第5話~夢~

 頭の中に靄がかかったようなという言い方は良い例えだと思うわけで、僕の今の頭はまさしくそのような感じだった。ふんわりとしていて、実体がないような感覚に陥っていて、でも、自分は確かにここにいた。お昼ご飯を食べた後、暖かな日差しの当たる縁側で横たわっているような、静かな幸福の中にいる気がする。


 景色が見えた。なんとなく、これが景色と言うものだと僕は確証もなく思った。色ははっきりしていないけれど輪郭はしっかりしている。たぶん、僕が今見ているものは本がぎっしりと詰まった本棚だ。僕はそんな本棚を見上げている。


 隣で小さな女の子が背伸びをしていた。本棚にある一冊の本を取ろうとしているのだと僕は思った。僕はその女の子に話しかける。どうやらこの女の子は本棚にある一冊の絵本を取りたいらしい。


 女の子には届きそうになかったけれど、この子よりもほんの少し背が高い僕なら届くような気がした。だから僕は本を取ることにした。


 背伸びをしてまっすぐ手を伸ばす。僕はなんとか絵本を取ることが出来た。


 その絵本を女の子に渡してあげる。するとその子は少し頬を赤らめて「ありがとう」と言ってくれた。僕は「どういたしまして」と返す。


 女の子が大事そうに絵本を抱えたところで後ろから女性が姿を現した。女の子はその女性に対して「お母さん、絵本、取ってもらったんだ」と嬉しそうに話す。すると、女性は僕に向かって「そうなのね。どうもありがとう」と優しく微笑んだ。僕はなんだか嬉しくなって、つられるように笑った。女の子も笑った。


 それから、「じゃあね」と言って僕は分かれた。お母さんに手を引かれた女の子は真っ白な世界へと向かい、消えて行く。


 不意に後ろから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。空、空、と僕の下の名前が繰り返し呼ばれる。


 名前が呼ばれるたびに、周りの世界が色を失っていった。一度呼ばれると赤色が消え、二度目になると緑色が消える。三度目で青が消え、辺り一帯は真っ暗になった。


 それでもなお僕の名前は呼び続けられる。


 そして僕は、ああ、もうすぐ目を覚ますのだなと、そう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る