7 爽人
「ああ、今日で世界が終わってしまうような空だ!」
と云いつつ、朝焼けに染め上げられた鰯か鯖かまたはその他の青魚の鱗に見立てられることが多い絹積雲を見上げた爽人(そうと)は一応わたしの彼氏ということになっている。
が、その言葉は実際あと一歩のところで実現してしまったかもしれなかったのだ。
あのとき、わたしがいたのは爽人の部屋だ。
当然爽人も一緒だが、色っぽい話ではない。
酒に酔った勢いで結構いい感じで唇を交わした経験はあるが、爽人とわたしはまだそれ以上の関係になっていない。
前日の実験が長引き疲れ果て、家に帰るのが面倒になり、大学から程近い爽人のアパートに泊まったときでさえ、そうだ。
風呂も戴き、一瞬とはいえ爽人の前にわたしは裸体を曝すが、飛び掛かられ、後ろから抱きしめられることもない。
仮にそうされればわたしは抵抗しないかもしれないが、何もない。
その後、偶然逆の立場になるが、わたしは、
「コイツ、痩せてんな……」
と思っただけだ。
つまり初期の恋愛関係特有の気まずさみたいなモノがどこにもなく、兄ともいわゆる友だちとも違うが、それに近いような感覚でわたしは爽人を捉えている。
爽人の方がどう思っているかは知らないが、場の雰囲気は単一要素で醸成されない。
だから、おそらく同じような気持ちなのだと思う。
寝る前に少しお酒を飲み、爽人のアパートに着く前に寄ったスーパーマーケットで下着とともに求めたジャージの上下を羽織り、一緒の布団で狭苦しく寝る。
そういう状況だったし、男の生理もわからないわけではなかったから、
「こうしてここにいるのも自己責任だから、したくなったらしてもいいけど、いきなりは止めて」
と口にしたら、わたしの方が恥ずかしくなる。
それって女の方から求めてる言葉じゃん、と思ったからだ。
が、爽人はそれに、
「あいよ、わかった……」
と答えただけで、くるりとわたしに背を向ける。
最初その背に甘えるように抱きつく格好をしていたわたしもやがて眠くなり、爽人同様彼に背を向け眠りに落ちる。
最初は落ち着かないのではと危惧したが、身体の疲れの方が遥に勝り、ぐっすりと無駄なく朝まで眠る。
その朝はまだ完全に空けてなく暗い。
爽人は夜中、わたしに悪戯を仕掛けなかったようだ。
そう思いつつ、わたしは良かったような、それでいて残念なような複雑な気持ちを感じ続ける。
同時に別の危惧もボンヤリと感じる。
こんなに友好的な二人だと逆に恥ずかしくってセックスができないんじゃなかろうか、という危惧だ。
相手が爽人かどうかはともかく経験として、わたしはセックスがしてみたい。
それに近いことは経験したが、わたしにはまだセックスの……というか男女が身体を重ねるという経験がない。
それではこれまでどんなことを経験したかというと、おそらく他人の想像の範囲内だろうから語らない。
わたしが目覚めると爽人も起きたようだ。
布団の中で二人を見詰め合い、短い時間だが親愛を込め、唇を重ねる。
そしたらお腹がグウとなる。
だから布団から這い出てトーストを焼く。
玉子焼きも作る。
コーヒーも入れる。
秋口だったので涼しいが、窓を開けると、ちょうど朝日が昇るところ。
それを目にし、爽人が冒頭の発言をしたのだ。
それにしても朝焼けの太陽の色はどうしてあんなに赤いのだろう?
夕日は大抵オレンジだが、記憶にある朝焼けの印象はいつも血の赤。
空にかかっていた雲のせいかもしれないが、そのまま天変地異が起こっても不思議がないような、そんな迫力に満ちたている。
地震だろうか?
それに伴う津波だろうか?
あるいは火山の噴火だろうか?
それに伴う火山弾だろうか?
まさか隕石が空から降ってくるのだろうか?
実際に被災すれ大変な目に遭うだろうが、わたしの想像力はその程度。
地震、津波、噴火、火山弾、隕石、それから……。
そんな空想を頭の中で弄びつつ爽人と一緒の朝ご飯を終えると、わたしが云う。
「散歩してみたいな」
「近くに公園があるよ」
爽人が答え、行き先が決まる。
時間はまだ早いが、そのまま大学に行っても大丈夫な装備をし、わたしたち二人がアパートを出る。
朝の鳥たちが、この世の終わりを継げるような声で啼き、猫がそれを引き継ぐ。
電線に止まったカラスがフワッとこちらに降り、頭上数十センチメートルのところを掠め、飛び去る。
「珍しいな……」
と爽人。
「やっぱり何か起こるかもしれない?」
と、わたし。
十分弱歩き、爽人が云った公園に辿り着く。
公園内に鉄塔が立つほど大きな公園だ。
順路を歩くと予想以上に大勢の人たちと擦れ違う。
大抵の人たちは犬連れだが、ランニングやジョギングの人もいるし、そうではないお年寄りの夫妻もいる。
子供はいない。
特に目的もなく公園の中央にある池に向かうと気配がし、池の畔に設えられた木製ベンチを見遣ると青年がいる。
あの就職対策セミナーの日、わたしに浦元と名乗った青年だ。
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