異世界と植物少女

 がたんごとん、きっきっ。がたんごとん、きっきっ。


 上等の兎馬タルクが引く兎馬車タルカーに揺られ、少女は半分夢の中にいた。それほどに心地よいのだと、その表情が示している。

 ふわふわと浮き沈みする意識の中で、少女はとりとめのない思索に耽っている。いや、夢想と言った方が近いだろうか。やれに着いた時にどんなお菓子を食べようだとか、やれあの花が綺麗だったから育ててみたいだとか、やれあの化粧品はまた使いたいだとか。

 そんな他愛もない、少女と呼べる年頃の女性が考えそうな、至って普通のであった。そのまま浅く、ふんわりと現実感をあやふやにしながら少女はうたた寝を続ける。まさに至福、といったものだろう。


 「お客さん」

 不意に、至福の時は終わりを迎える。


 その声に夢から覚め、眼を開く。兎馬車タルカーの外からそれなりに年を召した、気の良さそうな御者ぎょしゃが顔を出している。

 兎馬車タルカーは止まっており、随分と早く目的地に着いたものだと思ったが、どうやら違うようだ。

 では、なぜ?


 「どうやら行き倒れみたいでさぁ。このまま放っておくのも目覚めが悪いんで、ちょっと乗せてやりてえんですが、如何でしょ?」


 ふむ、と唸り、考える。

 ここはパスチニアとペムの間に広がる大平原だ。あまり水晶クリスタルが生えていないせいか晶獣しょうじゅうは少ないが、かといって危険ではない訳でもない。晶獣しょうじゅうの他にも、危険な生きものは存在するのだ。

 故に、ここを歩いて突破しようとするものはまずいない。大抵は危険に敏感で、足の速い兎馬タルクに乗るか、兎馬車タルカーを借りて都市の間を行き来するものなのだ。

 さては兎馬タルクに逃げられたのか、兎馬車タルカーから放り出されたのか。後者だと、ろくな奴ではないのだろうなと思ったが、そんな思いはおくびにも出さず了承の意を伝える。


 程なくして、ぐったりとした様子の少年が運び込まれる。息は浅く、時折声にならない呻き声をちいさく上げている。見たことのない意匠の服は砂に塗れて汚れ、ところどころ裂けている、左肩には乾ききった血糊がべったりと付いているが、体に傷は無く、むしろ溌剌としているようだ。

 この不思議な少年を前にして、その正体について少女は一つの答えを導き出す。


 「異世界からの転移者、かしらね」

 そう、転移者。。異界晶獣ソトによって元々住んでいた世界を追われ、大導師サロモによって特別な道具――錬成聖遺物デミ・エリクシルを渡されこの世界に送り込まれた者たち。

 私は弟と共にこの世界に来たが……弟はこの世界の風土に合わなかったためか、今は病に臥せっている。


 私は老齢の御者ぎょしゃに少年の処置を行うことを告げ、再び兎馬車タルカーを発進させてもらう。

 処置の邪魔をしないようにか、先ほどよりも揺れが格段に少ない。わだちでそこそこ踏み固められているものの、街道として石畳が敷かれている訳ではないこの平原にできた道で、兎馬車タルカーの揺れを最小限になるように動かすこの技術は並大抵のものではない。

 まさしく老練、といったところだろう。


 私は少年の頭を膝に乗せ、鞄から「三」と書かれた竹筒と器を取り出した。竹筒から器に七分目程の分量で薬液を注ぎ、揺れで零れないよう注意しながら持つ。

 そして、髪をまとめるかんざしの一本から、刀のように鞘に収まっていたやすりを引き抜き、そのままシャリシャリと。樹液が流れ出ない程度に削り、その粉末は器の中の薬液に落としてかき混ぜる。

 この少年に効くかどうかはわからないが、今の弟以外に効かなかった人はいない特性の回復薬ポーションだ。

 少年の上体を起こし、器を口に添えて無理やり中に流し込む。喉も乾いていたのだろう、ごくりごくりと喉が動いているのがわかる。

 全て流し込み終え、ゆっくりと少年の頭を膝に下ろす。すると、すぐにぷはぁと少年は息を吹き返した。しばらくぜえぜえと荒い息を吹きだし、少年がじわじわと体を起こす。

 その姿に、私はよかった、助かったと安堵した。


 そして彼はこちらを向くと、大きく目を見開いた。まるで信じられないものを見たかのように、「ヤドリ……?」と掠れた声で言った。

 


                 *



 くそ、喉が渇いた。目がくらみ、体に力が入らない。

 気が付くと草原に放り出されていた俺は、硬質な鱗を亀の甲のように背中に背負った鹿のような生物に遭遇し、異世界に来たという事を実感した。

 そうだ。まずは、人のいるところを探そう。そう考えて、人の痕跡を探す。

 すると、くっきりと草の生えていない筋を見つけた。その筋は遠く先まで延びており、道だとわかった。車輪のようなものが通った痕跡がある。この道を辿っていけば街に着くはずだと考え、道沿いに移動することにした。

 未だ見えぬ街の影を追って、時に歩き、時に走りを繰り返した。

 ……錬成聖遺物デミ・エリクシルを使うことも考えたが、俺の脳にインプットされていた取扱説明書チュートリアルを見るに消耗が激しいらしく、長時間の稼働には向かないとあったため、着用を躊躇した。

 しかし一向に街は見えず、少し大きく見える太陽が俺の体力を奪っていく。まるで丸一日歩き詰めたかのような疲労感とたった一歩しか歩いていないような徒労感に、時間の感覚すらおぼつかなくなってきた。

 やがて俺は、膝を屈し地に伏せる。こひゅうこひゅうと息が漏れる。脚が疲れた。喉が渇いた。腹が減った。あのサロモという奴は体の傷をこそ治してこそくれたが、空腹まで満たしてくれるようなことは無かったみたいだ。見下ろしている太陽が、じりじりと俺を苛む。

 やがて、頭の中に靄がかかる。瞼には数秒ごとにおもりがつけられるかのように、かくん、かくんと閉じる。開け放たれた口の中に入ってきたアリのような虫を噛み潰し、口の中に強い苦みと僅かな甘みが広がる。

 それが最後の記憶だった。


 喉が潤う感覚に、意識が覚醒する。……生きている。柔らかい感覚が俺の後頭部を包んでいる。

 何だろうか、これは? 気になって目を開けると、上にも大きなでっぱりがある。

 一瞬何かと思ったが、すぐに膝枕かと答えを出す。今となっては戻らぬ、懐かしき母の記憶だ。

 ……どうやら、俺はこの女性に助けられたようだ。

 礼を言おうと上体を起こす。まだ疲労が抜けきらないのだろう、その動きは酷く緩慢なものであった。少し痛む首を回し、彼女の顔を見る。

 頭で理解するより速く、「宿里やどり……?」と言う声が漏れる。

癖のある長髪はポニーテールのようにまとまっている。目はパッチリ開き、ややツリ目味。小顔で、鼻や口も小さくまとまっているその容姿。年は同い年くらいだろうか――。

 いいや、違う。宿里やどりはあの時――。塗り固められた悪夢が再び色づき、金切り声をあげて膨れ上がる。

 「ぐっ――」

 再び脳が軋む音を聞いて思わず額を抑え、逃げ道を探すように宿里やどりとは違う部分を探る。

 鮮やかな茶色だった髪は薄い緑色がかった銀の髪に。手入れの細やかさを感じさせるその髪は、毛先に行くにつれて緑色が濃くなっている。髪をまとめているのはリボンではなく、逆さにした蝶を思わせる髪飾りで、かんざしが一本通っている。まなこは栗色でなく紫色で、まるで紫水晶アメジストのように澄んでいる。滑らかだった場所には大きな山脈があり、片手で覆いきれない程の大きさになっている。

 だが何より、一番目を惹いたのは。


 


 そのは彼女の左側頭部から生えている。枝は尖った所を作らないように剪定せんていされており、髪と同様に普段からよく手入れされている印象を受ける。全体的に灰色を帯びた薄い褐色だが、一部分が削られたかのように白く変色していた。

 「あの、大丈夫ですか?」と、目の前の女性に声をかけられる。声まで宿里やどりに似ている。しかし、いつまでも呆けているわけにも行かない。現にこうして心配されている。俺は慌てて返事を返した。

 「ああ、えと、大丈夫です。ありがとうございます」

 「よかった。あなた、行き倒れていたんですよ? 一体何があったんですか?」

 「えっ!? と、その……」

 そんなことを聞かれ、俺は言い淀んだ。どうしよう。まさか異世界から来たなんて、言っても信じてもらえるだろうか。

 そういったことを考え、あたふたしていると「もしかして、異世界から来ました?」と不意にするっと核心を突き刺される。

 「え、何でわかったの!?」と思わず声が大きくなる。慌てたように彼女が俺の口を人差し指と中指で挟む。

 「静かに。この御者さんはいい人ですけど、あまり言わないに越したことはありませんから」

 「は、はぁ」

 何とも間の抜けた声が出る。今の顔も、その声と同じくらい間の抜けた顔になっているだろう。

 「実際、どうしてわかったんですか?」今度はひそひそ声で聞いた。

 「半年前、この世界に異世界から来る人が現れたのですよ。そして、私もその中の一人。この宝樹がその証です」と、彼女は自分から生えている樹を指さす。

 「えっ? でも、こんなビックリ人間なんて……」と言いかけ、サロモの言葉を思い出す。

 異界晶獣ソトは多くの平行世界を喰らってきた。となれば、この人もソトに住んでいた世界を追われてきた人なのか。

 そう考えると、彼女との間に奇妙な連帯感が生まれた気がした。

 「いえ、何でもないです……。もしかして、貴女も……?」

 「まぁ、そうね……」彼女の瞳が曇り、気まずそうに答えた。失敗か、と思い、即座に話の路線を変更する。

 「とりあえず異世界人同士、自己紹介でもしましょうか。俺は欣勝寺きんしょうじとおるです。貴女は?」

 「私はフィオナ・ミスルト・ラナンキュラス。キンショージ・トールデス、覚えました」

 「いや、トールデスじゃなくてとおるです」

 「成る程、イントネーションの違いでしたか。これで合っていますか、トヲルデス?」

 やどっ…フィオナさん、さては天然か!? 心の中でツッコミながら、声を抑えて訂正する。

 「名前はとおるとおるです。デスは名前じゃないです。」

 「あ、ごめんなさい。キンショージ・トヲルですね」

 うん、まーよかろう。ちょっと発音がおかしい気もするが、気にしないことにする。俺はおおらかな日本人なのだ。

 

 互いの名前を知って交流を深め合ったその時、「おう、兄ちゃん目覚めたのかい。よかったよかったぁ」と、窓の外から御者ぎょしゃさんが声をかけてきた。

 「キンショージ、この人が行き倒れていたあなたを拾ってくれたんですよ」フィオナがすかさず解説を入れる。

 「あ、本当ですか!? ありがとうございます!」

 大きく頭を下げ、礼を言う。角度は四十五度。立派なビジネスマナーだ。

 「いや! そこまで頭を下げられるいわれはねえよ。変な人だなあんたぁ」と、前を向きながら恐縮される。どうしたのだろう、ただ頭を下げただけだというのに。

 「普通はそこまで深く頭を下げる人はいないのです、キンショージ。慎み深いのですね」と窘めるような言葉で、しかし言外にそういった文化なのですねと認められた気がした。

 成る程、アメリカでは人にお辞儀をすることはあまり無いらしいが、そういったものだろうか。。よく覚えておこう。

 「異世界人ってのはそんなもんだわなぁ。あーんまりよく思わねぇ奴も多いが、うらぁタダ乗りしねーで金落としてくれんならそれで万々歳よぉ」あっけらかんと御者ぎょしゃさんが言い放つ。迷惑な異世界人が多いのだろうか、某マナーの悪い観光客みたいな。

 「その辺りの話はについてからしましょう。聞きたいこともあるでしょうし」と、フィオナがはぐらかす。

 「そういえば、この馬車ってどこに向かってるんだ?」と聞いてみる。

 そうだ。この馬車……馬車でいいのか?兎のように大きな耳が生えた謎馬をそのまま馬と言っていいなら馬車なのだが。馬車(仮)を動かしているというなら目的地があるはずだ。


 「ペム、と言う所よ。農耕都市国家と呼ばれているわ」


 異世界の街。都市国家と言う響きに、俺の好奇心がぴくんと屹立きつりつした。

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雷神の馬蹄と異界の坩堝 @violetn

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