第14話~面影~

 本当は今回の移植の話もいつものように断るつもりでいた。しかしながら、結局僕はその提供者の名前を聞いた途端、すぐに断ることが出来なくなってしまった。提供したいと話しているのが誰なのか、そのことを僕に伝えるというのも日向紬という女の子の意向らしかった。

 とにかくその名前を聞いた瞬間、僕はこれからどうすればいいのか分からなくなった。移植の話を素直に受け入れるかどうかという悩みもあるが、何より日向紬という女の子自体に僕は悩まされた。

 仮にその提供者だという日向紬があの日向さんと同一人物だったとして、もしそうならば僕はどうするだろうか。彼女の存在が消えたあの時に聞いた「またすぐに会える」という言葉の真意はこういうことだったのだろうか。

 ただ、僕はあの日向さんが今回の日向紬であるとは信じることなど出来そうにない。もしそうなのだとしたら、僕はそれこそ今までの出来事は夢の中で起こっていたものなのかもしれないと思っていた方が現実的だろう。しかし、僕はどうしても今年の夏の日々を夢などという儚い言葉で飾り付けたくなかった。あの日々は確かに現実にあった事であり、僕は日向さんと笑い合っていた。例え誰も知らなくともこの僕が知っている。僕の中には彼女との日々が確かに存在していて、すぐにでも僕はそれ等を取り出すことが出来る。


 だから、結局僕はよくわからなくなっていた。これからどうしたいのか、それこそ日向さんに相談したいと思うけど、どうやらそれも今となっては叶わぬこととなってしまったらしい。

 きっと、今思い浮かべている日向さんは僕に光を与えようとしている日向紬と同一人物なのだろう。現実的でないかそうでないかだとかそう言う話ではなく、そうなのだと思わなければならないと思った。何より僕がそうであってほしいと思っていた。


 ただ一方で、そうなるとついにあの日向さんはもうこの世にいないということを受け入れなくてはならない。


 そして俄かに信じられないが、この夏僕と会っていた日向さんは所謂世界に残された面影みたいな存在だったのかもしれない。彼女の願い一つ一つを僕が叶えることで、彼女は報われたのかもしれない。


 思い返してみるに、確かにそう考えることで納得せざる得ない事がいくつか思い浮かんでくる。友達になるための条件、図書館での出来事、そして彼女の最期の言葉。あり得ないなどという言葉でこれらのことを否定することは彼女自身を否定することになってしまうから、僕はそのすべてを受け入れることにした。この夏の出来事は僕の世界の中で永遠に輝き続けるのだと思う。


 彼女と出会った河原の土手、そこに一人で座る。空に向かって独り言のように脈絡もなく言葉を放つ。日向さんと交わした会話の内容はどんなものだっただろう。彼女の口癖はなんだっただろう。歩き方は、趣味は、好きなものは、そう言ったことを思い出していく。


 彼女がどんな人であろうと関係なく、ただ一つ大切なものがあった。


 そのことに気が付いた。僕はいつからか泣き虫になってしまったらしい。もう枯れ果ててしまったものとばかり思っていたのに、我慢することが出来そうになかった。

 彼女の最期の言葉を思い出す。今の僕の中には確かに彼女がいる。暗闇の中で積み上げていた世界には彼女がいる。しかし、僕が光を得ることは即ちその世界を一度壊すことを意味していて、そのことがどうしようもなく怖いのだ。怖がる必要などないと彼女は言っていたけれど、僕は彼女の言う通りには出来そうになかった。

 その情けなさも雫となって地面へと落ちて行く。空を見上げ、首筋に暖かい線が走る。その線を風が冷まし、僕は正面を向く。


 ここから見える景色はどのようなものなのだろうか。

 青色はどんな色なのか。

 色づいた世界はどのようなものなのか。

 人の感情はどんな形で顔に映し出されるのだろう。笑顔とはどのようなものなのだろうか。

 好きになるという気持ちはどんなものなのか。心の底から虚しいと思う感情はどのようなものなのか。


 今の僕の世界にはない物だ。だけど、今あるものもいくつか置いて行かなければならない。


 結論の出ないまま僕は空気が冷たくなるまで河原で一人座り込むことしかできなかった。

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