6 兄
わたしと兄は実年齢で五歳半、学年で六年離れていたから同じ学校に通ったことはない。
わたしが小学校に入学するとき兄は中学校に入学している。
わたしが中学校に入学したときには浪人せず大学に入学し、その後も年齢差は縮まっていない。
わたしは癇が強くて同時に暴れん坊な子供だったから幼い頃にはよく兄に喧嘩を吹っかけ毎回迷惑や被害を与えたが、それで兄に嫌われることはない。
……と現在に至るも思っているが、面と向かって聞いたことは無い。
だから実際のところは判らない。
が、子供の頃は相手にされていなかったのだろうと思う。
「人間の妹だと思えば腹も立つが、良く出来た猿だと思えば腹も立たない。いや、それ以上に感心する」
とは兄の言だが、本当にそんな感じだったのかもしれない。
キーッ キー キーッ
兄はわたしが生まれるまで一人っ子の長男として育てられたから、わたしに比べれば大分おっとりしている。
それでも高校生のときや大学の中頃には色々あったようで腕や脚に怪我をした姿を見たこともある。
会社に就職してからは取っ組み合うような諍いはしていないようだが、別の意味で種々の悩みがありそうだ。
そんな兄の存在がわたしの人格形成にどの程度影響を与えたかは判らない。
が、兄が一人っ子として育てられた約五年――つまりわたしが母のお腹の中に入っていることがわかれば子供ながらに兄だってお兄ちゃんとしての自覚が芽生えただろうから――に両親や祖父母から買い与えられた各種の図鑑や絵本や本はわたしの生活圏内にあったわけで、結果的にそれらを眺め、読み、わたしが育つ。
ダイオードとか、ネアンデルタール人とか、モルフォ蝶とか、タバコモザイクウィルスとか、ゼノンのパラドックスとかを最初に知ったのは兄の図鑑からだし、昔話や童話や神話は兄の絵本からで、海外の子供向けに翻案された名作類に触れたのも兄の本からだ。
兄弟姉妹で性格や興味の対象が違うことは多いだろうが、少なくともわたしの興味は兄のそれに近似する。
またある程度歳が離れていたから、それを知って造反し、兄とは正反対に生きてやろうとも思わない。
その陰には両親の巧みな情報操作があっただろうが、既に過ぎ去ってしまったことなので蒸し返すつもりはない。
結局何が云いたいかというと、わたしと兄は現時点まで兄妹として良好な関係を営んで来たということだ。
もちろんわたしも兄も人間なのでこの先何かあり、憎しみ合うようになるかもしれなかい。
が、とりあえずこれまでそのような気配は何処にも存在しなかったし、おそらくこの先もきっと存在しないだろうと思う。
例えば距離的に離れて関わりが薄くなることはあるかもしれないが、おそらくどちらかが先に死んでもわたしの兄はいつまでもわたしの兄であり続けるはずだ。
が、そうはいっても、わたしが兄を理解していることにはならないのが人間関係の面白さか。
恵子さんもそうだが、兄の世界の住人たちは、わたしが知っているところの兄の知り合いというイメージと――程度の大小はあるが――掛け離れている。
わたしが小学生のときにはその解離はまだ小さかったと思うが、もしかするとそれも、わたしが幼くて気付いていなかっただけかもしれない。
とにかく齢を重ねるに従い、イメージの解離が顕著になる。
兄は父と似て、どちらかというと物静かなで几帳面な人だが、兄の友だちや彼女たちは――言葉は悪いが――ガサツな人が多い。
例えば兄が神社のアシンメトリーを愉しんでいるような気分のとき、缶蹴りや食べ物の話を始めてしまうような人たちだ。
あるいは、わたしが兄に連れられ買物や公園に散歩に行ったときに見かけ、
「まいこちゃんは、おにいちゃんが、だいすきなのよねー」(例文一)
のようなデリカシーの無い発言をするような人たちか。
兄と一緒にいるときのわたしに対するその応答にわたしはときどき腹を立てたが、兄が柳に風と受け流すので……違うか、気にする様子も見せないので、いつもそのまま怒りの矛先を収める。
もちろんやり場の無いままにだが……。
けれども、わたし自身の性格も実はガサツだったようで、いつの間にかそのような扱いにも慣れてしまい、
「うん。そうだよぉ!」(例文二)
というような返事ができるようになる。
それでも兄と二人だけのとき、わたしは兄に聞いてみたことがある。
「おにいちゃんのおともだちって、おにいちゃんとちがってヘンだよ!」
すると兄は腰を降ろし、わたしの視線に自分のそれを合わせてこう答える。
「それはお兄ちゃんがヘンだからヘンな人たちが集まるだけだよ」
兄の答えに納得できなかったわたしはさらに問う。
「ちがうもん。おにいちゃん、もっとパリッとしてるもん」
いや、正確な表現は忘れた。
「おにいちゃんが、いちまつもよう、だったら、おにいちゃんのともだちは、アーガイル、だもん」
……と云った記憶もある。
子供は結構色々な言葉を知っているのだ。
そこでバーバリィチェックと云わなかったわたしは知らずに先を読んでいたのかもしれない。
それに答えて兄が云う。
言葉を発する前、身体を四十五度に傾け、
「こうやって見たら、どっちも似てない?」
わたしはすぐに頭の中で両者を比較し――意外と空間把握能力があったのだ――、暫くの間考えてから兄と反対方向に身体を四十五度に傾け、にっこりと笑いながら答える。
「うん。似てなーい!」
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