一幕Ⅰ


 二人の騎士Chevalierは、ただ呆然とした様子でそれを見下ろす。

 己が駆る騎竜艇ドラグーンの上から、地表に生じた擂鉢状の中央を。そこにいる、この世界にとって最も忌避すべき存在であり、駆逐するべき人類の敵――の、はずだったモノ、、



 ――可笑しい。



 騎士の、二人のうちの一人――ヴィレット・ストレイムがそう確信する。

 現人類にとっても最も身近な脅威にして災厄――『空禍エイドン』。それが王国の領空内で目撃され、哨戒中だった二人の下に連絡が来たのが今から一〇分ほど前である。

 空禍は出現し、それが人類の生存圏内に侵入したと判り次第、即座に殲滅するというのが現代における共通認識である。



 ――『空』に存在する『わざわい』。



 その名の通り、空禍は雲海うんかいより時折出現しては、浮遊大陸アーク間の大々的な航空手段である飛行船カーゴシップを気まぐれに襲い、そしてそれに乗る人を無差別に喰らう。何処からともなく顕れては暴挙の限りを尽くし、そして消え去る――まさに災厄そのものである。

 そのため、空禍の目撃情報は非常事態連絡エマージェンシーとして王国騎士団――通称〈シュヴァリエ〉直下の管制塔へ通達され、討伐のために騎士が駆り出されるのである。


 しかし、二人が駆けつけた時にはもう、その場には何も存在していなかった。


 騎士が現場に駆けつけるということは、何者かが王都の管制塔に通報をしたはずなのだが、現場であるこの場所は浮遊大陸の断片で、その直径は僅か八〇〇メートルもない樹木に覆われた小さな孤島。当然、通報した人間の姿など見当たるわけもない。

 疾うに空禍によって撃墜されたのだとしたら、それはそれでなにかしらの残滓があるはずだ。しかし、それもない。

 だからこそ、可笑しいと感じるのだ。


『おい相棒。なんか……こう、あれだ。変じゃないか?』


 通信端末越しに、共に現場に駆け付けた小麦色の髪の騎士、カイル・ダランがそう言った。やはり、彼も何かこの状況に対して違和感を覚えたらしい。


「ああ……明らかに可笑しい」


 ヴィレットは同意した。


『情報が間違っていたのか?』


「いや、だとしたら余計に……あれは可笑しいだろう?」


『……だよな』


 カインの視線が孤島へと向けられている。ヴィレットも同じものを見下ろす。

孤島の真ん中。木々を分けるようにして生じた大きな擂鉢状の穴クレーターの、その中央に二人の視線が集中する。

 穴の底には、確かに異形がいた――そう。いたという、過去形。原形を留めず、すでに腐敗と細胞崩壊を始めた空禍の遺骸だけが存在していた。

 空禍はすでに討伐されていた。しかし、それならば討伐者がなんらかの動きアクションをしないのは可笑しい。辺りにもそれらしい影は見当たらない。

 もし自分たちが辿り着く前にこの空域を移動していた何者かが空禍を討伐したのならば、此処に向かう途中にその姿を――何よりその討伐者の乗っていた騎竜艇を確認していても可笑しくないはずだ。


 ――ならば、討伐者は何処に行った?



『何はともあれ、状況を確認するとしようや。このままじゃ埒が明かないぞ、と』



 そんな疑問を抱くヴィレットを余所に、カインは通信端末を通しそう言い残して愛用の巨大な砲筒を手に取ると、空中に停滞していたホバリング状態から騎竜艇を操作。ゆっくりと孤島へと近づいていった。

 ゆるりと降下して行く相棒の姿を見送りながら、ヴィレットはそれとなく周囲を警戒するように視線を巡らせ、そしてもう一度孤島へ視線を戻し――そして、それを見た。

 何かがいる。直感でそう判断したヴィレットは、通信端末を使うことすら忘れて叫ぶ。


「カイン、退避しろ!」


『なに? どうし――』


 返答のすべてを聞くことはなかった。それよりも早く、擂鉢から離れた樹林から何かが飛んできたのだ。


 閃光と衝撃が虚空に疾り、そしてその射線上にいたカインが完全に呑み込まれ――光が消滅した頃、カインの姿は跡形もなく消滅していた、、、、、、、、、、、


 撃墜ではなく、消滅。文字通り跡形もなく、そしてあまりにあっけなく、カイン・ダランという男が死んだ。



「――……」



 言葉もなく、ヴィレットはただ寸前まで相棒のいた空間を見据える。しかし、そこにはカインの残滓も、彼の騎乗していた騎竜艇の残骸もなにも残されてはいなかった。

 一体全体何が起きたのかヴィレットには判らなかった。気づいた時にはもう何もかも手遅れで、カインは孤島から放たれた光に呑まれ、消滅していたのだから。


「――おのれっ!」


 毒づきながら、ヴィレットは騎竜艇の操縦桿グリップを強く握り、握式加速器アクセルを握って急加速させる!


 瞬間――響素動力推進器ヒースドライブエンジンが大気中の響素ヒースを吸収し、機体の後部にある二つの推進器が火を噴いた。爆発音にも似た音を響かせ、ヴィレットの騎乗する騎竜艇が大気を切り裂いて滑空する。


 加速した機体を操り上昇。孤島から離脱して旋回しながら地表を見下ろした。

 しかし孤島を覆う樹林が邪魔で、カインを攻撃し、殺した対象を視認するのはあまりに困難だった。

 ヴィレットは通信端末の回線チャンネルを変え、王都にある管制塔へ状況報告を割り込ませる。


緊急通信メーデー! 緊急通信! 管制塔コントロール聞こえるかオーバー! こちら第二航空艇団第六班所属、ヴィレット・ストレイム! 緊急事態だ!」


『こちら管制塔。なにがあった?』


「目撃情報の空禍を探索中、何者かに攻撃された! 敵の正体は不明ボギー・アンノウン! 同伴していたカイン・ダランが撃墜されたバディ・ロスト! ただちに応援を要請する!」


 怒鳴るように報告をすると、ヴィレットは応答を待たずして機体を傾け――急旋回。機首を再び孤島へ向けて再び空中で静止ホバリング。同時に右腕で騎竜艇に兵装していた得物を抜く。


 超長銃身ハイ・ロングバレルのライフルに長大な鋼刃ブレードを携えた武装――ヴィレットの身の丈ほどある砲剣である。それが彼の最も得意とする大型の武器だ。


 その砲剣を機首と並行するように構え、ヴィレットはまっすぐ孤島へ向けて騎竜艇を発進させる。再度アクセルを入れると同時に推進器が唸りを上げ、彼の駆る騎竜艇は一気に加速し孤島へと接近した。


 すると、再び閃光が疾る!


 音もなく発射さはなたれ、まっすぐに自分に向かってくる光の塊を見極めると、ヴィレットは機体を傾けてそのまま大きく螺旋軌道バレルロールを描き――そして躱す。

 相棒カインの命を奪った光の帯がすれすれで横を抜けていくのには見向きもせず、ヴィレットはその飛んできた光の発射角から位置を割り出し――標的の位置を予測。凝視した。


 同時に、三度目の閃光。


 今度は此方の動きを予測した上での射撃。先の回避すら予測済みであったのではないかと思えるくらいの精密さで光が迫る。

 加速によって二撃目の時よりさらに距離が近づいていたことも災いし、着弾までの時間差タイムラグが早まっている――故に完全な直撃コース。

 ヴィレットは数瞬先の自分の未来を予見する。

 だが、


 ――舐めるな!


 胸中で吼え、ヴィレットは身体ごと機体を横倒しに、更に手にしていた砲剣を膂力の限り振り抜いた。超重量級の武装である砲剣を振るうことで生じる遠心力に身を任せたヴィレットの身体は、勢いに乗って騎竜艇から放り出される。

 転瞬、寸前までヴィレットの騎乗していた騎竜艇を閃光が捉える。右主翼が完全に抉り取られ、損傷部分が火を噴くのを横目に、ヴィレットは空中で身体を捻って体制を整えると、砲剣を構えた。

 再三に渉る攻撃で、殆んど位置は割り出せている。後は不安定かつ常時落下し続ける姿勢で標的を目視できるかだが……運はヴィレットに味方していた。


 ――捉えた!


 樹林の間で、何かを構える影法師の姿があった。

 その姿を視線の彼方――照準器サイトの先に捉えたのと同時、ヴィレットは手にしていた砲剣の銃爪トリガーを引き絞った。


 瞬間、大気を切り裂く音すらも呑み込むような轟音が唸る!


 銃口から目も眩むようなマズルフラシュと共に光弾が発射され、音速の壁をぶち破って照準の先――即ち標的へと真っ直ぐに飛んでゆく。

 視認する間もなく、そして回避することも叶わず。響素が形成するエネルギー弾は直撃すると同時に標的の身体を大きく抉り取った。


「――詰みだチェック!」


 勝鬨を上げる。

 漆影しつえいが傾ぐのを確認すると、砲剣を即座に直動式で手動操作装填ストレートプルボルトアクション。新たな響素の弾丸ヒース・バレッドが装填されると同時、ヴィレットはもう一度――今度は地表へ向けて銃爪を引いた。

 轟音と共に一瞬だけ身体が浮き上がる感覚。そして次の瞬間、彼の身体は樹林の中に頭から突っ込んでいた。


「ぐぅ……っ!?」


 木々の葉が擦れ、枝の折れる音を引き連れながら、地面に身体を叩きつけられる激痛に声を漏らす。それでも、寸前の銃撃で勢いを殺せていたからこの程度で済んでいるのだと自分に言い聞かせながら、ヴィレットは痛む身体に鞭を打って起き上がると、砲剣を手に一方に向けて走り出した。

落下中の空から自分の落ちた場所の予想距離は、目算で約三〇メートルもなかったはず。記憶を頼りに樹林の間を駆け抜けると、それはすぐに見つかった。


 そこには漆黒が横たわっていた。


 頭頂から爪先まで黒一色の襤褸布を巻きつけたようなそれは、先ほどヴィレットが撃ち抜いた通り、右半身がごっそりと抉り取られている。

 しかし、だとすれば可笑しい。これだけ肉体の損傷が激しいにも拘らず、この死体からは臓物はおろか、血の一滴も零れている形跡がない。でかでかと広がる血溜まりの中に転がっていても可笑しくないのに……

 ヴィレットは周囲を警戒しながらその死体に歩み寄る。ゆっくりと砲剣を構え、鋼刃の切っ先でその死体へ軽く触れた、その次の瞬間だった。



 ――どろり……



 そんな音と共に、それは融解した。先ほどまで確かに半壊した人間の形をしていたそれは、ほんの一瞬にしてヴィレットの前で形を崩し、液状となって――そして、消えた。

 形跡は何も残らず、まるでそこに死体などなかったかのように。

 ヴィレットは絶句し、不覚にもよろめいてしまう。数歩後退しながら混乱する自分を必死に落ち着かせようとする。

 もしカインが生きていたなら、自分は白昼夢でも見たのではないかと疑うくらい、目の前で起きた事象は現実性を欠いていた。

 だが、それでも何とか混乱する自分を奮い立たせ、僅かに冷静さを取り戻した彼の視界に、それが不意に飛び込む。


「――これは……」


 苦渋に満ちた表情を浮かべる彼の視界の先に転がる物。これまでこのような複雑な代物を見たことなどないが、それを見た瞬間ヴィレットは『継ぎ接ぎされた機械』という感想が脳裏に浮かんだ。

 だが何よりまず、それは異様だった。

 何か――そう。何かとんでもなく嫌な予感がふつふつと湧き立つ大掛かりな機械仕掛け。

 先ほどまで死体が倒れ、そして今はその影も形もなくなったその場所に、まるで取り残されたかのように転がっているそれは、ヴィレットにはどうしようもなく不吉なものに見えてならなかった。



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