ミス・セブンブリッジ
不死身バンシィ
第一話 双頭の悪魔
1-1 男の嗜み、女の誇り
「来たか。指定した時刻に1分たりとも違わず現れるとは殊勝なことだ」
背後に体格の良い護衛を付けた、背の低い小太りの男が鷹揚に言う。
護衛は二人で両方共サングラス、片方はスキンヘッドでもう一人はコーンロウ。
スーツに不自然な膨らみが無い所から銃器の類は所持していないように見えるが、
どこに何を仕込んでいるか知れたものではない。
障害物の多いこの港の廃倉庫では、拳銃よりも武器を持った男に迫られる方が
余程厄介だ。
「依頼人の要求に正確に応えるのは当然の事です。信頼を無くして続けられる稼業ではありませんので」
「かっはっは、信頼と来たか。しかし、人の信頼とはただ時刻を守るだけで得られるほど安くはないぞ」
「勿論承知しております。全ての要求に完璧に応え、初めて得られるのが信頼というものですわ」
品物を収めたケースを掲げる。目線は外さない。
依頼人からの信頼を勝ち取ることはしても、依頼人を信用はしない。
この業界を渡る者にとって当然の心得。依頼人の男も同様であり、自分が要求した物であっても、即座にケースに目を奪われたりはせず油断なくこちらを見据えている。体格こそだらしないが、眼光にも姿勢にも緩みはない。身に着けている物も全て一流。この手の人間を図る時に服の仕立や物の品定めをするのは当然のことで、三流品を身に着けているような筋者は全てにおいて三流だ。この男の纏う品格の隙の無さは、そのままこの男が如何に油断できないかを物語っている。
「では、見せてもらおうか。その信頼の証というやつを。」
時刻は午前二時、さざ波の音だけが埠頭に響く。海の匂いと、錆びた鉄の匂い。
陽の昇る眩い世界から隔絶された、夜と影が支配する闇の世界。
私達のようなものが息づく事を唯一許されたこの世界の片隅で、私は私の時間を開始する。
「それでは、こちらが依頼された品になります」
「おおっ、確かに!まさか本当に手に入れてくるとは…噂に違わぬ手腕よな」
「恐れ入ります」
私の名はミス・セブンブリッジ。言うまでもないが通り名だ。
本名は過去と共に捨てた。業界では「仲介屋」とも呼ばれている。
クライアントから依頼を受け、要望された品物を調達、或いは調達できる人間に
依頼して用意し、届ける事を生業にしている。個人の輸入代行業者のようなものだ。
「個人の輸入代行業者」ではなく、そのようなものと言わねばならないのは、一般的な業者に依頼しても手に入らないような代物も対象である事、その合法・非合法すらも問わないことを売りにしているからだ。
闇からの要求を受け、人倫を踏み躙ってそれに応える魔の渡し人。
命も、心も、私を縛る枷には成り得ない。
誇りなき道を思うがままに征き、七つの世界へ自在に足を運ぶ。
故に私の手が届かぬ物はない。
それこそが私の誇り。
誇りだったのだが……
「これこそまさしく、南米の秘境に住まう部族、オンゴ族の双頭ディルドー!そう簡単に手に入る物ではなかった筈。一体どうやって?」
「私に手に入れられない物はありません。それが、私の、誇りですから……」
最近、少し事情が違ってきていた。
「届けてくれた君には既に承知の事かもしれんが、このオンゴ族はいわゆる女人族でな。部族には一人も男がおらず、むしろ男を見れば殺してしまう。男そのものを穢れ、邪悪な精霊の変化だと信じておるのだな。当然男とまぐわったりもせん」
全ての大陸が海路と空路と電子網によって繋がれ、「世界の距離」がかつてより大幅に短く狭くなった現代。
物品の輸送コストが大幅に圧縮され、この世の殆どの物の所在が電子リストによって検索可能になり、何の変哲も無い一個人が地球の裏側と交渉可能になったこの時代に「入手困難」と言える物など早々無い。各非合法組織も既にそういった現代事情に適応を始めており、違法薬物、銃火器の調達手段は昔よりも遥かに洗練され、それらの入手は格段に容易になっていた。
「しかし、それでは子供が生まれず、部族は滅びてしまう。彼女等はどうやって数を維持しているのか?答えは簡単だ。近隣の部族から子供をさらってくるのだな。子供は聖なる精霊の化身だと思っておるのだ。当然赤子が男だったら殺してしまうが」
無論様々な国際法、国内法が障害にはなるが、それらを潜り抜けるプロセスにおいても既に組織内部でマニュアル化が進んでおり、いまさら下手に渡り慣れた「個人業者」に依頼しても、各組織間の内情に精通する人間を産むリスクにしかならないと判断された。勘違いした素人を使い捨ての運び手にするほうが、いざという時の始末も楽だという訳だ。
「どうやら性交と妊娠・出産のプロセスに対して完全に無知であるが、子供が大人になることだけは知っておるのだな。その矛盾した性知識に無理矢理つじつまを合わせようとした結果がその残忍な風習であり、それ故に周囲の部族に大層恐れられ……」
その結果、私のような素人ではない「業者」に回ってくる案件は「非合法故に入手困難な代物」ではなく、「非合法以外の理由で入手困難な、ちょっとアレな代物」ばかりになってきていた。その傾向として妙に特殊性癖に絡むものが多く、今日の依頼も御多分に漏れずイカれていた。
「しかし彼女等にも生き物として性欲がないわけではない、いやむしろ他部族の男をも圧倒するその屈強さ故に、下手な男よりも遥かに旺盛だ。その屈強さと性欲に応えるべく彼女等自身が作ったのがこの双頭ディルドーで、その頑強さと造りのエグさはそこらのアダルトメーカーとは比較にならんぞ」
何故そんなものがお前に必要なのか、お前がそれを欲しがる理由は何なのかと問い正しくなる衝動を胸の内に抑えこむ。クライアントの事情を下手に詮索するのは「仲介屋」としてのマナー違反であり、個人的にも知りたくはなかった。知りたくはないというのに容易に想像できるのが余計に癪だ。どいつもこいつも下半身に負荷をかける品物ばかり要求しやがって、私は誇り高き「魔の渡し人」だ。「珍妙アダルト秘宝館の受付お姉さん」ではないぞクソが。
「お喜び頂き、感謝の至り。これにて依頼は成立致しました。報酬は指定の口座へ
期日までにお振り込み頂きますよう、お願い申し上げます」
「待ち給え」
そらきた。最近はいつもこのパターンだ。
「なんでしょう。何か不足がございましたでしょうか」
「いや、不足はない。期待通り、いや期待以上の見事な一品だ」
依頼人の男に正対し、右脚を後ろへやって踵を浮かせる。すぐに「対応」が出来るように。
「不足はないが、まだ『信頼』には足りぬな。さて、この世において最も確かな信頼とは何だと思うね? 」
「さて、存じかねますが」
「決まっておる。……死人に口無し。死よりも確実なものがこの世にあるかね?」
依頼人の男が右脚を曲げて前に出し、腰を沈める。
その手には依頼の品である長さ1.2m程の双頭ディルドーが握られている。
あの長さなら端を持てば充分に槍として機能するだろう。
槍としては機能するだろうが、双頭ディルドーとしてどうなのだその長さは。
私自身、アレを入手した時に面食らったものだが、あの男の説明に偽りはないということか。
護衛の男達もそれに答え、長物を抜く。こちらも刃物ではなく木刀のような鈍器だ。いやそれはともかく今どこから抜いた。明らかに脇からではなかったぞ。スーツの脇に暗器を収めた膨らみがなかったのはそういうことか。
心底やる気の出ないシチュエーションだが応戦しないわけにはいくまい。
あんなものを突っ込まれたら、件の部族ならともかく、ただのナイスバディ悩殺美人である私では命がない。
「つぇりゃあっ!」
男が裂帛の気合とともに踏み込み槍を、違った双頭ディルドーを突き出す。
速い。ただ棒を持っただけの素人ではない、明らかに訓練された槍術の速度だ。
事前に体勢を整えていなければこれでやられていただろう。
しかし私とてこの程度の修羅場は幾度も潜って来ている。特に最近は頻度が増した。どいつもこいつも人に言えない恥ずかしい代物を人に頼んでおきながら、口封じに掛かってくる。そこまで恥ずかしいなら我慢するという発想はないのか。
予め作っておいた右脚の浮きを活かして後方へ跳躍し、槍の、いやディルドーの
ええいめんどくさいもう槍でいいわ、その射程から逃れる。
男から距離を取り、相手との間合いを広げ視野に収める。
護衛達は既に左右に分かれ、挟み撃ちをするような軌道で追い詰めにかかっている。構えは八相、全体重を一撃にかける構えだ。微妙に左右で距離が違う。恐らく二者同時ではなく、敢えて間を挟むことで片方を避ければ片方が仕留めにかかる二段構えの陣形。やはりこの二人も訓練されている。この完成された連携、こいつらさては同門か。
……しかし、私を仕留めるには足りない。
一息で呼気を肺に満たし、身体を内臓に至るまで緊張させる。
着地した左脚を起点にし、膝、腰、丹田、胸、肩、腕を連動。
「ハァッ!」
爆発のように気を吐き出し、一息で視界に収めた三人全員に得物を投げ放つ。
「ぬぅっ!」
男はディルドー槍を回転させ、瞬時に私の放った得物――特殊ラミコーティング
強化トランプを弾いた。それも一投目の影に伏せて同時に放った二投目ごと。左右の護衛達にも同様に撃ち落とされていた。
「くっく…見事な投擲術よ。伊達に女だてらに闇稼業で身を立ててはおらんな。しかし、我が流派、身体のある一点を極度に緊張させることで身体能力を大幅に強化する天真一穴流には通じぬ」
何がある一点だ素直にケツの穴と言え。
「お見事ですわ。得物の扱いは無論のこと、目眩ましを施した二投同時を瞬時に捌くその動体視力と判断力。身体の強化とは、単純に筋力のみではないようですね」
「当然だ。戦国の世に端を発するこの体術が、そんな浅はかなものだと思うか」
戦国の…ああ、だからそんな発想に至ったのか。
まあどうでもいい、もう勝負は付いている。
「なるほど、
「何を言って――ぬっ、なんだ、体が……」
時間差で天井に放っておいた三投目が、問答の最中に彼等の首筋をかすめていた。男と護衛達が体を痙攣させながら膝を付き、そのまま地面に倒れ伏す。
「馬鹿な、一体いつの間に!俺の目に収まらぬ投擲など有り得ぬはず!」
「ええ、貴方達なら下手すれば拳銃でも防いでしまいかねませんわね。しかしそれほどの体術だけに、技を放つ瞬間は完全に集中している。その瞬間こそが狙い目」
「そうか、得物を振るった時に出来るその影に隠れて……このやり口、お前さては」
「初めに形ある闇に潜り、次に心に生まれる影に潜む隠形術。貴方達武士は私にとって狩り慣れた標的ですわ」
「忍びか……! くそっ最早これまでよ、殺せ!」
「何をおっしゃいます、大事な依頼人を殺したりは致しませんわ。そもそも得物に塗ってあるのも即効性の麻痺毒。数時間は動けませんが命に別状はありません」
「何故殺さぬ、俺はお前を殺そうとしたのだぞ」
「何故って、依頼人を殺したりしたらそれこそ信用問題ですし、何より依頼人が死んだら誰に報酬を請求すればよろしいのですか?」
そのための麻痺毒。殺して済むなら最初から致死毒を塗っている。
わざわざ口だけは動くように調合してある、スペシャルブレンドだ。
「それでは先程も申し上げました通り、報酬は指定の口座に期日までにお振込み頂けますよう、よろしくお願い致します。もし期日に遅れる事があれば……分かりますね?」
「わ、分かった。必ず振り込む。だから、その」
「はい、私共の業界は信頼第一。依頼人の情報を漏らすようなことは決してありません。……私達が信頼で結ばれている間は」
彼等に背を向け、振り返ることなく立ち去る。今日の「私の時間」は終わりだ。
マンションに帰り、何はなくともまずシャワーだ。そうしてようやく仕事の終わりを実感できる。……荒事は慣れた物とはいえ、今回は手強かった。日系移民に代々伝わるブラジリアン忍術の継承者、カルロスと付き合っていた時に教わった技が無ければ危なかったかもしれない。カルロスは今頃どうしているだろう。日系も代を重ねすぎてすっかりラテン系に染まり、忍ぶどころか10秒黙ることすら難しい男だったが。
……まあ、きっと幸せにやっているだろう。
適当にそれっぽい口実を並べたらあの依頼人達はすっかり私を先祖代々の忍者だと信じこんだようだが、まあ仕事に箔が付くというものだ。
シャワーを終え体を拭き、一糸まとわぬ姿で窓際に立ち夜景を見下ろす。
そうやって私の居場所を、私自身を確認する。
私の名はミス・セブンブリッジ。
誇りなき道を思うがままに征き、七つの世界へ自在に足を運ぶ、
誇り高き魔の渡し人。
ただ、ちょっと最近、このままでもいいのかなーって。
結婚とか考えたほうがいいのかなーとか思っている27歳である。
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