第ニ話 処女と魔獣

2-1 オヤジと乙女とユニコーン

「ぬあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 全力で疾走っていた。

 全身の力を余すことなく用い、少しでも速く、少しでも遠くへ行けるように。

叫び声を上げることは体力と体内酸素の消耗に繋がり、状況を少しも好転させること

はないと知っていながらも叫ばずにはいられなかった。そうでもしないと耐えられそうになかったのだ。


 息を殺し、影に潜み、焦らずに機を見て留まり、動くべき時に一瞬で動く。


 あの人に仕込まれた逃走の心得も、隠密性を保持したまま移動する身のこなしも全て投げ捨てて、ただ走っていた。闇の世界で生きるための数多のスキル、その全てが今この瞬間だけは無意味と分かっているから。

 何故ならここはビルディングとネオンが錯綜し光と影に刻まれた夜の都市ではなく、青い空と白い雲の下に広がる風光明媚な草原だからで、そんな健康的この上ないシチュエーションで私を追っているのも懐に銃を忍ばせ胸に殺意を抱く黒スーツの男達ではなく、野生の脚と強靭な心肺で軽やかに野をかける馬達だからだ。


 私、闇の世界に生きる「魔の渡し人」ことミス・セブンブリッジは、ただいま見渡す限りの広大な草原の上を野生の白馬数十頭に追いかけられて全力疾走しています。


 振りちぎれんばかりに振るい続けた腕が重い。

 限界を超えて大地を蹴り続けている脚は今にも張り裂けそうだ。

 場に相応しい装いをと思い、軽装のスポーツウェアとデイパックを備えてきて良かった。これがいつものスーツとジェラルミンケースだったらとっくに追いつかれていただろう。しかしそれにも限界があり、人と馬では土台勝負になるはずもなく、追いつかれるのは時間の問題。それも鍛えぬかれた私の身体能力を持ってしても、あと数分といった所か。


 何故こんなことになってしまったのか。

 私は一体どこで何を間違えたのか。

 一体誰のせいでこんなことになっているのか。


 事の発端は2週間前、あの男の依頼を受けたところまで遡る。





 「ユニコーン、ですか。あの伝説の」


 「そうだ。古くはギリシアに端を発する、額に長い一角を持ち、乙女にのみ心を許すというあの白馬だよ」


 イギリス・バーミンガム。

 同国内人口第二位を誇る工業都市、その一角にあるオフィスビルの最上階。

私はそこで依頼を受けていた。


 「お言葉ですが、ミスター。私は確かに仲介人として、ありとあらゆる物をあらゆる場所へ運ぶ依頼を請け負っています。例えそれがこの社会の闇に属するものであったとしても。しかしーー」


 「分かっている。この世にない物を用意する事は出来ないと言うのだろう。そんなことは先刻承知だ。私は一企業を背負う人間として相応に夢想家であり野心家でありロマンチストであるが、決して妄想狂ではないよレディ。現実と夢の区別はしっかり付けているさ。それが社会という現実に会社という夢を打ち立てる、社長という仕事に必要な資質だからね」


 ブロンドをオールバックに纏め、口元に湛えたチョビ髭を撫でつけながら気取り顔で言う。渾身のキメ顔だった。恐らく何度となく口にしている決め台詞なのだろう。

可能なら背中に薔薇を背負って言いたい位なのだろうな。

 この男の名はMr.ベンジャミン。

 国内有数の海運会社を運営し、同時に各方面への篤志、特にスポーツ方面への支援の厚さで知られている名士である。


 「それでは、ユニコーンは現実に存在すると?」


 「そうだ。かのアリストテレスも『インドロバのように一角を持つ単蹄目は決して不自然な存在ではない』と書き残し、中世ヨーロッパに於いては『ユニコーンの角』は超自然的な解毒作用を持つ霊薬として信じられ高額で取引され、時の教皇すらそれを求めたという。その現物は現代にも残されている。しかしこれは北海に住む海獣イッカクのものであるというのは有名な話だ」


 「それでは、結局ユニコーンというのは『角のある獣』を媒介にして創りだされた空想上の獣ということなのでは」


 「確かにこの紀元前ギリシアより伝わる伝説のユニコーンはそうなのだろう。しかし、私が知るのはまた別の文脈に存在するユニコーンなのだよ」


 「別の、文脈」


 「そう。ユニコーンという伝説を主に構成する要素は2つある。「額の一角」と「乙女のみに心を許す」というその性質だ。こちらの伝説は後者の要素をより色濃く残している。…かのモンゴル帝国には、乙女だけで構成されながらも無類の強さを誇ったという伝説の騎兵団が存在した。その脅威に何度となく晒された神聖ローマ帝国は、畏怖を込めて彼女達を『ヴァルキュリア』と呼んだという。その彼女達が乗っていた白馬は、決して乙女以外に背を許すことはなかったそうだ」


 にわかには信じ難い話だった。率直に言って与太話と断じて問題ない部類の妄想。

しかし、それをわざわざ人に、それも闇世界の人間を呼びつけて聞かせるとも思えない。少なくとも彼は本気で信じているらしい。つまり、それに足る確証があるということか?


 「真意を図りかねる、と言った顔だな。まあ無理もない。しかし、私は既にその白馬を現代にまで伝える部族の存在と、その所在まで掴んでいる」


 「そこまで掴んでおられるとは、恐れ入りました。しかし、それならば私のような者に依頼せずとも、ミスターなら私財を投じて捕獲することも可能なのでは」


 「確かに可能ではある。一企業を背負う者として、例え私財といえど軽率に動かすことは出来ないが、帳簿上の問題はどうにかなる。しかし」


 ああ、いつものパターンか。


 「体面上の問題がある、ということですか」


 「話が早いな。その通りだ。『あそこの社長は処女しか乗せない馬を私財で買い集めている』等という噂が立てば、全て終わりだ。故に、表の帳簿に残る金も企業の人間も動かすことは出来ん。君のような、闇に属するものにしか頼めんのだ。ああ、既に君についても調べ上げているので心配無用だ。紳士として、口封じにどうこうしたりなどという下品な真似はしない。我々が信頼と契約で結ばれている限りはね」


 …流石は一代で英国有数の海運企業を積み建てた男、というべきか。ただ善良なだけの篤志家ではないらしい。いや、そもそもどちらが本当の顔なのか知れたものではない。まあ、こちらとしてもそこまで了解済みなら仕事もしやすいというものだ。


 「ミスターのような、我々の仕事に理解を示して頂ける方にご信頼頂けるとは恐縮です。必ずや、その信頼に応えさせて頂きましょう。では、『モンゴルに存在する、乙女のみを背に乗せる白馬の捕獲』のご依頼、確かに承りました」


 「うむ、期待しているよ。件の部族の所在は追って知らせよう。捕獲の方法も君に一任する。君は顔も広いと聞いている。他の凄腕に任せることも出来るのだろう?」


 言うに事欠いてこの野郎。

 確かに私に「処女しか寄せ付けない馬」の捕獲を直接しろと言われても困るのだが。まあいい、それでは早速プランを練るとしよう。今声が掛けられる「業者」の中で適切な者をピックアップせねば。この場合、諜報・工作ではなく体力・戦闘力・サバイバルスキルに長けた者か。それらに該当するだけならリストを当たるまでもなく思い出せるだけでも数人いる。そこから「野生動物の捕獲」に適任な者というとさらに絞り込めるが、「処女」となるとさてどうだったか。そんなことをいちいち聞いた覚えもない。


 …いちいち聞いた覚えも、か。

 そうだな、今回の場合、事情が事情だけに少し気になる。

 聞けるものなら念の為に聞いておこう。


 「それでは報酬の前金は指定の口座へお願い致します。それと、もし宜しければミスターにお聞きしておきたいことがあるのですが」


 「ほう、なにかね?」


 「ミスターの目的です。何故ミスターは、『乙女のみが背に乗ることを許される白馬』をご所望なのですか?」


 「気になるかね」


 「ええ、とても。後学のために、お聞かせ願えるのであれば是非」


 立ち上がり、高層から地上を一望するはめ殺しの窓の前に立つMr.ベンジャミン。手を後ろ手に組み、なにか重大なことを告白するかのように姿勢を正している。

振り返らぬまま、彼が呟き始めた。


 「決まっている。私の手で現代に『ヴァルキュリア』を蘇らせるためだ」


 「乙女のみで構成された、白馬の騎兵団をですか?一体何のために」


 「何のために?何のためにでもない。それそのものが目的だ。」


 「白馬の騎兵団、そのもの…?」


 その疑問に応えるために、いやむしろ「そこに問いが生まれる事自体許せない」というような勢いで彼は振り返る。


 「そうだ!想像して見給え!私の眼下に広がる、完全な隊列と完璧な兵装により編成された、処女だけの麗しき騎士団を!見渡すかぎりの処女!処女!処女!ああ、一体何人揃えれば私は満足できるだろう!しかし、焦ってはいけない。まずは小隊(30から60人)から始めよう。私とて会社を築いた経験はあっても軍を率いるなど初めての経験。まずその最初の小隊を私が直接教練し、私直属の親衛部隊に仕立てるのだ!そしてその最初の小隊を中核にして中隊(250人)大隊(1000人)へと膨らませていく!無論その程度で決して満足したりはしない、そのまま旅団(5000人)、師団(20000人)へと規模を拡大し、やがて私だけを王と頂く、この世で最も麗しい、清廉なる白き軍団(30000人)が完成するのだ!嗚呼、嗚呼、想像するだけで胸が踊る!これほど美しい夢が、ロマンが他にあるだろうか!?王城をも埋め尽くす穢れ無き戦乙女達が皆私を囲み、私に傅き、私を崇め、一人残らず私を愛するのだ!そして私もその愛に答え、一人残らず愛してみせよう!無論私の愛とは博愛などという薄っぺらいものではないぞ、友愛も、恋愛も、性愛も、全てを備えた万全なる愛だ!そして私のその愛を受けるに値する器は、この世でただ処女のみなのだ!私が愛し、私を愛するものにけ、け、け、穢れなど、決してあってはいけないのだ!穢れは汚い、汚いは悪だ!悪を退けるのは人として当然の責務ではないか!嗚呼こうしてはいられない、来るべき軍団完成の瞬間に備えて、私もプランを練らなければ。朝はさわやかな空気に包まれながら乙女たちと草原を駆け、昼は馬乗試合の訓練をしてから心地よい疲れとともにシェスタを取る。そしてよ、夜は、その日ごとに選んだ乙女達を教練場に集め、一糸まとわぬ姿の彼女等を白馬に乗せ眺める。当然その際、鞍などという余分なものをつけたりはしないぞ、やがてその刺激に耐えかねた彼女達は、恥じらいながら、そして耐えかねたように私の――」




 語りに入り込みすぎて、もはや私に話していることすら意識の内から消えたようなので、声を掛けることなく部屋を辞した。

 結局こいつも、いつものアレか。まあ「体面上の問題」が気になるということは、自身の変態性に自覚があるということだからな。

 無自覚にその他大勢に自身の性的嗜好をさらけ出すよりは、隠れてバレないようにこっそりやる分まだ分別があると言える。


 そうやって社会から隠匿された変態性の発露によるシワ寄せの処理が、目下のところ私の生業だという現実に今更ながら気付かされて嫌になる。

 このババ抜きのババの如きストレスは、一体どこへぶつけるべきか。取り敢えず 本場のエールでも楽しむとするか。プランを練るのはそれからでいい。まず何もかも忘れる所から始めよう。私は適当なパブを探して街を歩くことにした。



 …思えばこの時、もう少し冷静に考えられていれば、後の悲劇を避けることが出来たのかもしれない。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る