫌なんだ」

「私も怖い。でも、いつ襲われるか分からない。この年で妊娠したら、どうなると思う? しかも相手は実の父親。世間からは汚物を見るような目で見られるでしょうね」


 少女は淡々としていた。

 僕より年下なのに、人生に絶望していた。

 二人とも、本当は死ぬのが怖い同士だ。

 僕は意を決して、彼女にお願いする。


「お願いがあるんだ。僕は一人で死ぬのは怖い。だから、僕と一緒に死んで欲しい。最後の時まで、手を掴んでいて欲しい」

「ええ、分かったわ。それぐらいなら良いわ」


 それからしばらくすると、呼び出しがあった。

 呼び出されたのは僕一人だったけれど、二人で一緒に若い医者の元に顔を出し、最終確認。

 僕と少女は書類にチェックをし、医師の問いかけに安楽死させて欲しいと懇願する。

 ベッドに寝かされる僕と少女。

 互いに手だけは離さない様に、ぎゅっと握りしめる。


 睡眠薬の入った注射を持ってくる医者。

 僕たちはもう、目を覚ます事はない。

 眠っている間に殺してくれるから。


 最初に少女が注射を打たれ、次に僕が打たれて、意識が希薄になっていく。



 ああ……

 ようやくこれで……

 死ねるんだ。 

 





 男達の話声に、意識が戻って来る。

 ベッドの上だった。


「うわー、こんなに可愛いのに死ぬつもりなのかよっ! 勿体ねえっ!」

「だろ? だから最後に悪戯しようと思ってよ。お前ら呼んだんだ。どうせ死ぬんだし、やらない損だろ?」

「んだけど、隣の男、何? 恋人? あれか。二人で心中しようと思ったのかね」

「ショックゥゥゥ。こんなしょぼいガキには勿体ねえ。俺達がおいしく頂いてやろうぜっ!」

 

 なんでまだ、僕は死んでないんだ?

 注射を打たれたのに、こんなに早く目を覚ますなんて……ああ、そうか。

 男は一本の注射を、少女と僕に使い回しにした。一人分の睡眠薬を二人に使ったのだ。

 そのせいで効果が薄かったのだろう。

 雑な対処をし過ぎである。


 男達は三人いるようで、寝ている少女にエッチな事をしようとしているみたいだ。

 死にたいという気持ちから変わらない内に眠らせたい。

 獲物が逃げないように焦ったのかもしれないけれど、職員がこんな事をしても良いのだろうか。

 もしかするとバイトのような……正規の職員ではないのかもしれない。


 虚ろな目で、少女の服を脱がせようとする男達の行動見続け……て、なんかいられるかっ!

 ようやく頭が動いできた。手足も動く。

 規定の量よりも少なかったからか。途中で少女も目を覚まし、動かない身体なりに大声で叫んで。


「やべっ! なんで起きるんだよっ! 黙らせろっ!」


 少女を殴って黙らせようとする男達。

 僕は隣のベッドに飛んで、男の拳を額で受け止めた。

 痛かった。滅茶苦茶、痛かった。

 安楽死しに来た筈なのに、なんでこんな痛い目に遭わなければならないんだろう。


 僕と少女の二人では、大人の男三人には敵わない。殴り合いになれば、すぐに負けてしまう。

 僕は自分の役に立たない特技を披露する。

 それはただの大きな声だ。


「助けてぇぇぇ!!!」


 声は、届いた。

 たまたま、部屋の外を歩いていた警備員が部屋の中に入って来て……三人の若者を拘束。

 僕と少女がエロい事をしようとした事を告げると、警備員の人は男達を睨み付けた。

 このような行為は、厳重に処罰されるらしい。

 

「二人とも、ごめんな。怖かっただろう?」


 さっきまではあんなに済ました顔をしていたのに、少女はわんわんと泣き喚ていた。

 僕も怖かった。睡眠薬で体が少し動かなくなっていただけなのに、一度、死んだように思えた。

 

「二人は安楽死をしに来たんだろう。今すぐに殺してあげても良いが、どうする? 怖くなったのなら、止めるという手もある」


 情けない限りの話ではあるが、僕と少女は顔を見合わせて頷いた。


 僕は学校に行きたくない。少女は家に帰りたくない。

 僕達には敵がいる。何も解決していない。

 死にかけて、今回は怖くなって逃げてきただけだ。



 事を大きくしたい訳ではない。警察なんてこの年で行った事もないし、これからも簡単には訪れないと思う。

 でも、大きな問題にしなければ誰も助けてくれない。

 一人なら、とてもじゃないが行く勇気を持てなかった。

 警察何て、気軽に行けるようなところじゃないから。

 二人で、ようやく足を踏み入れる覚悟が出来た。

 安楽死施設で、襲われそうになった事。

 ついでに、いじめられていた事や家庭内暴力を受けていたことを打ち明けた。

 それは、一度は死のうとした僕達なりの、精一杯の戦いだった。


 僕の思った以上に――

 少女の思った以上に――


 大きな問題になった。

 少女の親は捕まる事になり、少女は施設に入れられる事になった。

 先生を飛び越えての警察の介入。流石にこれには不良たちも狼狽えた。

 そこまでするとは、思っていなかったらしい。

 死ぬ気になれば、何でも出来たのだ。



 僕は馬鹿だ。

 勉強も運動も、これといった才能はない。

 大きな声だけの、能無し。

 でも、この声があったからこそ、少女を助ける事が出来たのかもしれない。



 無表情だった少女。

 僕が施設の外から彼女を見ると、少女は普通の年頃の少女のように、笑顔を浮かべているのだった。



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