第2話 竜よりも雄々しきその瞳
アシュリテは、竜の背に乗った少女の発した言葉の意味を上手く呑み込めないでいた。しかし、それは焦りや動揺からくるものではなかった。突然の出来事ではあったが、不思議と心は落ち着いていた。その少女と竜にしばし眼を奪われはしたようだが。
少女は、気高さを感じさせた。辺り一面を染め上げている雪よりも尚一層深く、澄み切った白い肌。その白さをも溶かしてしまうのではないかとさえ感じさせる燃えるような赤毛。身にまとっている服のその鮮やかさは、夢にすら出てこないのではないだろうかと感じさせる。加えて、乗っている竜の大きく重々たる翼が、鋭く厳格たる爪が、その重くも気高さを感じさせる灰色が、一層少女を構成するいくつもの色を際立たせていた。
そんな少女が、アシュリテに「助ける」と言ったのだ。
助ける?そもそも自分は誰かから助けて貰わなければならない立場にいるのだろうかとアシュリテは考えた。確かに現在アシュリテは裕福であったり高貴であったりとは程遠い環境下にある。現状が最良と思っているわけでも、どんな状況下であってもその状況を楽しむべきであるなどといった達観をしている訳でもない。自分よりも助けを求めている存在があることも知っているし、自分が何かから特別視されるような存在であるとは露ほども思っていない。だから、少女が何を思って自分を助けようとしているのか、アシュリテには見当もつかなかった。ただ、思考がまとまらないまま、少女と竜はすぐそこまで近づいていた。
「つかまって!」
少女がその手を、腕を、アシュリテに伸ばす。眼前に迫りくる少女の手、近づくにつれて雄々しさを振りまいてくる竜の圧倒感。そもそもアシュリテに拒否権などはなかった、少女は既にアシュリテの腕を掴んでいたのだから。つかまるも何も、つかまえられてしまってはどうしようもない。
見た目に似つかわしくない力で体を引っ張り上げられ、次の瞬間には竜の背に乗せられていた。眼前には少女の背中、眼下には竜の背。徐々に遠ざかっていく見張り塔を遠くに感じながら、アシュリテは眼下の竜に意識を向けてみた。思っていたより竜の背は大きく、堅牢であった。そこには厳しさや強さよりも、包容力や慈しさを感じる。恐怖心よりも、何かに守らているような安心感が勝るようであった。そんなことを感じて一層余裕が生まれてきたのか、ようやくアシュリテは言葉を発することが出来た。
「君はだれ?」
現況の追及は一旦外に置き、アシュリテは少女に向かって、確かめるような口調で質問を投げかけた。その言葉を受け、少女はアシュリテにゆっくりと振り返った。その時初めてアシュリテは少女の瞳と向き合うことになる。そこに、冷たく、深い、底が見えない湖を見た気がした。夜明け前の空のような、夜と朝が溶け込んだ、漆黒よりも少しだけ青に近づいた色。そんな色を双眸に携え、少女の瞳は静かに揺れていた。
「インサニア。初めまして、ではないわ」
少女は新雪のような柔らかな表情で、自らの名と共に、アシュリテにそんなことを言ったのだった。
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