第2話 おばあ様

 ―――この日はとても晴れていたのを覚えている。

 

 二週間の監禁生活を終え、のびのびと普通の日常に戻っていった望愛は召使いさんとおばあ様の元へ向かっていた。もちろんお母様は来ない。おばあ様のもとへ出かけると言ったとき、お母様は気のない返事をしただけだった。それほどお母様にとってはどうでもよいことなのだ。しかし珍しく出かける直前に召使いさんに「よろしくね」と声をかけた。その時のお母様の顔は召使さんの身体で見えなかった。見えなかったけど、何かが胸の奥でゾワッとした。



 施設に着くと望愛は駐車場の隅っこで吐き気と格闘していた。

「うっおぶ・・・」

「お嬢様しっかり」

 召使いさんは優しく背中を摩ってくれた。空車ジェットカーに乗るといつもこうだ。胃の中のものがシェイクされたかのように気分が悪くなる。高飛びフライハイは大丈夫なのに。ほんと、謎だ。白い綿雲を模した駐車場が望愛の吐いたところだけ残念な仕上がりになってしまった。しかしそれも数分経つと元に戻る。自浄作用があることを知っている望愛たちは、吐き気が収まるとすぐにおばあ様の居る部屋に向かった。

 

 受付を済ませ、おばあ様のいる最上階フロアまでエレベーターで向かった。乗り場に近づくと、透明なカプセルが瞬時に現れ、それに乗り込んだ。その中のベンチ椅子に座り「最上階」と一言述べるだけで動き出した。透明な筒状の中を通り、あっという間に着く。そこから降りると望愛たちが今まで乗っていたカプセルは消滅した。廊下に出ると、ドアも何もない壁が向こうの方まで続いていた。その壁には部屋番号と認証付のインターフォンが付いているくらいだ。

「おばあ様って何号室だっけ?」

 望愛は召使いさんにおばあ様の部屋番号を訊いた。望愛は数字を覚えるのが苦手で、何度も来ているはずなのに忘れていた。

「S-001ですよ」

「ということはあっちか」

 番号を確認して部屋のインターフォンを押す。すると、おばあ様の「どなた?」という柔らかい声がスピーカーから聞こえた。

「望愛だよ。召使いさんと一緒にお見舞いに来たの」

「あら、うれしい。今開けるね」

 その言葉とほぼ同時位に壁が融けたように大きく開いた。部屋の中ではおばあ様はベッドに横になりながらもこっちを向いていた。その顔はとてもにこにこしていてうれしそうだった。

「おばあ様~!!」

 望愛は駆け出し、ベッドにいるおばあ様に激突するように抱きついた。

「お嬢様! 優奈様はご病気ですからあまり刺激は―――」

「いいのよ。これくらい大丈夫だわ」

 おばあ様は望愛を撫でながら、召使いさんにウインクした。以前のおばあ様は少しふっくらとしていて、上品な顔立ちをしていた。しかし今では体が細くなり、少しやつれているようにも見えた。

「望愛ちゃん。久しぶりねえ。元気にしてた?」

「もっちろん!」

 望愛は二週間罰を受けたことは言わなかった。いや、言えなかったと言った方が正しい。言えばまたおばあ様を心配させてしまう。寝込んだ状態のおばあ様にこれ以上の心労はかけさせたくなかった。

「本当なの?」

「―――え?」

 真直ぐとした眼差しが望愛の瞳を覗き込み、捕えた。こうなったらおばあ様に勝てる人はいない。それに望愛はおばあ様の何でも見透かすような目に非常に弱かった。望愛は観念し、この間あった出来事をおばあ様に渋々話した。


「―――あら! そんなことがあったの!! わたくしちっとも知らなかったわ」

 おばあ様は驚いていた。

「エアシューズが『クロノロイド』以外にも使えるようになって二年くらい経っているっていうのに、二人とも頭硬すぎなのよ」

 唇を尖がらせながら望愛は言った。他の子はエアシューズ普通に使っているのに、何でだめなのか全然分からない、とでも言いたそうな顔だ。

「二人とも望愛ちゃんが怪我しないか心配しているのよ」

「・・・後継ぎとしてね」

 両親がそれ以外に望愛に対して何も思っていないことが望愛自身も知っているし、望愛に対する両親の行動を見てきた他の人も同様に感じていた。

 そんな望愛をおばあ様はギュッと抱き寄せた。

わたくしは望愛ちゃんの味方だからね」

「・・・」

 望愛はその言葉に何を返していいのかよく分からなかった。分からなかったけど、胸に熱いものが込み上げてきた。

「あと、あなたが大好きな召使いさんもよ。彼女も大きな味方になってくれるわ」

 召使いさんは複雑な表情で私とおばあ様を見ていた。まるでどう答えたら良いのか分からないという感じでした。

「・・・・もちろんです」

 消え入りそうな声だった。まるでお母様の無理な命令をされた時の答え方と同じだった。「いつもの召使さんらしくない」瞬時に望愛は思った。どうかしたのか召使さんに訊こうとしたとき、おばあ様が声を上げた。

「そうだ! わたしの大好きな『ジャン=ポール・エヴァン』の焼き菓子がこの施設の地下にあるの。いま皆で食べたいから望愛ちゃん買ってきてくれない?」

「え~。おばあ様の好きなスターフルーツを持ってきてるんですけど!」

 望愛は召使いさんが手に持っているケースを指さした。

「それなら、スターフルーツを食べた後のデザートとして焼き菓子も食べればいいじゃない」

 おばあ様は自分の端末をいじりながら平然とそう答えた。

「デザートの後にデザート食べるの!?」

「いいじゃない。久しぶりだから両方食べたいのよ。おばあちゃん孝行だと思って、よろしくね」

 『ピッピ』と音が鳴り、端末を取り出すと、「西園寺優奈様から振込がありました」の文字が出ていた。

「そのお金でよろしくね、望愛ちゃん」

「んもー! ここ最上階だから地下のショップまで行くの面倒くさいのに」

 と口でぶつぶつ言い、望愛は買いに出て行った。



「―――てか、おばあ様の部屋からデリバリーすれば良かったんじゃない?」

 誰もいないエレベーターの中で、おばあ様の好きなメーカーの焼き菓子を手に持っていた望愛は、不意に言葉を発した。

 確かこの施設はかなり高級な部類なはず。酸いも甘いも知っている金持ち老人たちへのサービスは、微細な部分まで行き渡っているような施設のはずだ。しかもおばあ様は一番いい部屋にいるからサービスの初歩とも言えるデリバリー機能がないはずはない。

 自分も気が付かなかったことに腹が立つけど、それ以上におばあ様がそれに気づかなかったことが意外だ。やはり高齢なのもあるけど、部屋に籠りっぱなしのせいで脳も錆びついたのでは、と望愛は思った。

 インターフォンを鳴らし、扉を開けてもらうと、部屋は静まり返っていた。

「どうしたの?」

 いつもの二人は吃驚するぐらい仲が良く、絶えず笑い話に花が咲いていた。「ともあろう方がクロノロイドなんかと仲良く話している」とおばあ様のことを気に食わない一部の人間が陰口を言っていたくらいに。

 それなのに二人は、どこか伏し目がちで、互いに目を合わせようとしなかった。来た時から召使いさんの雰囲気に奇妙な感じを抱いてはいたが、一体何があったというのだろうか。

 しかし、おばあ様は口をにっこりと三日月形に歪めた。

「やっと帰ってきてくれたわね。もう、遅いわよ。遅いからスターフルーツ先に食べちゃったわよ」

「へ? うそ!! 私の分は!?」

「遅いので召使いさんと食べちゃいましたー」

 空の容器を見せるおばあ様。そこに入っていたはずのスターフルーツは影も形もなかった。

「私も大好物なのにぃいいい」

 こうなったらこの焼き菓子やけ食いしてやろうと思っていると、

「嘘ですよ、お嬢様。ちゃーんとここにお嬢様の分がありますよ」

 召使いさんは隠していたスターフルーツを取り出した。

「もうっ。おばあ様は意地悪なんだから。あまりこういう意地悪ばかりすると、せっかく買ってきた焼き菓子全部食べるからね」

 望愛はぷんぷん怒りながら言った。

「あら。それは困るわ。わたくしのお気に入りのお菓子なのに」

 おばあ様は困った表情を浮かべる。何よ。自分からやり始めたのに。なんかズルいわ。こっちが悪者みたい。

「ふ、ふん。けど、私はおばあ様と違って優しいから分け与えてあげるわよ。感謝しなさい」

「ふふ。どの口が言っているのかしら」

 おばあ様と召使いさんはくすくす笑い出した。

「むう。何がおかしいのよ」

 望愛は頬を膨らませた。それでも笑い続ける二人につられて、望愛も思わず笑った。


 そうした他愛ない会話を続けた後、望愛は今日やるドキュメント番組の感想を書かなければならないことを思い出した。あと10分もしないうちにその番組は始まるため、家に帰って見ることも空車ジェットカーに乗りながら見ることもできない。

「やっば、忘れてた! おばあ様、ちょっとテレビ見てもいい? 学校の宿題でドキュメント番組を見た感想を出さなきゃいけないの」

「まあ、そうなの! どのチャンネルなの?」

「えっと、9!!」

 おばあ様は丸い円盤に向かって人差し指で「9」と空で書くと立体映像が浮かび上がった。

「メモするのにその端末だと小さくない? わたくしのを使ったら?」

「やった! ありがとう」

 携帯端末しか持ってきていなかった私は素直に従った。

「ところで何のドキュメントなの?」

「ん? ああ、フォルトゥーナ事件だよ」

 大きな端末をいじっていた望愛は気のない返事をした。

「フォルトゥーナ・・・」

 ぼそっとおばあ様は呟いた。召使いさんは「そういえば今日でしたね」と答える。

「確か世界規模に事業を拡げていた、その当時最大の警備会社が起こしたテロ事件でしたよね。その会社名がフォルトゥーナ株式会社だったからそう呼ばれたという・・・」

「そうそう。丁度50年になるのが今日でドキュメント番組がやるから、それを見てこいだって。何でも生物学に重点を置くことになった重要な事件で、今回の内容はこの事件を起こしたに注目したものだからいい勉強になるとかなんとか」

「魔女・・・か・・・。は今ではそう呼ばれているのね」

 おばあ様はどこか悲しそうな眼差しをしていた。

「・・・おばあ様、その人と知り合いなの?」

「いいえ? わたしはテレビとかで見たことある程度よ。全然知らないわ」

 おばあ様はにっこりとした。

「優奈様はこのテロの恐怖を体感した生き証人なんですよね?」

「そうね」

「え!? そうなの!? なんかすごい!!」

 おばあ様はくすくす笑っている。けど、よく考えてみれば確かにそうだ。おばあ様は今年で80歳になるから50年前は30歳になる。重大事件に巻き込まれた歴史の生き証人が目の前にいる。望愛はわくわくしていた。

「ねぇ、今度その時のお話聞かせてもらってもいい?」

「そうねぇ。覚えていたらね」

「大丈夫! 私、忘れないもん。約束だからね」

「はいはい。けど今はテレビをしっかり見なさい。宿題でしょ?」

 おばあ様に促されて映像を見ると、もう始まっていた。

「あっ。やばい」

 望愛は必至で映像を見ながら集中してメモを取っていた。そのため、望愛の耳にはおばあ様がこの後に吐いた言葉は全く聞こえなかった。


「―――――ごめんね」




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