CHAPTER:2 -襲撃-
1
深い眠りの後には必ず覚醒がやってくる。人が生きている以上、永遠に眠り続けることはできない。たとえ2億年という長い時間だとしてもだ。僕たちは未知の技術によって生き存えて、永遠とも取れる一瞬を暗闇と夢の中で過ごしてきた。
記憶は眠りにつく前に置いてきてしまったし、帰る場所は白い砂の下に埋もれてしまった。おかげで僕はこのだだっ広い地下施設の中で目的もなく過ごすだけの生活を送っている。ただ一つ救いなのは、僕の後に覚醒したカナと、僕の身の回りの世話をしてくれるサラが近くにいてくれたことだった。
「おはようございます、ハル様」
「おはよう、サラ」
僕が廊下を歩いていると、サラは必ずやってくる。たったひとりで僕の相手をしてくれているとは思えないくらい、すぐ近くにいる。
そろそろコールドスリープで眠り続けていた体の力も取り戻してきた気がする。バイタリティルームでカナと運動しても、すぐに息を上げることもなくなってきた。カナについていくのはまだ辛いけれど。
「そういえばハル君、その腕のバンドどうしたの?」
いつものようにカナとルームランナーで走っていると、以前から気になっていたらしいカナが僕の腕に目を向ける。
「サラが、くれたんだ。衰えた筋肉の、補助とかで」
カナはまったく息を切らせずにぺらぺら喋るけれど、僕は動き続けるコンベアに足を掬われないように走るだけで精一杯だった。
この未知の技術で作られたバンドの機能を説明するのにも、口は酸素を取り込むのに必死だったから、無駄に時間をかけてしまう。それでもカナは、にこにこしながら僕の話を聞いてくれた。今にも倒れそうな僕の表情とは大違いの輝かしい笑顔だ。
空気を吸うことと吐くことは同時にはできない。当然の摂理ではあるけれど、じゃあ何でカナは、そんな人間の構造を無視するような芸当ができるんだろう。この子は呼吸器官が2つ付いてるんじゃないか。さすがに失礼すぎて口には出せないけれど。
「そんな便利なものがあるなら、ハル君もっと走れるんじゃないの? スピード上げようか?」
意地悪そうな顔で僕のルームランナーに手を伸ばしてくるものだから、僕は両手を振り上げてカナの操作を阻止しようとする。でも運動神経に関してはカナには絶対に勝てない。僕の両腕をするりとかわして片手で簡単に機械に触れてしまった。コンベアの無慈悲な加速が僕を襲い、とうとう僕は弾き飛ばされて地面に転げ落ちてしまう。
「カナ、やめてよ!」
そんな無様な格好を見て、カナはお腹を抱えて笑っている。それでもカナの足は止まらない。ほんとうに人間かこいつ。
「このバンドは巻いてるだけで、まだ使ってないんだ。体力がついていない状態で使うのは危ないって、サラに止められちゃって」
「ああ、そうだったんだ。ごめんごめん」
涙がにじむほど笑ったカナは目頭を拭いながら僕に謝罪の意を見せるけれど。
「じゃあなおさらスピード上げなきゃね。便利なものは使わないと勿体ないもん」
反省している様子はなかった。
事件が起きたのはその日の夜のことだった。施設内にある図書館で読めそうな本を物色していたときだ。この世界にも僕がいた時代の、世界中の書物が保存されていた。その中で日本語のものを探していると、唐突に地面が唸りを上げながら大きく揺れて、並び立つ本棚ががたがたと鳴り出した。一瞬後に、爆発音のようなものが響く。
飛び上がって部屋の外に出ると、廊下の奥の方で黒煙が吹き出している。揺れはほんの2,3秒くらいで収まったけれど、何かよくないことが起こっているみたいだ。
無駄に長い廊下を駆けて黒煙の溢れ出る部屋にたどり着くと、カナが目の前でうつ伏せに倒れていた。
「カナ!」
あまりにも凄惨な光景に喉が引きつる。部屋の中はぐちゃぐちゃに荒らされていた。何の施設かもわからないくらいに机や椅子の破片がそこらじゅうに飛び散り、壁際に並んだ木製のラックのようなものが炎を上げて熱と煙を吐き出し続けている。真っ白な壁は、煤と焦げ跡でところどころ黒く染まっていた。
「は、ハル君、逃げて」
カナを抱き上げると、うっすらと目を開けたカナが僕に囁く。うつろな目は焦点が合っていないくて、僕の向こう側の天井を見ているみたいだった。
腰に回していた手に生ぬるい感触がある。――血だ。赤黒い鮮血を吹き出す傷口を見て僕は青ざめる。いったい何があったっていうんだ、カナはどうしてこんな、傷が、血が――。
「死に損ないが2人か」
混乱している僕の耳に、威圧感のある低い声が刺さる。僕が入ってきた入口と反対側の扉の前で、攻撃的な目つきをした男が僕を睨んでいる。手には銃器のような、燃え盛る紅蓮を反射しててらつくどす黒いものを握っている。
大型の棚が音を立てながら火炎を纏って崩れ落ちる。僕とその男の間を火炎が塞ぐ。
どう考えても危険だ。吐き捨てた言葉と、手に持った武器――こいつが、カナを傷つけたのか。
「ガキ、てめえも邪魔すンなら殺す」
熱で歪んだ空気の向こうで、男がゆらめきながら銃を構えるのが見えた。僕は混乱で硬直しきった体に活を入れて、腕のバンドのスイッチを入れる。筋力の上がった腕で力任せにカナを抱き抱えて、部屋の外に飛び出した。男の武器から飛び出した銃弾が甲高い音を立てて頭の横をすり抜ける。萎縮なんかしてる場合じゃない。とにかく、カナを助けないと。僕にはカナの傷と出血がどれほどのものかはわからないけれど、たしかにまだ生きている。サラなら、何とかしてくれるはずだ。
サラの名前を叫びながら走っていると、彼女はすぐにやってきた。
「すぐに処置を行います。銃創2箇所、火傷多数、失血過多による意識レベルの低下、すべて高レベルの損傷ですが生命活動には問題はありません」
よかった、とりあえずカナは無事のようだ。
「先ほどお二人を襲撃した方は、被験者番号J0001――シロ様です」
ということは、最初に覚醒して外に出たというのがあの男だ。
「シロ様はコールドスリープ以前の記憶を保有しているようです。覚醒後、当施設で数時間経過後に外へ行かれました。その後の動向は不明ですが、何かしらの目的があって当施設に戻ってきたと思われます。カナ様に攻撃を行った理由も、その目的と関わっている可能性が高いかと」
外に出てすぐに戻っていないということは、あの砂漠の向こう側で何かを見つけたのかもしれない。僕たち以外の普通に暮らしている人間や、街や建物みたいなものを。
それらの情報を手に入れられるのであれば、僕の記憶の手がかりも見つかるかもしれない。だけど――。
「シロ様との対話は危険と判断します」
僕の考えを読み取ったみたいに、サラが僕を睨む。
「シロ様は覚醒直後から排他的な方でした。記憶を保持していることもあり、私に対しても非常に攻撃的な言動を発しておりました」
奴がどういう男なのかがわかれば、まだ対話の余地はあるかもしれない。けれどサラは言葉を続けなかった。
「……申し訳ございませんが、ハル様の要望にはお答えできません。以前も申し上げましたように、被験者のプライバシーは如何なる状況において侵害してはならないプログラムですので」
サラは無表情に告げる。そうだ、サラはこの施設におけるルールそのものなのだ。サラにとって被験者は守るべき存在ではあるけれど、かわりに被験者は、サラの中に刻まれているルールに従って生きなければならない。サラにとっては、あんな野蛮な男でさえも守るべき被験者なのだ。
「ですが」
サラが力強い目で僕を見据える。
「他の被験者に危害を加える存在であるならば、粛清の対象となります。私のプログラムにおける最優先事項は、被験者の安全の提供ですので」
少なくとも、サラは僕の味方でいてくれるみたいだ。シロは僕たちにとっての敵と見なしてくれたらしい。
「カナ様の縫合・復元処置が終わり次第、シロ様の排除を行います。武装を解析し攻撃を無力化、その後機動力を制限し捕獲します」
サラの小さな体から甲高い駆動音が聞こえる。
「コマンド、モードチェンジ――迎撃・捕縛モード。対象者の追跡を要求――補足。被験者J0001、第52層、23区内を歩行中。武装の確認を要求――補足。短銃型
初めて会った時と同じようにサラが早口で呟く。
「ハル様、相手の武装は危険ですので近づかないようにしてください。AIWG――無水インパルス放水銃は、大気中の水分を取り込んで発射する武器です。最大出力で射出された水圧弾は、人骨程度でしたら簡単に貫きますので」
サラの無機質な声にぞっとする。カナはそんな水鉄砲みたいなもので撃たれたのか。冗談みたいな話だ。いや、現にカナの下腹部には撃たれた傷がある。それにここは途方もなく現実とはかけ離れた未来だ。その程度の技術があってもおかしくない。
でも僕はサラをひとりにするわけにはいかなかった。何か得体の知れない違和感がこびりついていたからだ。何かが噛み合わない。サラをあの危険な男に会わせるわけにはいかないと、僕の頭が警告を鳴らしていた。
「僕も行くよ、サラ」
「危険です。おそらくシロ様はハル様にも容赦なく攻撃を行います」
「僕だって、カナを傷つけられて怒ってるんだ。危ないって言われても僕は行く。あいつを、ぶん殴ってでも謝らせないと気がすまない」
ほんとうはただ不安に押しつぶされそうになっていただけだった。ひとりになったら、何をしていいのかもわからず途方に暮れて、意識のまだ戻らないカナの隣で泣き出してしまいそうだった。怒っていないわけではないけれど、とにかく何かいやな予感が胃の壁にこびりついているみたいで吐き気がした。
「……かしこまりました。ハル様は銃器を使用した経験はございますか」
サラは歩き出しながら言った。たぶんこんな僕の気持ちも全部ばれている。サラは感情のないアンドロイドだとしても、ひとの意識には敏感だ。たった数日過ごしただけでもわかるくらいに。
「あるわけないよ。……たぶん」
記憶がない以上断言ができないのが情けない。
「それでしたら、相手を無力化する非殺傷兵器を使用していただきます」
足早に歩くサラの後ろをついていくと、黄色に発光する扉の前で手をかざした。LEVEL3の表記が出ている。
サラについて中に入ると、黒々とした物体が壁沿いのラックにいくつも並んでいた。
「殺傷兵器はLEVEL4区域に保管されています。この部屋は暴徒鎮圧の際に使用する非殺傷兵器の保管部屋になりますが、ハル様にアクセス権はありません。ご利用の際は私にお申し付けください」
できれば使わずに済むのがいちばんだ。こんな非日常的な場所に放り込まれたことに胃がきりきりと痛み出す。よく考えたら、目覚めた瞬間から僕は非日常の真っ只中に生身で投げ入れられているのだけれど。
「使用方法を教えます。こちらは
サラが手渡してきたのは、シロが持っていた短銃と同じくらいの――50cmほどの大きさのものだった。射出部に六角形の小さなパラボラアンテナのようなものが取り付けられていて、普通の拳銃と同じようにトリガーが付いている。側面には複雑な機構が付いていて、手を出すのを少しためらってしまう。
「非殺傷兵器ではございますが、最大出力による射出で、対象の臓器を破壊することができます」
僕は受け取ったLRADを取りこぼしそうになる。そんな危険なものを僕に持たせないでくれないかな。
「出力を150dB程度に抑えておけば破壊にまでは至りません。もっとも、後の生活に支障を来す可能性はありますが」
危険なことには変わりないみたいだ。
「指向性があるので銃口を向けた対象以外には効果は現れませんが、射出対象に命中すると全身の筋肉が瞬間的に硬直し、数秒間の行動を制限することが可能です。ハル様、本物の銃器と違い、この武器には殺傷力はありません。自身が危険に晒された時だけ使用してください。何も恐れる心配はありません」
おそらく初めて手に持つ銃というものは、やけに重苦しく感じる。武器はたやすくひとのいのちを奪うものだ。サラはそんな僕の不安もすべて感じ取って声をかけてくれる。ほんとうに気の利くアンドロイドだ。
「それでは出撃します。ハル様、私から離れないように行動してください」
頼りになる背中を追いかけて、いやな空気の張り詰める兵器保管所から飛び出した。
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