第4話 お見舞い


 そんなまさか、という言葉が頭を中を掠めていったのは二日ほど前だった。

 少しふらつきながら自室からリビングまで歩き、体温計で自身の体温を確認してみると平熱を大幅に上回っていた。

「高一のクリスマス前に熱出すってどんだけよ。非リア確定ね」

 母親はそんな暴言を吐きながらも僕を病院へ連れて行ってくれた。

 熱特有の奇妙な浮遊感の中で見つめる街はキラキラと彩られていた。駅前なんか特にそうだ。そこそこに大きい木にこれでもかと電飾を飾り付けている。ちらほらと居るカップルがそれを眺めていたりなんかして、僕も少しだけ羨ましくなった。

 嫉妬なんかじゃない。単純に羨望しただけだ。

 それにしても本当に、なんでこんな時期に熱なんて出すんだろう。と思ったけれど、熱を出してなかったとしても僕にささやかな幸せなど訪れるはずも無いのだ。

 ほんの少しだけ彼女の顔を思い浮かべて、一緒に煌びやかなイルミネーションツリーを眺めているのを想像してみる。

 駄目だ。無いな。

 彼女の顔は思い浮かべることができるのに、同じ場所に立ち並んでいるのは想像することができない。

 思わず苦笑してしまった。

「なんでニヤニヤしてるのよ……。とうとう頭が……」

 母親がなんとも言えないような表情で見ていたので、僕は眠ったフリをした。


 病院で診察を受けるとすぐさま鼻に綿棒を突っ込まれた。どうやら季節柄インフルエンザを疑われたようだけど、結果としてただの風邪と判断された。

 数種類の薬を貰って帰宅したけれど、その後の記憶はほぼ無い。

 薬を飲んで。寝て。少しだけご飯を食べて。また薬を飲んで。

 すべてが緩慢だった。

 時間はゆったりと動いているような気がした。

 その流れに身を任せている内に辺りは暗くなっていた。

 落ちた帳にぽっかりと浮かぶように手元にあった携帯がピカピカと光っていた。

 なんだか月みたいだ。

 砂漠をさすらう旅人が孤独を感じて闇空を見上げると、そこにあるのは自分の行くべき道を導いてくれる月なんだ。すべてを照らすような燦然とした光では無いけれど、見上げる者を、そこに在る者を確かに見守るように存在しているんだ。

 そんな空想を広げながら寝ぼけ眼でそれを手に取った。

 示されたのは新着メールのお知らせで、彼女からだった。



 熱だって聞いたけど大丈夫ー?

 お見舞いでも行こーか?笑



 いつもの風邪ならば大概は寝れば治るのに、今回は少しだけ長引くような気がする。そういや明日はイブじゃなかったっけ。本当に残念な青春を送ることになりそうだけど、まあいいや。

 彼女の綴ったその文字を、言葉を、メールを見たのだから。

 それだけで僕は幸せだ。

 返事も返さずに僕はそのまま眠りに落ちてしまった。



 これでもかと着込んで寝たからか、寝間着がぐっしょりしてる。めちゃくちゃ気持ち悪い。着替えたい。暑い。

 多分まだ体調が悪い。

 頭がぐわんぐわんする。この現象は水分が足りてないからだとどこかで見聞きしたような気がした。

「大丈夫?」

 聞こえてきたのは聞きたかった声だった。もしかしたら期待や夢が幻聴に形を変えたのかもしれない。

 そんなふうに思って顔を上げると、そこに居たのは会いたかった人だった。

 彼女は僕の勉強机に備え付けられている椅子に座っていた。少し塗装されたあれこれが剥げてきてるのがなんだかちゃちで。

「大丈夫……?」

 惚けていた僕はオウムのように呟いてしまった。

 状況把握能力が低いのは昔からだけど、これは確実に僕の悪癖だ。

「なんで居るの?」

 相手の質問を無視した挙げ句、思いついたまま口から発してしまった。


 今の自分ならこのときの自分を止めるだろう。『おい、やめろばか』ってね。

 この言葉は酷いよなあ……。


 案の定彼女は一瞬傷ついた顔をして、それから小さくため息を吐いた。

「なんでって……メール返さないんだから心配するでしょ。来たらやっぱり具合悪そうだし」

「そうじゃなくて何もこんな日に来なくても……なんか予定とか入ってないの? っていうか風邪移るから帰れよ」

 少しだけきつい物言いをしたのは自分に酷くコンプレックスを感じてしまったからだ。こんなにも見たかった彼女なのに、実際に会ってみれば己に対する矮小さを強く強く覚えた。

 何故だろうか。なんでだろうか。

 少し困った顔をして彼女は笑った。

「イブに一人だなんて可哀想かなーって思ったけど、余計だったね。ごめんね」

 身体が弱っていると感情が発露してしまう。きっと同程度に心も弱ってしまうからだろう。

 一秒か、五秒か、十秒か。

「……そうじゃなくて、そうじゃなくてさ。予定、入ってだろ? 行かなきゃだめだろ?」

 擦れた声でやっとのこと出た言葉はそれだけだった。

 ああ、なんだか目が痛い。埃がキラキラと舞っているように見える。

 チラリと見た横顔はやっぱり可愛くて綺麗だったけど、そんな彼女が怪訝そうに眉を顰めた。

「えっ。なんで知ってるの……?」



 彼女に告白をしようとしている輩が居ることを知ったのは数日前だ。教室の雑多な音なんていつも気にしていないのに、その声を拾ってしまったのは話題が色恋沙汰だったからだろうか。それとも彼女のことを言おうとしていたことを無意識に感じ取ったのか……。

 まあ、後者は違うだろうけどさ。

 背後から聞こえた声はやけに小さかった。

「こいつ告白するんだって」

「誰に?」

「ほら、隣のクラスに居るじゃん。ウブっぽい子。その子だよ」

 ウブっぽい子、とは中々に分かりづらい名称だ。伝わる人にしか伝わらないのだろうけど、納得はできる。

 彼女はふわふわな時期を脱して大人ぶってはいるものの、どうやっても垢抜けない。本人は結構気にしているけれど、僕としてはそんなところも可愛いと思っている。

「多分あれはまだ誰とも付き合ったこと無いタイプだぞ」

「そうなの? でも一時期サッカー部のイケメンと付き合ってたって噂があった気がするけど」

「ふーん。俺が告るわけじゃないからどうでもいいんだけど、それはなんか嫌だな。田中、どうなんだよ。告る本人的にはさ」

 田中、ねえ。

 所属しているグループが違いすぎて名前すら覚えてなかったけど、確かコイツは……。

「別にどっちでも良いよ。つうかどっちでもイケる。けどまあ、初めての方が色々教えがいあるよなー」

「うっわー。さすがだな」

「ほんとな」

 田中、と呼ばれるこの男は高一にして180センチを超えている大男だ。

 ガタイは良いけれどそういう奴特有の押しつぶされそうな圧迫感は無い。だから大抵の人からのウケが良い。中身を覗かない限りはとても温和で素敵に見えるからだ。実際女の子に困っている様子が無いから女ウケもよいのだろう。少し、羨ましい。

「つうかお前彼女居ただろ?」

「居るけど、何?」

 何じゃねえよ。と思った僕と同調したように、田中の周りの男子も同様の言葉を吐いた。

「別に彼女が居たって告白しちゃいけねえってことはないだろ。それにほら、なんか飽きてきたしな。とりあえず昼行ってくるわ」

 うん。そうだ。コイツは女に節操が無いんだ。

 要は『取っ替え引っ替え』というやつだ。

 考え方も気持ち悪いし、行おうとしていることも気持ちが悪い。表面上でも会話をしたくない。思わず侮蔑したような目で見そうになって頭を抱えた。

 告白されて彼女はどうするのだろうか。きっと田中の本性になんて気付いていないだろうから告げるべきなのだろうけど、僕が口を出してもいいことなのかな。

 田中の人間性についてはどうかと思うけど……つまるところ彼女の意志次第なのだろう。

 素敵に見える男性に好意を持たれて嫌悪なんて持たないだろう。けれどもし流されるままに付き合うのだとしたら、やっぱりそれは嫌だ。

 友達として伝えなければいけない。

 弁当に何が入っていただとか、その味だとか、そんなものは何も感じられなかった。

 焦燥感を覚えても仕方が無いし、無力感を覚えたってそれもまた意味が無いのに……。

 いても立ってもいられなくて、思わず出て行った田中の後を付けようとしたけど理性でそれを押し留めた。

 幾らかの時間が過ぎた後で田中が教室に戻ってきたが、どことなく不満げな表情を浮かべていた。

「どうだったんだ?」

「あまりにもな慌てっぷりでごり押しすることもできなかった。ああいう女が好きそうなセリフを言ったけどどうなるかは分かんねえ」

 田中は苦笑したあと、ため息を漏らした。

「俺も即応力が足りねえなあって思ったよ。まあ、上手くいくだろ。少しでも脈があるならクリスマスに会ってくれって言ったんだ。メアドもゲットしたし数日で落としてみせるわ」

「うっわー。さすがヤリチンだな。死ね」

「それな」

「じゃああれだな。上手くいったら元カノくれよ」

「良いよ。それとなく誘導しておくよ」



 このゲス共が。

 なんて思うけれど、僕に選べる選択肢などはないんだ。

 漠然とした寂寥感だけが胸の内に広がっていった。





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