灰色の竜は飛び方を知らない

Carpe Diem

第1話 灰色の竜は霧と鐘を知っている

 ぴいいいいいいいいいい。ぴいいいいいいいいいいいいいいい。


 雪泣きが聴こえる。雪泣きというのは、みぞれ雪が吹雪に変わる半刻ほど前に聴こえる、調子外れの笛の音色みたいな音のことだ。

 アシュリテは見張り塔の頂上で分厚いマントを巻き直した。彼の頭に乗っている帽子と同じ、赤と黄色と緑の糸で編まれた美しい模様のマントだった。暗い暗い夜の闇の中、橙色のランプの光に照らされたみぞれ雪が、見張り塔の周りで踊っている。


 雪泣きの音はアシュリテにしか聴こえない。アシュリテが周りに雪泣きについて話しても、皆にそんな音はしないと一蹴された。雪泣きという名前を付けたのもアシュリテだった。

 天候の変化には他にも音が発生するものがある。天気雨の前にはぽろろろろろろろろろろ、ぽろろろろろろろろろろろろろ、と下手糞なハープみたいな音が、霧が出る前にはりんりんりんりんりん、りんりんりんりんりんりんと大量のベルが鳴るような音が聴こえる。それらの音は雪泣きと同じようにアシュリテにしか聴こえなかったが、彼はそれぞれを雨弾き、霧鐘と呼んで、自分にしか聴こえない音色を楽しんでいた。


 アシュリテは見張り塔の頂上、その中の人一人分の小さなスペースに、自分が好きなものを沢山持ち込んでいた。山岳ヤギ乳のビンに、ラマール織の大きな布袋、グレカ銅の小さなランタン。一見どれもガラクタに見えるが、彼にとってはどれも大切な宝物で、絶対に必要な物だった。だって大好きな宝物が無ければ、ここにあるのは大嫌いな仕事の道具だけになってしまうから。

 アシュリテは手錠をかけられた腕で、足元の木箱から黄色の板切れを取り出した。掌大のその板切れには白い斑点模様が描かれている。アシュリテはため息をつくと、壁の穴から出ているパイプに板切れを入れた。カン、カンと音を立てて、板切れはパイプの中を伝って階下へと転がり落ちていく。吹雪が来るぞ、という合図である。

 見張りがアシュリテの仕事である。身寄りのないアシュリテは、天候が変わる音を聴ける能力を買われて見張りの仕事に就き、一日に3杯のワインと6つのパンを貰っている。見張りの仕事は寒く寂しい仕事だったが、周りの同年代の子供と比べると格別の待遇であった。

 アシュリテは仕事は嫌いだったが、天候の音を聴くのは好きだった。調子外れの雪泣きも、いつしか大好きな音になっていた。


 吹雪が始まった。見張り塔の頂上には屋根があったが、横に降る雪からアシュリテを守るのは身体に巻きつけた美しい模様のマントだけだった。容赦なく吹き付ける雪に身体が凍えそうになるが、両腕に硬く嵌められた手錠が逃げることを許してはくれなかった。

 山岳ヤギ乳のビンを握り締めたアシュリテは、ふと視界に見慣れないものが映ることに気付いた。始めは雪かと思ったが、いつまでも位置が変わらず、むしろ段々と大きくなってくる。灰色の点だったものが、ゆっくりと形作られてくる。違う!何かが空を飛んでいて、段々と近付いているんだ!アシュリテがそれに気がついたときには、巨大な灰色の竜が見張り塔に鼻先を近付け、翼の羽ばたきでアシュリテの宝物であるラマール織の大きな布袋を遠くに飛ばしていた。

 アシュリテはどうしすればいいのかわからなかった。竜が飛んできたときにパイプに入れるための板切れなんて、用意されていなかったから。


 竜の背中には少女が乗っていた。透き通るような白い肌に、燃えるような長い赤毛。見たこともない鮮やかな織柄の服を着ていた。竜の角にはロープが結び付けられていて、その先を少女がしっかりと握っていた。

 竜を見上げるアシュリテに向かって、少女が叫んだ。


「私が助けてやる!」


 鐘の音のような、よく通る声だった。霧鐘の音に似ている、とアシュリテは思った。

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