9 見知らぬ他人

 時震……とでも呼べば良いのか、その被害は当初わたしたちが思ったよりも大きかったようだ。

 とりあえず通常の災害における被害のようなものは一切出ず、電車も動いていたので大学に向かう。

 が、それがない。

 正確にはわたしたち二人が知っている大学がなかったのだが……。

 大学自体は消えていない。

 ただし、まるで知らない内部構成なのだ。

 朝が早いので人がまだ殆どいない。

 大学に隣接する学生寮の住人はさすがに起きているだろうが、キャンパス内を歩く人はごく僅か。

 とにかく一つの講義室に入ると長い講義机の椅子を倒して腰かける。

 早々に途方にして暮れる。

 悪い予感が胸にある。

 やがて、それが当たっているのを知ることになる。

 が、その時点では、まだ予感だ。

「これから授業を受けるような気分じゃないな」

 と爽人。

「でも確認はしてみたい」

 と、わたし。

 本当は家族のことが心配だが、すぐにどうこう出来るものでもない。

 予感は既にわたしの中で確信に変わる。

 が、確かめるまでは単なる確信。

 爽人とわたしは手持ち無沙汰と恐れる気持ちを隠すように会話をする。

「どう思う?」

「たぶんきっと、わたしたちには親しくないこの大学は、他の人たちには変わって見えないのよ」

「……だろうな」

「でも何故、こんなこと……」

「自然現象には理由はないよ。発生メカニズムはあるにしても」

「自然現象? いったいどんな?」

「ヒントはないかな? 謎の青年が云うには乙丸真悠子がキーパーソンなんだろう」

「わたしにはわからないわ」

「まあ、そうだとは思うけど」

 不意に気配が近づく。

 謎の青年とはまったく異なる気配。

「やあ、お二人さん、早いね!」

 広い講義室に現れたその男はわたしたちのことを知っているらしい。

 が、少なくともわたしには憶えがない。

 爽人を見ると、

「少しだけ憶えているような気がするよ」

 と、わたしに向かい、小声で云い、

「おはよう。そっちも早いね」

 と、わたしの知らない男子学生に声をかける。

「別の専攻科のヤツに頼まれ事があってね。で、歩きがてら教室を覗くと中に誰かいるじゃない。それを確認しに来たら、おまえらがいたってわけ。……ってことで、また後で!」

 そう告げ、男子学生が去ろうとする。

 が、爽人はついに思い出せなかったらしい。

 不自然にならないように、

「ああ、じゃあ、また……」

 と手を振りつつ答えただけだ。

 やがて男子学生が講義室を去る。

 そこに不自然な様子は観察されない。

 暴かれもしない。

「やっぱり思い出せない?」

「……みたいだな」

 遠くで、この世のものではないケモノが咆哮する声が聞こえる。

 吃驚して講義室の窓から外を覗くと巨大な立方体の組み合わせが、その身を揺らして叫んでいる。

 こちらに向かって近づいてくる。

 どうしよう、逃げればいいのか?

 わたしと爽人が目で会話を交わす。

 すると――

「逃げても構いませんが、大丈夫です」

 不意にわたしたち二人の目の前に青年が現れ、指摘する。

 青年の発する気配が以前より薄れてきている。

 わたしは何故かそう感じ、身震いする。

「同期していないからですよ」

「何故、大丈夫と言い切れる」

 と爽人が聞く。

 答えは相変わらず質問に先行する。

「他の人たちには聞こえていませんよ」

「叫び声が聞こえたのに?」

「この周辺では、おそらくそうです」

「それじゃ、おれたちだけがあの立方体と接触を……」

 青年が消え、立方体のケモノも消える。

 ついで講義室の床が抜ける。

 気づくとわたしは独り。

 不思議な光に包まれて……。

 色があるようで色がない。

 はっきりしているのにボンヤリとしたような光の群れ。

 そこは野外ではないようだ。

 風が吹いていない。

 光の外を見ることが叶わない。

 だから自分が何処にいるのか見当がつかない。

(誰かいるのなら出て来てよ)

 とわたしは心に強く思う。

 が、口と喉が強張り、声としては出てこない。

 それで念を込めるように再度思う。

 すると光が薄れてくる。

 手持ち無沙汰。

 不意に脚許がすうっと抜け、わたしが落ちる。 

……と思うまもなく。

 講義室にいる。

 いったい?

「ねえ、今わたし、ここにいた?」

 爽人に声をかけるがそこに爽人がいない。

 いたのはわたしの知らない爽人だ。

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