5 兄の彼女
わたしの兄の現在の彼女の名前は恵子さんと云。
歴代兄の彼女の中では一番風変わりな人だ。
……といって空気が読めないとか、あるいは天然だとかいうのではない。
別の言葉を捜せば、時間がゆっくり流れているような人とでも云えそうだ。
だから普通の流れで雑談をしているとき不意に五分ほど前の話題に関する考えを述べられ、ぎょっとする。
それは気分が悪くなるような、ぎょっ、ではないが、一瞬、この人、何? と初めて会話をする人には戸惑われそうな、ぎょっ、だろう。
ずっと気になっていたので数回兄とともに恵子さんに会い、慣れてきたと思ったので聞いてみる。
すると、
「うーん、気になることがあるとーっ、頭の中に居座るのよねーっ」
と返答される。。
思わずわたしは、
「はあ」
と間抜けな返しをしたが、恵子さんの云わんとすることが伝わらなかったわけではない。
そう、その感覚はわたしにだって判るのだ。
が、普通はすぐに忘れてしまう。
そうものではなかろろうか?
単純な時間の流れとともに……。
少なくとも、わたしの場合はそうだ。
さらにどうでも良い内容だったら余計にだろう。
すると――
「いやーっ、でも、そういうのとも違うんだよねーっ」
ゆっくりと語尾を引き伸ばす独特の語り口調で恵子さんがわたしに説明する。
「時間が二つか複数、別々に動くんだよねーっ」
……て、いったい?
「だから普通にお話しをしているみんなとの共有時間があって、それとは切り離されたいくつかの別の時間があってーっ」
「じゃあ、恵子さんは頭の中で複数の考えを考えることができるんですか?」
わたしが問うと、
「いやーっ、そうなんだけど、同時……っていうかさーっ、速さが違うぅ? 空間でいえば質が違うっていうかーっ。でも良く判らないわよねーっ」
うん。確かに良く判らない。
それで、
「CPUのタイムシェリングシステムみたいなものですか?」
と、わたしが尋ねる。
そのときわたしの頭に浮かんだ考えがそれだったからだ。
タイムシェアリングシステムとは一台のコンピュータの演算処理時間をユーザ単位に分割することにより、複数のユーザが同時にコンピュータを利用できるようにした方式のことだ。
簡単に云えばコンピュータの頭脳部分は常に切れ目なく使用されるものではなく、あるユーザが入力内容を考えている時間には空いているので、その時間を他のユーザに使ってもらえるようにした、となるだろうか?
「うん。結局のところ煮詰めれば、そうなのかもしれないけどねーっ」
と暫く迷った末に恵子さんが答える。
が、自ら口に出してみたものの、わたしにはやはり内容が理解が出来ない。
それって、そしかして恵子さんとわたしの頭脳構造そのものの違い?
ふと、そう思いつく。
……だとすると、それは永遠にわたしには判らない内容あるいは感覚だ。
……などと思っていたら恵子さんの方から思わぬ言葉が返ってくる。
「例えばねーっ、真悠子さんは複数の人を同時に好きになったことはなーい?」
「はぁ?」
問われて過去を振り返れば、あったような、なかったような……。
が、そんな質問をされたら現時点での想い人が真っ先に頭に思い浮かぶのが人情だ。
ついで子供のときからの思い出が浮き上がって重なる。
暫くしてから、
「どう?」
と確認されたが、それら歴代のわたしの想い人たちはおそらく、わたし、あるいはわたしから、という特定の要素で結び付けられているから、それら自身は独立ではなく、やはり先ほどの質の差とは違うように感じる。
それで恐る恐る、
「違うような気がするんですけど」
と口にすると、
「まあ、人それだもんねーっ」
という答えが笑顔とともに返ってくる。
わたしには恵子さんが理解できない。
……というか、どんな人にも理解できない部分がある。
「うーん」
とわたしがなおも考えていると兄の出かける用意が整ったようで、
「じゃあ……」
と、わたしが恵子さんを見送る態勢になる。
すると、
「交響曲の各パートもそれぞれ関連づいているから例としては良くないわねーっ。作曲者は同時にそれらの音を聞いていてもねーっ」
と恵子さんが先のわたしの否定の理由を綺麗に探り当て、口に出し、
「とすればーっ、解離性同一性障害が一つの頭の中に同居しているっていうイメージが一番近いかしらーっ」
と口にする。
恵子さん、あの、それ、怖いんですけど……。
解離性同一性障害とは、かつて多重人格障害と呼ばれた人格障害のことだ。
同種の障害の中ではもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長し、別の人格となって表に現れる。
が、表に現れる人格は常に一つ。
それが複数同時に出現することなどありえない。
いやでも、それがタイムシェアリングだったとしたら?
いや、イヤ、いや、イヤ、いや……。
それでは事情が違うだろう?
が、結局のところ煮詰めれば同じではなかろうかとも思えてくる。
そのとき、わたしは少しだけ世界の秘密が見えたような気がする。
もちろん気のせいには違いないだろうが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます