2 タビスケ

 わたしに対して浦元となった青年に、わたしはまた会いたいとは思わない。

 わたしは極めて常識的な人間だし、これまでのさして長くもない人生で自ら学んだ常識を覆されるのが腹立たしかったからだ。

 が、そんなわたしでも世に不条理があることは知っている。

 まともな神経をしていたら到底信じられないような新興宗教の教義や夢のような儲け話を信じる人たちを知っている。

 間接的に……。

 それとは違うが、急に気になって電話をして元気な声を聞いた翌日に年長の家族が亡くなった人の話や、思わぬアクシデントに見舞われ、乗り損ねた飛行機が墜落した人の話を知っている。

 これも間接的に……。

 直接的には瀕死の猫を助けた経験が、わたしにはある。

 小学校低学年の頃だ。

 当時、わたしは八歳だったから三年生だったのだろう。

 理由は知らないが何故か引かれて――と云うしかない感覚に導かれ――、わたしはいつもの道とは違う道を通り、学校から帰る。

 もう数分で家に着くという場所にある二車線の道路で信号待ちをしていると旧家の生垣を抜け、スウッと猫が飛び出したのだ。

 まだ幼い斑(ぶち)猫。

 旧家の庭に忍び込み、遊んでいたら猫嫌いの年寄りに嫌われ、逃げて来たのかもしれない。

 元より事情はわかるはずもないが……。

 そして――

「あっ、バカ! いま、わたるんじゃない!」

 と、わたしが思うまもなく勢い良く車道に飛び出した斑猫が車に撥ねられる。

 直撃ではないが、鈍いカツンという音がし、わたしの近くまで跳んでくる。

 猫にぶつかった車は気づいたのか、そうではないのか、速度を落とすことなくそのまま去る。

 幼い斑猫は血塗れだ。

 わたしは考えるより先に瀕死の斑猫を腕に抱える。

 裂けた腹からドクドクと血を溢れさせる斑猫を抱えたまま一目散に家に走る。

 家の門の前にはちょうど自転車を整備していた歳の離れた兄がいて、わたしの姿を一目見るなり事情を察し、家の中に飛び込むと強引に母を外に引っ張り出す。

 その母もわたしの気迫に気圧されたのか、すぐに車を用意し、斑猫を抱えたままのわたしを車の後部座席にグイと押し込む。

 兄がその横に割り込み、斑猫の出血を少しでも抑えるように素早くきつくタオルを巻き、すぐにわたしの腕の中に斑猫を戻す。

 そうこうするうちにも母が猛スピードでカーナビに示された近隣の動物病院に向かう。

 今にして思えば良く事故を起こさなかったと胸が痛いが、当事はただ斑猫が助かることばかりを願っている。

 その斑猫はわたしの腕の中で弱々しく、なー、なー、と啼く。

 斑猫に巻かれたタオルはどんどん赤く染まってゆく。

 ときどき咳き込み、身体全体を痙攣させる。

 刻一刻と、なー、なー、と啼く幼い斑猫の声が小さくなる。

 けれどもそれは不思議と澄み切っていて、幼いながらに自分の死を受け入れたかのようにわたしには聞こえる。

 もちろん当時のわたしがその通りに理解したとは思えない。

 けれどもわたしは斑猫に叫んだのだ。

「ダメダメダメダメ! ぜったいダメ! おまえはしなない。おまえはうちのかいねこになる。だからおまえはぜったいぜったいしなない。きっときっときっときっときっと、おまえはたすかる!」

 あのときの動物病院の女医先生には頭が下がる。

 思い出す度に感謝する。

 動物病院に急患畜がいなかった偶然にも感謝する。

 道路が渋滞していなかったことに感謝する。

 母が事故を起こさなかったことに感謝する。

 兄が素早く行動してくれたことに感謝する。

 それらを含めたすべての成行きに感謝する。

 さらに我が侭なわたしの願いを赦した患畜たちの飼い主さんたちに頭を下げる。

 一連の騒動がとりあえず収まったとき、わたしは一時的に気を失ったようだ。

 自分ではまったく憶えていない。

 気を失う前と気を失った後が途切れることなく結びついている。

 が、それも兄と母にとっては既に笑い話だ。

 そしてタビスケは我が家の一員になる。

 図らずも、幼いわたしがあのとき母の運転する車の中で叫んだ通りに……。

 深い切傷はいつまでも残ったし、若干片足を引き摺る後遺症も治らなかったが、タビスケは十二年後の今もなお健在で我が家に飼われている。

 が、すっかり容姿が変わる。

 健在ではあるが、完全なデブ猫になってしまったのだ。

 通常、猫の寿命は十年から十六年くらいと云われている。

 だから猫の十二歳は人間では大よそ六十四歳に相当し、猫の平均寿命年齢でもあるらしい。

 指南書によれば、運動不足や寝たきりにならないように適度な運動をさせること、また食事も一度では食べ切れなくなるので数回に分けて与えること、などと記載がある。

 が、タビスケにとって、そんな忠告は何処吹く風のようだ。

 けれども今は元気なタビスケも、やがて枯れて死ぬのだろう。

 死期を悟れば、わたしたち家族に別れも告げず、去って行くかもしれない。

 あるいは元は猫嫌いだったわたしの父にだけ別れを告げて去って行くか?

 あのとき父が何故わたしにタビスケを飼うことを許したのか、本当の理由をわたしは知らない。

 わたしの願いを兄と母が父に説得したから折れたのだ、と後年父は笑いながらわたしに打ち明けるが、それは状況的理由でしかないだろう。

 それとも当事、父は感じ取ったのだろうか?

 最初はタビスケを嫌っていた父が、やがて家族の誰よりもタビスケに愛されるようになることを……。

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