亡いて哭いて泣いて

 空に開いた大穴は怪獣を生み出し続ける。ぽつり、ぼつりと水が滴り落ちるように。怪獣の誕生は次第にその頻度を増していき、空に溢れかえった怪獣は移動を開始する。

 目につくものを焼き払い、動くものを背中から討つ。白い閃光が瞬くと、ビルに大穴が空き、骨組みがへしゃげて落下する。熱せられたコンクリートが破裂し、柱を失った高速道路は寸断され細切れになる。超高温に熱された砂は融解し、緑色のガラスとなってそこらにへばりつき、硝子の異界を形作っている。山林に火が付き、木々が倒れる音と共に熱風が吹き荒れる。立ち上ったどす黒い煙は大穴に吸い込まれてゆく。

 暗雲をすべて飲み込み終えて青空の戻った空に、大穴は居座り続けていた。


 ……どれほど眠っていただろうか。随分と長い間にも、ごく一瞬の事だったようにも感じる。

 辺りは気味の悪いほどに静まり返り、遠くで炎がパチパチと音を立てているのが聞こえる。皆は既に逃げたのか、と得心を得る。うっすらと瞼を開けると、いつもより一段と暗くなったように感じる青空が見えた。校舎が裂け、空が筒抜けになっているのだ。

 頭が呆け、何もわからぬままバネを戻すように跳ね起きようとするが、左肩に激しく走る痛みに動けなくなる。脳が完全に覚醒し、痛みの元に目を向ける。すると、捻じれて尖った鉄骨の一部が貫通していた。関節か神経に干渉でもしているのだろうか、左腕が上手く動かない。慌てて引き抜こうとするが、触れた途端にさらに激しい痛みが襲う。反射的に縮こまり、苦悶の声を上げる。


 ぐえぇ、ぐえぇと呻いていると、「透……?」と、か細い声が聞こえた。

 痛みに沸騰した頭がその声を聞いて一気に冷める。


 そうだ、宿里は、宿里はどうなっているのか。この惨状を目の当たりにして感情が叫び出し、焦燥にかられる。痛みをこらえて立ち上がり、周りを見渡した。すると少し離れた所、灰色の瓦礫と塵の中に、茶色の髪と白い手を見つける。

 「宿里!」大声で叫ぶ。自らを鼓舞して彼女の元へ向かう。四メートルもない距離をよろめきながら辿り着き、跪いて手を取る。その冷たさにぎょっとしつつ、繰り返し何度も名前を呼びかける。

「待ってろ、すぐに助けてやるからな!」

 そう言って俺は右手にはちきれんばかりの力を込め、宿里の頭に乗っている瓦礫をどける。火事場の馬鹿力だ。この勢いで全ての瓦礫を撤去してやる。

 そう意気込んで次の瓦礫を放り投げた時、「もう、いい、よ」と宿里が息も絶え絶えに俺の行動を制止する。


 その言葉に振り向いて彼女を見た時、俺は察した。いや、察してしまった。


 「私、もう、駄目だから……」

 そう笑う彼女は血だまりの中に身を横たえていた。


顔からは血の気が引いている。鮮やかだった茶色の髪は塵で白くくすみ、血に濡れて赤色を増していた。ブラウスの袖は既に十分な血を吸い込み、肌に張り付いている。


 「でも、だからって放っておけるかよ! 諦めないでくれ!」俺は喝を入れる。彼女に向けた言葉だが、自分に向けた言葉でもあった。

 そうだ、宿里が死ぬなどと。そんなことはあってはならない、あるはずがないのだ。死の可能性を頭から追い出し、生の可能性を盲信する。既に俺の精神は恐慌状態に陥っていた。そのまま目についた瓦礫に手をかける。

 しかし、現実とは非情なものだ。近くで爆発が起こり、衝撃が俺達を襲う。上から大きな瓦礫が崩れ落ち、再び宿里にのしかかった。

 ぐちゃり。生々しく嫌な音がして、宿里の血が俺の膝につく。

 すぐに激昂し、この大きな瓦礫をどけようと力を入れる。だが、いくら火事場の馬鹿力と言えども人の限界を超えることはできない。瓦礫はびくとも動かず、終いに息を切らしてへたり込んでしまう。


 「もう、ダメ……だから……最後に、手を繋いで……」弱弱しくなった彼女の声が、遠くで響く爆発音にかき消されながらも俺の耳に届く。

 自分の無力を呪いながら、俺は彼女の最後の言葉を聞くべく、宿里に近づき、すでに青くなった手を握る。


 「私、ね……ずっと……透が、いじめられていたあの子を助けた時、透の事をね、ヒーローだって、思ったの……」彼女はうわごとのように語り始める。長く秘してきたであろう、己の胸中を。俺は昔いじめから助けた女の子を思い出し、静かに聞いていた。

 「私には、助け、られなかったから……自分に矛先が向くのが怖くて、見るだけしかできなかった……」

 俺と、彼女が小学5年生の頃。彼女の友達が顔に残った発疹の跡を理由に男子グループからいじめを受けていた事があった。最初はものを隠す、上履きに虫を入れられる等のささやかな悪戯であったいじめはどんどんエスカレートし、体に痣が残るほどの暴行を受けるようになった。そんな折、見ていられなくなった俺は飛び出して、彼女の友達へのいじめを止めるよう拳で説得した。

 こうして解決したように見えたのだが、彼女の友達はそれ以降俺に近寄ることは無く、間もなくして田舎の学校に転校していった。聞くと、いじめは俺が間に入ってからもひっそりとまだ続いていて、まるで憂さを晴らすかのように苛烈さを増していたという。この出来事は、幼かった俺の心に無力感を刻み付けるには十分すぎる出来事であった。人助けは、行うものではないのではないかと。

 「あの子、透に感謝してた。あいつらに見張られて近づけなかったけど、ありがとうって……」宿里は薄く微笑をたたえて、彼女の感謝を代弁する。

 いや、違う。と俺は心の中で否定する。助けられなかった人助けに意味は無いのだと。それは偽善というものなのだと。その無念は、今も俺の心の中で渦巻いている。

 俺の顔が肩の痛みではなく、胸の痛みに耐えられず歪みかけた時。



「私ね……ヒーロー、が好き。だから……あなたが、好きなの」



 俺の頭は一瞬まっ白になった。様々な思いが去来し、泡がはじけるように消えていく。そして。

「ずっと前から……好き……で……」彼女の声は、消え行った。


 「……おい。」俺は宿里の手を強く握る。宿里の手は握り返さない。


 「おい!」宿里に強く声をかける。宿里は何も応えない。


 「おい!」宿里の手を強く揺さぶる。宿里の体に力は入らない。


 「…………う、ああああああ!!!!!」

狂乱し、彼女を瓦礫の下から引っぱり出そうとする。痛みも忘れ、上手く動かない左手を動員して彼女を救い出そうとする。勢いのままに、自分の力を限界までぶっちぎって宿里を取り戻そうとする。すると。



 宿姿



 「……あ?」


 俺は何が起こったか分からずもんどりうった。

 理性が何も理解できないまま、感情の波が俺を貫いた。



「あ、ああ、あああ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 亡いて、哭いて、泣いた。


 彼女との思い出が走馬灯のように蘇る。彼女と一緒に見た夕焼けは綺麗であったこと。彼女が自転車に乗り、走って追いついた帰り道の記憶。共に消化した夏休みの宿題、最難関の絵日記。思い出が浮かび上がる。他愛ない時間を、特別な時間を。思い出すほどに、何故今まで、ここまで秘めた想いを、何故今まで伝えなかったのかと、先に立たない後悔に溺れる。

 失意に打ちひしがれ、頭を地面に叩き落とす。骨に罅が入るほどに振り下ろし、骨の音が響くほどに打ち鳴らす。慟哭は止まらず、喉が涸れても続く。いつか自分が発した嘆きが木霊して返ってきても、新しい嘆きを紡ぎ続ける。

 

 その声が呼び寄せたのか、はたまた偶然か、怪獣がこちらに顔を向けた。腕を広げ、街を破壊しつくした滅びの熱線を吐き出す態勢を整える。

 怪獣の頭部が光条を発し、白光が原型を僅かに残す校舎を包んだ。

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