3 父

 父の職業は会社員だが、それはわたしたち家族を養うための仕事だ。

 それでも責任感の強い父は仕事に手を抜くことはない。

 だから父の夢はいつまでも叶わないかもしれない。

 父は若い頃から文学青年だ。

 小説も書いたし、詩も書いたし、俳句を詠めば、短歌も詠む。

 その中でも自身手放せないのは創作=小説の執筆のようだ。

 父の父、すなわちわたしの祖父は自動車関係の技術者で、それぞれ分野は違うが兄もわたしも理系に進んだので父が我が家の異端児となる。

 祖母は趣味でご近所のお年寄りたちに踊りの手解きをするような賑やかな場を好む人。

 だからと云って古典に通じているわけではなく、小説を読むよりはテレビドラマを見ることを悦ぶ。

 母は暇さえあれば縫い物をしたり、片づけをしたり、掃除をしたり、洗物をしたりと、とにかく身体を動かしていないと落ち着かない性格。

 それに反して、

「あー、忙しい、忙しい!」

 が口癖だから笑ってしまう。

 その母は時折思い出したように近所の小母さん仲間たちと観に行った映画の原作本や源氏物語の現代語訳を読んでいたが、創作には少しの興味もないようだ。

 よって父の異端は決定されたわけだが、そのことについて父が文句を云った記憶はない。

 父は本質的に静かで大人しい人なのだ。

 父は創作が好きだったが、もちろんそれ以上に本を読む。

 読書家として多いのか少ないのか、わたしには見当もつかないが、年に百冊以上は読んでいるはずだ。

 ある周期で半ば刷新される父の本棚に並べられた書籍から判断するに父の好みは文学系の小説らしい。

 が、割合は低いが推理小説もあれば、SFもある。

 評論も置かれていたから分け隔てはないようだ。

 最近では女流作家の本が並べられることが多いが、その前は戦前から戦後にかけて活躍した今では忘れられた作家たちの本を探し出しては読んでいる。

 今ではネット通販も充実しているから値段を問わなければ殆どの小説本が手に入る。

 小説ではないが、父が若い頃から約二十年間古本屋を探し続けた、もちろん絶版の哲学書が数年前に五千円もせずに手に入ったときは感慨深かったそうだ。

 わたしが二十歳を越えて土曜日の夜遅くに一緒にお酒を飲んだとき、しみじみと語る。 

 わたしはそのとき、

「お父さんの小説を読んでみたい」

 と云うべきだったろうか?

 母には聞いたことがないので知らないが、我が家で父の小説を読んだものがいるとは思えない。

 父はもちろん無理強いしないし、さらに読んで欲しいオーラも発しない。

 父はさらりとした人なのだ。

 数年前に仲間と喧嘩したのか、若い頃から所属していた同人サークルを抜けてからは、もしかしたら誰一人も読み手がいないかもしれない。

 無名な父にファンがいるとも思えないし、そもそもわたしの父の書く小説を好みにする個人がいるとも思えない。

 もちろんそれはわたしの偏見だが、朝早く家を出、夜遅く家に帰って来る父に小説に帰納または還元できるような体験があろうとは、わたしには僅かにも思えないからだ。

 重ねて云うが、それは偏見だ。

 今では、まるで老人のように枯れた発言を繰り返す父だが、その昔は小説のネタになるような貴重な経験を重ねていたのかもしれない。

 が、機会があり、父に話を聞く限りでは、ごく普通の生活を続けてきたとしか思えない。

 強いて云えば、幼い頃に身体が弱くて長期間ベッドに伏せっていた体験が文学的といえないこともなかろうが、どうにも弱い。

 誰かに話したら、

「いったい何時の昭和かい?」

 とでもツッ込まれそうだ。

 が、それでも父は書く。

 書き続ける。

 長い時間ではないが夜中に書く。

 家の諸事を片付けた後で休日に書く。

 おそらくそれ以外のわたしの知らない時間にも書いているに違いない。

 母だけがそんな父の時間をときおり無造作に――訳あってだが――奪うが、わたしや兄は放っておく。

 父の方からお酒の相手などに書斎に招じ入れられれば従うが、それ以外は基本的に放っておく。

 父の書斎に仕舞われた季節毎の道具に用があり書斎に入るときも挨拶や断り以外の不要な言葉は交わさない。

 父の方でも、そのときは存在(ぞんざい)に応じるだけだ。

 そのときだけ父は、わたしの知らない存在になる。

 わたしの父でも、兄の父でも、母の夫でも、また祖父母の息子でもない一人の男=人間に入れ代わる。

 父のペルソナが剥がれた父は、それでもまた別のペルソナを被っているのかもしれないが、

「ああ、この男だったら、もしかしたら何かを仕出かすのかもしれない」

 という雰囲気をほんの僅かだが、わたしに嗅がせることがある。

 それは不思議な匂い。

 家族でありながら家族でないような他人の匂い。

 もっと云えば誰だか見知らぬ他人の匂い。

 が、わたしがもっと強烈にその人のことを知ろうとすると匂いは父に還ってしまう。

 父のペルソナに入れ戻ってしまう。

 だからわたしはわたしの父であり、かつ、わたしの知らない他人を、それ以上知ることが出来ないのだ。

 近づいて行くことが出来ないのだ。

 理解することが出来ないのだ。

 きっと、それが理由だったのだろう。

 近々のある日、わたしは父に無断で父のPCを立ち上げ、父の小説を探し読む。

 几帳面な父は誰が見てもわかるようにPC内のフォルダを整理しており、自分が書いた小説に関しても、未完、書きかけ、初稿終了、推敲中、脱稿の区別がすぐにつく。

 特に書きかけのものに、わたしは強く興味を惹かれたが――それは近々に父の手により生み出されたものだからだが――、さすがに手を出せず、脱稿フォルダに収められた最新日付けの小説を自分のUSBにコピーすると自室に戻り恐る恐る読み始める。

 数ページしないうちに、わたしは気づく。

 その小説の中に父がいたことに、わたしは気づいて涙ぐむ。

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