池田勇人と鉄腕アトム

って、誰だったっけ?」


 そんな素朴な疑問が浮かんだのは、いったい何年前のことだっただろうか。

 ぼくは小学生時代、東久邇宮稔彦王ひがしくにのみやなるひこおう以降のすべての総理大臣を覚えることに熱中していた。

 ただ、など、近年に至るまで思いもしなかった。

 たぶん、そんなキテレツなことを考え出したのは、2度留年した大学を卒業するかしないか、そんな頃だったと思う。


 答えを言ってしまう。

 白黒アトムと言うべきか、第1次鉄腕アトムと言うべきか……長らく国産テレビアニメのフレームワークとして【規範きはん】とされてきた(注1)、1963年1月1日に放映を開始した、虫プロダクション制作の連続テレビアニメ・鉄腕アトム。

 が放映開始した年月日はなのだから、


池田勇人いけだはやと


 という政治家、ときの総理大臣の名前が浮かび上がってくる。


「鉄腕アトムの放映が始まったときの内閣総理大臣は、池田勇人いけだはやとである」


 ところで当時の内閣は、もっと詳しくいうならば、である。

 例によって? 『コトバンク』(注2)を参照してみる。


「(2)第2次。1960年12月8日〜1963年12月9日。高度経済成長政策,所得倍増論など資本の成長を図る重点施策をとる。」


 これは、『コトバンク』所収の「百科事典マイペディア」の解説(項目「池田勇人内閣」)からの引用。なるほど、たしかに

 「マイペディア」の解説にもっと目を凝らそう。「政策,など資本の成長を図る重点施策をとる」という記述、まさに池田勇人内閣の典型的なイメージそのままである。

 手垢がついた言い方だが、高度経済成長期で、日本の【とみ】がぐんぐん栄えていった、そんな時代だったんだ、とわたしは池田政権の時代背景を認識している。もっとも、といっても、そういったのひとりが池田勇人だったのだが……込み入ったはなしはともかく、そういう時代に鉄腕アトムのテレビアニメ・プロジェクトは始まったのである。


「こんなこと考えてて、おまえは何が楽しいんだ」

 たとえばがあったとして、たぶん過半数を大幅に上回るが、こんな風にわたしをなじり、弾劾だんがいするであろう。が提出されるかもしれない。どうやら、としては、わたしはまったくの無能であるという事実が、白日はくじつにさらされたみたいだ。



(注1)Web配信サービスの乱立などにより、この【規範】が過去のものになりつつある。

(注2)https://kotobank.jp/

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あたらしいアニメ人生に添えて ばふちん @bakhtin1988

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