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 長いエレベーターだった。人工音声が到着を告げ、音も重力感もなく箱は止まった。目の前の扉が開いて、外の光がエレベーターに満たされる。眩しさに思わず目をきつく閉じてうつむくものの、光は目の裏側を焼き尽くすほどの強さで襲ってくる。僕は耐え切れずに両手で目を覆った。

 やがて少しずつ光に目が慣れて、恐る恐る手を剥がして目を開ける。

 そしてすぐに僕は絶望した。足元は真っ白な砂で埋め尽くされていて、顔を上げても、その真っ白な砂漠は、空の境界に張り付くように続いていた。砂の白と空の青、2色だけで世界は構成されていた。

 僕はその場に膝をつき、憎いくらい綺麗なそのコントラストを見つめた。何なんだ、これ。僕は東京にいたんじゃないのか。サラも言っていたじゃないか、ここは千代田区だって。霞ヶ関じゃないのか。庁舎の塊は、競うように立ち並ぶ高層ビルは、どこへいったんだ。いや、2億年も経っているんだ、そんなものはとっくになくなったとしても――。

 どうして、なにもないんだ。

 僕がいた世界では、人類は時を経て進化し続けていた。6000万年もの時を経て、火を得て、知識を得て、言葉を得た。国を作り、技術を学び、世界になった。誰もが、さらなる発展を望んでいたはずだ。2億年という時間をかけて、その進化を無に還したのか。いったい、何が起こったっていうんだ。

 しばらく茫然と風に嬲られたあと、僕は立ち上がって歩き出した。行くあてはなかったけれど、とにかく進むしかなかった。生ぬるい風の音と、足下で砂が擦れあう音だけが響いていた。柔らかい砂を踏みしめるたびに、膝についた砂が剥がれるように落ちていく。風が撫でるように首筋の汗を飛ばしてくれるけれど、汗は次々と体中から染み出して、頭のてっぺんからつま先まで汗でべとべとになっていった。顎先から汗が滴り、砂漠に線を作っていく。僕は両腕で滴る汗を拭いながら歩いた。目指していた小高い丘の頂上に着く頃には、僕は大雨に降られた後のようにずぶ濡れになっていた。

 見渡す限りの地平線に、僕は静かに息をついてその場にへたり込む。だめだ、なにもない。

 サラの言葉を思い出す。何かがあるかもだって? ここになにがあるっていうんだ。

 途方にくれたまま、気がつくと汗は照りつける太陽とやわらかい風で乾いていた。僕は震える足に力を込めて立ち上がり、来た道を歩き出す。足跡はすでに風に転がる砂に埋もれていた。砂漠にぽつんと建っている小さな小屋のような建物が、僕が出てきたエレベーターの入口だ。

 太陽はてっぺんにたどり着き、僕を見下してより強く輝いている。これから滑り落ちるその輝きを睨み、小さなエレベーターに向かって歩き出した。




 日が沈むのと同時にエレベーターに乗った僕は、くたびれきった頭で現状を整理した。いまだ滝のように滴る汗は、もう袖じゃ拭いきれないくらいだった。

 僕が2億年ものあいだ眠っていたことは、いまでも信じきれないことだ。僕は生きているし、こうして不自由なく動くこともできる。もしかしたら、記憶のなくなった僕を騙して、何かに利用しようとする誰かがいるのかもしれない。ここはほんとうにどこかの砂漠のど真ん中で、僕は何かしらの弱みを握られて怪しい研究に加担し、結果記憶を失い今に至る、なんて可能性もある。僕に覚醒前の記憶がない以上、信じられる要素なんてどこにもないのだ。

 到着を告げる人工音声がエレベーター内に響く。乗るときにボタンが多すぎて困った僕は、とりあえずいちばん下のボタンを押していた。ボタンに階層を表す数字は書かれていなくて、エレベーター内に現在の階層がわかるような表示板もない。施設を出るときは、サラが操作してくれたおかげで地上に出られたけれど、今回は自分でわけもわからずに押してしまったから、どこに着いたのかわからないのである。

 エレベーターから降りると、広く開けたホールに降りる。さっきまでいた階層とまったく同じだったから、運良く同じ階層に出たのかと安心してしまう。

 僕はサラの名前を呼びながら、迷わないように左側の壁に沿って歩いた。聞いた話じゃ、ここは途方もなく広いみたいだから、きっと呼んでも無駄だろうと思ったけど。

 施設内は空調が効いていて、気づくと汗は乾いていた。

 真っ白な壁に等間隔に配置された半円形の柱の数を数えながら歩いていると、他と違う扉を見つける。扉の前に立つと、その灰色がかった扉の上半分に、ディスプレイもないのに赤い文字が表示される。『LEVEL5』。セキュリティの強さを意味しているのだろうか。中になにか重要なものでもあるのかもしれない。開けようとしてもびくともしなかった。

 「ハル様、お帰りなさいませ。お迎えが遅れてしまい申し訳ございません」

 思い切って体当たりで破れないだろうかと危ないことを思っていると、サラが小走りでこちらにやってきた。よかった、このままサラを見つけられなかったらどうしようかと思っていたところだった。

 「サラ、この扉って――」

 「ここは区域LEVEL5――最重要機密区域です。私がアクセスできる機密は区域LEVEL3――中級機密区域まで。ですので、私にも、この中に何があるのかはわかりません」

 サラもこの施設の全ての区域に関与することはできないようだ。肩を落として、僕の部屋に案内するために歩き出したサラについていく。

 「このアルクトゥルスには5段階の区域が存在します。廊下や食堂などの公共的な設備は最低ランクのLEVEL1――無機密区域で、ハル様が目覚めた部屋はLEVEL2――個人機密区域となり、登録者あるいは管理者のみがアクセス可能です。ハル様は、他の方の部屋に自由に出入りすることはできませんのでご注意ください」

 僕が目覚めた部屋はそのままプライベートルームとして使わせてもらえるらしい。サラに頼めば、可能な範囲で必要なものを揃えてくれるという。

 「ハル様、外の世界で何か得られましたか」

 サラが前を向いたまま聞いてくる。その声はなぜか、なんとなく、少しだけ楽しそうな感じがした。僕は首を振って、僕が見た絶望をすべて伝えた。

 春の風を浴びたときのようなサラの声は、次の言葉ではいつもの無機質さに戻っていた。

 「私は外に出たことがないので」

 エレベーターに乗ると、慣れた手つきでボタンを操作しながらサラが言う。

 「ハル様が見た絶望的な世界すら、私には羨ましいのです」

 そうか、サラはこの施設の専属のアンドロイドだ。外に出る必要がない以上、なにも知らないのだ。ビルの並ぶあの東京どころか、地平線まで見えるあの砂漠ですら、彼女は見たことがない。

 じゃあ外に出ればいいのに。僕がそう言うと、サラは首を振ってエレベーターの天井を睨んだ。

 「私のような自律思考型のアンドロイドは、インストールされたプログラム以外を行動しようとすると、自動的に機能を停止するように設定されているのです。これは人間が考慮しなかった思考ルーティンにより、私たちアンドロイドが予想外の行動をとるリスクを排除した結果、組み込まれた設定です」

 なるほど、例えば何らかのエラーで人間と敵対するような意志がアンドロイドに発生してしまったりしたら……。そういったイレギュラーに対して万全を期すために作られたシステムなのか。

 「……お聞き苦しい話をしてしまいました。私のことなど、ハル様には関係のない話でした。申し訳ございません」

 サラが言うと、人工音声が響き、エレベーターの扉が静かに開く。僕はなんだかすこし残念な気分になりながら、サラに続いてエレベーターを降りる。

 「私にインストールされたプログラムの最優先事項は、この施設の被験者、および研究者の命令に従い、あらゆる害から守ることです。なので――」

 サラは僕のプライベートルームの扉を開けて立ち止まり、僕に振り返った。

 「御用がありましたらすべて私にお任せください。先ほどのように呼んでいただければ、すぐに駆けつけます」

 「用といっても特に……」

 僕は首を捻って考えるけど、そもそもまだこの環境に慣れていないのだから、具体的には何も思いつかなかった。

 「ご所望とあらば、性処理なども」いやいいです。

 「まあ、うん、何かあったらすぐに呼ぶよ、ありがとう」

 疲れ切っていた僕は、部屋の真っ白なベッドを見た瞬間に考えることをやめた。僕は頭を下げるサラに手を振ってベッドに身を埋めた。シーツの柔らかさを感じるとすぐに、意識は深い闇の中に落ちていった。



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