まさか世界がこんな形で侵略されるとは思いも寄らなかった
り(PN)
1 謎の青年
雑踏の街中を歩いていて、フッと気配のようなものを感じる。
思わず足を止め、前方を睨む。
視界の中には大勢の人々が溢れる。
が、たぶんあの青年だ。
身長は高過ぎないが、周りと比較して頭一つ飛び出しているから高い方だろう。
百八十センチメートルを超えるくらいか?
ごく普通のペンシルスリムのデニムにカーキ色のジャケットを羽織っている。
被っている帽子は戦闘機乗り風で色はベージュ。
ファッションの流行/廃りには疎いが、街中で特に珍しくも無い格好だろう。
それが、どうして目に留まったか?
……と思う間もなく青年の姿が掻き消える。
歩いてビルの影に去ったのではなく文字通り消える。
人型が徐々に小さな複数の立方体に変わり、それが崩れるように分解して透明になり、いなくなる。
それと同時に気配も消える。
が、青年の周りにいた人たちは気付かなかい。
彼と彼女らの様子は常態のまま。
わたしだけが狐に抓まれたような気分だ。
ふと我に帰る。
ごく短い時間だが歩道通行の邪魔になっていたので気を取り直し、歩き始める。
今のは何だったのだろうと思い返す。
するとまたフッと気配を感じる。
慌てて前方に目を遣るが青年はいない。
目をじっと凝らしても同じ。
いったい何が起こってるんだ?
わたしがそう思うのと背後から肩を叩かれるのが同時。
ぎょっとして飛び上がりながら振り返る。
が、誰もいない。
気配も消えている。
何だ? なんだ? ナンダ? nanda ?
頭の中を疑問符が飛ぶ。
……と次の瞬間、
「ふうん、ぼくが見えるんだ。久しぶりだな」
右耳に声が聞こえる。
その僅か前に甘い香りのする息がわたしの右耳たぶに掛かる。
えっ?
立ち止まり顔を右に向けると青年がいる。
声を聞く前に感じた気配も消えていない。
「………」
「だけど、そんなに驚くことじゃないさ」
青年が云い、左手をわたしの腰に当て歩みを促す。
「予定があるんだろう。でもさ、目的地に着くまでは、ご一緒させてもらうよ」
「???」
「乙丸(おとまる)さんが暇だったらお茶に誘えたのに残念だな」
が、青年の声に残念そうな響きはない。
「ああ、それはあなたの頭の中身を読んだから……」
「どうして、わたしの名前を知っているんですか?」
わたしが質問をするより先に青年が答える。
だから、きっとわたしは困惑の表情を浮かべている。
「えっ、ストーカーじゃないよ。端的に云えば、あなたの方がぼくを見つけたんだからね」
青年の先読みが続く。
それって、どういう?
「いいかげんに落ち着いたら……。あなたは結構肝が据わっていると思うよ。頭の中は混乱しているようだけど、心臓は吃驚してないって自分で知ってた?」
青年に云われ、わたしは気づく。
確かに、わたしの心臓は血管に不整脈を送り出してはいない。
どきん ドクン ドキン どくん どきん ドクン ……
おそらくいつもの調子で拍動している。
「いや、違う。ぼくは神でも悪魔でも物の怪でもないよ。それに乙丸さんも眠って夢を見ているわけじゃない」
だって?
「そろそろ、声に出して云ったら……」
「だって?」
「そうだな、サトリの化け物でもないよ。失礼しちゃうな」
けれど、わたしにはそうとしか思えない。
人の心を先読みし、人が考えることを思いつけなくなると喰ってしまうという、あの伝説の妖怪に……。
「……と云う説もあるようだけど、人に危害を加えないので山で作業をする人間たちは敢えて逆らわずにサトリと共存していたとする説もあるって知ってた?」
「そうなんですか?」
わたしが問うと青年がにっこりと笑う。
子供みたいで更に邪気の感じられない笑顔。
でも信用できない。
「えーっ、信用してよ。あなたの邪魔はしなからさ。で、セミナー会場はその坂の上のビルの最上階だよ」
「よ、呼べませんから、名前を教えてください」
わたしが要求すると、
「乙丸さんの好きな名前でいいじゃない?」
青年が答る。
「それじゃ、困ります」
「こっちは困らないけどね。融通が利かないと将来苦労するよ」
「わかってます。知ってます。そんなことは。自分のことは……」
「じゃ、覚(サトリ)にしようか?」
「ふざけてるんですか?」
「それでダメなら浦元で、どう?」
「はぁ?」
わたしの求めに応じ、青年が提示したその名前がわたしの苗字のローマ字における逆読み(uramoto)だと気付いたのは就職に関する講演会を聞くという大学が定めた用事を済ませた後だ。
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