崩れる世界と墜ちる空


 空が割れた。まるで衝撃を与えたガラスに罅が入り、砕けるように。


 砕け散った空の残骸は、重力に逆らうかのように――いや、反対だ。。穴の中は真っ暗で、が見えない。空の半分を我が物顔で占有する大穴が、何の前触れもなく出来上がった。


 あまりにも信じがたい超常的な光景に、その時、空を見上げていた全ての人が固まっていた。

 いや、全てではない。いち早く我に戻った者は空に向かってスマートフォンを掲げ、思い思いに写真や動画を撮り始めた。シャッター音が大合唱をはじめ、その後に続いてSNSの通知音が輪唱を始める。

 こと一般的な学生にとって、校舎内での携帯禁止令など無いようなものだ。気付けばクラス中の全員が空に釘付けになり、携帯を掲げていた。

 だが、それから大穴に動きは無い。そうこうしているうちに始業のベルが鳴り、クラスメイト達はしぶしぶ席に戻り始めた。

 しかし先生は来ない。数分経ってもまだ来ないので、皆は再び窓際に集まり、携帯を弄りながら空の観察を始めた。実に器用な事だが、ながら作業と言うのは今の若者の必須スキルなのだろうか。


 そのうち皆も、代わり映えのしない空の様子に飽きたのか、散り散りになって駄弁りだす。宿里やどりも仲のいい女友達と何事か話している。少し聞き耳を立ててみると、どうやら話題はおかしな空の話からスイーツの話にワープしたようだ。どうしてそうなった。ああ、繋がりか。そんなバナナ。

 そんなくだらない事を考えながら、俺はクラスの話題に入らず、空をじっと眺めていた。否、ここは入れなかったというべきか。どうにもこの異常な空に、嫌な感覚を覚えたからだ。


 それは非常に形容しがたいものだった。じっとりと粘つくようでありながら、この身を真っ直ぐに貫くような感覚。目を逸らしたいのに、無理やり顔を掴まれ、瞼をこじ開けられるような感覚。



 それは、天敵を失って久しい人類が忘れていた太古の警報。に相対した時に発露する、防衛本能の叫びだったのかもしれない。



 そうして俺は空を眺めつづけていた。だから、その異常に気づけたのは俺だけだったかもしれない。


 雲一つなかった空に、どんどんと雲がかかってきたのだ。それも、穴に集まるかのように。通常、雲の動きと言えば一方向に流れるものだ。上空のジェット気流だかに乗って移動するのだという。だから、この雲の流れは明らかにおかしい。

 そして加速度的に雲の量は数を増す。白く小さかった雲は大きく灰色となり、大穴に集まり続ける。やがて灰色が黒に変わり、大穴を覆い尽くしたその時。


 


 それはまるで洗面台いっぱいに水を溜め、栓を抜いた時にできる大渦のような動きだった。渦の奥に見えるのは大穴。しかし、先ほどまでの暗く底の見えない闇ではない。。グラグラと煮えたぎるその赤はまるで血の池地獄のような様相を呈していた。


 その血の池が波紋を立て、何者かを産み落とすかのように震えはじめた。赤い沼から、ナニカが浮かび上がり、みるみるうちに全貌を明らかにする。


 それは歪な人型をしており、全体的な色は血の池と同じ赤。頭は小さく、悪魔を思わせるような角が生えている。腕は太く長く、人で言う腕の甲の部分には黒い棘……いや、水晶の原石に似ている物体。そんなものが無数に生えている。足に当たる部分は短く細く、先端に刃のような形をした、これまた黒い水晶のようなものが生えている。そして、頭から体をぶった切るように伸びた黄色い発行体は、不規則に点滅している。大きさは……よくは分からないが、五十メートルはあるだろうか。もしかすると、六十メートルまでいくかもしれない。


 これは何だ。何といえばいいのだ、こんなもの。そんなことをフリーズした頭で考える。ふと、頭の中に小さい頃見た巨大ヒーロー番組のワンシーンがフラッシュバックする。そうだ、あいつらは!


「……怪獣だ」と、誰かが呟いた。クラスメイト達が外の異変に気付き始め、どよめきの声を上げる。こんなものは怪獣と呼ぶ他ないだろう。たちまちどよめきの声は悲鳴と――歓声に二分する。

 「うおおおおお! すっげえええ!」「やだー怖ーい」「モノホンの怪獣だ!」「ヤバくない?」「マジかよ!?」「キモッ!」「つーかでかくない?」

 そうして彼らは再び携帯を構え、見たものをカメラに写し取ってネットの海に放流する。


 そして、そのはゆっくりと街に下りてくる。足が役に立たない形状である事もあってか、どうやら浮遊して移動するようだ。やがては辺りを見回すかのように一回転すると、大きく腕を広げ――



 顔から白いレーザーを発射した。



 音もなく着弾したそのレーザーはその射線上にあるものをさせ、その余熱で大爆発を引き起こした。



 一瞬教室が静まり返る。そして、遠くで起きた爆発音が通り過ぎた時。

 二分されていた叫びは、手のひらを返すように悲鳴一色に染まった。

 あの爆発は家の方角だった。家が、親がどうなっているか心配になり、携帯を起動する。パスコードを何度か間違った後、電話帳から母の携帯を開き、連絡を試みる。

 しかし、流れてきたのは圏外を示す電子音声。ハッとして携帯を見直すと圏外になっている。ついさっきまで電波状況は良かったはずなのに、何故!? 周りからもどうしてこんな時に限って圏外なんだ、ケータイが通じない、と怒号と困惑の声が聞こえる。

 外部との遮断によって混乱に陥るクラスメイト。そこに、断続的に巻き起こる爆発と衝撃波が追い打ちをかける。

 このダメ押しの一手によって、泣きじゃくる者が現れ、ある者は奇声を上げ。さらには机の下に隠れる者、廊下に飛び出す者。


 教室は、完全にパニック状態に陥った。


 しかし、その時。教室のスピーカーから大きな声が響き渡った。

「緊急事態、緊急事態! 生徒、教員の皆さんは落ち着いて体育館に避難してください! 繰り返します、生徒、教員の皆さんはくれぐれも、落ち着いて体育館に避難してください!」

 ナマハゲの声だ。普段から生徒に厳しく接しているこの先生の声は、パニックに火照る生徒に冷や水をぶっかけるには最良の役目だ。その後もナマハゲは避難を呼びかけ続ける。クラスメイト達も落ち着き、移動を始める。


 すると、宿里やどりが声をかけてきた。

「透……一体、何がどうなってるの……?」と、目に涙をたたえながら不安気に聞いてくる。……いつも気丈な宿里やどりが、こんなに弱々しい姿を見せる事は珍しい。小さい頃行った廃病院での肝試し以来だ。

「大丈夫さ。きっと何とかなる」その時と同じ言葉を口にして、目の前の弱った女の子を勇気づける。

彼女もそれに気づいたのか、「もう、相変わらず無責任なんだから……。でも、透の近くだと元気が出るね」涙が零れ、真っ直ぐな筋ができる。それでも、笑顔が戻ったことに俺は安堵した。そして。



「透。いつも私の側にいてくれてありがとう。これからも――」


 瞬間。校舎を轟音と振動が襲う。崩れる校舎と堕ちる瓦礫。突き飛ばされた感覚を最後に、俺の意識はブラックアウトした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る